前回は約7万年前から今にいたるまでの比較的短い期間に着目し、紫外線が肌の色を変える、などのような、特定の選択圧と特定の形質の進化的変化との対応について紹介しました。しかし、ヒトが持つ形質のなかには、ある選択圧がきっかけとなって進化した形質がさらなる進化的変化を促す、いわば「進化の連鎖」で生まれたものがあると推測されています。その具体的なプロセスは、人類の祖先が生きのびた約600万年という時間の霧に包まれてわかりようがないことが未だに多いものの、世界中の研究者の手で少しずつ明らかになってきています。「なぜ人は自然を守りたいのか?」と銘打った本連載で関心を置いている「心」は、こうした進化の連鎖で生み出された可能性が高い形質です。

図1 進化の獲得形質が次の進化を引き起こす
二足歩行にはじまる進化の連鎖
第13回で少し触れたように、もともと森で暮らしていた霊長類のうち、人類に連なる系統はより開けたサバンナで暮らすようになりました。暮らす環境が変わると、生き方も変わります。サバンナ環境で水場や餌場を探すには、とにかく歩く必要がありました。歩行に使えるエネルギーは無尽蔵ではないため、生きのびるにはなるべく疲れないように移動できなければなりません。また、サバンナの暑熱環境では身体の“オーバーヒート”も大きな問題になると考えられます。森を出た小さな毛むくじゃらの霊長類は、この問題=選択圧に、どうにか対応しなければなりませんでした。
その結果として進化して、「二足歩行の獲得」と「体毛の喪失」が起こった、という考え方があります。チンパンジーの四足歩行と比べると、二足歩行はエネルギー効率に優れる(単位距離当たりの酸素消費量が少ない)ため、「省エネ」で移動することができます(1)。また、直立姿勢になれば日射しを受ける体表面積が減るし、上半身が風に晒されてオーバーヒートしにくく、移動できる時間が増加します。そして、熱を閉じ込めてしまう体毛が少ないほうが、さらにオーバーヒートしにくくなります。ヒトの祖先では体毛の減少とともに、汗腺が発達したようです。毛の少ない皮膚と大量の汗が蒸散冷却を促し、オーバーヒートしにくい性質をより強くしたと考えられています(2)(3)。さらに、汗で失われる水分を補うため、水場を求めてもう一段高い移動効率を必要とするような選択圧が連鎖的に生じたはずです。二足歩行が持つこのような利点を背景に、頭からつま先までの骨格全体が二足歩行に適するように少しずつ変化し、体毛も失われていった、と考えられています。
さて、二足歩行が発達して「手」が空いたことが、「進化の連鎖」をいっそう加速させます。まず、二足歩行で二本の手が自由になることで、赤ん坊や食べ物を持ち運べるようになったことは大きな利点であり、生きのびやすさに重要でした。加えて重要なのは石器の使用です。ヒトは200万~300万年前から石器を使用していたという証拠があるのですが、これは手が自由に使えることで可能になったはずです。このころ以降、私たちの手の骨には独特の突起が生まれ、この進化によって道具を効率的に作ったり使ったりしやすくなったようです(4)。つまり石器の使用は、私たちの骨の形を進化させるほど強い選択圧となったようなのです。そして、石器という「外部の歯や爪」を手に入れた人類は、動物の骨を割ったり厚い皮を切り裂いたりできるようになり、栄養価値の高い動物性の食料を日常的に得られるようになります。実際、石器利用が始まったころの痕跡の調査から、骨髄や肉が食料のレパートリーに多く含まれるようになったことがわかっています。このおかげで、もともとからして大量のエネルギーが必要な器官である脳が使えるエネルギーが増加し、脳が大型化していきます。
もうひとつ重要だったのは、火の制御です。石器に加えて火を手にしたヒト祖先は、その使用の影響で脳の大型化に拍車がかかったと考えられています。その代表的な理由は二つあります。まず一つは、石器で小さく切った食材を火で加熱して柔らかくして食べるようになることで咀嚼回数が減少し、臼歯が小型化し、咀嚼筋が縮小したことです。この結果、強大な咀嚼筋と大きな歯を支えるための頑丈な頭蓋構造の必要性が薄れていき、これが、脳の大型化に寄与したと考えられています。二つ目は調理や加熱によって、食材から取り込めるエネルギー量が増えたことと、消化に必要なエネルギーが減少したことです。このおかげで、脳がさらに多くのエネルギーを使えるようになり、大型化がさらに進みました。より大きくなった脳は、移動や採集、狩猟をさらに効率的なものにしたでしょう。
