山岡由美
「かつてホロコーストについての理解が反ユダヤ主義に関する人々の認識枠組みを形づくったように、今日ではイスラエルがその概念に色濃い影を落としつつある。しかもその影は、今後いっそう色濃くなっていくはずだ」。著者のマーク・マゾワーはこのように指摘する。その背景には中東で続く悲劇の連鎖があるが、マゾワーの見るところ、現実世界の動きと反ユダヤ主義という概念のつながりの本質はこれまで曖昧なままだった。
本書は、その不透明な結び付きを歴史の文脈から解き明かす書である。著者は「反ユダヤ主義」という言葉を、時代ごとの状況のなかで捉えている。現実世界の動きが言葉の意味を変えることもあれば、逆に言葉の意味が現実世界を動かすこともある――。本書はその関係を歴史の流れとともに追っていく。
その内容をまとめると次のようになる。そもそも、ユダヤ人への偏見自体は古くからあった。キリスト教が2000年以上にわたり政治的な成功を収めたことがその偏見を温存させたという。だが18世紀後半から19世紀半ばにかけて近代的な政治が生まれ、市民が主役となるなかで、初めて「ユダヤ人の解放」やその反動としての「ユダヤ人問題」が論じられるようになり、19世紀後半のヨーロッパで「反ユダヤ主義」という言葉が誕生した。その後、反ユダヤ主義はナチによるホロコーストの悲劇をもたらした。この惨禍から逃れようと多くの人がパレスチナへ脱出したことが、イスラエル建国へとつながる。その指導層は当初、ユダヤ人のための国家を建てれば反ユダヤ主義は消滅すると考えていた。ところが第三次中東戦争でイスラエルが勝利を収め、ヨルダン川西岸地区とガザ地区が軍事的に占領されると、国際社会では反植民地主義闘争やパレスチナ問題が重視されるようになる。そしてこの潮流を、イスラエルを標的とした「新しい反ユダヤ主義」と見なす考えがイスラエルとその擁護者のあいだに生まれる。その間も並行して、ユダヤ人のイスラエルへの移住は続き、アメリカとイスラエルのユダヤ人人口の差が縮まるにつれて、「反ユダヤ主義」という言葉に対するイスラエルの影響力が強まっていった。そこにアメリカの団体や国際組織なども絡んで構造がいっそう複雑化していく。本書は、こうしたダイナミックな歴史の動きを丁寧に追いかけている。
訳業の過程では、わたし自身、過去の記憶を呼び覚まされる場面があった。たしか、映画『SHOAH ショア』(クロード・ランズマン監督)が日本で初公開された時期のことだ。当時、ホロコーストとの類比で他の歴史的悲劇を語ることをタブーと見なす議論に接し(他の言語で書かれたものの日本語訳だったと思う)、まだ認識の甘かったわたしは「とにかくホロコーストを引き合いに出してはならないのだ」と無批判に思い込んでしまった。しかし本書は、そうした類比のタブーの背後に一種の政治的要素が潜んでいるのではないかということをうかがわせる。学術研究やメディアを通じてホロコーストに関する知識が人々のあいだに広まったことで、現代世界についての観念の中心にホロコーストが位置づけられたというのだ。この指摘には、はっとさせられると同時に深く考えさせられた。
それだけでなく、イスラエルの指導層の一部が自らの政治的立場を補強すべくホロコーストの記憶を利用してきたという、かつてわたしもおぼろげに認識していた構図の深刻さを、著者の示す具体例によって改めて実感することになった。かれら自身、歴史を恣意的に扱っているのではないか、とすら感じてしまう。
また、近年わたしは、イスラエルには孤立を厭わない他の国々との共通点がいくつかあると感じていたが、本書を読み込むにつれ、イスラエルの孤立姿勢の背景には、この国ならではの思想的要因があることを教えられた。具体的には、「シナット・イスラエル」(イスラエルへの憎しみ)という被害者意識や、ユダヤ人は「独り離れて住む民」との認識が、国際社会に背を向ける姿勢に多大な影響を与えている事実だ。興味深いのは、ユダヤの伝統には元来、自らが「もろもろの国びとの光」となる運命にあり、神の築き上げた世界で平和共存を果たすべき「イスラエルの使命」がある、という普遍的な理念も並存していた点だ。にもかかわらず、他者への不信や孤立をよしとする排他的な思想のほうが優勢となり、現代の国際政治に重大な影響を及ぼすにいたった。そうした歴史の皮肉を、わたしは本書の記述から学び取ることができた。
しかし何よりも、訳業を通じて「反ユダヤ主義」という言葉に対するわたし自身のなかの解像度が高まったことは大きな収穫だった。実はかつて、この言葉がわたしの考える本来の意味――「ユダヤ人に対する偏見や差別」――とは異なる文脈で使われるのを目にし、困惑したことがある。記憶をたどると、おそらく2008年末から09年初頭にかけて起きたガザ紛争の時期だったと思う。イスラエルの軍事行動に対する批判を「反ユダヤ主義」としてひと括りにし、糾弾する言葉をどこかで目にしたのを覚えている。本書によると、イスラエル批判と反ユダヤ主義的な偏見を同一視する傾向は1970年代に始まり、2000年以降に世界へと広がった。この指摘に触れ、わたしはかつてガザ紛争の折に接した違和感の正体をつかむことができた。
中東情勢をめぐる議論が激しさを増す今、イスラエル批判と反ユダヤ主義をひとまとめにする行為は一種の武器と化している。著者が具体例を挙げて示しているように、極端な場合は批判者の社会的生命を失わせる事態にまで発展しているのが現状だ。これにどう対処すべきか。両者の結び付きを歴史的な視点から解きほぐしていく本書は、この難問を解く鍵になるだろう。(以下略)
Ⓒ YAMAOKA Yumi 2026
(訳者のご許諾を得て抜粋転載しています)








