みすず書房

中央線の向こう側、湯気のこちら側

中央線の向こう側、湯気のこちら側

今日もまた中央線は運転見合わせだ。
 「またか」
 私はため息をついた。
 アナウンスが構内に響いたとき、電車はちょうどJR立川駅で停車していた。理由はJR豊田駅ホーム上の人身事故だ。
 時刻はいままさに午後1時になろうとしていた。
 その日の午前、私は慌ただしく外来診療を終え、午後に登壇を控えた自殺予防研修会の会場に向かう途中だった。ぎりぎりのスケジュールでの移動だったので、これで遅刻は確実だ。私は、主催者に電話をして事情を伝え、遅刻する旨を連絡した。
 どこか不穏な因縁を感じる。私が自殺予防研修会で登壇すべく中央線に乗ると、なぜかかなりの確率で人身事故による運転見合わせに遭遇するのだ。そうした事態に遭遇するたびに、「おまえは人前で自殺予防に関してとやかく言える立場にないぞ」と諭されているのではないか、と被害妄想に囚われてしまう。
 「運転再開時刻は未定」というアナウンスが群衆に向けてくりかえされている。私はしばらく停車中の車両にとどまって、スマートフォンで仕事関係のメールをチェックしていたが、この運転見合わせはしばらく続きそうだ。
 「そばでも食べるか」
 その日は昼食抜きを覚悟していたが、期せずして時間ができた。私はホームに降り、立ち食いそば屋で腹ごしらえすることにした。
 私は駅の立ち食いそば屋が好きだ。仕事柄、午前診療の後、そのまま講演会場に向かうことが多く、昼食はどうしても移動時間に押し込められる。そうなると、短時間で腹を満たせる場所がありがたい。誤解しないでほしいが、私は決して「やむなく立ち食いそばに甘んじている」わけではない。実は、あのどこか安っぽい味が、妙に落ち着くのだ。
 滞在時間はほんの数分。しかし、慌ただしいスケジュールのなかで、そばつゆの湯気に包まれ、周囲の喧噪から隔てられて、ほんの一瞬、自分の心が透明になる時間が心地よい。そんな一瞬を求めて、好きな駅そば屋のある駅で乗り換える際には、たとえ空腹でなくともつい足が向いてしまう自分がいる。できれば店は、駅のコンコースではなく、ホーム上にあるとさらにうれしい。
 立ち食いそば屋はどこか人生に似ている。背後に居並ぶ人たちの苛立ちを感じながら、券売機を前にした私は、いつだって即時の決断を迫られる。麺だけですますのか、それともどんぶりセットにするのか、あるいは、稲荷をつけるのか……。背後から無言の重圧を受けて、もはやまったなしだ。その後、店内のカウンターで食券を出したからといって、まだ油断はできない。店舗によっては、そこでさらに「そばか、うどんか」「温かいものか、冷たいものか」と、畳みかけるように即時の決断を迫るからだ。
 だが、立ち食いそば屋が私たちに教えてくれるのは、そうした人生の厳しさだけではない。そこには言葉なき連帯がある。なるほど、店内では誰も会話などしておらず、周囲を見わたすと、黙ってそばをかき込む、丸まった背中が並んでいるだけだ。しかし、そこには不思議な同志意識がある。湯気のこもった店内のなかには、「お互い忙しくて大変だよね」という静かな共感が充溢しているのだ。そして何より、異様な手早さでそばの入ったどんぶりを差し出す人の温度――私はいつもそれを確かに感じている。


 私は、ホーム上にある立ち食いそば屋に入ると、迷わずに立川駅名物「おでんそば」を注文した。すると、20秒とかからずにそばの入ったどんぶりを手渡される。
 おでんそばとは、麺の上にさつま揚げ、がんもどき、ゆで卵といったおでんの具がトッピングされているものだ。それ以外はいたって普通の駅そばだ。工場製のゆで麺をさっと湯通ししてどんぶりに入れ、心地よい香りのつゆ――関東ならではの濃口醤油と鰹・昆布だしとで作ったものだろう――をかけてあるだけ。あえて特徴的な点をいえば、わさびでも七味唐辛子でもなく、おでんとともに辛子でそばを食べるところだろう。
 立川駅名物「おでんそば」はすでに昭和20年代には販売されていたという。商品考案のきっかけとして、客がそばの上におでんを載せて食べているのを見た店長が、「これはよい」と商品としての提供を決断した、という真偽不明の噂がある。
 駅そばマニアにとって、立川駅は特別な場所だ。というのも、全ホームに駅そば店がある、最近ではきわめて稀少な駅だからだ。立川に鉄道が開通したのは1889年、中央線の前身、甲武鉄道が新宿から立川まで鉄道を敷いたのが始まりだった。その当時、立川駅付近は何もない場所だったが、1900年になると、中村徳次郎なる人物が、立川駅前に旅館と汽車の待合を兼ねた「中村亭」という名の茶屋を開設した。そして、翌1901年には駅構内での弁当販売とともに、ホーム上でのそばの提供をはじめたという。
 中村亭は、昭和時代に「奥多摩そば」というブランド名で駅ホーム上のそば屋を展開したが、1999年にJR系企業と合弁し、2014年には同企業に完全吸収された。その結果、2015年以降、JR系ブランド「清流そば」へと屋号変更することとなった。それでも、立川駅限定で、昔ながらの名物「おでんそば」は、現在でもメニューに残っている。


