みすず書房

都市の生物多様性とその恩恵

都市の生物多様性とその恩恵

小さな公園の小さな掃除屋

家の周りにどれくらい公園があるか、すぐに挙げることができますか? おそらく、都市部で子育てをしている方なら、5つくらいの公園がすぐに思い浮かぶでしょう。私は子どもができてから、「こんな場所に公園があったのか」と驚き、改めてその存在を意識するようになりました。小さくても緑がある公園が身近にあることのありがたさを、今では強く感じています。都市部では、ベビーカーを押す親たちが少しでも緑のある場所を求めてさまよっているように見えることもあります。

さて、公園に着くと、子どもたちは遊び回ります。少し疲れると、持ってきたおやつを夢中で食べます。しかし、食べこぼしは避けられません。公園にはたくさんの子どもたちが次々とやってきては、おやつの食べかすを落とし続けます。数人の子どもが家でおやつを食べただけでも掃除が大変なことを考えると、数十人、数百人の子どもたちが1日で落とす食べかすの量は、相当なものになるはずです。

それにもかかわらず、公園が食べかすで溢れている光景を目にすることはほとんどありません。これはなぜでしょうか? もちろんボランティアや管理人の方々が、公園を利用する人々が気持ちよく過ごせるように、日々ゴミ拾いや掃除を行っているおかげです。しかし、それだけではありません。実は「人間以外」の存在も掃除を手伝ってくれています。それは、公園に生息する小さな生き物たちです。

公園の地面をよく観察すると、さまざまな種類のアリたちが忙しそうに動き回っています。大きなクロヤマアリ、スマートなクロオオアリ、小さなトビイロケアリ、丸いお尻が特徴的なアミメアリ……。これらのアリたちが、子どもたちが落としたおやつの食べかすを求めて動き回り、せっせと掃除をしているのです。

都会のアリたちの掃除能力を調べた興味深い研究があります(1)。マンハッタンの中心で行われた研究です。研究では、餌としてポテトチップス、クッキー、ホットドッグを合計18 g設置し、大きな動物が餌を持ち去らないよう金網で保護しました。そして24時間後に、どれだけの餌がアリによって消費されたかを測定しました。消費量は1~2gで、これは驚くべき量です。なにしろこの数値から推定すると、アリたちはブロードウェイを貫く中央分離帯の緑地(5m×50m=250m2)で、最大年間4~6.5kgもの生ごみを除去していることになるのです!

実は東京を舞台にして、同じような推定をした研究もあります(2)。東京都立大学の研究者たちは、代々木公園や葛西臨海公園など、東京の10か所の公園で実験を行いました。その結果、一か所あたり24時間で6 g近くの餌が消費されていたことがわかりました。東京のアリたちは、ニューヨークのアリたちよりも多くの量の食べかすを消費できるようです。アリたちは、公園全体で考えると途方もない生ごみを掃除しているはずです。たとえば、代々木公園全体では54万m2もあり、ニューヨークの研究で出てきた中央分離帯の2000倍以上の面積です。そこに住むアリたちは、1年間に数百kgもの食べかすを消費してくれているかもしれません。

このようなアリたちの働きは、生物多様性が生み出す恩恵=生態系サービスを考えるうえで象徴的です。アリたちは生きるために餌を集めているだけで、私たちのために掃除をしているわけではないのに、その営みが結果的に公園をきれいに保ち、都市の衛生を支えているのです。アリだけでなく、他の微小な生物たち、地域によっては腐肉食の哺乳類や鳥類の働きも重要です。ところが、こうした重要なサービスは、私たちの生活の中で当然だと思われて、ほとんど誰にも意識されていない「見えない生態系サービス」になってしまっています。

忘れられがちですが、都市もひとつの生態系であり、都市で暮らす私たちはそこから多大な恩恵を受けているのです。今回は「都市の自然」に注目して、こうした「見えない生態系」の存在とその恩恵を紹介します。

都市が失った生態系と恩恵

都市も一つの生態系であり、さまざまな生物が生を営んでいますから、当然そこから生まれる生態系サービスがあります。ただしこの生態系は、人間が作り出したもので、自然に生まれてくるものとは違った特徴があります。

都市ができる前の土地には、多種多様な生態系がモザイク状に存在していました。人間はそれを、居住や社会経済活動を第一の目的として改変してきました。そのため、世界中の都市が似たような機能重視の景観になっています。人間がどのように自然を改変し、都市が現在の姿になったのかを振り返ることで、都市の生態系サービスの本質が見えてくるはずです。

