前々回、前回に続き2025年3月の渡航時の日記です。
3月27日
昨夜、自爆型無人機による空爆が続いていた。テレグラムの情報やハルキウ市の発表によると、合計12回の攻撃があったという。空爆に関しては、侵攻開始当初はミサイル中心だったが、現在ではミサイルではなく自爆型無人機が主流になっている。そちらのほうが安価だからだろう。たとえば長距離ミサイルは種類によって幅があるが、一発あたりの費用が推定数億円から20億円前後に達するのに対し、自爆型無人機であれば一発あたり800万円程度で運用できる。
無人機は軽自動車ほどの大きさらしい。バイクが走るような飛行音が聞こえたので窓から顔を出したが、夜空は暗いだけで無人機の姿は見えなかった。低空を旋回する音だけが何度も聞こえた。しばらく眺めていると空が赤く光る。数秒遅れて、地響きのような音が届く。やがて救急車のサイレンが何度も聞こえた。被害は各地に及び、死者はいなかったが、民間人12人が負傷し、そのなかには5歳の少年もいたという市の発表があった。こうした発表や報道では、子どもに被害があったかどうかが言及されることが多い。注目されやすいからだろう。
被害のあった地区のひとつに、ニコと呼ばれている16歳のスケーターが住んでいることが、スケボー仲間のテレグラムのグループチャットを見ていてわかった。昼前、ニコと連絡をとってから被害があった彼のアパートを訪ねた。団地の敷地内にはいくつもの高層アパートが並んでいる。敷地内の電力設備を狙ったらしいが、被害はそれだけでは済まなかった。アパートのひとつの外壁は黒焦げになり、窓ガラスも吹き飛んでいる。作業員たちが集まり、燃えた車や、散らばったガラスやコンクリート片、外壁を撤去していた。昨夜の爆撃から半日ほどしか経っていないが、すでに団地内の歩道は補修を終えつつあった。物資を支援するボランティアのグループが住民のために活動を始めている。その場にいた人は淡々と各自の作業を進めていた。私はその手際のよさに驚くまま、ただ立って見ていた。
2時間ほど待っているとニコが現れた。オンライン授業が終わって会いに来てくれたらしい。握手をすると、彼は「それで、調子どう?」と言った。聞きたいのは私のほうだ。
「うちのベランダのガラスも吹き飛んだよ。今朝はそれを片付けてたんだ」
ひととおり昨夜の体験を話した後、ニコは母親に電話をした。部屋の様子を私に見せようと許可をもらおうとしたが、断られてしまったらしい。
夕方、いつもの広場へ向かう。渋滞した車でいっぱいの大通り。信号待ちの歩行者。通りを挟んで見えるオペラ劇場。広場にある外灯の下でスケーターたちが滑っている。スケートボードが地面を打つ音。手を叩く音。彼らに興味津々でベンチに座る地元の女の子たち。彼女らはスケーターと話すきっかけを待っている。数時間前に見た、割れた窓と焦げた外壁。燃えた車。その場所までは数キロしか離れていない。同じ街の同じ日だ。信号が変わり、私は横断歩道を渡る。

3月28日
あらためてニコと、彼のアパートの近くにある公園で会った。彼とはこれまで広場以外でも顔を合わせる機会があった。夜、私が部屋の近くのスーパーに立ち寄るときに通る公園で、彼が仲間と酒盛りしているのをよく見かけていたのだ。たいてい彼が私を見つけて話しかけてきた。
「俺たちの写真を撮ってくれない?」
「いいけど、彼らはどういう友達なの?」
「ただの友達だよ」
スケーター全般に言えることだが、仲間はスケーターだけじゃない。スケボーをするときはスケーター仲間とつるんでいるが、それぞれ別の友人たちのコミュニティもある。
ニコの出身地はハルキウ州東部のクピャンスク、前線の町だ。ロシア軍に占領され、その後ウクライナ軍によって奪還されたが、いまもなお攻防戦が続いているとニュースでは報じられている。私も以前、住民の脱出を手助けするボランティアに同行するために訪れたことがある。ニコは戦闘の状況について説明してくれた。一般的に報じられていることと同じ内容だったが、最後に彼は「今、クピャンスクはウクライナなんだ」と言った。彼は戦争が始まってからポーランドのルブリンへ避難していたが、ウクライナに戻ってきた。家族の近くにいたいからだという。父親はウクライナ軍に従軍しているらしい。
