みすず書房

新刊紹介

家族を喪ったとき、科学が教えてくれたこと――「訳者あとがき」より

2026年6月16日

本書はアラン・タウンゼンドによるThis Ordinary Stardust: A Scientist's Path from Grief to Wonder(Grand Central Publishing, 2024)の全訳である。著者タウンゼンドはモンタナ大学W・A・フランケ森林保全学部の学部長を務める科学者で、「生物地球化学」を専門としている。本書は『ネイチャー』誌の2024年10月31日号で「心揺さぶるメモワール。途方もない悲しみと希死念慮を抱いていた著者が科学の驚異に救われた経緯が語られている」と紹介されたほか、『パブリッシャーズウィークリー』誌(同年3月26日付)の星つきレビューでは、「揺れ動く意識のさまを綴った非凡な文章は、きっと読者の意識をも揺り動かすだろう」と評されている。

人生にはときとして、あたりまえだと思っていた日常がいきなり崩壊する瞬間が訪れる。著者はみずからの身に降りかかった、家族の闘病と死別という崩壊と喪失を振り返り、そのさなかの意識の流れを克明に、そして誠実に綴っている。全編をつうじて重要なキーワードになっているのが、タイトルにもある「星屑」だ。著者の専攻する生物地球化学はこの星屑、つまり生物を構成する元素の動きを研究する学問だ。著者が「すっかり陳腐になっている」と書いているように、「みんな星屑でできている」に類する表現はあちらこちらで目にするし、同様のテーマのバリエーションを扱った本も数多く出ている。人間はみなつきつめれば星屑にすぎず、その「外宇宙に由来する無数の原子」が一時的に集まったひとときの存在でしかない。だったら、生きることにいったいなんの意味があるのか──そんな疑問は、だれもがいちどは抱いたおぼえがあるのではないだろうか。この疑問の答えを、ごく私的な体験をとおして模索する本書には、自分のくぐり抜けたことを自分の言葉で綴ったときにしか生じえない独特の説得力があり、逆説的だがそれが普遍的な力を生んでいる。

本書でたびたび強調されるのは、この世界のはかなさと不確実さだ。だが、これはけっして否定的な意味あいではない。不確実で予測がつかないからこそ希望があり、「すべての答えを知っているのではないからこそ、そこに慰めを見いだせる」のだと著者は言う。妻ダイアナの物語をつうじて本書で提示されるこの考えかたは、自分や大切な人の死という究極の喪失にかぎらず、先の見えない不安な時代を生きる道しるべにもなる。そして、この考えかたと結びついた本書のもうひとつの大きなテーマが、「科学とはどのようなものか」という問いだ。本書でも触れられているように、昨今の世界では、気候変動否定論をはじめとする科学軽視の動きが目立つ。ここ数年の日本の政治や社会の動きを見ていても、科学はなんのためにあるのか、結局のところなんの力もないのではないかと絶望に近い思いを抱くことが少なくなかった。本書で描かれるダイアナの生きかたからは、その疑問に対するひとつの答えを見てとれる。

科学をめぐる本書の記述のなかでもとりわけ目を引く点は、科学と宗教の類似にたびたび言及していることだ。このふたつは対立するものとされることが多いが、根本のところではよく似ているのではないかと著者は言う。この指摘には意表を突かれるかもしれないが、ちょうど本書を訳し終えたころに観た映画『教皇選挙』(2024年)に、これに関連して印象に残る場面があった。この映画のなかで、レイフ・ファインズ演じるローレンス枢機卿は次のように語る。

わたしたちの信仰は、疑いと手に手をとって歩くからこそ、生きものになるのです。確信しかなく、疑いがなにもなければ、謎もなくなり、ひいては信仰も必要ではなくなるでしょう(訳者訳)

この言葉は、「科学の本質は、わたしたちが真実だと思っているものに疑問をもつことにある」、科学の喜びは「科学の限界を受け入れているからこそ生まれる」のだという本書の主張と強く共鳴する。科学と宗教がどちらも人間の営みであり、どちらの根底にも自分の力ではコントロールできない世界をどうにかして理解しようとする試みがあるのなら、両者に共通点が多いのも不思議ではないのだろう。謎や不確実性を受け入れ、わからないことに希望を見いだすすべを科学は教えてくれる。ダイアナの強さはまさにそこから生まれていたのだと著者は言う。そうした姿勢は、わかりやすいものがよしとされ、あらゆるものが単純な二項対立で語られがちないまの世界、著者いわく「彼女のように生きる人たちを……これまで以上に必要としている」世界では、大きな力をもつのではないだろうか。

(続きは本でごらんください)

© UMEDA Chisei 2026
(筆者のご同意を得て抜粋転載しています)

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