前回に続き、2025年3月の渡航時の日記です。
3月22日
土曜日。スケートボードを携えて、街の外れにあるスケートパークへ向かった。午前中、いつもやりとりしているスケーターの一人から呼び出されたのだ。指定されたパークは公園の一角にあるらしい。公園が広かったので探すのにずいぶん苦労した。遠くから「ガタン……ガタン……」というトリックをしたときの音がかすかに聞こえたので、それを頼りに進むとスケートパークが見えてきた。キックボードに乗る幼い少年たちに混じり、スケーターたちがトリックをしている。いつもの顔ぶれだった。小柄で華奢なバルナス、彼の幼馴染みのセーニャ、彼らより少し年上の19歳のポップス、そしてまもなくブルガリアへ避難するという12歳のサンチェス。ティーンエイジャーばかりで大人の姿はない。そこへ中年の自分が混じるのはやや気後れするが、誘われるままスケボーに乗る。いつも滑っている、街の中心にあるオペラ劇場前の広場と違って地面がツルツルとしているので力加減が難しい。せっかくだからと、バルナスがランプ(U字型に湾曲した斜面の構造物)での方向転換のやり方を教えてくれる。
ひとしきり滑ったあと、彼らはいつもの広場へ移動すると言う。私はこのパークを訪れたのは初めてなので、もう少し残りたい気持ちもあったが、一人でいるより彼らといるほうが楽しい。さっそく、それぞれがスケボーに飛び乗って道路を走る。私は最後尾に続いた。タイミングを見て猛プッシュで追い抜き、振り返ってカメラを構えるがファインダーを覗く余裕はない。それでもシャッターを切ってみる。彼らが街を走り抜ける姿は本当に自由だなと思う。後ろから車が来た。クラクションを鳴らされるが、私たちは滑り続ける。運転手が痺れを切らしたのか、車はスケボーの脇のすれすれを走り抜ける。セーニャが「Ебать(ファック)!」と怒鳴る。街をスケボーで滑って移動するのは気持ちがよかった。無心になれる気がした。それに一人だと道路を滑るのも怖いが、彼らとなら心強いというのもある。途中の売店でビールやエナジードリンクを買い、タバコを吸う。他愛もない話をしては、また移動を続ける。これがウクライナのスケーターの普段の週末なのだろう。

今日も朝から断続的に爆発音が鳴っていた。だが、さっきパークにいた彼らはその状況を誰ひとり気にしていなかった。それは街を走っている今も同じだ。ストリートで滑るには一定の集中力が必要だ。路面が安定していないからだ。小石、段差、車、通行人。ただでさえ注意が必要なのに、ときおり爆風で飛び散ったガラスやコンクリート片が路上に落ちていたりする。走っていると、戦時下の国にいるという緊張感よりも、いま、どうやって転ばないように体をコントロールするか、ということが私の頭の中を占めていく。スケーターたちはたいてい耳にイヤホンをして音楽を聴きながら滑っている。一度、彼らの一人にプレイリストを教えてもらったことがあるが、ジャンルはヒップホップで、なかでもトラップやドリルといわれる音楽を爆音で聴くのがいいらしい。
それでなくともスケーターたちが発する音はうるさい。走行音に加え、トリックの際のデッキがコンクリートに打ちつけられる甲高い衝撃音が響く。自ら発生させる音、そしてイヤホンからの音楽の中に身を置くと、自然と没入感が高まっていくのだろう。そうすることで、自分に降り掛かってくる戦争やそれにまつわる不安を忘れ去りたいのかもしれない。雑念や苦悩の種は戦争だけに限ったことではない。以前、スケーターのポップスにスマホの翻訳アプリを通して聞いたことがあった。「どこで働くか、どうやって金を得て、アパートを借りるのか。問題は将来のことです。スケボーをしていても、そういったことが頭の中をかき乱そうとします。リラックスするためにそれらを一時的に排除する必要があります」。
当然だが、我を忘れて没頭するスケボーは危険だ。特に路上を滑っている時はなおさらだ。スケートフォトグラファーのドモヴォイはイヤホンでハードメタルやヒップホップを聴きながら滑っているときに、車が飛び出してくるのに気づかず、危うく衝突しそうになったことがあったと言っていた。それまでドモヴォイにとっては「集中とエネルギーを維持するために」イヤホンは欠かせなかった。彼がバッグに取り付けたモバイルスピーカーで音楽を流しながら滑っているのを見たことがあったが、それは事故を起こしそうになった経験からなのだ。