世界の都市の発展と切り離せない生態系は、なにはなくとも湿地です。湿地とは、陸域と水域が接し、一時的または恒常的に水に浸った場所に形成される生態系を指します。淡水域では河川や湖沼の一部、湿原、海洋沿岸では干潟、塩性湿地、マングローブなどがこれに該当します。また、水田やため池といった人工的な環境も湿地生態系です。陸域の湿地は特に水の貯留能力が高く、大雨や洪水によって大量の水が集まり、水位が大きく変動することが特徴です。

こうした湿地生態系は、メソポタミア、インダス、エジプトといった初期の文明が発展した都市の礎となりました。なぜ世界中の異なる地域で、湿地を基盤に都市が生まれたのでしょうか。その理由の一つに、湿地生態系が持つ高い生物多様性が挙げられます。湿地は渡り鳥、魚介類、哺乳類、植物など、多種多様な食料源を安定して供給することができました。『反穀物の人類史』という書籍では、食料源としての湿地の卓越性が以下のように描かれます。

住民は……手の届く湿地資源のほぼすべてを利用していた。ヨシやスゲは家の材料や食料になったし、ほかにも多種多様な可食植物(イグサ、ガマ、スイレン類)があった。主なタンパク源はリクガメ、魚類、軟体動物、甲殻類、鳥類、水禽類、小型哺乳類、そして季節ごとに移住してくるガゼルなどだった。豊かな沖積層の土壌とたっぷりの栄養を(生きたものも死んだものも)含んだ二つの大河の河口という組み合わせは、並はずれて豊かな水辺の生活を生み出し、膨大な数の魚類、ミズガメ、鳥類、哺乳類──そしてもちろん人間!──などが、食物連鎖の下位にいる生きものを食べようと、引き寄せられてきた。
(ジェームズ・C・スコット『反穀物の人類史──国家誕生のディープヒストリー』立木勝訳、みすず書房、2019年、p.47より引用)

生態学の視点から言えば、これらは「食料や水を供給する生態系サービス」に該当します。この豊かな資源が、人々の定住を促し、都市を生む原動力となったのです。

湿地生態系が都市化を促進したもう一つの要因は、土壌を肥沃にする働きです。湿地やその周辺の氾濫原には、大量の水や栄養塩、土壌が流れ込みます。このプロセスによって肥沃な土壌が形成され、それが氾濫原を利用した食用植物の栽培、すなわち「農業」の誕生を可能にしました。農業の発展は食料生産量を増加させ、人口増加と都市の拡大を後押しします。つまり、湿地生態系はその豊かな生態系サービスによって、初期の都市が発展するための理想的な環境を提供したと言えます。

湿地の恩恵を受けたのは、古代文明だけではありません。私たちが住む日本の多くの都市も、湿地の生態系サービスの恩恵を受ける場所に築かれています。世界有数の巨大都市である東京都市圏も大阪都市圏も、いくつかの河川の河口域に形成された元湿地の都市です。当然、湿地のもつ生態系サービスの多大な恩恵を受けていました。江戸湾(現・東京湾)の干潟や浅瀬からとれるアサリ、ハマグリ、ハゼなど無数の魚介類は、江戸100万人の人たちの食料となりました。もちろん、それだけではありません。干潟には100万都市から出る排水を浄化する役割もあります。東京湾の干潟や浅瀬は、都市排水や河川からの栄養塩を吸収し水質を改善する自然の浄化システムとして機能していました。この調整サービスのおかげで、たくさんの沿岸魚種が生息でき、キス、アナゴ、カレイ、クルマエビなどの膨大な漁獲量を支えました。

一方で、都市が大きくなるにつれ、こういった湿地は徐々に消えていきます。陸では、洪水から都市を守るため、新たに住宅地や水田をつくるため、そして水運による経済活動を促進するため、湿地が消失していきました。海では、埋め立てによって干潟や浅瀬が失われていきました。しかし、それでも高度経済成長期までは、たくさんの湿地が日本中に残っていました。たとえば、1945年の東京湾には1万ヘクタール近くの干潟が残っていて、膨大な生態系サービスの恩恵を受けていました(3)。1960年代までは、東京湾だけで6万~8万トンのアサリ、3000~8000トンのハマグリ、100~400トンのウナギが水揚げされていたといいます(4)。現在、「日本全国で」アサリの漁獲量は1万トン以下、ハマグリとウナギに至っては絶滅危惧種になってしまったことを考えると、わずか60年前の東京湾の食料供給サービスは凄まじい量であることがわかります。