「できればクピャンスクに戻りたいけど、ハルキウも暮らしやすい」
故郷といってもクピャンスクは小さな町だし、ハルキウのほうが安全だ。公園を流れる川に架かる橋の上で、先日の空爆について話を聞いた。
「もう慣れてしまったんだ。怖くない」
少し間を置いてから言葉が続く。
「でも真っ暗な街を歩いていると不安になる」
ハルキウでは日常的に停電がある。電力設備が攻撃されて突然停電することもあれば、電力供給のバランスをとるための計画停電もある。外灯のない場所も多い。
「夜に変な音が聞こえた瞬間、体が動かなくなるんだ」
怖くない、と言ったのと同じ口でそう続けた。きっと無人機の飛行音のことを言っているのだろう。外の暗闇にいると恐怖はさらに増すだろう。私も実際にそれを体験したとき、無人機が自分をめがけて落ちてくるのではないかという錯覚に陥った。私たちは川べりを歩きながら話し、彼の写真を何枚か撮影した。
12歳のサンチェス少年からメッセージが届いた。
「バイバイ。また会おう」
彼は母親とブルガリアへ向かうと言っていたが、出発は明日だと思っていた。私の勘違いだったらしい。サンチェスは当然英語をほとんど話せないし、私はウクライナ語もロシア語もできない。そのせいで、きちんとした別れの挨拶はできなかった。彼は仲間との別れも済ませてすでに列車に乗っているようだった。悔やむ気持ちを抑え、私はこの街に残る人たちを撮るために来ているんだ、と自分に言い聞かせる。
広場に戻ると、階段にポップスとお調子者のローマンが座っていた。いつもは騒がしいローマンが、膝を抱えてうずくまっている。私に気づいた彼は顔を上げた。歪んだ表情だった。
「ヒロ……。フット、ブロークン……」
ポップスに聞くと、「彼の脚がブロークンしたんです」とだけ説明した。トリックに失敗し、着地でひねったらしい。他のスケーターもいたが、誰も気にする様子はなかった。ローマンのくるぶしがひどく腫れている。歩くどころか、まともに立ち上がることもできないようだった。
「家族には連絡したのか?」
彼には両親がいない。同居しているおばには連絡したようだが、おばは仕事中で終わり次第来るという。ただ、いつ来るかはわからない。痛みに耐えきれず、ローマンはもう一度おばに電話をかけて、広場に救急車を呼んでもらうことにした。だが、救急車はすぐに来るのだろうか。どこかで空爆があり、負傷者が出ていれば、そちらが優先されるだろう。実際、そこからが長かった。救急車を待っているあいだ、彼はずっと呻いていた。気を紛らわせようとして、私は冗談めかして言った。
「いまは戦争中だろう? 救急車は忙しいんだ。わざわざスケーターを助けたりはしてくれない。もしかしたら到着に2、3日はかかるかもね」
彼は私を一瞬見たあと、顔を伏せてしまった。
そして「ブロー……。メイビー」と言った。
ちょっと冗談がきつかったかもしれない。2時間ほど待つと、救急車がサイレンを鳴らさずに来た。車から降りてきた中年女性の救急隊員が患者を探している。私とポップスが彼女に手を振ると、彼女は呆れた顔をしてやってきた。肩を貸してローマンを車に乗せる。ポップスはどこかへ行ってしまい、私だけが様子を窺っていると、救急隊員は「付き添いはいらない」と言って後部ドアを閉めた。ローマンを乗せた救急車は急ぐふうもなく去っていった。
夜。チャイカが作ってくれたスケートボードのデッキを持ってきた。ずいぶん待ったが、ちゃんと完成したのだ。嬉しかった。受け取ろうとすると、チャイカは制する。そして、ウィールのまだついていないデッキを裏返して地面に置いて飛び乗った。たわんでいるが、割れることはない。なぜなら、デッキの一部に強度に優れたケブラーという素材を使っているのだ、ということをチャイカは誇るように何度も、何度もロシア語で言った。私も何度も、何度も「Хорош(いいね)!」と返した。