今朝ここへ来る前に、最近失恋したばかりのアンドレイに誘われて、毎週末開かれる蚤の市へ行った。この街の蚤の市は、いわゆるヨーロッパ的な観光客向けの雰囲気ではない。吹きさらしの路傍にビニールシートを広げた売り場のようなものが集まっている。見渡してみると全部で100ほどはあるだろうが、客の姿はそれほど多くない。それぞれの売り場に中高年の主がひとりいて、膝をついて商品がよく見えるように並べ直したり、手に持って通行人に見せたりしている。その姿を眺めていても、また商品を見ていてもやや寂しいものを感じる。商品は雑多だが、魅力的に思えるものは少ない。新品なのか怪しい下着。底がすり減った靴。用途不明のリモコン。何が録画されているのかわからない謎のビデオテープ。瓶詰めのピクルス。錆びた鍬や鋤などの農具。レンズのない眼鏡。飲みかけの薬や封の開いた湿布。バラ売りのタバコ。古いコインや絵葉書。用途のわからない電子部品。絡まったままのケーブル類。不用品といえばそれまでだが、ほとんどゴミに見えるようなものまで売られている。いったいどれが商品なのかもよくわからず、気を付けて歩かないと商品を蹴飛ばしてしまいそうだ。くしゃくしゃになった針金が目にとまった。いったい何に使うのだろうかと拾い上げてみる。店主らしき男は何かを言ってそれを私から取り上げ、裏に放り投げた。本当にゴミだったようだ。
アンドレイと歩いていると、中年の男が目前に現れていきなり私の懐に小箱を突きつけてきた。箱を開けてみると、ソビエト時代のフィルムカメラが入っている。私が肩にカメラをぶら下げていたから、きっと興味があると踏んだのだろう。あまり価値はなさそうなので断ると、男はすぐに引き下がった。男は売り場を持っていないのか、その後も同じカメラを持って客を探して彷徨っていた。商品はそれだけのようだった。流しの商人は他にもいて、露店の合間をレースのスカーフを一枚手に持った老婆が、ふらつきながら歩いている。ビニールシートを持っていないのか、地面に直接、旧式の携帯電話とスプーン一本だけを置き、うつむいて座っている老爺もいた。
客もほとんど中高年だが、若者たちも見かけた。彼らの目当てはもっぱら古着で、少しでもおしゃれに見えそうなものを探している。インスタントコーヒーの粉と、湯が入った大きなポットを載せてカートを引くおばさんがいたので、呼び止めて一杯買う。たっぷりと砂糖を入れたコーヒーから湯気がもうもうとあがる。次第に日が高くなり、気温も上がってくると客の数も増えて、にわかに活気づいてきた。この雑然とした様子は東南アジアでかつてよく見かけたいわゆる泥棒市のようで、見ていると次第に楽しくなってきた。ただ、一角に兵士の戦闘服やブーツが並んで売られているのが目に入ると、ここがウクライナで、戦時下の都市なのだということを思い知らされる。
「見てよ、これ」。アンドレイは古雑誌の山から一冊抜き出してページをめくっていた。ロシアの雑誌で、記事よりも広告の写真が気に入ったらしい。スケートボードに乗る男が大きく写っている。アンドレイは私に写真の説明を続ける。彼のロシア語訛りの英語は私には聞き取りにくいので返事に困る。だが、彼にとっては私が聞いていなくても構わないらしい。話を続けながら、今度は金属のガラクタを売る店でスケボーのウィール(タイヤ)に使えそうな部品を見つけた。値段を聞いていくつか買っていく。そして私への説明が続く。
いつものように返事もせず聞き流していると、砂埃をかぶった電子部品の山の中に古いデジタルカメラがあるのに気がついた。売っていたおじさんが電池を入れてくれたが、電源は入らない。よく見るとカメラにメモリーカードが差し込まれたままだったので買うことにした。こういうものは以前にも手に入れたことがある。カードの中に以前の持ち主が撮影したと思われる写真が残っていることを期待したのだ。そういうものには、家族やペットを写したものが多い。戦争前の写真だ。それを手にするのはまるで人の生活を覗き見するようなもので、良い趣味とは思えない。ただ、私は戦争が始まってこの国を初めて訪れたので、こうしたものから戦争前の生活を想像してみたかった。それとは別に、この蚤の市では古写真もいくらか売られている。ソビエト時代に撮られたらしい記念写真や、スナップのようなものが多い。モノクロのせいか、見ていても後ろめたさはない。同じように買う。