 戦後日本を語るうえで、わが国の駅そば文化は避けて通れない気がする。
 なるほど、駅そばのルーツには諸説あるが、1890年頃、軽井沢駅において機関車の付け替えの待ち時間にそばを提供したのが最初とされている。しかし、都市生活者の日常として本格的に広がったのは、やはり第二次世界大戦後だ。
 戦後、わが国では米、パン、そば、うどんはいずれも配給制とされていたが、1950年にいち早くそばとうどんの配給制度が解除され、外食券なしでも食べられる状況となった。これを機にわが国では製麺業が盛んとなり、1955年頃には、都内に立ち食いそば屋がぼつぼつと出店し始めた。そして、1960年代以降の高度成長期には、電車移動の多いサラリーマンを狙った立ち食いそば屋が、駅周辺を中心に一気に増えていったという。
 実は、私は製麺業に格別な思い入れがある。実家が製麺業を営んでいたからだ。以前、別のところで自分の父が不動産業をやっていたと書いたが、不動産業はもともと副業としてやっていた仕事であって、そもそもの主業は製麺工場だった。
 工場の起源は祖父母の代に遡る。戦後復員した祖父は、徴兵前に勤務していた軍需工場が焼失したため、やむなく祖母とともに製麺工場を始めることにした。まだそば、うどんが配給制の時代だったというから、創業は1950年以前ということになる。
 父は小学校時代から製麺工場を手伝っていた。大学生になる頃には工場を中心的に取り仕切る存在となっており、大学を卒業すると同時に実質的な経営責任者となった。
 折しも時代は高度成長期だった。個人経営だった青果店や鮮魚店が多数のスーパーマーケットを経営する企業へと変貌を遂げ、また、財源不足に悩む自治体が戦災復興などを口実に公営ギャンブル場(当然、付設の食堂がある)を開設しており、それらが成長する流れに乗って、父の会社も大きくなった。その後、バブル崩壊の直前、製麺業の限界を直感した父は、工場を従業員ごと売却し、副業だった不動産業を主業に変えたのだった。
 実家の製麺工場のことは、ある種の憂鬱な気分とともに記憶されている。というのも、父は自身が体験した苦労を息子にも味わわせることが重要と考え、「修業の一環」として私に製麺工場を手伝わせたからだ。そのせいで、小学校高学年以降、夏休みや冬休みといった長期休暇の思い出は、湯気煙る製麺工場の光景しかない。
 私の就業時間は午前だけであったが、それでも、気が遠くなるような長い時間であるように感じられた。ビニール袋に包装されたゆでそばの麺を、プラスチック製の平べったい長方形の箱に整然と並べて詰めなければならない――それも、日に何千個もの麺を延々とだ。濛々と湯気が立ちこめる工場のなかで、数時間、ベルトコンベアの動きに肉体を支配・拘束され、のみならず、騒々しい機械音の単調なリズムに思考まで侵蝕されながら単純作業に没頭するのだ。何度となく発狂しそうな気分になった。
 父は「修業」を名目としていたが、本当は差し迫った事情もあったにちがいない。というのも、お盆や年末年始の時期、少なくない従業員は休暇を取るが、実はそうした時期こそが製麺工場の繁忙期だったからだ。その時期、観光や帰省のための電車による人の行き来は増え、公営ギャンブル場への客足も最大となる。そして、何より年末には年越しそば需要もあった。私は「箱詰め要員」として重要な頭数だったのだ。
 結局、製麺工場の手伝いは高校卒業までやっていた。これまで私は、実家を離れ遠方の地でひとり暮らしを切望した理由として、「家族が嫌うタバコを堂々と吸える環境を手に入れたいから」とさまざまな場所で書いてきた。もちろん、それは嘘ではない。しかし、他にも理由があった。長期休暇中に製麺工場の手伝いをしたくなかったのだ。
 ところが、そんな私がいまや駅の立ち食いそば屋に好んで出入りするようになっている。人生とは何とも皮肉なものだ。


