みすず書房

新刊紹介

『完全に平等で、非常に差別的な――拡張のダンス史』ためし読み

2026年5月11日

本書冒頭「はじめに――対等な力と差別化された能力とのあいだで」を全文公開します。

耳の聞こえにくいメンバーが疎外されないよう、ゆっくり、はっきりと話す。車椅子を使用するメンバーも通行可能なルートで移動する。合宿では、全員が楽しめる遊びを準備する。大学時代に参加していた障害者人権サークルで、わたしたちメンバーは、性別や障害の有無、専攻、家庭の経済状況に関係なくみんなが平等に参加できる環境づくりを心がけた。

わたしは当時、基礎生活保障〔生活保護に相当〕対象者で、ソウルから遠く離れた地方の出身だったが、そのことで自分が友人たちと対等でないとは思わなかった。だが、「障害のない身体の効率性」には感嘆した。わたしが遠くから呼んでもその声に気づいて瞬時に駆け寄り車椅子を持ち上げてくれたかと思うと、その足で今度は、聴覚障害のある友人にわたしの言葉を伝えるべく走っていく友人たち。夜通し酒を飲んでも朝には授業に出てくる友人たち。そんな彼らとわたしが平等であるとどうして言えるだろうか? 効率的で、敏捷で、バランスの取れた身体は美しかった。平等に関するわたしの信念は、そうした身体の「能力」の差を前にたびたび揺らいだ。

ある日、障害者ダンサーの公演を観た。初めて目にする障害者ダンサーの動きは印象的だったが、美しくはなかった。理念だけでは正当化できない明白な「能力」の差が、障害者ダンサーと非障害者ダンサーとのあいだに、わたしと非障害者である友人たちとのあいだに存在していた。ダンスなんかに関心を持ったりしないで、身体に注意を向けたりしないで、教養や専門性を身につけた大人として言語と規範の世界で生きていこうと努力した。

人生は予測不能だ。そんなわたしが今では、車椅子から降り、のそのそと這って舞台に上がったり下りたりしているのだ。ずっと縮こまってきた過去が悔やまれる。身体を動かすことはなかなか楽しく、それに、思いのほかうまくできた。K-POPダンスを踊ったり、バレエダンサーのように動いたりすることはできない。もしも、2000年代半ばのあのサークル部屋、飲み会、キャンパスのど真ん中に戻ったとしたら、わたしは依然として、障害のない友人たちほど何かを「効率的に」することはできないだろう。わたしたちには各自の限界がある。けれど、ダンスをする身体を間近で見れば見るほど、ともにダンスをすればするほど(わずかながら)自分の身体に宿っているある種の「力」を感じるのだ。


2007年ごろ、わたしと同じ障害をもつ人たちのオンラインコミュニティーにアクセスした。会員同士の交流用に自己紹介やメールアドレスを載せる掲示板で「世界銀行で働いた経歴をもつ60歳の元金融マン」というプロフィールを目にし、メールを送った。英語とフランス語、イタリア語が堪能なドイツ人だった。彼は障害者ではなかったが、あるきっかけから、わたしと同じ病気を患う人たちの生に関心を持つようになったという。わたしは、自分はソウルで暮らす大学生で、家庭の経済状況はあまり良くないが外国で勉強したいと思っている、というようなことを書いた。彼は親切で教養のある人だった。メールをやりとりしていたある日、わたしは、障害者も非障害者と同等の権利や生の価値を有するという点は信じて疑わないけれど自分の身体がどうしても好きになれない、という悩みを打ち明けた。彼は(わたしが内心期待していたように)国際人権機関でのインターンシップの機会を紹介してくれたり何らかの支援を約束してくれたりする代わりに、ベートーベンを聴いてみるようにと勧めてくれた。ベートーベンの音楽が君を強くしてくれるはずだ、と。

(おそらく)白人エリートのヨーロッパ中心主義、文化的ロマン主義なのだろうと反感を覚えながらも、カラヤンの指揮によるベートーベン交響曲のCDをさっそく購入し、寝る前にしばらく聴いてみた。耳慣れた第九番や、当時流行っていた日本のドラマでおなじみの第七番は聴いていて楽しかったし、ほかの曲も壮大で力があった。けれど、内面の奥深くまで届くという感覚はなかった。その音楽は、大学で書物を通して知った多くの物事と同様に、わたしの周囲を空回りした。ソウルでの生活はそういうものだらけだった。西洋の古典主義音楽や美術、ダンス(バレエ)だけではない。1960年代に流行したカウンターカルチャー的なポップミュージックや舞台公演、映画から、90年代の学生運動が残した民衆歌謡に至るまで、どれ一つとして、わたしを作り上げている世界とつながっているようには思えなかった。