スケートパークから街中を抜けて広場に到着すると、別の数人のスケーターがいた。ベンチにはパンの袋やペットボトルが散乱している。清掃係の女性が注意しに来ると、スケーターたちは一斉に散っていった。ベンチに座って、さっき買ったばかりのパンをかじっていたポップスは遅れ、おばさんに捕まる。「酒やタバコはやってないだろうね」彼女は厳しい口調でそのようなことを言った。ポップスは怯むことなく、足を組んだ姿勢のまま彼女を見上げる。「俺は酒も飲まないし、タバコも吸わないです。なんにもやってないですよ」そんなふうに言って、またパンをかじった。彼は本当に酒やタバコ、マリファナもやらない。スケーターのコミュニティではほとんど例外に近い。おばさんが掃除を済ませて去ると、ポップスは「Сука блять(ビッチ)……」と呟いた。スケーターたちが戻ってくる。ポップスが何か言うと、みんな笑った。お前らのせいで説教をされた、ということだろう。
ポップス(本名はローマンだが、スケーターのなかに同名が3人いるためニックネームで呼ばれている)は19歳で、ハルキウ郊外のマラ・ロハニ村から通ってきている。村からここへは直線距離で20kmほどだが、今でも道中でウクライナ軍の検問があり、そのせいでバスの遅れがひどく、片道2時間はかかるらしい。マラ・ロハニは全面侵攻開始直後、ひと月ほどロシア軍に占領されていた村だ(2022年2月末~3月末にかけて)。戦闘の最中に起きたとされるウクライナ軍によるロシア兵捕虜への拷問の疑いで、一時期だけだが話題にもなった。ウクライナ軍によって解放された直後、私はその村を取材で訪れたことがある。破壊された家ばかりで住人はほとんどおらず、ロシア軍のヘリや戦車の残骸が生々しく残されていたのを覚えている。ポップスは戦争が始まると、村の多くの住民らと同じように一時的に他の都市へ避難したが、解放後に家族とともに戻った。村での暮らしは退屈らしく、昼過ぎの早い時間からハルキウ市内のこの広場に来ていて、ひとりで滑っているのをよく見かけた。
先ほどの顛末をふまえて、彼はスマホの翻訳アプリを使って言う。
「みんなにタバコを減らせと伝えています。でもそれは困難です。しかし、酒の量は以前に比べずいぶん減りました。戦争が始まった頃は集まっては酒を飲んでばかりでした」
彼は落ち着いた性格のせいか、周りをよく観察している。
「彼らは徐々にスケートボードの重要性に気づき始めたようです。私は彼らが酒を飲むより、トリックを成功させるほうが好ましいと思います」
ボードを足で揺らしながら、ポップスはそう翻訳された日本語を私に見せてくれた。ちなみに彼は私に対して、いつも礼儀正しく接してくれていたので、翻訳画面に表示された言葉遣いに違和感はない。彼の19歳という年齢は、国外避難できる年齢を越えてしまっている(2025年8月から23~60歳が原則禁止)。そのことをどう思うのだろうか。私が翻訳アプリに打ち込んで見せると、彼は首を振って呻くような声をだした。そして翻訳アプリ越しに会話を続けた。
「避難できる人が羨ましい。でも避難は簡単ではありません。お金が必要です」
彼はかなり間を置いてから、翻訳アプリの入力画面に言葉を吹き込んだ。
「仲間が減っていくのは苦しいことです。でも私にはスケートボードがあります。そのため、現実から少しは抜け出せます。私たちはできることを続けます」
彼はスマホをポケットにしまいこんだ。
広場にスケートフォトグラファーのドモヴォイの友人、ナパスがカメラを持ってやってきた。彼は20代前半だが、口ひげを生やしているせいかもっと大人びて見える。彼はスケボーに乗って、他のスケーターを追いかけながら撮影をしている。夕方になると、新たにやってくるスケーターがいたり、自宅へ帰っていく者もいる。日が落ちると、やんちゃなスケーター、ブベルが声を出しながら現れた。私を見つけるとハグをしてきたが、かなり酒臭い。ずいぶん飲んできたらしい。「ブロー、調子はどう? 俺はようやく休みを取れたんだ。気分がいいよ」焦点の定まらない目つきでそう言った。彼はこのあいだ、「ようやく仕事にありつけた」と私に知らせてくれたのだが、仕事の内容は直接は教えてくれなかった。どうも噂によると詐欺のようなものらしい。