 中央線は、鉄道自殺の多い路線として有名だ。そのなかでも、JR西八王子駅やJR豊田駅はホームからの飛び込み自殺が多い駅として知られている。
 一般に鉄道自殺が多い駅にはいくつかの特徴がある。特急電車の通過駅であること(ホームへの電車の進入速度が高い)、利用客数が多い、ホーム手前の線路がカーブしておらずに長い直線となっている(電車の進入速度を確認しやすい)、といった特徴だ。残念なことに、中央線にはその条件を満たす駅が少なくないのだ。
 何よりも、中央線路線駅の多くは東京都多摩地域にある。この多摩地域は「精神科病院銀座」といってよいほど多くの精神科病院が存在する。東京都福祉局編『令和5年版 東京都の精神保健福祉の動向』によれば、人口1万人あたりの精神科病床数は、東京都23区の6.4床に対して、多摩地域は33.6床だ。この事実は、中央線利用客のなかには、何らかの心理的苦痛を抱えている人の割合が高い可能性を示唆する。
 ついでにいうと、鉄道自殺に関しては他にもいくつかの好発条件が知られている。まず、駅ホーム上の頻発地点として、ホーム上の照明が暗い場所、ホーム進入部側の端(電車の速度が速い)が挙げられる。それから、ホーム上の自販機やキオスクといった、他の客の目につきにくい物陰や、待合室や運転者からの死角となる場所も発生頻度が高い。
 天候や時間帯、曜日といった好発条件も知られている。天候としては晴れの日に多く(逆に、降雨・降雪は飛び込み自殺を抑止する)、時間帯としては早朝から午前中に多く(一方、路線踏切での自殺は20時以降の夜間に多い)、そして、曜日としては月・木・金曜日に多い(逆に、火曜日と週末は少ない)。
 都市部における自殺対策では、鉄道自殺は避けて通ることのできない重要課題だ。1998年にわが国の自殺者数が一挙に3万人を超え(前年比およそ25%増)、その後、毎年3万人を超える高止まり状況が14年間にわたって続いた。この「自殺暗黒時代」において、わが国では、鉄道自殺防止のためにさまざまな取り組みがなされてきた。
 最初に試みられたのは、ハイリスク地点のパトロールと環境整備だった。パトロールは、ホーム侵入側の端、ベンチの待合室付近、自販機など物陰になる場所を中心に行われた。環境整備としては、ベンチや待合室を撤去してホーム上における客足の滞留を抑える、自販機やキオスクを撤去してホームの見通しをよくする、あるいはホーム全体の照明を明るくするなどといったことが試みられた。一部の駅では、青色LED照明(異質な視覚的刺激により人を我に返らせ、衝動行為を思いとどまらせる効果が推測されている)の設置も行われた。いずれも先行研究によって自殺抑止効果があるとされている対策だ。
 ちなみに、一部の駅では、「いのちの電話」などのヘルプラインの情報提示、あるいは、鉄道自殺の悲惨さ、経済的損失や損害賠償額の莫大さに関する情報提示も行われたが、実はこうした対策の有効性に関しては賛否両論ある状況だ。
 このように鉄道自殺の防止にはさまざまなやり方があるわけだが、少なくとも当該駅における自殺者減少効果という点では、ホームドア設置の圧倒的な優位性は誰も否定できないだろう。特に、ドアの部分が柵になっていない「フルスクリーン型」(強化ガラスなどで壁状にプラットホームと軌道とを仕切るタイプ。代表例は東京メトロ南北線やゆりかもめ線)ならば、自殺予防率は100%だ。たとえそこまでいかずとも、車両のドア部分が開閉する「ホームゲート型」(柵で仕切る「安全柵」タイプ)であっても十分な効果がある。
 ただし、ホームドア設置には課題もある。まず、設置に莫大な予算を必要とすることだ。また、ホームドアを設置するには、ホームにある程度の強度がなくてはならず、どの駅にも設置可能というわけではない。それから、ドアの場所が異なる車両が複数出入りするホームの場合、一律に同じ形状のドアが設置できないこともある。
 ちなみに、中央線はホームドア設置率の低い路線として知られている。理由は二つある。一つは、ホームには特急、特別快速、急行とさまざまな電車が乗り入れし、車両ごとに異なるドアの場所に合わせたホームドアの設計がむずかしいのだという。そしてもう一つは、高速で走る貨物列車の通過駅が多いことだ。貨物列車とホームドアとの接触事故を避けるためには、克服すべき設計上の課題があるらしい。