一方で、二足歩行に伴う骨格全体の改変には、さまざまな副作用がありました。その中で最も大きなものは「難産」です。全身の骨格が直立二足歩行に最適化される中で骨盤も大きく変化すると、産道の形状が狭く複雑になりました。さらに、上記のようにヒト系統の脳サイズは増大していきます。これらが大きな原因となり、出産はきわめて困難なイベントとなりました。この選択圧に対応するため、出産様式が回旋分娩(胎児の頭と肩が回転しながら通過すること)という複雑な様式になったり、他の霊長類と比べて小さく未熟なまま子が生まれてくるようになったりしました(5)。このことは、私たちの「家族」のありかたにまで影響しました。ヒトの祖先はもともと、他の類人猿と同様に母子中心(母親単独)育児を基本としていたとみられます。しかし、新生児が未熟なまま生まれてくるということは、移動はおろか食事も排泄もままならないということです。このような子を母親単独で育て上げるのは大変困難です。こういった選択圧のもと、祖母・父親・年長きょうだい・親族や近隣の非血縁者までを巻き込む「協同育児(allomaternal care)」へと子育ての体制が変化していったと考えられています(6)。
超協力的な性質は「協同育児」の賜物?
私たちの祖先の採餌や狩猟が効率的になったのは、脳の大型化に伴う個体の能力向上だけが理由ではありません。私たちの祖先はお互いに情報を共有して役割を分担することを覚えたのです。これにより、ある程度計画的に狩猟採集を行ったり、獲物を分配するようになって、協力してより大型の獲物を狙ったり、遠くまで食料を探しに出かけるなど、比較的ハイリスクでハイリターンな狩猟・採餌行動に挑戦しやすくなりました。こうした協力行動は、現生人類になる過程で進化したと考えられる「向社会性」という心の仕組みに支えられています(7)(8)(9)。たとえば、相手の気持ちを想像する力や共感、助け合い、分け合い、約束やルールを守る姿勢、公平さを大切にする感覚、そして違反に罰を与えつつ寛容性を持って許す、といった気持ちなどはどれも、向社会性に含まれます。
しかし、なぜ私たちにはこういう心の性質が備わったのでしょうか。詳細はまだ議論中ですが、その要因はいくつか指摘されています。その一つは、先ほど登場した「協同育児」です。ヒトの新生児が未熟な状態で生まれてくるようになると、長く手厚い保育が必要になり、母親だけで子どもを育てるのに大きな困難が生じるようになりました。母親だけが育児をする状態から、血縁の有無にかかわらない複数の大人が複数の子どもを育てるようになるまでには、さまざまな壁があったに違いありません。泣いている子は誰の子か、なぜ泣いているのだろうか、あの子はあの大人が見ているから自分はこの子を担当しよう、今日はあの大人が採集に出ているから自分が面倒を見よう、あの親は世話をせず自分の食べ物ばかり確保していないか……など、いろいろなことを考える必要があります。協同育児は、このように共感したり、役割分担したり、すばやく合意形成したり、そしてただ乗り(ズル)を見抜いたりするなどのかたちで、互いの行動や意図を読み取り、情報を共有し、皆で協調しながら動けるほうがうまくいくはずです。実際、ヒトを含む霊長類15種・24集団の比較実験では、協同育児の程度が高い種ほど向社会性が強いという相関が示されています(10)。
また別の仮説では、当時の大きく変動する気候・水文環境の影響に着目します。数十万年前のアフリカでは、東アフリカ地溝帯の盆地で湖が急に現れては消える、植生帯・乾燥帯が南北に移動するなど、数十年から数千年のスケールで大きな環境変動が頻発し生息適地や資源の分布が予測しにくい状況が続きました(11)(12)。こうした不確実な環境では、集団で協調して採餌したり、その日の獲物を分け合うといった協力行動が、個人や集団の飢餓リスクを下げる「保険」として有利になります。こうして向社会性の強い個体が主に生き残り、そのような個体からなる向社会性の強い集団という環境が選択圧となって、各個体の向社会性がさらに強まっていった、というシナリオが考えられています(13)。
向社会性の進化には、上記のような仮説が提案されてはきましたが、その詳細はまだ謎に包まれています。ただし、人類の向社会性は時とともに強まっていったことは確実です。なぜこう言えるかというと、遠く離れた人々のあいだで物のやりとり、すなわち交易が行われたことを示す考古学的証拠が、時代が下るにつれて増えていくからです。交易を継続するためには、相手への信頼、評判の管理、共通ルールの遵守といった高い向社会性が不可欠であるため、交易の考古学的証拠の増加は人類の向社会性が高まっていったことを示すと考えられるのです。