ようやく手渡されたデッキにはきれいにワックスが塗られていた。ついさっきチャイカが地面に置いて乗ったせいでさっそく擦り傷がついてしまったが、それでもなお、とても美しいものだった。デッキの裏面にはブラウンを基調にした不思議な模様が描かれている。おそらく住宅用の壁紙を貼り付けたのだろう。彼のガレージには市場で仕入れたという内装用の素材がたくさんあった。先端の一方には黒いマジックペンで小さく「Nose」と書かれていた。もう一方には「Tail」。スケボーのデッキというものは前後がほとんど同じような形になっているが、よく見ると先端の長さや反りがわずかに違う。見分けにくいだけに、間違えないようにという心遣いが、初心者の私には嬉しかった。
礼はいらないというチャイカの胸ポケットに代金をねじ込むと、彼はウィンクしてみせた。せっかくだから、とその場にいたスケーターにデッキに名前を書いてもらおうと頼んだ。それぞれが名前やイラストを書き始め、あっというまに文字と絵で埋まった。いつのまにか、知らない連中までやってきて落書きを始める。まっさらなデッキではなくなってしまったが、これも悪くない。
部屋に戻って休んでいると、ローマンから連絡があった。一時的に入院するらしい。
「2、3か月はスケボーに乗れないって。俺の人生はクソだ」
返事に迷っていると、続けてメッセージが届く。
「退屈だよ」
彼が悔しいのは、スケボーに乗れないということだけではない。仲間と会えないこと。そして、あさって開かれる大会に出られないことも含まれているのだろう。

3月29日
夜、7時頃。部屋でパスタを茹でて食べた。そのまま寝てしまおうと思ったが、広場に行ってみることにした。気が向いたらいつでも広場に行けるように、すぐ近くのアパートを借りているのだ。今日は日中に別の場所で撮影していたため、広場に顔を出さなかった。みんなどうしてるんだろうと気になっていた。オペラ劇場の脇の階段を上がっていくと、外灯がスポットライトのように広場を照らしていた。とても静かだった。もうみんな帰ってしまったのだろうかと思っていると、遠くに人の姿が見えた。誰だろう。近寄ってみるとブベルだった。
彼も私に気づき、「ハロー、ブロー」と手を上げた。彼の顔は赤く、目に力が入っていない。今日は土曜日だから仕事がなく、どこかで酒を飲んでいたのだろう。
ブベルの隣に、初めて見る少年がいた。見たところ10歳ぐらいだろうか。少年も私に向かって「ハロー」と言った。ブベルは工具を手にとって少年のスケボーのウィールを調整してやっていた。私は彼らから少し離れて座って見ていた。ブベルには面倒見のいい一面もあるんだなと思った。調整はうまくいかないらしく、ブベルはぶつぶつ言いながら手を動かし続けていた。
突然、広場の暗がりのほうから声がした。姿を見せたのは自転車に乗ったアンドレイだった。挨拶をしたが、彼は私をちらりと見ただけで、ブベルたちに向かってなにかを大きな声で言った。怒鳴るようだった。ブベルも「Сука!」と声を荒げて返す。少年はベンチから立ち上がってみたものの、2人の様子を見ているだけだった。アンドレイは自転車のサドルを手で叩く。そしてまた大きな声を出す。なんだろう。喧嘩でもしているのだろうか。あまりに突然で状況が飲み込めない。アンドレイはようやく私に向かってなにかを言った。全く聞き取れなかった。彼は私がロシア語をわからないことを知っているはずなのに、それでもなおロシア語でまくしたてる。アンドレイは同じ単語を繰り返していた。そして、ようやく彼が言っている言葉がわかった。「シャヒード!」と言っているのだ。自爆型無人機のことだ。
シャヒードは、ロシアが「ゲラン」の名でライセンス生産しているイラン開発の自爆型無人機のこと。シャヘドとも呼ばれている。アンドレイはその無人機が飛んでいるのを見たと言っているらしい。
「Правда(マジで)?」
私はそう聞き返したが返事はない。飛行音も聞こえない。広場の遠くで、人が走って逃げているのが見えた。その直後、爆発音が響いた。
「ダバイ、ダバイ(行くぞ、行くぞ)!」
