デリダにおいて、動物の問題は後期になって現れた。1997年のコロック「自伝的動物」での講演「動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある」から晩年のセミネール「獣と主権者」へと続く一連の「動物論」を思い浮かべながら、もしひとがこのように述べたとすれば、デリダは即座に少なくとも二重の留保を付けることだろう。第一に、デリダにおいて「動物的諸形象」(A 58 /七一)は後期になって初めて登場したものではなく、初期から豊かに見られるものである。
1997年のデリダ自身の回顧に従って、著作とそこに現れた動物および関連主題を整理しておくならば、次のようになる。「フロイトとエクリチュールの舞台」(蜘蛛、蜜蜂、蛇、1966)、「白い神話」(同前および海綿、1972)、『弔鐘』(馬、鷲、1974)、『シニェポンジュ』(海綿およびポンジュにおける動物たち、1975)、「Fors」(狼、1976)、『衝角――ニーチェの文体』および『耳伝』(馬およびニーチェにおける動物たち、1978、1984)、『絵画における真理』(馬、牛、羊、豚、ロバ、魚、1978)、『絵葉書』(リス、1980)、「ハイデガーの手」(猿、1984-85)、『精神について』(ハイデガーの動物論、1987)、「詩とは何か」(ハリネズミ、1988)、「割礼告白」(鶏、1991)、『マルクスの亡霊たち』(もぐら、1993)、『友愛のポリティックス』(野兎、コクチョウ、1994)、「蟻」(蟻、1994)、「蚕」(蚕、1997)。さらに、生と死、動物と植物の間でどちらの側とも決しがたいキマイラやウイルスたちが、多数の著作に姿を見せている。私たちとしては、「人間でないもの」へのデリダの眼差しを決定的に印象づけたテクストとして、このリストにナンシーとの対談「「正しく食べなくてはならない」あるいは主体の計算」(1988)を付け加えておきたい。
さてしかし、デリダがかくして自著のなかの動物たちを想起させるのは、単にその頻度の高さを強調するためではない。そうではなく、これらの著作を執筆するよりもはるか以前から――ということは青年時代、あるいは幼年時代から――、自分は「個人的でどこか楽園的な動物誌をつくりたいという古い強迫観念」を抱いていた、つまり動物たちへの愛着は長年にわたるものだということを打ち明けるためなのである(A 58–62 /七一‐七七)。したがって、「後期になって」という限定は適切とはいえないことになろう。
しかし、より本質的な留保は次のものである。すなわち、そもそもデリダにおいて、「動物の問題」なるものは存在しない。むしろ「動物の問題」こそは、デリダがその正当性を疑いに掛けている当のものである。人間以外の動物たちがすべて「動物一般」に還元されることを自明視するかのような「動物(l’animal)」なる呼称を問いに付すこと、これまで哲学者が一人として手を付けてこなかった――ひょっとすると気づいてさえこなかった――この問題提起を行うことにこそ、「動物誌」を描き続けてきた90年代デリダの情熱は傾けられている。
いま改めて、この哲学者は嘆息する。「動物とは、何という語でしょう!」そして、「この語に付き纏うある種の違和感についてこそ、私はここで語ろうとしているのです」(A 43, 54–55 /五二、六六‐六七)と。したがって、「動物という語の問題」はあっても、デリダにおいて原則として「動物の問題」は存在しない。
動物との間に何らかの境界線を認めることによって「人間」なるものの固有性を定義しようという誘惑から徹底して身を引き離してきたデリダであってみれば、その筆の下に描き出された動物たちは、いずれも「動物」という総称定冠詞付き単数名詞を免れるような性格を備えている。そして、その個々の動物の単独性は後期になるとより高まって、時には帰属する種の名をも逃れてテクストから滲み出てくるようになる。