東京湾の魚介類は食料を供給するだけでなく、江戸前の食文化や、釣りや潮干狩りなどのレクリエーションなど、文化的サービスとしても大きな恩恵をもたらしました。特に、東京湾のハゼ釣りは戦後復興の時期の一大レジャーで、東京湾の浅瀬にはハゼ釣り船がびっしりと並んでいたそうです。国土交通省国土地理院のサイトでは、そのころの東京湾を見ることができます(図1)。1950年くらいまでは、現在東京ディズニーランドがある浦安から羽田空港があるあたりまで、東京湾最深部に広大な湿地や浅瀬が広がっていました。

図1 東京湾最奥部空撮画像の経年比較

しかし、1950年以降の高度経済成長とともに、こうした湿地は急速に失われます。干潟は埋め立てられ、大型の船舶が横付けできる港湾や工業地帯、そして住宅地に姿を変えました。羽田空港が大きく拡張されはじめたのも、このころです。水田を含む陸域の湿地も埋め立てられ、住宅地などへと姿を変えました。1980年には、東京湾に残っている干潟はわずか1400ヘクタールとわずか30年ほどで1/8近くに激減しました。湿地生態系の改変によって、東京は世界に名だたる経済都市に変貌したと言えます。

当然ながら、人々が湿地から享受する生態系サービスも激減しました。現在の東京湾では、あれほど水揚げされていた魚介類はほとんど獲れなくなってしまいました。湿地が持っていた水質浄化というサービスも、当然失われました。現在の東京湾に残る貴重な干潟である三番瀬だけで、13万人に対する下水処理能力と同等の水質浄化能力を持っていると推定されています(5)。東京湾中で失った干潟の総面積を考えると、途方もない水質浄化能力を失ったことになります。

都市が拡大する過程で、湿地だけでなく、多くの森林も失われました。森林から生まれた最も有名な都市はニューヨークでしょう。マンハッタン島には、元々オーク、ニレ、クルミなど広大な温帯広葉樹林が広がっており、シカやオオカミなど大型哺乳類も多数生息していました。この森林は、アメリカの先住民が数百年以上にわたって利用していたといいます。しかし、ヨーロッパからの入植者が都市を作っていく過程で、建材や燃料として伐採され、あるいは森林を都市や農地に改変することによって、森林が速やかに失われました。

日本でも、都市化によって多くの森林が失われました。日本では都市近郊の農村景観に含まれる里山などの二次林が、都市の拡大によって宅地に転換されていきました。図2は、横浜市の例です。農耕地、里山、森林を含む緑地全体が1970年以降急速に減少し、断片化・孤立化している様子がわかります。日本中の多くの主要都市で同じようなことが起きたと考えられています。

図2 横浜の緑地の変遷

里山などの人為的な二次林は、もともと薪や炭などの燃料を得ることを主な目的として維持されてきましたが、高度経済成長期以降、電気やガスが普及するとそういった燃料供給サービスの需要が消滅しました。しかし、都市近くの森林には燃料供給以外にもさまざまな生態系サービスがあります。二酸化窒素やオゾン、微小粒子状物質などの大気汚染物質を吸収・除去して、空気の質を改善してくれます。樹木の蒸散作用や日陰効果によって、気温や地温の上昇を抑制して都市のヒートアイランド現象を緩和してくれます。また、森林土壌が降雨時の雨水を吸収・保持し、突発的な都市型洪水のリスクを低減してくれます。都市の拡大に伴って森林が減少すると、森林に依存する生物たちの不利益となっただけでなく、私たちの生活に直結するこれらの多様な調整サービスも低下したはずです。

人間の社会や経済のために発展した都市は、多種多様な生態系サービスを失ってきました。そして、人間社会は失った生態系サービスを代替するために、大きなコストをかけてさまざまな技術インフラを発展させてきました。湿地が担っていた水質浄化サービスの一部は、各河川に設置された水質浄化施設という技術インフラによって代替されています。洪水を抑制する役割も、今では河川堤防や護岸整備、地下調整池、首都圏外郭放水路という巨大な技術インフラに代替されています。