 中央線はいまだ運転再開の気配がない。どんぶりのなかで、半分残っているがんもどきの断面から油分が溶け出し、つゆにほどよく脂がまわっている。
 窓から外に目をやると、湯気の向こうに駅ホームが見え、ホームドアのないホーム上では、動かない電車に苛立つ人の群れが右往左往している。そして、おそらく午後の予定をリスケすべく、どこかに電話をしている人の姿もちらほら見える。
 今日も誰かが中央線の路線駅で身を投げた。その事実をぼんやりと意識しながらひとりそばを啜っていると、脳裏にさまざまな患者のことが去来する。その際、思い出すのは、きまって治療がうまく行かなかった患者のことばかりだ。
 これにはしかたない面もある。一般に精神科医は、治療がうまくいった患者ほど記憶から抜け落ちてしまいやすい。というのも、精神科医と患者との理想的な別れとは、患者から無言のままふられること、別れの挨拶もなしに捨てられることだからだ。
 実は、精神科医の側から「もう受診しないでよい」と治療終結を宣言することはめったにない。それは見捨てられ不安を引き起こし、逆に患者のしがみつきを誘発する可能性があるからだ。むしろ徐々に通院間隔が延びていき、やがて仕事などの都合でのキャンセルが増え、気づくともう半年、いや、一年間会っていない……そんな感じで終わるのだ。
 だから、治療の終結はいつも曖昧で、当然ながらお礼も感謝の言葉もなく、治療がうまくいったという実感も手応えもないまま、患者はそっと消えていく。その結果、いつまでも通院を続けているのは、いまだ苦痛の癒えない患者ばかりとなるのだ。だから、診療のたびに精神科医はおのれの無能さ、無力さを見せつけられるはめになり、思い出として刻印されるのは、治療がうまくいかなかった患者、わけても自殺した患者が多くなる。
 かつて治療を担当した患者のなかにも、鉄道自殺をした患者が二人いた。一人は女子高校生だった。明らかに教育虐待といってよい水準の勉強強要によって難関私立高校に入学したが、入学早々勉強について行けなくなった。成績不振を母親に叱責されるたびに、彼女は「ダメな自分を罰する」ためにリストカットと市販薬のオーバードーズをくりかえした。だが、母親にはそれが自分に対する抵抗、反抗であるように感じられたらしく、家庭内では連日激しい罵り合いが絶えなかった。
 そしてある日、その女子高校生は、母親との口論のはてに家を飛び出し、自宅最寄りの駅に行った。そこはホームドアが設置された駅だったが、彼女は電車を乗り継いでホームドアのない駅まで移動し、その駅のホームから電車に飛び込んだのだった。
 彼女は、毒親からどんなに傷つけられても、その毒親から認められたい、褒められたいという気持ちをどうしても捨てきれない少女だった。ホームドアは設置駅での自殺を阻止することには成功したが、彼女の満たされない欲求を解消することはできなかった。
 このエピソードからもわかるように、ホームドアの自殺予防効果には限界がある。東京都内駅のすべての番線におけるホームドア設置率は、最近10年で約5倍に増加した。「東京都の実測値」(2023)と「全国の増加曲線」を組み合わせた推計によれば、2013年には約10%前後だった設置率が、2010年代後半以降、急激に設置が進み、2020年頃までに約30~40%、そして2023年には51.6%と過半数を超えている。しかし、それにもかかわらず、首都圏における鉄道自殺は増加し続けているのだ。事実、自殺は2000年代前半より増加傾向を呈し、2000年代後半に2倍にまで急増した。その後、2020年前後にはコロナ禍における電車利用客減少によって一旦減少したものの、2022年以降、再び増加に転じている。
 ホームドアの効果は、あくまでも設置駅での自殺防止に限定されており、むしろその反動で周辺の非設置駅における鉄道自殺が増加してしまう。それに、路線踏切区間における電車への飛び込み自殺については、ホームドア設置で解決できる問題ではない(ちなみに、中央線は路線踏切区間が多く、日野~八王子区間に一つ、さらに西八王子~高尾区間にはかなりの数の踏切がある)。