アンドレイは叫んでハンドルから手を離すと、倒れる自転車をそのままに、私の上着を掴んだ。ブベルも工具を放り投げて立ち上がった。アンドレイとブベル、そして少年が劇場の地下通路へとつながる石階段に走る。私もカメラを持って追いかける。途中、広場の隣にある公園の木々の合間から、赤い光線が暗い空に断続的に走るのが見えた。ウクライナ軍が迎撃しているのだ。私は咄嗟に写真を撮った。同時に、まともに写っていないだろうとも思った。ただシャッターボタンを押しただけで、状況に合わせてカメラの設定をしていなかった。私たちは転がり落ちるように、階段を下りた。そのとき、空が赤く光った。どこかに落ちたのか。それとも迎撃が成功したのか。私は秒数を数えようとした。音が聞こえるまでの時間でだいたいの距離がわかる。1……2……。声を出さずに秒数をカウントする。アンドレイが「もっと中に入れ」と後ろから話しかける。私は「静かに!」と言った。爆発音。全身にズドンと衝撃を浴びる。思わず手に力が入り、石階段にしがみつくような姿勢になる。何秒だったのだろう。手をついていたせいで指先が冷たい。
階段の下、真っ暗闇から「Сука!」という声が聞こえた。続けて笑うような声。ブベルだ。彼はまだ酔いが冷めていないのだろうか。アンドレイもなにか言葉を発した。私はおそるおそる階段に手をついたまま登り、地上に顔を出した。無人機の飛行音が聞こえた。ついさっきまで大通りにあった人通りが、全くの無人になっていた。広場のベンチのそばには倒れた自転車と少年のスケボーだけが外灯に照らされている。
「俺は行くぞ!」
アンドレイが地上へ飛び出した。そして自転車を起こして、飛び去るようにしてすぐに消えた。少年も無言で飛び出し、スケボーを拾い上げ、抱えたまま全速力で大通りのほうへと走っていく。
「ブラザー、俺たちも逃げよう」
ブベルが私に言った。まだ飛行音は聞こえている。しつこく上空を旋回しているようだ。
私たちはゆっくりと広場に出た。どういうわけか、自然と忍び足になった。いったい何機の無人機が飛んでいるのだろう。地上からも、迎撃を試みる射撃音が聞こえる。
「逃げるって、どこへ?」
街から人が消えて突然静かになったようで、そのせいか自分の声がとても大きく聞こえた。ブベルはなぜか半笑いだった。
「スーパーマーケットに行こう」
スーパーは避難シェルターに指定されているわけではない。どういうことだろうか。
「なんで?」
「ビールを買いたいんだ」
「はあ……」
意味がわからない。彼のマイペースに呆れるばかりだが、私は逃げる先のあてもない。一緒に行こうかと考えたが、自分はハルキウに写真を撮りに来たんだ、と思い直した。
「俺はここに残るよ」
「マジかよ、ブロー。死ぬぞ」
さすがにここに直撃はしないだろう。たぶん。
「頼むよ、ブロー。一緒に行こうぜ」
彼は成人で、酒を買うために私はいらないはずだ。しつこく誘うのはきっと持ち金が乏しいせいだろう。
「ここはヤバイよ、早く行こうよ、ブラザー」
「いいから、いいから」
私がそう返すと、「マジかよ」と言ってブベルは走っていった。それでも振り返り、「ブロー!」とまだ私を呼んでいる。「また明日!」と私は叫び返した。
ブベルの姿が消えると、広場はしんと静まり返った。飛行音は聞こえなくなった。攻撃は終わったのだろうか。しばらくして外灯が消えた。真っ暗になった。何度も通ってきた広場だ。どこに何があるかはわかっている。私は劇場の大きな柱の根元に身をかがめた。危険から体を防げるわけではないが、それでもほんのわずかに身の拠り所になる気がした。しばらくすると目が慣れてきて、誰もいない広場が闇にぼんやりと浮かんできた。
