みすず書房

コラム

みすず ブックリスト:ジェンダーと社会

2024年12月25日

新刊『韓国、男子』と『静かな基隆港』では、「男性性」という感情のありようがどのように作られ、それがどのように男性の行動に影響を及ぼしたのかについて分析されています。社会的、文化的に構築された性別役割を社会学や文学などさまざまな視点から知ることで、全ての人がよりよく生きるヒントになるような本を紹介します。

 

 

1. チェ・テソプ『韓国、男子――その困難さの感情史』【2024年12月刊】

小山内園子・すんみ訳、趙慶喜解説(2024年刊)

フェミニズムへの応答としての韓国男子論。植民地化や軍政を含む韓国の苦難の近現代史の中で、自らも抑圧を受けつつ他者を抑圧する主体であった「男子(ナムジャ)」たちの煩悶が、いかにして社会を構成する人々全体──とりわけ女性たち──の生きづらさを生んできたか。歴史上の事象や流行語を手がかりに辿る。

2. 魏明毅『静かな基隆港――埠頭労働者たちの昼と夜』【2024年11月刊】

黒羽夏彦訳(2024年刊)

台湾北部の港湾都市・基隆はなぜ壮中年男性の自殺率が全国で最も高いのか。小さな声を拾い上げながら、「男らしさ」が求められる日常に身を置く男性労働者たちの感情のありようをひもとき、グローバル資本主義に翻弄された生を描く。台湾最高栄誉の文学賞・金鼎獎受賞の「悲哀のエスノグラフィー」。

3. マノン・ガルシア『生まれつき男社会に服従する女はいない』

横山安由美訳(2023年刊)

女の服従は社会構造に影響されるものでありながら、個人の人間関係において実践される。「女らしさ」の概念と服従の関係を哲学史的かつ理論的に検証。個人と構造の二元論を克服し、抵抗を可能にしたシモーヌ・ド・ボーヴォワールの哲学書『第二の性』を指針に、すべての人がより良く生きる社会を目指す。

4. トーヴェ・ディトレウセン『結婚/毒――コペンハーゲン三部作』

枇谷玲子訳(2016年刊)

労働階級に生まれ、作家として名を馳せたトーヴェ・ディトレウセン(1917-1976)は、自らの経験の全てを題材として、女性のアイデンティティをめぐる葛藤をオートフィクション/回想記として世に出した。自分に正直にあろうとする人間の生きる難しさを、文学と人生で表した、デンマーク文学の記念碑的三部作。

5. アリソン・アレクシー 『離婚の文化人類学――現代日本における〈親密な〉別れ方』

濱野健訳(2022年刊)

アメリカの気鋭の人類学者が2000年代初頭の日本でフィールドワーク。変わる家族規範、自立と新自由主義、法、親権、拡大家族、熟年離婚、婚活、養育費、シングルマザー、貧困……現代の結婚・離婚・家族をめぐるさまざまな社会問題を取り上げ、現代日本のジェンダー力学を垣間見る。

6. ダン・サヴェージ『キッド――僕と彼氏はいかにして赤ちゃんを授かったか』

大沢章子訳(2016年刊)

同性カップルが養子縁組によって子どもを迎えるまでの事の次第を等身大で綴った痛快ノンフィクション。何が人を親にするんだろう、家族って何だろう──読み進むほどにページを繰る手がもどかしいほど加速する、新しいかたちの家族の誕生物語。

7. ネラ・ラーセン『パッシング/流砂にのまれて』

鵜殿えりか訳(2022年刊)

「パッシング」とは、肌の色の白い黒人が白人になりすまして生きること。黒人文化が開花し、街にジャズとダンスがあふれた1920年代のN.Y.には「カラーライン」が存在していた。人種の境界線を越えた女達の苦難、苛烈な現実の中の生と性を繊細に描いた文学作品にして、ジェンダー・人種・差別・LGBT問題の必読書。

 

8. カロリン・エムケ『憎しみに抗って――不純なものへの賛歌』

浅井晶子訳(2018年刊)

難民問題、人種差別問題および性的マイノリティの問題を取り上げる。「基準」に当てはまらない人間に対する、制度化され、内面化された「憎しみ」はどのように生まれるのか。「憎しみ」を分析し、克服すること、同時に他者からの「憎しみ」にさらされたときにどう対処するかを考える。ドイツでベストセラーになった、世界を読むための必読書。

9. フェイ・バウンド・アルバーティ『私たちはいつから「孤独」になったのか』

神崎朗子訳(2023年刊)

孤独は精神的なものであるだけでなく、身体的なものでもあり、ジェンダーやエスニシティ、年齢、社会経済的地位、環境、宗教、科学などによっても異なる経験である。ネガティブな欠乏感としての「孤独」が近代において誕生し、複雑な感情群となるその歴史をひもとく。

10. 岡野八代『フェミニズムの政治学――ケアの倫理をグローバル社会へ』

(2012年刊)

フェミニズム理論から新しい社会を構想することは可能だろうか。既存の政治思想・理論の根底にある、男性を公的領域、女性を私的領域に割り振る公私二元論を批判する。どちらからも排除されてきたヴァルネラブルな存在(傷つき依存して生きる弱いひと)を中心にしたケアの倫理が国際平和に繋がる可能性を提示する。