 それにしても、人はなぜ自殺するのだろうか?
 自殺研究で著名な心理学者エドウィン・シュナイドマンは、人が自殺へと至る心理についてこう述べている(1)。恥や罪悪感、周囲からの拒絶、自身にとって大切なものの喪失、無力感、孤独は、人に「心理的苦痛」を引き起こす。この苦痛が耐えがたい水準に達すると、人は心理的視野狭窄――「この苦痛から脱出するためには一つしか選択肢がない。それは、意識活動を停止させることだ」という考え――に陥り、自殺におよぶのだ、と。
 しかし、この理論は、「死にたい」という考えを抱くこと(自殺念慮)と「死にたい」という考えを実行すること(自殺企図)とを同じ水準で語っていて、自殺予防に対する貢献は限定的だ。むしろ、世界精神保健調査などの大規模疫学調査データを仔細に見ると、実際には自殺念慮と自殺企図とのあいだには大きな懸隔があることがわかる。つまり、先進国において直近1年以内に自殺念慮を経験した者は人口のおおむね5~7%であるのに対し、自殺企図にまでおよんだ者はおよそ0.2~0.5%にすぎないのだ。
 この事実は、私たちに二つのことを教えてくれる。一つは、人が「死にたい」と思うことはさほどめずらしいことではない、ということであり、そしてもう一つは、死にたいと思っても人はただちに行動を起こすわけではなく、実際に行動を起こすのは、自殺念慮を抱いた人のうちの数%にすぎない、ということだ。
 自殺念慮と自殺企図をわけて考えることには、「人はなぜ自殺するのか?」という問いに対する重要なヒントがある。これまでは、心理的な痛み(=叶わない願い、挫折した欲求)が強ければ強いほど人は自殺行動を起こす可能性が高いと考えられてきた。しかし現実には、強い苦痛を感じていながらも「死にたい」とは考えない人、あるいは、自殺行動におよばない人がいる。その一方で、比較的軽度の苦痛でも「死にたい」と考えたり、自殺行動におよんだりする人もいるのだ。この事実は、自殺念慮や自殺企図には、それぞれ促進的、ないしは抑止的にはたらく要因がある可能性を示唆する。
 このような発想から「自殺の対人関係理論」を提唱したのが、米国の心理学者トーマス・ジョイナーだった(2)。そして、ジョイナーの理論をさらに発展、精緻化させて「自殺の三段階理論」を構築したのが、カナダの心理学者デビッド・クロンスキーだ(3)
 クロンスキーの理論はこうだ。自殺念慮は、「痛み(pain)」と「絶望感(hopelessness)」の相互作用から生じ(第一段階)、それは「つながり(connectedness)」の喪失によって増幅され、強い自殺念慮へと発展する(第二段階)。そして、そのような強い自殺念慮が実際に行動に移されるかどうかは、その人が持つ「自殺遂行能力(capacity)」の有無による(第三段階)、というものだ。
 補足すると、第一段階における「痛み」とは、関係性の喪失、罪悪感、恥の意識、孤独、トラウマ、慢性的ストレスなどによる心理的苦痛を指す。そして、このような「痛み」の解決に失敗した結果、人は「絶望感」を体験し、自殺念慮を抱くに至るのだ。
 第二段階における「つながり」は、家族、あるいは友人や恋人の存在、社会的役割(仕事、学校、地域)、将来の目標や価値観、趣味・コミュニティなど、「生きる理由」となる要因を意味する。「つながり」には、自殺念慮を緩和し、その進展を阻む「緩衝材」としての機能がある。
 最後の第三段階における「自殺遂行能力」とは、文字通り「自殺をやり遂げる力」を意味し、それは二つの要素から構成される。一つは、「痛みや死に対する恐れのなさ」だ。一般に多くの死に遭遇する経験や、戦闘体験や暴力被害を通じて強い痛みに曝される経験、あるいは、みずからの自傷経験や他者の自殺に遭遇する経験は、人に痛みや死への恐怖に対する馴化をもたらし、自殺行動に対する心理的抵抗感を減弱させる。そしてもう一つが、「自殺の手段・方法へのアクセス」だ。危険な医薬品や刃物、銃器が手元にある、あるいは、飛び降りに適した高所が近所に存在するといった状況は、自殺衝動の行動化を容易にしてしまう。
 クロンスキーの「自殺の三段階モデル」が優れているのは、臨床的現場で用いやすいという点にある。というのも、その理論では、自殺リスクのアセスメントに際して注目すべき問題が、「痛み→絶望→つながり→遂行能力」といったかたちで整理されており、それぞれの段階に応じた介入や対策を講じやすいからだ。
 この自殺理論に照らしてみると、ホームドアの自殺予防効果は、あくまでも「自殺遂行能力」の一部に限定したものであることが露呈する。つまり、「生からの脱出口」の一箇所を物理的に塞ぐという限定的な介入だ。いうまでもない話だが、ホームドアは、人に希望や生き甲斐を与えることもなければ、孤独を癒すこともないのだ。