再び、無人機の飛行音が聞こえ始めた。忌まわしい音だと思った。私はしゃがみ込んだまま暗い空を見ていた。じっと見ていると、夜空に黒煙が広がっていた。コントラストが低く、どこからどこまでが煙なのかはっきりしない。見続けているとそれは、時間が経つにつれてどんどん大きくなった。このままでは巨大な煙の塊が空のすべてをふさいでしまいそうだった。なんというか、すごい、と思った。眺めていると、視界の右から小さく赤い火の玉のようなものが空中に飛んでいった。今度は左から。軌跡を残していくつも飛び交う。遅れて、「バン、バン……」と射撃音が聞こえる。迎撃する対空機関銃に曳光弾を使うため、弾道が光って見えているのだ。その先に、きっと無人機が飛んでいるのだろう。行き交う光線を見ているのは、まるで宇宙で戦争をしているのを地上の星から眺めているような感じだった。漠然といまこの瞬間、自分は戦争を目撃しているんだな、と思った。何枚か、シャッターを切った。
空中でなにかが爆発している様子がないので、迎撃は成功していないようだった。ロシアのどこかから発射された無人機は、GPSで指定された箇所をめがけて飛んでくる。ウクライナのレーダーがその姿を捕らえても、どこを目標に飛んでいるのかは、落ちるまでわからない。もしかしたら目標地点は私のいるオペラ劇場かもしれない。そう思うと身震いした。同時に体に力が入らなくなり、自分という存在がひどく頼りないものになったように感じた。突然、空がぱっと明るくなった。赤い空に巨大な煙がシルエットになって浮かび上がる。秒数を数える。音は秒速340mだ。1……2……まだ音は聞こえない。3……4……爆発。約5秒。1.7km先だ。思っていたより遠い。迎撃したのか。それともどこかに落ちたのだろうか。この瞬間、誰か亡くなったのだろうか。そんなことを考える。すぐにまた迎撃の赤い弾道が見えた。まだ別の無人機が飛んでいる。
そういえば、ブベルは酒を買うためにスーパーに行くと言っていた。スーパーが安全だとは思えない。これまでウクライナ各地で商業施設が空爆された跡を見てきた。彼は酒を飲むことでこの現実から逃げようとしているのだろうか。爆発音はあまりにも日常的になってしまった。爆発音と無人機の飛行音。その違いは明確だ。爆発音が聞こえるのはもうすでにどこかに何かが落ちたあとだ。自分はまだ生きているということがわかる。しかし飛行音が聞こえると、どこに落ちるのか、と考えなくてはならない。同時にもっと強く、自分が死ぬのではないかとも考える。死んだことにさえ気づかないかもしれない。
まだ無人機の空爆は続いていたが、私は部屋に戻ることにした。暗いひと気のない裏通りを歩きながらついさっきのことを思い出す。「いま戦争を目撃していると思った」ということ。これまで数え切れないほど破壊された建物も見てきた。被害にあった人たちの話も聞いた。ミサイルが落とされて煙が上がっているのもうんざりするほど見た。ここからさらに東部では、戦車や装甲車が走り回っていた。怪我をして運ばれる兵士。殺された兵士、殺されて埋葬された市民の遺体も見た。それでもついさっき強く戦争を実感したのはなぜだろう。はっきりと答えがでない。その場にいたのが私一人だったからだろうか。
アパートに着くまで、誰ともすれ違わなかった。部屋に戻ってベッドに座っていると、スケートフォトグラファーのドモヴォイの友人、ナパスからメッセージが届いた。彼から連絡が来るのは珍しいことだった。メッセージは明日開かれるスケボーの大会に関してのもので、「あなたに公式カメラマンをお願いできないだろうか」という内容だった。
実は、私は昨日まで大会に出てみようかと迷っていた。もちろんトリックもできない。笑われるか、せいぜい励ましの拍手をもらうくらいだろう。それでも記念になっておもしろいのではと思っていた。でも、昨日のローマンの怪我を目の当たりにして出場は諦めたのだ。そもそも私は旅行保険にさえ入っていない(一般的な海外旅行保険では、戦争や内戦、デモ等の騒乱に起因する損害は免責となることが多い)。骨折すれば、いろんな人に迷惑をかけるだろう。ローマンのように入院することになれば、帰国さえ危うくなる。そんな折に公式カメラマンの依頼だった。これは素直に嬉しかった。ようやく仲間として認められた気がしたから。そもそも今回は景品を提供するスポンサーのような立場でもあったので、自分だけがどこか偉そうな存在になってしまうのでは、と心のなかで引っかかっていた。だからこそ、撮る人間として受け入れられるのは救いでもあった。