一方で、近年では「グリーンインフラ」と呼ばれる自然を活用した解決策が、世界各地で注目されています。このアプローチは、都市化によって失われた多様な生態系サービスを、自然を再生させることで再び回復させようというものです。たとえば、コネチカット州スタンフォードのミルリバー公園では、街の中心で荒れ果てていた河川を、生態学的な修復技術と何百種もの在来植物を移植することで再生しました(図3)。今では都市の水害を防ぐと同時に、生物多様性の保全の場として、そして市民のレクリエーションの場として機能しています。同様に、シンガポールのビシャン公園では、長さ2.7 kmのコンクリートの排水路を、蛇行した河川として修復しました。大雨時には巨大な湿地帯と化して洪水を抑制する機能を持つと同時に、水質改善、生物多様性、レクリエーションという多様な生態系サービスを持つグリーンインフラとなっています。日本でも2015年に閣議決定された「国土形成計画」にグリーンインフラという言葉が登場したのを皮切りに、2023年にはグリーンインフラ推進戦略が策定されています。今後はこのような、自然再生と多様な生態系サービスを基盤とした、多機能型の都市開発が増えていくのかもしれません。

図3 アメリカ、コネチカット州のミルリバー公園

気持ちに作用する生態系サービス

都市の自然は、大気の質を改善したり地温を抑制したり水害のリスクを低減するだけではありません。これら直接的な生態系サービスのほかに、人間の気持ちに作用する生態系サービスもあります。都会の自然で運動をすることで大きな満足感が得られたり、子どもが虫とりを楽しんだり、緑の中でリラックスすることで癒されたり、気持ちが晴れ晴れすることなど、これらすべては生態系サービスの一部です。ここでいう自然には厳密な定義はありませんが、森林や草地などの緑地や池や小川などの水辺の環境やそこにいる生物群集を指しています。

こういった「気持ち」に作用するソフトな恩恵は、洪水抑制や食料供給のように直接的に生活に関わる恩恵と比べると、いまいち重視されません。しかし、都市住民が気持ちの面で自然から受ける恩恵は、決して小さくありません。現代人にとって大きな社会問題(6)である、「心の健康」に着目した研究から、そのことがよくわかります。あまり知られていませんが、自然を見たり体験したりすることがストレスを軽減したり、メンタルヘルスを改善することを示す証拠は、世界中で膨大な蓄積があります。たとえば、英国で行われた94,879人を対象とした研究では、緑地が多い地域の住民ほど、年齢や収入などさまざまな変数を考慮した後でも、うつ病のリスクが低いことがわかっています(7)。この効果は、特に女性や60歳未満の人々、さらには社会経済的地位が低い人々が住む地域や都市部に住む人々において顕著でした。自然の中で過ごす時間とメンタルヘルスの関係を調べた研究もあります。同じ英国の研究では、週に5時間以上庭で過ごすことが、うつ病のレベル低下と関連していました(8)。同様にアメリカで行われた全国的な調査では、週末に5〜8時間を屋外で過ごす人々は、週末に30分未満しか屋外に出ない人々と比較して、うつ病を発症するリスクが低いことがわかりました(9)。自然環境のどの具体的な要素が精神的健康にどう影響を与えるかを探る研究も進んでいます。英国のある調査では、日中に見られる鳥の種類が豊富であればあるほど、うつ病や不安、ストレスのスコアが低い関係にありました(10)。米国の大学生207人を対象にした研究でも、公園や森林など緑地を積極的に自ら利用する(週に4回以上緑地で座る、勉強する、食事をする)学生ほど生活の質が高く、全体的な気分が良く、日常であまりストレスを感じていないことが示されています(11)

都市の自然の恩恵を受けるのはそこで生活する住民だけではないでしょう。都市で働く労働者も、同じように恩恵を受けているはずです。オフィスの窓から自然が見える人は、人工的な景色しか見えない人と比較して、仕事に関連するストレスが軽減されたり仕事の満足度が高くなることが報告されています。たとえば、スウェーデンで無作為に選ばれた439名のアンケートを分析した研究では、男性の場合、職場から緑が見えたり、緑に実際にアクセスできる人ほどストレスレベルが低いことが報告されています(女性は関連なし)(12)。さらに、アマゾン本社の従業員を対象にした研究もあります。アマゾン本社の敷地内にはThe spheresと名付けられた従業員用のワークスペースがあります(図4)。この内部には数万本の熱帯植物が植えられており、都会の中に生まれた熱帯植物園の様相です。統計的には有意でないものの、この植物園的なワークスペースで仕事をするアマゾン社員ほどストレスが低い傾向が報告されています(13)。しかしこの分野は研究が非常に限られていて、都市の自然が労働者にどんな生態系サービスをもたらしているかはほとんどわかっていません。わかっていないだけで、都会の自然は、労働者のメンタルヘルスや仕事の満足度、あるいは仕事上のひらめきやインスピレーションに大きな影響を与えているかもしれません。