 顔に湯気を浴びてそばを啜りながら、私は自殺した患者のことを思い出している。すると、はたと気づくことがあった――それは、女性が多いということだ。
 奇妙な話ではないか? 統計上、自殺既遂者の数は男性の方が女性の2~3倍多いはずだ。それにもかかわらず、精神科医である私にとって自殺した患者の多くが女性であるというのは、一体どういうことなのだろう?
 この事実は、とりもなおさず精神科医療の無力さを証明するものだ。理由はこうだ。男性は心理的苦痛に襲われてもなかなか助けを求めず、したがって、精神科に受診しないままみずから命を絶つ傾向がある。それに比べると、女性は男性よりはるかに多く精神科を受診する傾向があるが、それにもかかわらず自殺に至ってしまっているのだ。
 かつて私が担当した、もう一人の鉄道自殺患者もまた女性だった。亡くなったときは三〇代であり、ひとり親の家庭で育ち、うつ病で仕事ができない母親の代わりにいっさいの家事をこなし、家計を助けるべく年齢を偽って早くから風俗産業に従事していた。
 そんな彼女も一度だけ思い切って結婚し、母親のもとを離れた時期があった。しかし、相手男性からの暴力に耐えかねて、結局は幼い子どもともども実家に戻ることとなった。女性は子どもの世話を母親に頼み、自身は風俗産業への従事を再開した。とはいえ、この時点で彼女自身もまたうつ病に陥っており、仕事に行く日は隠れてリストカットするとともに、市販鎮咳薬をオーバードーズして、「気合い」を入れなければならなかった。
 彼女にはどうしても金が必要だった。というのも、母親はおそらくは娘が風俗で働いていることに薄々気づいていたが、知らぬふりを決めこんで、日々、子どもの世話代としてけっこうな額の金を要求していたからだった。しかし実際には、母親は孫の世話もそこそこに、渡された金の大半を大量のパチンコ玉に溶かしてしまっていた。
 私は何度となく、母親から離れ、生活保護を受けて療養中心の生活を送るよう提案したが、彼女は、母親を見捨てることはできないと抵抗した。それに、風俗に従事する過程でバグった彼女の金銭感覚では、生活保護の限られた金額での生活など想像もつかなかった。
 風俗の仕事は彼女のうつ病を悪化させ、やがて仕事ができない状態になった。それにもかかわらず、入院治療の提案も医療費を払えないという理由から退けた。そして最終的に、「母親にお金を渡せない自分には存在価値がない」と書き残して、自宅近くの踏み切りに駆け込んでしまった。
 精神科医療だけでは彼女を救えないのは明らかだった。事実、彼女の苦境は、抗うつ薬や認知行動療法では少しも解決しなかった。あたりまえだ。問題は彼女自身ではなく、彼女をとりまく環境の側にあったからだ。その意味で、私が治療と称してやっていたことは、「ブラック企業におけるマインドフルネス研修」と本質的に変わらないものだった。


 鉄道自殺した二人の女性患者には共通点がある。それは逆境的生育環境だ。もう少し具体的にいうと、一方は教育虐待であり、もう一方はヤングケアラー問題だった。
 思えば、わが国の自殺対策は自死遺族団体の声から始まった。そのことの肯定的側面は、「自殺、ダメ。ゼッタイ。」のような一次予防一辺倒の道徳的キャンペーンにならずにすんだことだろう。しかしその一方で、あえて否定的な側面をいうのであれば、児童福祉的観点からの自殺対策に遅れが生じたことが挙げられるかもしれない。
 当然だろう。子どもを自殺で喪った遺族にしてみれば、自殺の原因を逆境的養育環境に帰する言説は到底受け容れられまい。もちろん、個別にそういった事例があることは認めるにしても、それを大きな課題としてとりあげることには抵抗が生じる。むしろそれよりは、学校におけるいじめや教師による不適切指導、あるいは、薬物療法に偏重したわが国の精神科医療の責任にした方が、遺族全体からの支持は得やすかったはずだ。
 2006年に自殺対策基本法が制定され、以来20年間、国や自治体をあげての自殺対策の取り組みが展開されてきた。なるほど、自殺者総数は激減した。ピーク時の34427人(2003年)から19097人(2025年)へと、およそ45%の減少だ。しかしそれは、対策の効果というよりも、1998年における自殺者急増の中心的世代――いわゆる「団塊の世代」、そして第一次ベビーブーマー世代という人口規模の大きな世代――が、あれから30年の月日を経て大きく減少したことの影響の方がはるかに大きい。むしろこの数十年間、著しい少子化が進行しているにもかかわらず、子どもの自殺が増加し続けている、という異常事態こそが問題なのだ。
 この20年間で何が大きく変わったのだろうか?
 医療の分野についていえば、大した変化もなければ進歩もなかった。一例を挙げれば、患者から「死にたい」と告白されたとき、とにもかくにも「自殺しない約束」をとりつけようとする医療者は、いまだ少なくない。しかし、齊尾と栗原によれば、「死にたい」に対してなされる「自殺しない約束(No-suicide contract)」の有効性は、かなり疑わしい(4)。それどころか、医療者の安心感のために使われていることが多く、結果的には、患者が「とりあえず約束してその場を逃れる」ことを促すという点で、リスクアセスメントの精度を下げる、疑問の多い臨床的介入と見なされているという。
 それから、致死性の低い「故意の自傷」に対する医療者の態度もあいかわらずだ。リストカットやオーバードーズをくりかえす患者に対して、あからさまに嫌悪感をむき出しにして「ダメなものはダメなんだ」と禁止、叱責する医療者は、依然として多い。
 いうまでもなく、そのような上っ面の禁止で「故意の自傷」がやめられるはずはない。「故意の自傷」が持つ依存性というのはかなり強烈なのだ。患者が孤立無援であればあるほど、その行為は、「溺れる者は藁をもつかむ」という意味での「藁」となる。依存対象が持つ依存性は、化学物質や行為それ自体が持つ性質によって規定されるのではなく、むしろ個体が抱えている苦痛の方がはるかに大きく影響する。
 だから、急には手放せないのだが、といって、漫然と放置することもできない。なぜなら、そうした行為には一時的な延命行為としての利点がある一方で、確実に自殺遂行能力を高める行為でもあるからだ。