交易の考古学的証拠からは、もう少しわかることがあります。ケニアのオロルゲサイリエ地域で出土した、約32万年前のものと見られる証拠からは、切れ味の鋭い黒曜石(石器に向いたガラス質の石)が遠方から運ばれてきていることや、石器づくりの技術体系が大きく切り替わっていることなどが読み取れ、この時期に広域の交換・交流ネットワークが活発化したと考えることができます。この32万年前という時期は、環境の変動性が高まった時期でもあり、環境変動と向社会性の進化の関係を示唆する証拠となっています(14)(15)。
また、10万〜7万年前のものと見られる、アフリカ南部で出土した考古学的証拠には、赤い顔料の塊に刻まれた模様や、貝殻で作ったアクセサリーなどが現れます。さらに、アカシア樹脂と鉄に富む赤色顔料を混ぜた複合接着剤(16)や、炎を使った石材を剝離しやすくするための加工(17)など、いくつもの工程を要する高度な道具づくりも見られます。こうした出土品は、物だけでなく、アイデアや技術のやりとりも活発になったことを示すものです。
言語の発達はこの流れを強く後押ししました。言葉は、約束や規則、評判のような“目に見えない情報”の共有を正確かつすばやいものにし、広い範囲にまで伝える共同の道具となりました。その結果、信頼に基づく協力の輪が遠くまで広がり、向社会性がさらに発達していきました。
ここまでおおよそ7万年前までの人類の祖先に起こった変化を見てきました。私たちの祖先は、身体の構造を変え、食べるものを変え、心の仕組みを変え、社会構造を変えてきました。いろいろな選択圧とその進化的帰結が相互に影響しあい、複雑な因果を織りなしながら、徐々にホモ・サピエンスになっていきました。これらは過去に起きたことですが、その影響は時を超えた現代の私たちの生活にも強く表れています。私たちの多くが(環境負荷が高いと認識していても)大量の肉を食べ続ける理由。家族を基本とした生活を営む一方、独りでも生きていける理由。地球上に広大な農地や都市をつくることができた理由。そして個々の知性の発達だけでなく、集団として累積的に知性を発展させることができた理由。自動車や人工衛星など精巧な機械を作り上げることができた理由。これらはすべて、数百万年前にチンパンジーの共通祖先と分かれてから、アフリカの大地で私たちの心と体に起きた進化が基盤となっているのです。
人類の進化の歴史は、身体の進化が新たな生活様式を生み、その生活様式がさらに心の進化を促す、いわば「進化の連鎖」でした。二足歩行、難産、協同育児、道具の利用、食性の変化、そして向社会性の発達は、それぞれが独立した出来事ではなく、互いに結びつきながら、人類という存在を形づくってきたのです。特に、私たちの心の性質は、協同育児などの協力行動や交易といった人と人との社会的なかかわりが選択圧となって形作られてきたと言えそうです。
しかし私たちの心は、「人とのかかわり」だけでなく、過酷で厳しい「自然」の影響も受けてきたと考えられます。寒暖の気候や捕食者、どんな植物や動物が食べられるのかなどについて考えて対応する中で、自然に対しても特有の感じ方や好みを育ててきた可能性があります。ここまで大づかみに見てきた心の進化ですが、次回はいよいよ連載タイトルにもある「なぜ人は自然を守りたいのか?」という問いに迫ります。人間はなぜある種の自然にひかれ、ある種の自然を恐れたり避けたりするのか、その進化的背景を考えます。
注
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- ちなみに、ヒトの祖先は、現代のチンパンジーと同様に、毛むくじゃらの毛の下は、ほとんど色素のない白い皮膚を持っていたと考えられています。しかし体毛が減少したことで、皮膚が紫外線に直接さらされるようになりました。第14回で触れた通り、ある程度の紫外線はビタミンDの合成に必要ですが、強すぎる紫外線は有害です。これが選択圧になり、紫外線を効果的に吸収する黒色のメラニン色素を皮膚に蓄積する性質が進化し、アフリカ由来のヒト祖先の皮膚は黒くなったと考えられています。
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