前回の滞在時には見かけなかった、50歳前後の中年男が広場に出入りするようになっていた。坊主頭にハンチングを被り、擦り切れかけた作業着のようなジャケットを着ている。スケボーには興味がないようで、ただ立って眺めているか、スケーターたちと短い会話をするだけだ。何者だろうと私は訝しんでいた。時折、男はスケーターたちから金を集めることもあった。今日も同じことをして、ついでに私にも金をせびろうとする。断るとロシア語で私に話す。マリファナを提供するために金が必要だということを言っているらしい。弁解するように「みんなに分けているんだ」と仕草で伝えてくるが、信用できない気がした。このコミュニティのなかで大人として振る舞いながら、実際には少年たちを食い物にしているようで、彼を好きになれなかった。それは自分も似たような者だからかもしれない。私はスケーターたちの姿を撮影し、日本へ持ち帰る。たいした金は稼げていないが、すべての写真は私の手元に残っている。
もちろん、彼らにできあがった写真を見せたり、データを送ったりしているが、それでも妙に居心地の悪さのようなものを感じる。いっそのこと全ての写真が消えて思い出だけが残ればいいのに、と思うこともある。
3月23日
昨日に続き、朝の蚤の市へ。何枚かの古写真を買い足した。その後ポップスと、15歳で写真好きのローマンと合流してリサイクルショップへ向かった。ポップスが長ズボンを探しているらしい。不用品を集めた量り売り形式の店で、通っていると稀に掘り出し物があるそうだ。しばらく吟味していたが、結局サイズが合うものがなかったらしく店を出る。ローマンは歩きながらつたない英語で私に話す。「アイディアがあるんだ。チャイカにインタビューしたい。彼はハルキウのスケボーの歴史を知っているから」名案だと思った。どのような形になるのかわからないが、私もとても興味がある。その後、ローマンがポップスになにかせがむように言って売店に立ち寄る。側で見ているとポップスがビールを買った。2リットル入りのペットボトルをローマンに手渡す。「おいおい」と言いたくなったがおせっかいか。
彼らと別れて、ひとりで郊外のバラバショーバ市場へ食料の買い出しに向かった。戦争が始まる前までは、あらゆる小売店が集まる東欧最大級の市場と言われていたらしい。開戦直後から幾度となく空爆を受け続けていて、店はもうほとんど残っていない。場所によっては燃えた残骸が残っていたり、瓦礫が撤去されてただの更地になっていたりする。そんななか、しぶとく営業を続けているのはベトナム人が経営している小さな食料品店だ。2、3軒、同じような店はあるが、どの店も表に大量のインスタントの袋麺を並べている。そのうちのひとつを眺めていると、店主のおじさんがニコニコ顔で話しかけてくる。アメリカに戦争で勝った国の人々というのはやはり戦争への構えが違い、精神的にも強いのだろうか。そんなことを考えながら、照明のない店内を覗く。棚には日本風のパッケージの中国産のクッキーや、いつからあるのかわからない埃を被った紹興酒のボトル。韓国海苔まで売っている。奥の方は暗くてよくわからないが、アジア全般の商品を扱っているらしい。ベトナム産のフォーの乾麺もあった。私の目当てはやはり安価で売られているインスタントラーメン。辛ラーメンの偽物のようなものをふたつ購入した。店主のおじさんは私がベトナム人だと思い込んであれこれ話してくれるのだがベトナム語なのでわからない。通じていないとわかると、おじさんはロシア語に切り替えて話しだした。断片的に聞き取れたのは、彼はベトナムの首都ハノイから仕事のためにやってきた、ということだけだった。冷戦期には北ベトナムから旧ソ連圏へ移民として渡った人々がいて、一部の人はそのまま残っていると聞いたことがある。おじさんはロシア語で話し続けている。この国にとって異国の人が、彼や私にとっても異国の言葉で話している。そもそもここはウクライナだからさらにややこしい。それでも彼の話す顔を見ていると、不思議と気持ちが安らいだ。それは、彼が私と同じアジア人だからだろう。今ではほとんど外国人がいないこの街に、同じアジアの人々がいることが私は単純に嬉しかったのかもしれない。
午後、これまでにも何度も通った郊外の団地サルティフカへ向かう。ブベルが今日も仕事が休みだと言っていたので、メッセージを送るとすぐに返事が来た。彼は祖母と二人暮らしだが、いまは部屋に彼一人だという。大通りから団地の敷地へ入ると、住民の姿はほとんど見当たらず、いつも通り静かだった。彼が住んでいる棟の1階の鉄のドアが開いていたので入る。暗い階段をあがっていくと、明かり窓から光が弱々しく差し込んでいる。ドアをノックする。思っていたより大きく響いた。しばらくして眠そうな顔をしたブベルが顔を出した。部屋に入ると、彼は慌てて破れたベッドにカバーをかけた。パンツ一枚で寝ていたらしく、ズボンを穿く。部屋の隅に割れてしまったスケボーの板が積みあげられているのは夏に来たときと変わらない。「寝ていたところに悪いね」と伝えると、「ブロー、全然、かまわないよ」と目を擦りながら言った。
