みすず書房

新刊紹介

世界の読書界で静かに湧き起こるトーヴェ・ブームの背景

2023年6月19日

国民的人気作家だったトーヴェ

トーヴェ・ディトレウセンは1954年に小説『私達にはお互いしかいない』でエーミル・オーストロップ賞、1956年に金の月桂樹賞、1959年に『アンネリーセは十三歳』(邦訳は大久保貞子訳、学研、1971年)で文化省児童書賞、1971年にシューアン・ギュルデンダール賞など、総計20以上の賞を受賞した。

本三部作の三作目『結婚/毒』は『ユランスポステン』紙の『50年50冊――デンマーク社会に最も影響を及ぼした50冊』の一冊に選ばれている。また1999年に『ポリティケン』紙の「読者が選ぶ20世紀を代表する本」にも選ばれた。また小説『子ども時代の通り』は映画化もされ、本三部作同様、彼女の代表作とされている。

またデンマークの小中学校で、調べ学習が義務付けられる重要作家14人(他にアンデルセン、お隣ノルウェーのイプセンなど)に、『アフリカの日々』『バベットの晩餐会』などで知られるカレン・ブリクセン(イサク・ディネセン)とともに名前が載る女性作家二人のうちの一人がトーヴェだ。トーヴェについての伝記も数多く出版されているが、そのどれもが、トーヴェが書いた美しき回顧録、オートフィクションの前ではかすんで見えると評される。

生誕百年に、国内で再ブームが起きる

生前から国民に愛されていたトーヴェだったが、トーヴェの人生と作品を自由に解釈した『トーヴェ! トーヴェ! トーヴェ!』という前衛劇が、生誕百年を目前に控えた2015年から、王立劇場をはじめとした劇場で上演され、多くの観客が詰めかけたことをきっかけに、本国でのトーヴェの再ブームが巻き起こった。

また1986年生まれのデンマークの若き人気作家オルガ・ラウンが、2015年、編集者として勤めていた出版社ギュルデンダール社から、トーヴェの遺したエッセイや雑誌の悩み相談での回答をはじめとした文章をキュレーションし、『私は未亡人になりたい、私は詩人になりたい――忘れられた文 トーヴェ・ディトレウセン』というタイトルで出版すると、ベストセラーとなった。オルガは2017年にはトーヴェの生誕百年を祝し、トーヴェの詩のなかで特に心の琴線に触れた作品を選んでそれにあとがきを寄せ、詩選集『私の中に死にたくない少女がいる』も出版。複数のカラー・バリエーションで目を惹く芸術的な表紙も話題となり、ヒットした。また生誕百年の2017年前後には、小説や詩集の新装版が立て続けに出版された。それらの刊行の多くに、オルガ・ラウンジが編集者として関わった。

2018年には、国営放送DRの人気番組『ウーエンダールと偉大なデンマークの作家たち』でトーヴェ・ディトレウセンの人生が実写化された。同年、『日々の小さな問題――1956-76年にトーヴェ・ディトレウセンがファミリー・ジャーナルで行った悩み相談』も発表され、話題となった。2020年には、この本をベースにして、「ファミリー・ジャーナル」誌に20年間に亘り連載されたデンマークの女性たちの悩みと、それに対するトーヴェのあけすけな回答を振り返ることで、トーヴェの人となりや作家性、デンマークの過去の女性たちの生き方や時代の移り変わりを味わうテレビ番組『拝啓トーヴェ・ディトレウセン』がDR2で放送された。またこの年、トーヴェの晩年に焦点を当てたショート・フィルム『壊れたトーヴェ』(英題は“A writer named Tove”)も発表された。2023年6月末からは、デンマークの映画館で『結婚/毒』を映像化した『トーヴェの部屋』の上映もはじまることになっている(監督は『特捜部Q 知りすぎたマルコ』や『アウトサイダー』『ヒトラーの忘れもの』などを手がけたマーチン・サントフリート)。

トーヴェ・ブームの主なプラットフォームは、本、映画、テレビの他にインスタグラムをはじめとしたSNSであった。トーヴェの詩や小説をはじめとする文章の引用や、タバコをくわえたり、タイプライターで必死に執筆を行ったりしていたかと思えば、洗濯物を干したり、子どもの世話をしたりする彼女の写真が、主婦と労働という女性の二重の役割を体現していると世間の関心を呼び、SNSで共有され、拡散されていった。