ただ、記録写真を任されるとなれば、すべてのスケーターの、すべてのトリックを撮らなければならないだろう。そうすると、競技以外の写真を撮る余裕がなくなってしまう。それは避けたかった。だから、返事は曖昧にしておいた。どうせ私以外にもカメラを持った連中が来るだろう。それに私はデジタルよりフィルムで撮影していることが多い。現像するためにはキーウまで戻らなければいけない。だから、あまり期待を持たせないように「できる限り、頑張ってみるよ」と答えておいた。ドモヴォイからも同じように依頼のメッセージが届いた。そして彼の連絡で、懸念されていた大会の主催はナパスが仕切り、ドモヴォイが補助的な役割を担うらしいこともわかった。アンドレイからも連絡があった。「俺は無事に家に帰れた」という。「こっちも大丈夫」と返す。ブベルにメッセージを送ってみたが、返事はなかった。無事、酒にありつけたのだろうか。明日は大会だ。それが終われば、私はその日の夜行列車でハルキウを離れる。天気予報を見ると午後から雨模様。
3月30日
朝、廊下に出るとかなり冷え込んでいた。一人しか乗れないような、狭くて古いエレベーターに乗る。外へ出ると、鼻がつんとする寒さだ。アパートは明日までの代金を払っている。だから荷物は置いたままでいい。今日は午後から大会だが、その前に昨日の空爆の被害があった場所を訪ねたかった。詳しい場所は公表されていない。だから昨夜のうちにネットで見かけた現場の写真や映像に写っている街並みや看板、店の名前を手がかりに場所のあたりをつけた。
市の発表によると、昨日の空爆で子ども5人を含んだ55人が負傷、2人が亡くなっていた。向かってみると、昨日の計算通り、やはりオペラ劇場から2km弱の場所だった。現場は通り沿いにある大きな集合住宅らしき建物だった。その一階に入っていたチェーンのクロワッサン屋は、窓ガラスがすべて吹き飛んでいた。隣にある小さなスーパーは窓一面が割れた状態のまま営業を再開している。通りには丸焦げになった自動車も残されていた。
剥がれて飛び散った建物の外壁やガラスは、巨大なブルドーザーが集めていく。詳しいことはわからないが、近くに軍関係の施設があるようだった。クロワッサン屋では従業員らが飛び散ったガラスの片付けをしていた。一人の女性が駆け寄ってきて従業員に抱きついて泣きはじめる。他のスタッフたちは彼女らをちらっと見るだけで、手を止めることなく作業を続ける。ニコのアパートでも同じことを感じたが、瓦礫やガラスの撤去の手際のよさには、一日も早く元の生活に戻りたいという思いと、この忌まわしい記憶を早く消し去りたいという気持ちが表れているように見えた。
その場にいた地元のジャーナリストにもう一箇所の被害現場を教えてもらった。歩いて向かうことにしたが、相変わらずの妨害電波のせいでスマートフォンのGPSが使えず、何度も道に迷った。結局1時間ほど歩いてたどり着いたのは、古い平屋建ての民家が通り沿いに並んでいるのどかな郊外だった。なぜこんなところが被害に遭うのだろうと不思議に思う。その一画にあった一軒の家は崩れ、通りを挟んだ家も屋根が吹き飛んでいた。迎撃された無人機がここに落ちたのかもしれない。作業員たちは重機を使い、撤去した瓦礫を2台のダンプカーに次々と積み込んでいく。
ドモヴォイから連絡がきた。
「どこにいるの?」
「被害があった現場だよ」
「早く来て。もう始まる」
私はスケボーの大会を忘れていたわけではない。ただ始まる時間を確認していなかっただけだ。昨年の大会でも遅刻したから、これで2年連続ということになる。公式カメラマンの依頼の返事を曖昧にしておいて正解だった。大会は、いつもの広場でやるらしい。慌てて広場に向かったが、そこにはスケーターはいなかった。金を集めていた例のあやしい中年男が所在なげに立っていただけだ。男が私に「みんなはどこだ?」と聞いてくる。私だって知らない。しつこく私に聞いてくるのが面倒で、私はその場を離れた。