 改めて問いたい。この20年間で、社会は「安心してSOSを出せる」場所になったのか?
 かつて学校における自殺予防教育は、もっぱら「命を大切に」といった道徳教育だった。この文脈では、「死にたい」と思う者は「感謝の気持ちが足りない」、そして、みずから自分を傷つける者は「不道徳だ」というメッセージとなる。すると、自殺ハイリスク者――その多くが、これまで周囲から大切にされてこなかった子ども、「自分は悪い子だ」と思い込んでいる子どもだ――ほど、SOSを出せなくなってしまうのだ。
 こうした状況を変えるべく、文部科学省は2018年より小学校・中学校・高校における「SOSの出し方教室」の全国一斉実施を指示したが、皮肉にも、それ以降、子どもの自殺は加速している。おそらく全国で、勇気を出して大人たちにSOSを出した結果、失望し、絶望する子どもが増えている可能性がある。子どもたちにSOSの出し方を教える前に、そもそも、大人たちはその受け止め方を知っていたのかが問われるべきだろう。
 そしてきわめつけが、2025年3月に厚生労働省が作成した、「OD(オーバードーズ)するよりSD(相談)しよう」なるキャッチコピーの政府広報動画だ。公開直後よりこの動画はSNS上で批判が殺到し、大炎上を巻き起こした(5)。そして、公開から1週間後、その動画は何の釈明もないまま厚生労働省のサイトから削除されたのだった。
 この一件は、政策企画立案者と当事者との埋めがたい溝が、残酷なまでに露呈された出来事として、長く歴史に記録されるべきだろう。若者たちは、大人に相談した結果、かえって傷つく経験をしたからこそ、「誰にも頼れない」とオーバードーズで一時しのぎをするようになったのだ。さらにいえば、彼らが相談できないのは、相談したところで「オーバードーズなんかやめなさい」と説教、叱責されるのがわかっているからだ。彼らの言葉を借りれば、まさしく「大人は裏切るが、クスリは裏切らない」のである。
 人が誰かにSOSを出せるようになるには、絶対的な前提条件がある。それは安心(秘密を守ってもらえること)と安全(自分の気持ちや行動を頭ごなしに否定されたり、不利益を蒙ったりしないこと)の保証だ。その意味では、自殺対策開始から20年の時を経たいまも、この国にはSOSを出せる環境が整っているとはいえない。


 再び駅そばの話だ。
 残念なことに、わが国では駅ホーム上の立ち食いそば屋は年々減少している。駅ホーム上の立ち食いそば屋は戦後増加し、1970~80年代に全盛期を迎えた。最盛期には国内には約3000店舗あったというが、現在は約1700店舗というから、ほぼ半減といってよい状況だ。顕著な減少は、2010年代以降、急速に進んでいる。
 ホーム上の立ち食いそば屋が減少したのにはさまざまな理由がある。たとえば、駅ナカビジネスの変化、あるいは、コロナ禍における在宅ワーク者増加による鉄道利用者の減少などがそうだ。しかし、おそらく最大の理由はホームドア設置の推進だ。駅ホームという限られた空間において、ホームドア設置と立ち食いそば屋とを両立させるのは物理的にむずかしい。一方は「命を守る設備」であるのに対し、他方は単なる「小腹を満たす設備」なのだ。あえて天秤にかけずとも、どちらを優先するかはおのずと明らかだろう。
 しかし、クロンスキーの理論を持ち出すまでもなく、自殺の抑止には「つながり」が重要なのだ。そう考えたとき、私はふとあるささやかな存在に思い至らないではいられない。そう、駅のホーム上の立ち食いそば屋だ。
 たとえば、こういう理屈はどうだろうか?――ホームドアという硬質な障壁が、悩める人を物理的に自殺から遠ざけるのに対して、どんぶりから立ちのぼる湯気は、蒸気の障壁となって人の心を包み込み、渦巻く苦悶からの一瞬のタイムアウトを提供して、その人を心理的に自殺から遠ざける……。
 思い出してほしい。江戸時代、そばは人々の健康と命を守っていた。当時、仕事を求めて多数の男たちが江戸に集まってきたが、そんな江戸っ子たちの矜持は「白米」を食べることだった。地方の人々が玄米や雑穀米を食べていたのとは対照的に、精米技術の進歩により、江戸では多くの庶民が白米を食べることができた。
 実際、江戸の男たちは、日に五合の白米を食べていたという――それもろくな主菜もなく、ただ漬物と味噌汁だけを頼りにして。その結果、男たちを襲ったのは江戸腹(下っ腹が突き出た体型)と江戸病(脚気)だった。しかし、そばを食べている者にはそうした健康問題が少なかったらしい。確かにそうかもしれない。なぜなら、そばはGI値(グリセミック・インデックス:食後の血糖値上昇度を示す指標)が低い炭水化物であるために肥満リスクが低く、また、ビタミンB1を豊富に含むので脚気を予防できるからだ。
 それだけではない。そばが男たちの孤独や孤立を癒していた可能性もある。江戸という都市は男性が圧倒的に多い社会であり、少なくない男性が生涯独身を余儀なくされていたという。そして、大火をくりかえし経験した江戸の長屋では、居室内で火を使う自炊を避け、食事は外食が一般的だった。だから、仕事を終えた男たちは屋台の前に集い、群れて肩を寄せ合いながら熱い湯気立つそばを啜り、たわいもない雑談で互いの孤独や孤立をケアしていたのだろう。その意味では、そばは福祉だった。