わたしの幼少年期は、文化的に孤立した状態で過ぎていった。学校には通えず、韓国の地方都市である(カン)(ウォン)()の中でも市街地から遠く離れた小さな村で大半の時間を過ごした。当時わたしは、何らかの知的、文化的、芸術的伝統と緊密につながったことがなかった。数学や英語、ピアノやバイオリン、テコンドー、展示や公演の鑑賞も、わたしの生活とはかけ離れていた。不安定で予測不能な20歳のわたしは、自分よりもっと大きく、強固で、超越的な世界とつながりたいと願った。

みすぼらしく閉鎖的な自分の中から抜け出せないときは、意味のない想像をした。幼いころから都会で公教育を受けていたら何か違ったのではないか。ずっと部屋の中での生活だったとしても、おじいちゃんが、たとえば漢文学者だったなら? わたしは彼から何らかの文化的伝統を、少なくとも漢字の読み方くらいは学んでいたはずだ。あの小さな村にフランス人宣教師がやって来て、村に住む障害のある少年を偶然見かけ、フランス語でも教えてくれていたなら? あるいは、ソウルで大学に通う叔父さんが学生運動に参加していて、急進的で不穏な本をうちの屋根裏部屋にたくさん隠していたとしたら?

幼少期を知的、文化的に豊かな環境で過ごすことは確かに重要だが、わたしの不満は「能力」にばかり目を向けていたことの結果だった。ダンスや演劇の公演をし、あるいはワークショップに参加して身体を動かしながら他者の身体と出会う機会が増えるにつれ、幼いころから少しずつ自分の身体に蓄積されてきた「力」を自覚するようになった。難病を患うわたしを母や父、祖母が抱きかかえ、さすり、おぶって階段を上り下りするたびに、彼らはわたしの中に何かを残してくれた。ベートーベンの音楽をたしなむ人でなくとも、漢文学者でなくとも、ケアをする身体は自身よりも大きな「力」を、ケアを受ける身体に伝えるものだ。10代の半ばを過ごした特別支援学校で、わたしを含め障害のある生徒たちは、外国人の先生から外国語を習ったり美術館で絵を鑑賞したりしたことはなくとも、各自の身体の動かし方や話し方、独自の生活の営み方を互いに受け入れていた。階段や坂道だらけの一般高校で車椅子を押してくれた友人たちの身体は、わたしの身体のどこかに刻み込まれている。身体とともに生きていく以上、わたしたちの身体には常に、具体的な他人が宿っている。

その「力」は、どんな規範的議論や立派な理念よりも納得のいく、人間の平等に関する信念へとわたしを導いてくれる。ここで言う「力」は「能力」とは違い、具体的な個人の限界や可能性に縛られない。「力」は普遍的で、個々人よりも大きい。「力」は能力の外にあって能力の前提となったり、能力に関する社会の尺度を覆したり再構成したりする。わたしたちは誰かの「能力」を前にしばしば挫折を味わうが、一方で、誰かの「力」を目撃すると「より大きな世界につながる」という驚異的な体験をする。その理由がここにあるのだ。

* 「力」と「能力」を区別して美学的平等から政治的平等を模索する思考に関しては、以下の本を参考にした。クリストフ・メンケ『芸術の力』、シン・サビン訳、Wメディア、2015。

完全なる平等は、抽象的な規範や理念によって達成されるのではなく、「能力」の面で非常に差別化された関係にある者同士が相手の「力」を尊重し信頼するときに達成される。あなたがわたしに配慮してわたしの前でバレエを踊らないからといって、わたしたちが完全に平等になるわけではない。バレエを上手に踊る「能力」を利用してあなたはわたしに、未知の世界にアプローチするさまざまな方法を提案することができる。自分にもダンスをする「力」があると気づいたいま、わたしはもう、バレエを踊るあなたの能力が自分より優れているからといって挫折したりはしない。もちろんわたしにも、あなたより能力的に優れた部分があるはずだ。それはバレエ以外のダンスかもしれないし、ノンフィクションの執筆かもしれない。一般的には取るに足りないとされる何らかの分野の技術かもしれない。それが何であれ、わたしはその能力によってあなたとは差別化された個人になる。その結果、自分の得意な領域を具体的に理解しながら、また、あなたの「力」を信じながら、わたしの世界にあなたを招待する方法を考案できるようになる。そのときわたしたちは「法の下の平等」のみにとどまらないだろう。それぞれ差別化された能力を持つ個人と個人が互いの同等な力に注意を傾けるとき、わたしたちは固有な個人であると同時に、より大きな世界の一部になる。


