みすず書房

「緑仮説」の提案

守りたい自然とそうでもない自然がある理由

「緑仮説」の提案

なぜ特定の自然が好きなのか?

ローレンツが「かわいい」という気持ちの進化的な意味に注目したように、人間が自然に対して抱くポジティブな気持ちを、広く進化の観点から説明しようとした研究者がいました。アメリカの生物学者エドワード・O・ウィルソン(1929–2021)です。ウィルソンは、アリなどの社会性昆虫をはじめとして生態学のさまざまな研究分野で大きな業績を残した生物学者でもあり、生物多様性の概念を広く世に伝えその保全を大きく推進した点で「生物多様性の父」とも言われます。そのウィルソンが1984年の著書Biophiliaで提案したのが、「バイオフィリア仮説」(bio=生物、philia=愛)です(1)。バイオフィリアとは、人間には生命や生命らしいものに注意を向け、それに親しみや関心をもつ傾向がある、という考え方です。つまり、人間はそもそも進化的に獲得した性質として、生き物や自然に関心を向けやすい心をもっているのではないか、という仮説です。ウィルソンはのちに、バイオフィリアは単一の本能ではなく、個別に分解して分析できるいくつかの学習規則の複合体だと述べています。そこには、花への親しみ、動物への愛着、特定の景観の選好、さらには自然や特定の動物への恐怖や忌避など、ポジティブなものもネガティブなものも合わせた生命への関心が広く含まれています(2)。この意味では、バイオフィリア仮説は、私がここまで紹介してきたような「自然に対する気持ちは、異なる進化的起源をもつ複数の心理的なサブシステムで構成されている」という考え方の源流と言えるかもしれません。

ウィルソンがバイオフィリア仮説として提示した大きな問題意識と並行して、より具体的に「人間はどのような自然景観を好むのか」を、進化の観点から検証しようとする研究も進みました。その代表的な例が、自然景観への好みを進化の観点から説明しようとした「サバンナ仮説」です。サバンナ仮説とは、人間は進化史の中でアフリカのサバンナ的な環境に長く適応してきたため、見通しがよく、樹木が散在し、水や資源がありそうな景観を好みやすいのではないか、という仮説です。これは、バイオフィリアの中でも比較的検証しやすい仮説でした。なぜなら、「どのような景観を好むか」という具体的な予測を立てることができるからです。

サバンナ仮説に関する研究で代表的なのは、米国の研究者によるものです(3)。この研究では、小学3年生から高齢者という幅広い年齢を対象に、サバンナ、熱帯雨林、落葉樹林、針葉樹林、砂漠などの景観写真への選好を調べました。その結果、とくに文化の影響が少ないと考えられる小学生では、サバンナ的景観への選好が見られました。このことは、人間にサバンナ的環境への生得的な選好があるという仮説を限定的に支持するものとして解釈されました。ただし、その後行われた数多くの研究は、サバンナ仮説を支持するものばかりではありませんでした。たとえば、人間はサバンナ的景観だけを普遍的に好むのではなく、その人が慣れ親しんできた環境への親近性も一定程度関わることが指摘されています(4)

さらに、近年の比較文化的な研究では、人間はサバンナや草原のように見晴らしの良い半開放的な自然環境に普遍的な選好をもつという前提は、主に西洋都市住民を対象にした研究に強く依存している可能性が指摘されています(5)。西洋の都市住民は、サバンナ的景観で構成された都市公園に対して親しみを抱くよう学習しているため、サバンナ的景観を強く選好するようになっているのかもしれない、ということです。実際、ある研究では、スウェーデンの学生集団には半開放的な景観への選好を示す人たちがいる一方、非西洋・先住民系の5集団(マレー半島、スリナム、東ティモール、コロンビア)ではむしろ植生密度の高い景観が好まれると報告されています(6)

バイオフィリアの概念は、環境心理学、建築、都市設計、景観デザイン、健康、ウェルビーイングといった文脈では、「人間は自然を愛する本能を持つ」という大きな前提と捉えられ、さかんに利用されてきました。バイオフィリアの概念が、都市や病院、学校に緑を増やしたり、自然に触れる機会をつくることの重要性を多くの人に伝えるための大切な下地となったり、自然と心身の健康との関係についての研究を支える理論的背景となったのです。このもとで、緑地や水辺などの自然らしい環境が、心身の健康によい影響をもつこと実証する研究が蓄積されてきています(連載第4回参照)。