これから酒とマリファナを買いに行くと言うのでついていく。彼はまたスケボーを壊してしまい今は持っていないので、私が持ってきたものを貸すと嬉しそうにそれに飛び乗った。さっきまでは眠そうだったのに、まさに水を得た魚のように、ひゅんひゅんと自在にスケボーを操って滑る。私は彼を追いかけながら急ぎ足で歩く。次々と知り合いが彼を見つけて声をかけてくる。しばらく進んだところの団地の片隅で売人を待った。その間に私は彼に仕事のことをそれとなく聞いてみることにした。仕事の内容が気になっていたのだ。
「それで、どんな仕事なの?」
「オフィスワークだよ、ブロー」
詐欺をオフィスでやるのだろうか。単刀直入に聞いた。
「騙す相手は誰なの?」
「さあね……。知らない」
どういうことだろうか。私が考えていると、彼は独り言のように言った。
「きっと間抜けなロシアの男だよ」
ああ、そうかと思った。詳しく聞くまでもなく、ソーシャルメディアを使った典型的なオンライン詐欺だった。実際に稼げているのかと聞くと、まだ始めたばかりで給料はもらっていないという。本当に金はもらえるのだろうか。
「詐欺をはたらく会社をどうして信用できるの?」
「まあ、ちょっとぐらい分け前をくれると思う。たぶん」
「捕まったりしない? 大丈夫なの?」
「ブロー。ロシアが相手だから、大丈夫なんだよ」
彼にとってはそれどころではないのだろう。戦争が始まって3年が経つが、この状況で仕事を得ること自体が難しいのだ。藁をも掴む思いなのかもしれない。以前、彼は生活が苦しいといってスケーター仲間や私にまで金を無心していた。酒を買うため、というのが見え透いていたが、実際に祖母の面倒を見ながら暮らすのは大変なことだろう。その彼がようやく仕事を得たのだ。彼が何をしようと私には止める権利はない。他人の余計なおせっかいは彼にとって邪魔なだけだ。
彼の用事を済ませたあと、売店でウォッカ入りのエナジードリンク缶を買って飲む。団地エリアのずいぶん端まで歩いてきた。ここは団地のはずれで地下鉄の駅までは遠い。配車アプリでタクシーを呼んで、二人で広場に向かうことにした。後部座席に並んで座る。車窓から団地の中にあるスケートパークが見えた。子どもたちがキックボードで遊んでいる。西日が差して子どもたちの姿がシルエットのようになっていた。ブベルは目を細めた。
「美しいな」
突然、柄にもないようなことを言うなと思って、私は彼の顔を見た。目が赤い。酒のせいだろう。彼は何度も、美しいと呟いた。
「将来はどうするの」
ブベルはこれからどうやって生きていくのだろうか。そんなことが気になった。もちろん戦争が終わってからじゃないと先のことは何も考えられないだろうが。
「スペインに行きたい。太陽がきらきらしててさ。ビーチで泳ぐんだ。わかるだろ? ブラザー。それで綺麗な女を捕まえるんだ」
「行ったことあるの?」
「ないよ。でも現地の女と結婚してEUの国籍が取れたら最高だろ? ブラザー」
彼は屈託のない顔で言った。
「そういえばパスポートを捨てたと言っていなかった?」
「ファック! 俺はどうかしてたんだ。もう一度取り直そうと思ってる」

3月24日
平日の午前中の広場。スケーターはもちろんいない。通り過ぎていく人がまばらにいる程度だが、広場の中央で3人の作業員が下を向いて何かをしていた。近づいてみると、地面に大きな文字をペンキで描いていた。「ДЕТИ」とある。作業員が私に気づき、話しかけてきた。私はウクライナ語もロシア語もわからない。言葉が通じないとわかると、彼は右手の拳を空に突き上げ、左の手のひらに打ちつけて首を振った。私は地面に描かれた文字を翻訳アプリに打ち込む。慣れないウクライナのキリル文字の入力に手間取る(アルファベットとキーボードの配列が違う)。しかし、翻訳結果がうまく表示されない。どういうことだろう、と思いながら今度はロシア語で入力すると、「子どもたち」と表示された。ここを攻撃するな、というメッセージだ。ハルキウ市内からロシアとの国境まで直線で30kmほどだ。自爆型無人機は発射前からあらかじめ目標地点が決められており、GPSで誘導されていると聞いている。近頃は改良が重ねられて、より正確に攻撃できるようにカメラが搭載されているという話も聞くから、その対策だろうか。作業員のひとりが、一旦劇場の建物に入っていき、すぐに戻ってきた。そして、私に小さなピンバッジを手渡した。それは3cmほどの大きさで、古いものだった。劇場の愛称がデザインになっている。彼の意図がよくわからず反応に困ったが、ピンバッジを上着につけてみると、男は満足そうな顔をした。私はそれをありがたくいただくことにした。