業を煮やしたドモヴォイから大会中の写真が送られてきた。どうやら、いつものオペラ劇場前広場の隣にある公園のさらに向こうにある別の広場らしいことがわかった。そこは自由広場と呼ばれるとてつもなく巨大な広場だ。向かってみると、その広場のはるか彼方の片隅に、スケーターたちの姿が小さく見えた。実は、ついさっきまでいつもの広場でなんらかの競技が行われ、終わってここへ移動してきたらしい。出場者は15人ほどだった。大会といっても横断幕も運営スタッフのテントもないのは去年と同じだ。前回はスケートパークでの開催だったが、今回は劇場前の広場と、この自由広場の二箇所を使うという。主催者のナパスがメガホンを手にスケーターたちへ準備の指示を出していた。
「大会、出ないのか?」
そんなことをスケーターから当たり前のように聞かれるのが嬉しい。
「今日は撮影をするんだよ」と私は答えた。
「俺はあのシャツがマジで欲しいんだ」
私がドモヴォイに預けていた景品は、会場にきちんと用意されていた。東京から持ってきた、スケーターたちの写真をプリントした長袖のTシャツだ。スケーターたちに欲しいと思ってもらえるのは景品スポンサーの立場としても光栄だった。
次の競技が始まった。彼らがプッシュレースと呼んでいるものだ。プッシュとは、デッキに乗ったまま地面を蹴って加速することをいう。300mほどの直線を走って速さを競うレースだ。とてもシンプルでわかりやすい。ナパスの笛を合図に、スケーターたちは一斉に駆け出した。私のほかにもドモヴォイや、彼の写真仲間の友人たちがカメラを構えている。ゴールすると息を切らし、Tシャツ1枚になる者もいた。
プッシュレースが終わると、いつもの劇場前の広場に戻るという。それぞれが散り散りに移動していく後ろ姿に向かって、口ひげを生やしたナパスが怒鳴っている。まだ大会の途中だというのに、カフェに立ち寄る者もいれば、売店やスーパーへ酒を買いに行く者までいるからだ。結局、再び全員が集まるには30分以上かかってしまった。その間に小雨が降り始めた。集中力が切れてしまったのか、全員が集まっても、その場でまた30分ほどだらだらと過ごす。雨が弱まったのを見計らって、スケーターの一人が苛立つように声を出す。それまで広場の屋根のある階段に座り込んでいた彼らが、ようやく腰を上げた。そして、一人が手にしていたスケートボードを雨上がりの石畳に放り投げた。それが合図のように他のスケーターたちも一人、また一人と、同じところへデッキを投げ込んでいく。乾いた音が広場に何度も響いた。それを取り囲むようにスケーターたちが15人ほど立ち並ぶ。ドモヴォイがカメラを構えていた。投げ込まれたデッキは、色とりどりだった。大胆に蛍光色を使ったデザイン。カラフルなイラストが描いてあったようだが傷だらけで掠れたもの。ウクライナの国旗をデザインした色のもの。使い込んで色褪せたもの。この日のためにおろしたのか、新しいデッキもあった。もちろん、チャイカが作ったデッキもある。
デッキには「057」という数字がデザインされたステッカーを貼ったものがいくつかある。これは以前ナパスが作り、みんなに配ったものだ。057はハルキウの市街局番で、ハルキウの若者たちのあいだでよく使われる数字だ。街中のグラフィティにも描かれているし、インスタグラムのアカウント名に入れている者もいる。西部や首都キーウではなく、もっと危険にさらされた東部の街で生きている。そのことに、彼らのプライドがあるように見える。
誰かが意味もなく叫んだ。それに対して怒鳴る声や笑う声が重なり、空気が一気にざわついていく。どこからともなくウォッカの瓶が回ってきて、ラッパ飲みする者もいた。それぞれが持っていたエネルギーが渦巻いているようだった。まるで暴走族の集会のようだ。その光景をドモヴォイがカメラで追う。誰かが空になった酒瓶を放り投げる。瓶は地面を跳ねて音を立てた。ナパスが号令をかけると、彼らはそれぞれのデッキを拾い上げて広場の中央に向かった。次の競技の出場者は10人。さっきまでのざわつきが消えた。誰も無駄口を叩かなくなっている。後ろから見ていても、それぞれの背中に熱がこもっているのが伝わってくる。さっきまで集団から発せられていたエネルギーが、今は一人ひとりの身体に収まっているようだった。