しかしこの流れの原点であるウィルソンのアイデアに立ち返ると、疑問は残ったままです。意外にも、バイオフィリア仮説の提案以降、「自然を愛する本能」がどのような適応的意義をもつのかが進化生物学や進化心理学といった分野でしっかりと研究されることはなかったのです。それゆえ、その起源は今もよくわからないままとなっています。

自然好きは偏っている? 都会の人が「緑」を好む理由

前回は、「虫がキモい」というシンプルな感情に、進化の光を当てた研究を紹介しました。これは、自然に対するネガティブな気持ちを分解して分析することで、その由来を少し理解できた、という研究でした。われわれの研究グループはさらに歩を進めて、自然に対するポジティブな気持ちにも、同じように進化の光を当ててみることにしました。緑を見るとほっとする、自然の中にいると気分がよくなる、都市にいても街路樹や公園や観葉植物があれば空間の印象が好ましいものになる……。こうした反応は誰もが経験するあまりにも身近で当たり前の現象なためあまり顧みられてきませんでしたが、前述のとおり、人間がこのように反応する理由はそれほど明らかではないのです。

ここまでみたとおり、バイオフィリア仮説やサバンナ仮説といった既存の仮説では、十分に納得のいく進化的な説明ができません。そこでわれわれのグループは、これまで報告されてきた研究結果を先入観のないフラットな目で見直してそこに浮かび上がるパターンを見つけ、それが説明できるような新しい仮説を考えだそうとしました。

これまで行われた膨大な研究を整理すると、私たちの自然への気持ちには、不思議な偏りが二つあることが見えてきました。ひとつは、私たちが「緑」に対して強い反応を示すことです。開けた草原や森林など、どのような景観が好まれるかは、地域や文化、経験によって変わります。しかしその一方で、植物の緑を含む景観は、比較的共通して好まれやすい傾向があります。自然景観だけでなく、芝生、街路樹、都市公園、観葉植物、さらにはVR(ヴァーチャル・リアリティ)で提示された緑の景観であっても、緑が含まれることで気分の改善やストレス緩和などの心理的メリットが生じることが報告されています。一方で、同じ自然物であっても、石、砂、土、枯れた植物のように、緑色の生きた植物を含まない要素は、選好性が相対的に低く、心理的メリットも小さい傾向があります。

もうひとつは、自然の少ない都市部の人とふだんから自然に囲まれて暮らす人とを比べると、前者のほうが自然を強く好み、自然から受ける心理的メリット(ストレス緩和など)が大きい、という点です。これは、バイオフィリア仮説から考えると、とても奇妙です。なぜなら、自然を好む気持ちが進化的に獲得されたのであれば、それは「過去の、自然に囲まれた状態の人類」において有利に働く必要があるからです。もし自然へのポジティブな反応が、自然から離れた都市部の人により強く表れるのだとすれば、それを単純な「自然愛の本能」として説明することはむずかしくなります。

緑仮説の提案

この二つの不思議なパターンを前にして、われわれのグループはかなり頭を悩ませました。私たちの心が、他の自然要素ではなく「緑」で癒されるのはなぜなのか。そしてその反応が都市部の人で強くなるのはなぜなのか。さらに、この傾向はさまざまな文化圏で共通している……。

われわれは悩み抜いた末、発想を逆転させることにしました。具体的には「狩猟採集時代の人類にとって、緑があると気分や意欲が向上する心理的反応が適応的だった」と考えるのではなく、「緑がないときに気分や意欲が低下する心理的反応が適応的だった」のではないかと考え直すことにしたのです(7)

そこでまず注目したのは、干ばつです。人類の進化史において、干ばつはきわめて深刻な環境リスクでした。雨が降らず水場が涸れると、植物が枯れ、その植物を食べる草食動物も減っていきます。狩猟採集をしていた人間にとって、これは水と食料が同時に失われることを意味します。生きていくのがきわめてむずかしくなるこうした時期に、人はしばしば気分が沈み、意欲を失い、抑うつ的な状態になります。