そういえば昨日、嬉しいことがあった。この広場でのことだ。私のスケボーはほとんど上達していなかったが、昨日は酒を飲んでばかりいる少年ローマンが特訓をしてくれたのだ。何度も失敗を繰り返しながら、止まったままの状態だがオーリーで少しは高く飛べるようになった。デッキを蹴り上げて足を浮かせると、靴の裏にデッキがすっとくっついてくる感覚がわかる。文字通り、ようやく板についてきた感じだ。「今度は走りながらやってみなよ」と少年ローマンが言う。何度も転びながらトライし続けると、ついに滑りながらオーリーができるようになったのだ。ほんの僅かな高さだが自分ではよくわからない。でもきれいに浮いたと思う。私はデッキから降りて振り向いた。
「おおお! 見てくれた?」
ちゃんと飛べたか確認したかった。私の大きな声に驚いたローマンはスマホから顔を上げ、慌てて手を叩いた。
「おい、見てなかっただろ!」
「へへへ、グーッド!」と彼は笑った。
彼にとっては、たいしたことではないだろうが、私は嬉しかった。この広場でスケボーに乗ることに少しだけ自信が持てた気がした。その夜、彼らのチャットグループにローマンが「ヒロがオーリーに成功」と投稿してくれた。
3月25日
雨。外での撮影は難しそうだ。低気圧のせいか体が重く、ベッドから起き上がる気になれない。借りているアパートにはベッドといっても折りたたみ式のソファベッドしかなく、寝ると金属のフレームが背中にあたって痛いので仕方なく床に移動した。体が重いのは、毎日安価なパスタやインスタントラーメンばかり食べていたせいもあるかもしれない。炭水化物ではなくて生野菜が食べたい。部屋でうだうだとしていると、スケーターのひとりから「部屋に遊びにこない?」と連絡が来た。彼はローマンといって、お調子者で酒ばかり飲んでいる少年ローマンと同じ名前だが、年齢と性格は違う。さらさらの髪を肩まで伸ばし、笑うと八重歯がのぞく。いつも静かで、どこか繊細さを感じさせる19歳の青年だ。
待ち合わせ場所の広場にいると、彼がやってきた。ガールフレンドと暮らしているが、ちょうど今は彼女が仕事中で退屈していたのだという。彼はウクライナ料理のレストランで調理のアルバイトをしているが、今日は休み。バイト先は街の中心部にあるので、1時間の休憩があればいつも広場に来て滑っているらしい。「イライラしていてもスケボーをしていると、だんだんと気持ちが落ち着くから」たしかにこれまで彼を広場で見かけては、いつの間にかいなくなっているということがあった。
雨の中、並んで歩きながら彼が大学で学んでいる心理学について話を聞く。「将来は戦争のPTSDやストレスに苦しむ人たちを助けたいんだ。自分にできるかどうかわからないけど」でも大学はおもしろくないらしい。オンライン授業ばかりなので、友達もできないのだと愚痴をこぼす。そして、イヤホンで講義を聞きながら家で料理ばかりしていると言った。
アパートのある一角に近づくと、彼は雨で濡れた髪をかき上げて向かいの建物を指さした。工事中なのか、壁面がシートで囲まれていた。
「あのへんに無人機が落ちたんだ。部屋が揺れてすごかったよ。いつだったかな」
彼は何度も思い出そうとしたが、記憶がはっきりしないらしい。似たようなことが何度も起きているからだろうか。今度は突然、道路を挟んだ向こう側を指さした。
「見て、ブベルがいるよ」
一昨日会ったブベルがバス停に立っていた。ハルキウはウクライナ第二の都市といわれるほどの大きな街だ。その大都市を歩いていて、偶然知人に出会ったり、声をかけられたりということがこれまで何度もあった。今は街に残っている人が少ないせいなのか、単に私の知人や友人が増えてきたからなのか。おそらくその両方だろう。彼は私たちに気づくと手を振ってくれた。
「彼がやってる仕事、知ってる?」
「もちろん知ってるよ。でも僕はあまりそういうことは好きじゃないけどね」
「心配じゃない?」
「まあ彼が選んだことだから。それに、そんな仕事はふつうのことなんだ」
彼はなんでもないことのように言った。そして、そういう仕事はウクライナ国内にたくさんあり、短期間で稼ぐ手段として今では一般的になりつつあるのだと教えてくれた。
「あそこがそのオフィスだよ」