本書は、ダンスに関する個人的な経験やダンスの歴史を通して「差別と平等の問題」を考察する。タイトルでもある「完全に平等で、非常に差別的な」個人から成る共同体とはどういうものか、わたしは簡潔に説明することができない。それが、今日のダンスやダンスの歴史を通して、差別と平等という――ある意味、韓国社会ではいつしか陳腐で薄っぺらなものになってしまった――言葉をあらためて探求しようとする理由だ。わたしたちは、各自の能力を磨くことで他人との差別化を図ろうとする。そういう傾向は時に、他人との過度な比較や競争という結果を招くが、かといって、差別化を望む気持ちがまったくなければ、わたしたち個々人は固有の存在にはなれないだろう。誰でも良い小説が書けるし誰でも良いダンスが踊れると言うことは可能だが、そういう社会では、実際のわたしたちはただの無彩色の存在でしかないだろう。一方で、わたしたちは「すべての能力の前提であると同時にその能力に関する規定を外部から覆す「力」を持っている」という点では平等な存在だ。その「力」の平等を認めない能力競争は、わたしたちの共同体全体を、柔軟性も革新もない巨大で緻密な官僚システムにしてしまうだろう。すべての人間の普遍的な「力」を信頼しつつ、独自の「能力」を非常に差別化されたものへと磨き上げていく個人たちの共同体。それは、一見相反するそれら二つの概念のあいだを行き来する「動きの技芸(art)」によってのみ達成される。つまりそれは、ダンスを踊れる者たちの共同体ということだ。万人に同等に作用する力(重力)に完全に身を任せながらも、同時に、その力に抗う各自の身体の技術(能力)とのあいだで動くこと。それが、わたしの思う「善いダンス」「善く踊るダンス」だ。したがって、善いダンス、善く踊るダンスを目指した人たちの歴史を紐解くことは、完全に平等で、非常に差別化された個人から成る共同体を描き出す一つの方法でもあるのだ。


第1部「光の中へ」では、障害とともに生まれ、孤立した幼少年期を過ごし、障害者の共同体や一般高校、大学を出て弁護士になったあともひたすら身体を隠していたわたしが舞台でダンスを踊るようになるまでに出会った、わたしの身体に宿っている人たちの話をたどっていく。また、現代舞踊の歴史に重要な影響を及ぼしたダンサーたちの事例を通して、他人からの支配的な視線に立ち向かい、独自の力を発見し、「ダンスを踊る能力」に関する既存の規定を覆した話も紹介する。第2部「閉ざされた世界を開く」では、20世紀後半に登場した障害者ダンサー・俳優の話や、客席と舞台の規則や条件を再構成する現代の公演アクセシビリティーの事例を紹介する。ほかと差別化された存在になることをあえて選択し、かつ、平等な共同体を目指すことはいかにして可能なのかに関する実例を、ある程度確認できるだろう。第3部「ダンサーになる」では、第1部に続き、再びダンスの歴史を紐解きながら、政治共同体とダンスを踊る(動く)身体との関係に注目する。非常に差別化された存在となって、完全に平等な個人から成る共同体を目指すことは、ともすれば、「われわれ」という集団に属さない人に対して閉鎖的になる危険性はないだろうか? わたしは、ダンスの歴史やダンスに関する多様な実践例を紐解くなかで、「障害のある身体」が、わたしたちが非常に差別化された個人または共同体を目指す過程で陥りがちな落とし穴――他者への暴力――を回避する「錨いかり」になり得ることを知った。この「錨」を頼りに、わたしたちはより良いダンス、より良い共同体のために必要な動きを磨いていくことができる。

この本を書いてみて、わたしの身体には思ったより広い世界が宿っていることがわかった。縁もゆかりもないはずの20世紀初めのロシアの天才ダンサーから、1980年代の京都でレオタードを身につけ全身で這って舞台に上がった在日朝鮮人の公演芸術家、韓国の伝統舞踊の大家に至るまで、さらには、わたしの世話をしてくれた人たちや、わたしがこれまでに出会い、わたしを助けてくれ、わたしとともに学び舞台に上がった人たちの身体はすべてつながっていて、わたしの中にあった。ベートーベンの音楽や1990年代の民衆歌謡、急進的な韓国政治史の論争といったものがわたしの周りを空回りしていたころ、わたしを平等からもっとも遠ざけていると思っていたこの身体に、もっと早く注目していればよかったのにと思う。遅まきながら、この平等で、広く、深い「力」の起源にたどり着けたのは幸いだ。

2024年6月

キム・ウォニョン
(原著作権者および翻訳著作権者の
ご同意を得て抜粋転載しています)