図4 アマゾン本社のThe spheres

この観点は、最近大きな潮流になっている企業と生物多様性の関係でも、見逃されている重要なテーマだと思います。都市には、ありとあらゆる業種の企業の従業員が働いています。そして、従業員のメンタルヘルスや仕事の満足度は、企業にとって非常に重要な経営課題です。従業員のメンタルヘルスの悪化は休職率や離職率の増加や生産性の低下などにつながる、大きな事業リスクです。従業員のメンタルヘルスや仕事の満足度が自然再生によって向上し、企業の持続的な成長につながるならば、大企業にとって、敷地内や近隣地域で自然再生を行うことが戦略的な投資になりえます。つまり、ネイチャーポジティブ(生物多様性の保全や再生を目指した世界的な取り組み)と企業の成長を両立させる素晴らしいプロジェクトとなる可能性があるのです。ただし現状では、そのような経営判断のために必要な定量的な証拠が全く足りません。しかし私自身は、都市の自然と、労働者のメンタルヘルスや満足度(より広く、企業の人的資本といってもいいかもしれません)との関係は、これからの時代にとても大事なテーマになると信じています。

都会の自然が持つメンタルヘルスへの影響は、子どものころから及ぼされるようです。スペイン、オランダ、リトアニア、英国各国の計4都市で行われた研究では、幼少期の自然とのふれあいの多さと、成人期の精神的健康の関係が調査されました。その結果、幼少期に自然とよく触れ合っていた人は、そうでない人と比較して、自己申告によるメンタルヘルスのスコアが有意に良好なことがわかりました(14)。また、約100万人のデンマーク人を対象にした28年間にわたる追跡調査研究でも、幼少期に緑地の多い地域に居住していると、その後の人生で精神的な疾患が発症するリスクが低いことも示されています(15)。さらに、自然には子どもの認知機能の発達を促進させる効果もあるかもしれません。バルセロナの小学生を対象とした有名な研究があります。大規模なコホート調査(人口集団を追跡する疫学調査)によって、小学生の認知能力と地域の自然との関係を調べたものです。その結果、小学校入学前、あるいは低学年の時に緑が多い地域に住んでいた児童ほど、認知能力の発達が促進されることがわかりました(16)

このような、自然が健康に及ぼす効果の研究は、40年近く前にアメリカの病院で行われたある独創的な研究が一つのきっかけとなって発展しました。それは、胆囊摘出手術後の患者46人を対象に、窓からレンガ塀しか見えない病室に入院した23名と、窓から樹木が見える病室に入院した23名の患者の術後の回復の経過を比較した研究です(17)。年齢や性別はだいたい同じように割り振られていたにもかかわらず、樹木が見える病室に入院していた患者の方が術後の回復がスムーズだったのです。具体的には、早く退院することができ、入院中も強い鎮痛剤を要求する回数が少なかったのです。窓から見える景色が違うだけで、身体の回復に差が出る。これは大きな衝撃をもたらしました。

この研究が起爆剤となり、自然が持つ精神や身体の回復効果を調べる研究が大きく花開きました。今では、さまざまな角度から、自然を体験すると健康に良いことを示す研究が世界中で蓄積しています。これまで紹介したようなメンタルヘルスや認知機能への影響だけではありません。日常的に自然を体験することは、心臓病や糖尿病、肥満や循環器系疾患などの発症を抑制することが示唆されています。たとえば、オーストラリアのブリスベン市民1,538人を対象とした研究では、性別、年齢、BMI、所得、教育などを考慮したうえでも、緑地の利用頻度や利用時間が多い人ほど、高血圧とメンタルヘルスのリスクが低いという関係にありました。この研究では、一週間に30分以上緑地に訪問することで、うつ症状と高血圧の罹患率をそれぞれ7%、9%予防できると試算されています。カナダ全土を対象とした研究からも同じような結果が得られています。住んでいる地域に緑が多いほど、その地区の住民の心臓病や糖尿病、脳血管疾患、呼吸器疾患などによる死亡リスクが低下する傾向にありました(18)