彼が言ったビルのそばを私たちは歩いた。看板を見る限り、IT系の会社ばかり入っているようだが、その実態はほとんどがブベルが働いているような「オフィス」らしい。休憩時間なのかビルの入口のあたりで若者たちがタバコを吸っていた。その敷地にある駐車場には高級車がずらりと並んでいる。「危ないから写真は撮らないでね」と彼は言った。「若くてああいう車に乗ってる連中は、だいたいそういう仕事をしてるんだ」ブベルがそこで働いているのもわかる気がした。もちろん生活の苦しさもあるだろうが、成功というものに漠然と憧れることは若者にはよくあることだ。
ローマンの部屋にあがると、自然とスケートボードの話題になった。「タイミングが悪かったね」と彼は言う。どういうことかと聞くと、いまハルキウのスケートコミュニティは縮小しているのだと言った。私の目にもそのように見えていた。ウクライナを訪れてあの広場に顔を出すたびに、スケーターの数は減っている。「あの子は今日来ないの?」とその場にいるスケーターに聞くと「あいつはドイツへ行った」「彼はポーランドにいる」という返答を何度も耳にした。
「本当はもっといたんだ。すごかったよ」
彼は遠くなってしまった記憶をたぐるように続けた。
「あの頃は毎日50人ほどは集まっていたかな。すごく上手い人もいたなぁ。でも今じゃ多くても10人ぐらいでしょ」
たった3年前なのに、彼の話しぶりからそれはずいぶん遠いことのように感じる。
「若い子たちはみんな国外へ行ってしまったし、年上のスケーターたちは家からあまり出たがらないんだ。徴兵が怖いからだろうね」
彼の言葉に心当たりがあった。街灯が落ちた午後10時頃。アパートの前で外の空気を吸っていると、真っ暗な夜道を歩いている男を何度か見かけた。夜間外出禁止になる午後11時までのわずかの間に部屋に閉じこもっていた男たちが近所を散歩していたのだろう。闇に紛れての散歩がいったいどれほどの気晴らしになるのかはわからないが、相当なストレスを抱えているはずだ。男たちが路上で強制的に連行される様子は、私も映像で見たことがあった。そういう映像はソーシャルメディアに数えきれないほどアップロードされている。徴兵の担当者たちが路上を歩いている男性を引きずり、車に乗せる。そばにいた母親が泣きながらしがみつく。抵抗すれば殴られ、蹴られることもある。「あれはひどすぎる。でも他に方法がないのもわかる」と彼は言った。
実際に兵士になったスケーターもいる。ローマンに私が撮影した写真を見せていたとき、教えてくれた。そこに写っていたデニスという青年は、自ら志願したのだという。その写真は私が初めて彼らが開催するスケボーの大会を撮影した昨年(2024年)3月の時のものだった。写真には4人のスケーターが写っていて、そのなかでもデニスは一番年上に見える。何と言って声をかけたかは覚えていないが、ベンチで休憩していたスケーターたちにカメラを向けると、彼らはポーズをとって写真に収まった。
そして、兵士として前線に行き、そこで亡くなったスケーターもいる。キリルという青年だ。私は彼のことを噂でしか知らなかった。どのように聞けばいいのかもわからなかった。結局、彼のことはオデーサに住む彼の友人から知ることになる。2024年の11月、前線で車両に乗って移動しているところをロシア軍に攻撃され、命を落としたのだという。彼が志願したのか、徴兵されたのかはオデーサの友人も知らないらしい。私は彼の姿を見かけた記憶はなかった。徴兵を恐れて広場に来ていなかったのかもしれない。実際のところはわからないが、ハルキウのスケーターが、兵士として前線で命を落としたことは事実のようだった。

戦争が始まった当時、ローマンは18歳未満だったため、隣国のポーランドへ避難することができた。だが、それはひとりでの避難だった。一家には家族全員分が避難先で生活する金がなかったからだ。自分だけが国内へ出たことに後ろめたさを感じていたらしい。高齢の親族がいるし、親は働いてはいるが安定して稼げてはいないようだ。悩んだ挙句、ローマンはウクライナに帰国して働き始めた。「ここに戻って、ようやく安心できたんだ」戦争中の国に戻って安堵するとは矛盾しているように聞こえるが、彼にとってはそうだった。そして懸命に働いて得たその金で、母や姉、親戚はチェコに避難することができた。父とともに仕送りも続けた。そうしているうちにローマンは19歳になり、今度は彼自身が国外に出られなくなっていた。
「でもそれでいい。僕はここが好きだし、できればずっといたい」
