中立悠紀
本書を終えるにあたり、本書が検証される時、あるいは50年後、100年後に読んでくださる方々へ伝えたいことがあります。それは、1990年生まれの私は、10代の頃、歴史修正主義に強いシンパシーを抱いていたという事実であり、その経験が本書の根底にあるということです。
私の現在の研究関心は、なぜ15年戦争は起きたのかという問題と、戦犯裁判を主とする戦後処理、戦後処理の限界から生じた歴史問題にあります。
そんな私が、そもそもこうした問題に関心を持った契機は、2000年代の小泉政権期に顕在化した靖国神社問題でした。靖国から遠く離れた京都府宮津市という過疎地に住んでいた私も、テレビや新聞、教師の解説を通じてこの問題を知り、「中国や韓国はいつまで昔のことを言うのか」と感じていました。学校や地域の書店で購入した「保守」系・歴史修正主義的な書籍を読み、「東京裁判は不当で、あの戦争は正しかった」と中高生の私は考えていました。私が4歳の頃、豊田隈雄と井上忠男は亡くなり、靖国問題がフォーカスされた2005年には冨士信夫や松平永芳が没しました。私はそのことについては当時知りませんでしたが、彼らが社会に残した言説の断片を受け継いだ1人でした。
振り返れば2000年代は、日本人の戦争観・対外観が変わり始めた時期でした。過疎地の故郷を離れ大学に入学した2008年頃には、自分と同様の考えを持つ同世代の大学生の多さに驚きました。なぜならば、そのような見解はいまだ新聞やテレビ(現在で言う「オールド・メディア」)ではあまり表立って報じられていない時期だったからです。ところが水面下においては、中国や韓国への否定的感情が世代的に共有され始めており、この時期の社会変化には大きなものがありました。これが、その後の歴史展開の原動力になったと思います。そうなった理由は、歴史問題を含む一連の出来事がその端緒だったと思います。後世の読者には、この時代に日本人の中国、韓国への「眼差し」や戦争記憶が変化しつつあったことを伝えたいです。
このように歴史修正主義に傾倒した私を変えたのは、間違いなく歴史学との出会いでした。大学、とくに大学院入学後、一次史料や研究書を読むなかで、戦時期日本の自他に対する残酷性に直面しました。肯定や弁護の余地のない現実がそこにありました。
同時に、「右派的なもの」を一括して否定する戦後日本社会の姿にも気づきました。修正主義的認識は今日も傍流ですが、本書が扱ったA級戦犯の元部下である法調軍人やスガモ組政治家のような人物が抱いた体験・思想を理解する視点も、今後の学術研究には必要だと感じました。それが20世紀末から21世紀初頭における日本人の対外観の変容と、歴史問題の背景にあったものへの理解を深めることにつながると考えました。
そうした問題意識を持つ私が本書を執筆した目的は、帝国陸海軍軍人らの努力と苦悩を紹介し、それが持った歴史的意味を学術的に考察するとともに、「正論」的立場から彼らの思想と行動を批判的に検討することにあったと、明言しておきたいと思います。
第一に私は、スガモ思想の「語り難さ」──論理と感情の複雑性──に目を向け、安易な断罪ではなく、その可能性をも見つめたいと考えました。福間良明が指摘するように、戦争を体験した世代は「加害」と「顕彰」のはざまで、自らの戦争体験の「語り難さ」のなかで煩悶し、戦争体験の安易な政治化を拒む志向がありました(福間良明「「戦中派」とその時代──断絶と継承の逆説」蘭信三、石原俊、一ノ瀬俊也、佐藤文香、西村明、野上元、福間良明編『シリーズ戦争と社会 4 言説・表象の磁場』岩波書店、2022年)。
法調軍人とスガモ組は、やはり「加害」への感度が低く、靖国の「顕彰」の心地よさに近い位置にあったことは否定できないと考えます。
しかし、その「顕彰」の動機の背景にあった戦犯裁判や戦勝国に対する義憤の心情、戦犯遺家族の窮状に対する同情心すべてに、現在地点から否定的評価を与え、その被害意識の芽を摘み取ることは、その被害意識を突き詰めた先にある加害意識への接続の可能性を滅却してしまう恐れがあるのではないか、と私は考えています。
たとえば、戦犯裁判の手続き上の問題を認識し批判する視座は、日本軍が行なったずさんな軍律裁判や、裁判なしの国際法違反の処刑行為の存在を認め、責任を自覚する契機となる可能性があります。さらに、戦犯の遺族に補償救済を図ったのであれば、同様に正義と人権の観点から被害国の被害者個人や、いまだ立法措置がとられていない空襲被災者に対しても補償を行なうことが正論ではないかという視点も提示できます。これはすなわち、玄武岩が指摘した「被害と加害を再編する結節点」に通底するものです(玄武岩「被害と加害を再編する結節点としての「戦後50年」」前掲蘭ほか編『言説・表象の磁場』)。
安易に法調軍人とスガモ組の情念を批判し、彼らが弁護した戦犯・戦犯遺家族の「犠牲者性」を奪うことは、現在の我々が他国の被害者の被害に対して向き合う機会を滅却しかねません。いわゆる「右派」の人びとの心情、行動を理解する際にも、「加害と被害」の重層性を念頭に置いた考察が求められているのではないかと考えます。そうすることが、現在分断が叫ばれる世界において、歴史修正主義、否定論、陰謀論とどうすれば「和解」できるのかという課題のヒントにもなるように思います。
また彼らは戦犯を擁護しつつも、日本軍の残虐行為などの過誤は直視せざるを得ない局面を経験しました。彼らの語りには、現代の歴史修正主義者を含む私たちが見落としがちな日本軍の病理への洞察が宿っています。現在的規範から戦争体験を選別すれば、そうした複雑な記憶を切り捨てる危険があります。彼らの語りに宿る「忘れられつつある記憶」を読者に見いだしていただけることが、本書の狙いでした。
第二に私は、前述の点を念頭に置きつつも、法調軍人とスガモ組の行動に対して規範的評価を与えることも欠かせないと考えました。
法調軍人とスガモ組が擁護した昭和の対外戦争は、まぎれもなく侵略戦争でした。彼らは自国中心的な歴史観を抱いていましたが、満洲事変も盧溝橋事件から始まった日中戦争も日本の拡張政策の結果であり、アジア太平洋戦争も日本の選択によって始まったものです。彼らのように、日本軍による残虐行為の責任を矮小化すれば、原爆投下の責任や戦犯裁判の瑕疵、戦犯遺族の苦悩の原因すら軽視することになります。加害を直視することこそが、被害を正当に記憶する道なのではないかと考えます。法調軍人たちが遺族心情などを考慮して靖国合祀を望んだことは理解できる部分も大いにありますが、それは戦争責任の相対化を伴うものでした。
研究を通して痛感したのは、歴史とは無数の糸が複雑に絡み合う「うねり」であり、善意もまた思わぬ帰結を生むということです。彼らの善意の行動が、やがて近隣諸国との摩擦や、日本人の対外意識の変容の一背景となったことを考えると、私たちの日々の小さな行為もまた、未来の歴史の一部を形づくるのだと実感します。
――続きは書籍をごらんください――
© Yuki Nakadate 2026
(著者のご同意を得て抜粋転載しています)
- 中立悠紀『東京裁判と帝国陸海軍軍人――歴史問題の前夜』の目次ほか詳しい書誌情報はこちら(みすず書房ウェブサイト)