自然体験が身体や精神の健康に貢献することを示す研究がどれくらいあるかは、もはや研究の数と種類が多すぎて数え上げることはできません。たとえば、2018年に出版された、143の研究成果をまとめて解析した論文は2025年4月の時点で1,700件の論文に引用されています(19)。同じく、2021年にハーバード大学の研究者らが100本以上の研究を要約した論文を出版していますが、これもたった4年で554件も引用されています(20)。日々、新しい研究成果が蓄積されているようです。

都市住民にとって緑地や水辺などの自然が有益であるという考えは昔からあり、都市計画に携わる世界中の人たちに認識はされていました。しかし、これまではその効果を真剣に捉えて都市計画に組み入れよう、という意識は低かったように思います。グリーンインフラという発想では、一度は失われた都市の自然を再生することで、災害リスクの低減をはじめ多様な生態系サービスを向上させ、都市全体の持続可能性を高めることを考えます。同じように、グリーンヒーリング的な発想、すなわち都市の自然を再生することで都市の人たちの心身の健康を取り戻し、気持ちの面からも人間社会を発展させるという考え方が、これからの都市開発の大きな柱になるかもしれません。

恩恵は「場所」から生まれる

最後に、都市の自然と生態系サービスの関係を「場所」をベースに考えてみようと思います。生態系サービスは、ある生き物が、ある特定のサービスを生むという1対1の関係では捉えられません。ある場所に多様な生物が存在し生を営んでいることで、多種多様な生態系サービスがおのずから生まれてくるという捉え方のほうが適切です。

東京都市圏は、高度に発達した巨大都市です。一方で、都市のど真ん中に、貴重な自然がいくつも残されています。たとえば、千代田区にある皇居や赤坂御用地、文京区にある小石川植物園(東京大学大学院理学系研究科附属植物園)、そして東京を東西に走る玉川上水などです。そのような都会に残る貴重な自然のひとつ、港区白金台にある国立科学博物館附属自然教育園を舞台に、都会の自然から生まれる多様な恩恵を考えてみましょう。

図5 国立科学博物館附属自然教育園は東京都心に残る貴重な自然

自然教育園が生み出すひとつめの恩恵は、園に入らずとも実感することができます。それは気温を抑制するという調整サービスです。私はときどき自然教育園で市民向けの講演会をすることがありますが、真夏にJR目黒駅を降り、自然教育園に近づくと、明らかに涼しさを感じることに驚かされます。この広大な森は、ヒートアイランド現象で熱くなった都市の気温を和らげる効果を持っています。さらに、自然教育園の中に足を踏み入れると、より一層の涼しさを感じます。それは、森林がもつ冷却効果だけでなく、園内にある湿地や池の存在によるものです。これらの自然要素が相まって、気温の上昇を抑える働きをしています。広大な森と水辺があるので、大気の汚染物質を浄化する働きや、ゲリラ豪雨の際には一時的に雨水を吸収して洪水を緩和するなど、都市の安全を支える調整サービスもあるはずです。

自然教育園は国立科学博物館の附属施設だけあって、定期的に詳細な生き物調査がなされています。現在、1,473種の植物、約2,130種の昆虫、約130種の鳥類が記録され、その中には絶滅危惧種も多く含まれます(21)。つまり、生息地という、生き物にとって最も基本的な生態系サービスを提供しています。自然教育園ではこれら多様な動植物の存在やそれを維持する営みが展示されており、訪問する市民に多くの教育的価値を提供しています。もちろん、学習するためではなく散歩や休憩場所として、なんとなく訪問する市民も多いでしょう。そういった人でも、自然体験による心身の健康という大きな恩恵を受けているはずです。

ちょっと違った観点の恩恵も考えてみましょう。自然教育園は多数の希少な動植物がいて、それらを撮影するために多くの人がカメラを持ってきています。特に、中心にある池のそばには、鳥を撮影するために大砲のような大型レンズを持った人がたくさんいます。自然という被写体は、写真愛好家にとって最も魅力的な被写体の1つです。光学機器メーカーは、自然教育園のような都会の自然の文化的サービスから大きな恩恵を受けているのかもしれません。