ふつう、抑うつや気分の落ち込みは「悪いもの」と考えられています。もちろん、深刻なうつ病は大きな苦痛をともなう医学的な問題であり、それを「よいもの」と言いたいわけではありません。しかし近年の進化精神医学では、気分の落ち込みや意欲・活動性の低下には、状況によっては行動を抑えてエネルギーを節約し、報われない努力の無駄を避けるという適応的な意義があったのではないか、と議論されています(8)。食べ物も水も乏しい時期に、いつも通り遠くまで歩き回るのは危険です。得るものが少ないのに体力を消耗し、脱水や飢餓のリスクを高めてしまうからです。そう考えると、干ばつのように資源が枯れた時期に気分が沈み、活動量が下がることは、環境が回復するまでエネルギーを温存する働きをもち、むしろ人類を生きのびやすくしていたのかもしれません(冬に抑うつが増えやすいのも、資源の乏しい季節の活動を抑えるための適応だという解釈があります(9))。

ここでもう一歩踏み込むと、こう考えることができます。干ばつのときに気分が沈むのは「生活が苦しいから」であっても、その引き金は一つとは限らないのではないか。そう考えたとき浮かんだのが、「緑」です。干ばつのときの目に見える変化は、景色から緑が失われることです。草が枯れ、葉が落ち、見渡すかぎり地面が茶色くなる。この「緑の乏しさ」そのものを手がかりに、人は干ばつのような環境の悪化を読み取り、気分や意欲を低下させてきたのではないか。つまり人間は、景色の中の緑の有無を、環境が今どんな状態にあるかを知るサインとして使ってきたのではないか、と考えたのです。

この考えが正しいなら、逆のことも言えるはずです。雨が降り新芽が出て、草が伸び木々が葉をつけるなどして景色に緑が戻ることは、草食動物や食べられる植物が戻ったことを示すサインになります。このサインを受けて気分が回復して意欲を取り戻した時に、温存されていたエネルギーを利用してふたたびすばやく動き出せることには、大きな適応的意義があったはずです。

われわれのグループは、緑の乏しい都市の環境は、「干ばつで緑の少ない環境」に近い、と考えました。ここまでくると、ひとつの仮説が出来上がります。都市で暮らす人は都市の景観を環境悪化のサインとして受け取ってしまい、知らず知らずのうちに気分が沈んでしまっている。そんな都市住民たちは、公園の木々や街路樹の緑を環境回復のサインと受け取り、気分が明るくなる――。緑が心身にもたらすさまざまなよい効果は、環境の回復に合わせて行動を再開するための心理的なスイッチなのかもしれません。われわれはこの仮説に「緑仮説」と名付けました。

この仮説が正しいなら、いくつかの予測が成り立ちます。第一に、この仮説では、生きた植物の有無がポイントになっています。そのため自然に対するポジティブな心理反応は、特定の景観タイプではなく、緑そのものに強く反応するはずです。サバンナでなくても、森林でも、都市公園でも、芝生でも、観葉植物でも、VRの中の緑でも、緑があれば一定のポジティブな心理的効果が生じるはずです。逆に、大自然であっても、石、砂、土、枯れた植物のように、生きた緑を含まない要素ではポジティブな心理的効果は弱くなると予測されます。

第二に、緑の心理的効果は、緑が乏しい環境にいる人ほど強く表れるはずです。この仮説は、緑に対するポジティブな心理反応を単独で捉えるのではなく、「悪化からの回復」としてセットで捉えます。そのため、常に緑に囲まれて過ごしている人では、そのような反応は起きにくいと予想します。逆に緑が長期間失われた環境で生活していた人ほど緑を強く求め、緑から得られる心理的メリットも大きくなると予想します。

もちろん、これはまだ仮説です。干ばつへの適応に基づく「緑仮説」だけで、自然に対するポジティブな気持ちをすべて説明できるわけではありません。また、緑への反応がどれほど普遍的なのか、文化や居住環境によってどのように変わるのか、どのような生理・認知メカニズムを通じて生じるのかも、今後さらに検証される必要があります。それでもこの仮説は、自然を好む私たちの気持ちに「自然愛」と名付けて終わるのではなく、「自然」を特定の環境手がかりに分解し、それに対する具体的な心理を適応的な反応と捉えて探求していくための出発点になると信じています。緑を好む・癒やされるという身近な感覚の背後にも、人類が環境の悪化と回復を読み取りながら生き延びてきた長い進化史が隠れていると考えるとワクワクしませんか。