競技はふいに始まった。戦争が始まってから水が抜かれたままだという噴水の縁に階段がある。上から下まで1mほどの段差だ。スケーターたちは助走をつけて、次々にそこでトリックを決めようとする。ほとんどは失敗に終わる。雨で滑り、うまく着地ができないようだった。それでも立ち上がり、もう一度滑る。トリックに成功すると、順を待っている者たちは手にしたデッキを地面に打ち付けて乾いた音を出す。「カーン、カーン、カーン……」。称賛の音だ。それはトリックに失敗した者へ向けて鼓舞させる音とほとんど同じだった。
昨夜、酒を買いにいくと言っていたブベルは、古くて傷んでしまったものを組み直したのか、スケボーデッキを持って参加。ほかにも物憂げな表情のデニスや、キーウで出会い、この広場で再会したディマ。その友人のセーニャ。いつも微笑んでいる長髪ローマンもいまは真剣な顔をしていた。怪我をした方のローマンの姿はない。ブルガリアへ行ってしまったサンチェスもいない。小雨が再び降り始めた。そのせいで失敗が続く。何度も、何度もトライする。ブベルがトリック中にバランスを崩して、地面に叩きつけられるように崩れ落ちた。なかなか起き上がらない。誰も助けようとはしない。そういうものなのだ。
「カーン、カーン、カーン……」
表情が歪んでいる。足首か膝を痛めたのだろうか。仰向けに倒れたままブベルは空に向かって声を出す。ゆっくり立ち上がって、またトライしようする。背中は地面の雨で濡れていた。
「大丈夫か?」
思わず声をかけたが、我を忘れているのか聞こえていないようだった。もう一度、声をかけると、ブベルは苛立ったようにロシア語で返した。
「Что(なに)? ※※※(聞き取れず)」
よくわからなかったので、ロシア語で「норма(大丈夫)?」と聞いた。すると彼は「グッドだ。いい感じだ」と英語で短く言って、すぐにまた次のトリックの準備に戻っていった。ドモヴォイは最前でカメラを構えていた。彼は私に頼んだことなど忘れたように、かぶりつく勢いでスケーターたちを追っている。少しでもいい位置を確保しようとして、私の身体にぶつかってくることさえあった。彼もまた、撮影することでブベルと同じように忘我の境地にいるようだった。例の金集めの中年男は、遠く離れた場所に座ってぼんやりと大会を眺めていた。この空間には、彼らだけの特別な時間が流れているようだ。濃密で、閉じた、ほかの誰にも触れられない空間と時間。そこへ、それぞれが深く入り込んでいる。このひとつひとつのトリックに、いったいどれほどの時間や身体を費やしてきたのだろう。私がこの国にいない間にも、彼らはずっとスケボーを続けていたのだ。その経験の蓄積は私の想像をはるかに超えてしまう。彼らの姿に圧倒され、私はもうほとんど撮影していなかった。誰も私のことなど気にしていない。まるで私は存在していないかのようだったが、寂しくはなかった。ふいに背後から声がかかる。振り向くと、ディマとセーニャが立っていた。
「抜け出そうぜ」
「なぜ?」
「スーパーに行こうよ。ダウンヒルだ」
「いいの?」
「いいから行こう」
雨はまだ降っている。このあとは、広場の縁石を使った競技が控えているらしい。ドモヴォイはトリックを追い続けている。ディマたちはスケボーに乗り、坂を下っていく。
[注]本文における地名・人名・固有名詞等は、著者が現地で実際に聞いた発音に忠実にカナにしました。そのため地域や発話者によりロシア語表記とウクライナ語表記が混在します。
連載「ウクライナ撮影日記」は今回が最終回です。ご愛読いただき、まことにありがとうございました。
計7回にわたるこの連載では、2024年以降に著者がスケーターたちを撮影してきた日々について書いていただきました。それに加えて、著者が初めてウクライナを訪れた2022年から連載以前までの日記や書き下ろし、写真などを含めて書籍化する予定です。刊行情報につきましては、みすず書房ウェブサイトなどで随時ご案内いたします。楽しみにしていただけますと幸いです。(編集部)