 もちろん、現代は江戸とは根本的に社会構造が異なる。駅ホーム上の立ち食いそば屋に立ち寄ったところで、人々が希望や生き甲斐を得られるとは思えないし、家族間トラブルや貧困が解決するわけでもなかろう。あの鉄道自殺をした二人の女性患者とて、仮に行為の直前に駅そばのつゆの香りを嗅いだところで、自殺以外の選択ができたとは考えにくい。それにそもそも、そば好きはどちらかといえば、中高年男性に多い。
 しかし、それでもふと、「一杯のかけそば」的な物語を期待してしまう自分もいる――そう、大晦日の閉店間際に来店し、「かけそばを一杯だけ」注文した母子三人に対して、こっそり1.5人分の麺をゆでた店長にも通じる、温かいぬくもりを。
 実は、駅ホーム上の立ち食いそば屋の話は、一つの比喩にすぎない。私がいいたいのは、自殺対策の美名のもとに、クロンスキーのいう意味での「つながり」を強める活動が縮小されたり、廃止させられたりしている可能性はないのか、ということなのだ。そのような活動の多くは、一見すると自殺予防と無関係に見えたり、「自殺対策」の看板をつけていなかったりする点に注意しなければならない。
 こういいかえてもよい。現在の自殺対策は、物理的防止を優先するあまり、つながりを破壊している可能性はないのか、と。
 自殺対策基本法の制定から20年が経過したいま、そろそろ私たちは自殺対策の功罪を考える時期を迎えている。


 我に返ると、どんぶりのなかのそばもおでんも消えていた。いつの間にか私はすっかり完食してしまったらしい。どんぶりに目を落とすと、闇のような黒いつゆだけが重苦しげに揺れている。
 店の厨房へと視線を投げる。すると、そこには黙々とそばの湯切りをする高齢男性がいて、さらにその背後には、平たいプラスチック製の箱が置かれている。箱にはビニール袋に包装されたゆで麺が並べられているが、不意に視界に箱の側面に書かれた「株式会社○○製麺」という文字が飛び込んでくる。一瞬、私の脳裏に製麺工場の手伝いをする幼き日の自分の姿が浮かび、だが、それは泡沫のようにすぐに消えた。
 ちょうどそのとき、中央線運行再開のアナウンスがホームに響く。意外に早い再開に少々驚く私がいる。
 さあ、これから自殺予防研修会の会場に急がねば。そして、急ぎながらこう自問している。「何人もの患者の自殺を防げていない自分に、一体何が話せるのか?」「そもそも、精神科医に何ができるのか?」と。
 湯気のこもったそば屋からホームに出ると、再び中央線に乗り込む。電車のドアが閉まる直前、ホームに残されたそば屋から漏れ出たわずかな湯気が、背中をかすめたような気がした。

参考文献

  1. Shneidman, E.D. Suicide as Psychache: A Clinical Approach to Self-Destructive Behavior. Jason Aronson, Inc., 1995.
  2. Joiner, T. Why People Die by Suicide. Harvard University Press, 2005.
  3. Klonsky, E.D. & May, A.M. The three-step theory (3ST): A new theory of suicide rooted in the “ideation-to-action” framework. International Journal of Cognitive Therapy, 8(2): 114-129, 2015.
  4. 齊尾武郎、栗原雅直「自殺しない誓約は有効か?」臨床評価、47(1): 153-162, 2019年。
  5. 「「ODよりSD」言葉遊びでスベった政府広報に批判 薬で心の傷を癒やしている若者たち…どう呼びかければ」東京新聞、2025年3月7日版 https://www.tokyo-np.co.jp/article/390078(最終確認:2026年6月1日)

編集部注:本連載では、登場人物の匿名性を保つため、プロフィールの細部に変更を加えています。