ではいったい、一匹一匹(頭、羽)の単独性、唯一性はいかにして語られうるのか、と問うてみれば即座に次のことに気づく。デリダ自身も認めている通り(A 58 /七二)、デリダの著述において動物たちは、テクストの自伝的性格が強まるにつれて、言い換えれば、ジャッキー・デリダという子どもが姿を現すようになるのと並行して――動物の形象と子どもの形象はけっして無関係ではない――その存在感を増してきたのである。なぜなら動物たちの単独性は、デリダという単独者が単独の動物たち(一匹のハリネズミ、一匹の蚕、一匹の猫)と共に結ぶ唯一的な関係性においてこそもっともよく引き出されるものだからである。
その点で、1997年の講演でデリダが打ち明けた、究極ともいえる私秘的状況における逸話は象徴的であり、その衝撃は圧倒的なものであった。というのもデリダはそこで、自宅の浴室から出たところで自分の裸を――ということは、性器を――飼い猫に見られたときに覚えた「恥ずかしさ」について語ったからである。
まずもって、ここに再現された眼差しの交差のドラマは、その切迫感においても、人間が猫に見られるという「眼差しの反転」においても、「恥」というそのモチーフにおいても、サルトルが『存在と無』(1943)第三部で描き出した眼差しの相克のドラマを連想させるものである。しかし、「黒いオルフェ」(1949)で白人が黒人から受ける眼差しに注意を喚起することになるサルトルも、私を単なる一つの対象に堕する眼差しの持ち主を動物と想定することはなかったのではあるまいか。
いずれにせよ、サルトルの恥は、その主体と原因と対象が明確であり、その構図には何の曖昧さもない。恥は〈私が他者の前で私について恥じる〉という三つの次元の統一的了解であり、「この三つの次元のうちの一つが消失するならば、恥もまた消失する」のである。対して、デリダにおいて問題になっているのは、二匹の裸の動物が互いに見つめ合ったときに、その少なくとも一方に生じた何ともいえない居心地の悪さなのであるが、その一方の動物は、「恥ずかしい」というその感覚が奇妙にも無限に自己に折り返されて連鎖してゆく(恥ずかしいことが恥ずかしいことが恥ずかしい……)のを自覚し、それを「比較を絶する風変わりな経験」(A 18 /十八)と呼ぶ。
いうまでもなく、転位されているのはサルトルだけではなく、サルトルも論及しているが、西洋文化の基底を成しているキリスト教的構造の前提である。すなわち、アダムとイヴという「最初の人間」が禁断の木の実を食べて善悪を知ると同時に身につけた、「人間」の端緒を成す感覚としての「恥ずかしさ」である。
一匹の猫に見つめられたデリダの連鎖的「恥ずかしさ」は、原罪以後のこの人間的な「恥ずかしさ」とはどこか異なる位相にある。それは、自己に対する知による「恥ずかしさ」でありながら、逆説的にも、まだ人間的な恥を知る以前の時間、神と神が造った鳥獣たちがアダムを「見ている」時間に入り込んでいるのだ。そして鵜飼哲が指摘するように、この「時間以前の時間」を想起させた後で自分の猫に立ち戻るとき、デリダは通りすがりのようにして、「その猫あるいは神」(A 36 /四三)と言い換えている。
一匹の猫に裸を見られたとき、サルトルにおけるように眼差しをさらに反転させて「恥を超出し克服する」のではなく、デリダは絶対的な受動性において神のごとき他者性を受け取る。そして「恥ずかしさ」の深淵をこのように問い尋ねながらデリダが強調するのは、自分を見つめるその猫――おそらく名前があるだろう――の「代替不可能な単独性」(A 26 /二七)である。
だとすると、ここに示された猫に対する関係性は、イサク奉献をめぐる1990年の講演「死を与える」で提示された定式「すべての他者はまったき他者だ」(DM 98, 110, 114 et sq. /一四二、一六一、一六九以降)を連想させるものだ。
[第17章「アブラハムから雄羊へ」より]
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(著者のご同意を得て抜粋転載しています。
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- 引用は、著作・論文の略号と原書ページ、日本語訳ページを順に記す
- A: Derrida, L’Animal que donc je suis, 2006
- DM: Derrida, Donner la mort, 1999