自然教育園は港区と目黒区の境にあり、多くの人が働くオフィスエリアでもあります。仕事に疲れた会社員は、お昼休みに自然教育園を散歩し、午後の会議に向け心をリフレッシュしているかもしれません(入園料はなんと320円です!)。自然の中で新しい商品のインスピレーションを得た人もいるかもしれません。あるいは、オフィスの窓から見える自然教育園の緑の風景によって、知らず知らずのうちにメンタルヘルスが維持されている人もいるでしょう。こういった、労働者の心や気持ちに対する、都会の自然の貢献は、まだほとんど検証されていません。当然、恩恵を受けているかもしれないオフィス・ワーカーにも、その恩恵は全く認識されてないでしょう。

さらに、都市の自然は「この場所が好きだ、大切だ」という強い気持ちも生み出しています。自然教育園にも、年に何十回も訪問するファンがいるはずです。自然教育園の活動を無償で支援する自然園ボランティアの方も何十名もいます。自然教育園の活動を支援するための寄付もたくさん集まっています。自然教育園をはじめとした都市の自然が今も残っている大きな理由のひとつは、このような大事にしたいという住民の強い気持ちです。また、自然教育園では、定期的な観察会やイベントを通じて、来園者同士が交流し、知識を共有する場が生まれています。こうした活動を通じて、参加者は自然だけでなく、互いの存在をより身近に感じるようになり、地域への愛着や帰属意識を強めています。このような価値は、自然の「関係価値」といわれます。生態系サービスが人間の社会や経済にとって有用であるという観点で「手段的価値」と言われるのに対して、関係価値とは自然と人との関わりの中に見いだされる価値です。2023年に出版されたIPBESの「自然の多様な価値と価値評価の方法論に関する評価報告書」でも、関係価値を認識し評価することの重要性が指摘されています(22)

このように、自然教育園という場が維持されていることで、さまざまな種類の恩恵が生まれることが伝わったでしょうか。しかし、多様な生態系サービスの多くは、その恩恵を受けている人であっても認識できないことがほとんどです。自然教育園のおかげで、局所的な水害が起きなかったかもしれない、メンタルヘルスが悪化しなかったかもしれない、地域の隣人と知り合えたかもしれない。さまざまな研究によって、隠れた恩恵が少しずつ明らかになりつつあります。

自然教育園を例として説明した自然からの恩恵は、東京に限らず、他の都市に残された自然にも当てはまります。それらの都市の自然が、気温調節や水質浄化、洪水緩和といった調整機能を持つと同時に、文化的価値や精神的な癒しを提供していることは、どの都市でも共通して見られる現象です。さらに、都市の自然を愛する人たちが交流しながら守り続けているのも共通していることでしょう。

今、ネイチャーポジティブの流れの中で、都市部の自然再生が注目されています。しかし新しいものを作る前に、まずはどこにどんな自然が残っているのか、そしてその自然から知らず知らず受けてきた恩恵がどれくらいあるのか、そこを守ってきたのは誰か、そういったことをきちんと認識することが大事です。なぜなら、自然をいちから再生するよりも、今ある自然の保全と活性化を後押しする方が、圧倒的にネイチャーポジティブに寄与するからです。都市で自然を再生する際には、生態系の変遷を知ることも大事です。湿地を埋め立てた場所に樹木を植えても、それはあまりネイチャーポジティブではないでしょう。ここは元々どんな生態系で、どんなふうに改変され、今残っているのはどんな自然で、誰が守ってきたのか。ネイチャーポジティブの未来のためには、まず過去に目を向けることが大事です。

図版出典

図1 空撮画像は国土地理院ウェブサイトより。

図2 環境白書(平成25年版、環境省) 第2章6節、図2-6-6をもとに作成。

図3 Wikipedia(英語版)「Mill River Park」より。

図4 Wikipedia(英語版)「Amazon Spheres」より。

図5 画像はGoogle Earthより。

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  4. 「江戸前の復活!東京湾の再生をめざして」(中央ブロック水産業関係研究開発推進会議 東京湾研究会) https://nrifs.fra.affrc.go.jp/publication/Tokyowan/PDF/Teigen_H25.pdf
  5. コラム「干潟・浅海域と開発について」(国立環境研究所) https://www.nies.go.jp/kanko/kankyogi/03/07.html
  6. 2020年の日本における精神疾患の患者数は約586万人で、2017年の調査よりも50%も増加し過去最多を記録しています。令和6年版『厚生労働白書(概要版)』より。https://www.mhlw.go.jp/toukei_hakusho/hakusho/index.html
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