戦争が始まる前のこと。彼はスケボーを携えて国内の都市を巡るのが好きだったという。どの都市にもスケートボードコミュニティがあり、それぞれ特徴があると教えてくれた。たとえば、キーウは大都会なのでスケート人口が多い。個々のつながりは薄いが、才能を持ったスケーターが集まってくる。ドニプロのスケーターはストリート派とパーク派で対立しているらしい。オデーサは誰に対しても友好的で、ゆるいつながりを好むのだとか。いっぽうリビウはややアグレッシブでパンクスタイルだ、とローマンは説明した。
「どこも悪くない。けど、やっぱりここがいいと思ってるよ。人は減ったけど、その分みんなの顔が見えるからね」
それは本心なのだろうか。
「僕たちのことをどう思う?」
「かっこいいと思う」
反射的にそう言ったのが、私の本音だった。ローマンは「ありがとう」と言って微笑んだ。そういえば、と以前から抱いていた疑問を口にしてみた。
「君たちは年齢がばらばらなのに対等に話しているのが不思議だと思った。たとえばサンチェスはまだ12歳の子どもでしょ? 君とは7歳も違う」
彼は笑った。いつものように八重歯がのぞく。
「しょうがないんだ。今は友達を選べない」
再び、静かな街をローマンと並んで歩いた。霧のような雨が降っている。私たちは彼の行きつけのカフェへ向かっていた。ガールフレンドの仕事が終わったので、一緒に話そうということになったのだ。そこはコーヒーだけでなく本格的な中国茶も売りにしていて、地元の若者に人気の店だ。BGMが流れていて、客たちが談笑している。この店の中にいると、戦争中だということをまた忘れてしまいそうな気がする。でも実際は隣や道路の向かいにある店舗は休業しているし、ちょっと裏通りに行けば、入居募集の看板ばかりだ。
二人で中国茶を飲んでいると、彼女がやってきた。名前はアリーナ。彼のひとつ年上で20歳。輝くようなブロンドヘアの女性だ。これまでにも何度か会ったことがあり、ローマンと一緒に写真を撮ったこともあった。彼女は英語がとても流暢で、時々人を笑わせるようなことも言う。それに何を話してもオーバーリアクションをしてくれるのが楽しい。広場ではたいてい、ローマンが満足するまでスケボーに乗るのを見守っていた。きっと付き合いが長いのだろうと思っていた。最初は3人で話していたが、ローマンがトイレに立った隙に、気になっていたことを彼女に聞いてみた。
「彼とはどうやって知り合ったの?」
私の質問に、彼女はわざと目を丸く見開き、大げさに驚いたような顔をしてみせた。それを見て、私は思わず笑ってしまう。いきなりなぜそんなことを聞くの、という意味だろうか。
「マッチングアプリで出会った」
「いつ?」
「戦争が始まる前」
ウクライナでは、そうしたアプリで男女が出会うのはとても一般的なのだという。二人はそこで連絡を取り合うようになった。だが、実際に会うことはなかった。「彼はスケボーで忙しそうだったから」と彼女は笑って答えた。それでも毎日ビデオ通話をしていたという。
「毎日? 何を話すの?」
彼女はまた目を見開いて、口をゆがめた。きっと馬鹿な質問だと思われたのだろう。
「すべてよ、すべて。いま何をしているか。その日何があったか。ふつうでしょ。ビデオ通話をしながら一緒にご飯を食べる。どちらかが寝るまで話す」
私が呆れるような反応をすると、彼女は大げさにため息をついた。
「ふつうでしょう!」
そういって両手で拳を作ってテーブルを軽く叩いて笑った。ローマンがトイレから戻ってきた。これまでの会話をアリーナが説明すると、彼は笑いながら聞いていた。彼が「日本はそうじゃないの?」と聞くので、「さあどうだろう。でもまあ確かに同じかもしれない」と答えるとアリーナのほうは納得してくれた。二人はその後も通話ばかりで直接は会わなかったという。戦争が始まり、彼女はスロバキアへ避難したからだ。それでも通話が途切れることはなかった。避難先で孤独だった彼女をローマンが励まして支えていたらしい。状況が少し落ち着くと、彼女はハルキウに戻った。ローマンもポーランドから戻っていた。そこで初めて、直接会ったのだという。「戦争がなかったら会ってなかった?」二人は顔を見合わせた。そしてローマンは私に向かって、「それはわからないよね」と言った。窓の外に歩いている人が見えた。雨があがったようだった。
[注]本文における地名・人名・固有名詞等は、著者が現地で実際に聞いた発音に忠実にカナにしました。そのため地域や発話者によりロシア語表記とウクライナ語表記が混在します。