実は、前回から今回にかけて取り上げたローレンツやウィルソンよりもはるか昔に、人間の気持ちの進化的起源を考えた人がいました。チャールズ・ダーウィンです。ダーウィンは1872年の『人及び動物の表情について』で、恐怖、嫌悪、怒り、喜びといった感情もまた、他の動物と連続した進化の産物であると考えました。進化というと、動物の形や植物の性質が環境に適応して変化する話を思い浮かべますが、私たちが世界をどう感じるかもまた、進化の対象になるとはっきり述べているのです。この考えに従うと、なぜヘビを怖がるのか、なぜ虫をキモいと思うのか、なぜ赤ちゃんのような動物をかわいいと感じるのか、そして、なぜ緑を見るとほっとするのか、という身近な疑問も、立派な進化学の問いになります。私たちの心はどこから来たのか、なぜ私たちは世界をこのように感じるのか……。150年以上前にダーウィンが投げかけたこの問いには、まだわからないことがたくさんあります。前回と今回で紹介した研究も、その謎を少しずつ解いていこうとする試みです。そして、自然に対するこうした気持ちに進化的なルーツがあるとしても、その対象や強さは一様ではありません。生まれ育った環境や文化、教育などの影響も受けます。そうしたさまざまな要因が重なり合って、私たちが「どの自然を守りたい」と感じるかにもつながってくるのでしょう。では、自分たちの気持ちに偏りがあることを知ったうえで、それを自然保護にどう生かしていけばよいのでしょうか。最終回となる次回では、この連載で見てきた自然へのさまざまな気持ちを振り返りながら、その問題を考えてみたいと思います。

  1. Wilson, E. O., 1984. Biophilia. Harvard Univ. Press.(邦訳 ウィルソン『バイオフィリア――人間と生物の絆』狩野秀之訳、ちくま学芸文庫、2008年)
  2. Wilson, E. O., (1993). Biophilia and the conservation ethic. In S. R. Kellert & E. O. Wilson (Eds.), The biophilia hypothesis (pp. 31–41). Island Press. (邦訳 ケラー&ウィルソン編『バイオフィーリアをめぐって』 荒木正純、時実早苗、船倉正憲訳、法政大学出版局、2009年)
  3. Balling, J. D., Falk, J. H., “Development of Visual Preference for Natural Landscapes: The Savanna Hypothesis.” Environment and Behavior 14(1): 5‑28(1982).
  4. Mangone, G., Dopko, R. L., Zelenski, J. M., Deciphering Landscape Preferences: Investigating the Roles of Familiarity and Biome Types. Landscape and Urban Planning, 214: 104189(2021).
  5. Hägerhäll, C. M., Ode Sang Å., Englund J-E., Ahlner F., Rybka K., Huber J., Burenhult N., “Do Humans Really Prefer Semi-open Natural Landscapes? A Cross-Cultural Reappraisal.” Frontiers in Psychology 9: 822(2018).
  6. Hägerhäll, C. M., Ode Sang Å., Englund J-E., Ahlner F., Rybka K., Huber J., Burenhult N., “Do Humans Really Prefer Semi-open Natural Landscapes? A Cross-Cultural Reappraisal.” Frontiers in Psychology 9: 822(2018).
  7. Fukano, Y., Soga, M., “Greenery Hypothesis: An Evolutionary Explanation for Why Presence/Absence of Green Affects Humans.” People and Nature, 6(2): 422–434(2024).
  8. Nettle, D., “Evolutionary Origins of Depression: a Review and Reformulation.” Journal of Affective Disorders  81(2): 91-102(2004).
  9. Davis, C., Levitan, R. D., “Seasonality and Seasonal Affective Disorder (SAD): an Evolutionary Viewpoint Tied to Energy Conservation and Reproductive Cycles.” Journal of Affective Disorders (87)1: 3-10(2005).
  10. Darwin, C. R., 1872. The Expression of the Emotions in Man and Animals. John Murray.(邦訳 ダーウヰン『人及び動物の表情について』浜中浜太郎訳、岩波書店、1931年)