海外にも広がるトーヴェ・フィーバー

さらにトーヴェ・フィーバーは、デンマーク国外にも派生していった。(…)
英語圏でのトーヴェ・フィーバーの立役者の一人は、デンマーク語からの英語翻訳者ミカエル・ファヴァラ・ゴールドマンだ。彼は2016年に、デンマーク人の奥さんと立ち寄ったデンマークの空港の書店で、トーヴェ・ディトレウセンの『結婚/毒』を見つけたという。トーヴェ・ディトレウセンの名前はもちろん聞いたことはあったが、帰国後、作品を読んでみて、簡潔で正直で皮肉に満ちた書き方と、四度の結婚生活の破綻、二度の堕胎、五年間に亘る薬物依存という苦難に満ちた人生の物語を薬物依存というベールをまとわせ、非常に個人的だが普遍的に描いていることに衝撃を受け、傑作だと直感したと自身のHPで綴っている。(…)『結婚/毒』は『子ども時代』『青春時代』と三冊同時に、2019年9月に、「コペンハーゲン三部作」というサブ・タイトルが付けられて、イギリスのペンギン・クラシックスから出版された。さらに2021年に、三部作を合本にした版が、アメリカFarrar, Straus and Giroux社から出版された。

本三部作は、『ニューヨーク・タイムズ・ブックレビュー』の表紙を飾ったりした。そして『タイム』の2021年のノンフィクション10冊、『ニューヨーク・タイムズ』の今年の10冊、書評サイト「リテラリー・ハブ」の「2021年に最も書評された翻訳文学」にも選ばれた。(…)

以降も、トーヴェ作品の英語版の刊行はつづき、2021年1月には、1968年にデンマークで発表され、1991年にティーナ・ヌンヌリーの翻訳でFjord Press社から英訳が出版されていた小説『顔』が、ペンギン・モダン・クラシックスの一冊として出版され、(…)2022年3月には、『傘』を含む短編集『幸福と困難――そして他の物語』がペンギン・モダン・クラシックスで出版された。ペンギン・モダン・クラシックス版の二冊は、どちらも『ニューヨーク・タイムズ』に書評が載った。

英語圏でのこのような成功が各国語の編集者、翻訳者の目に止まり、現在、本三部作の版権は20カ国語以上に売れている。

労働者階級に焦点を当てた文学のブーム

生誕百年を過ぎた今もトーヴェ・フィーバーが続く要因について、文学の観点からもう少し考えたい。

近年のデンマーク文学では、デンマーク人から差別を受け、デンマークの文化・社会に溶け込めない移民の両親を目にして育つ中で感じた社会に対する憤りを表現した詩集が50万以部以上のベストセラーになったヤーヤ・ヘッサン、単一民族主義の国家の異様さをSFの手法を用いて描き、2018年に出版された作品『太陽を求めて』が2019年に北欧理事会文学賞を受賞した際、スピーチで移民に対する差別的な政策を行うデンマーク政府を赤裸々に批判したことでも話題となったヨナス・アイカなど、階級闘争の色合いの濃い文学が文壇を賑わせている。子どもを産むこと、女性のケア労働や主婦業について、また時に娼婦についてまで描くことで、首都コペンハーゲンの労働者階級の家庭で生きる女性やその子どもたちを取り巻く社会をあぶり出したトーヴェ作品は、そのような文学の流れにフィットしたのではないか。階級闘争的な文学のブームや社会的議論は、作家グレン・ベックの『もうあんた方の権威を認めない――マニフェスト』という論考が現在のデンマークで社会現象的なブームとなっていることからも、現在進行形であることが分かる。

トーヴェの自伝的三部作は、イギリスの『ニュー・ステーツメント』紙では、クッツェーの自伝的小説『少年時代』『青年時代』『サマータイム』(邦訳は三冊合本『サマータイム、青年時代、少年時代――辺境からの三つの〈自伝〉』、くぼたのぞみ訳、インスクリプト、2014年)と同じ分野に属するもので、「今年読んだ本のベスト本の一冊」と評された。特に『子ども時代』については「ナタリア・ギンズブルグのようなシンプルな叙述的文章」とされている。また福祉国家として知られる今のデンマークと同じ国とは思えない貧しく福祉の行き届かない過去のデンマークの描写にも関心が示されている。またトーヴェの親子関係、家庭環境について多くの文字数が割かれている。そして、その子ども時代の思いを如実に表す美しい表現の数々が、そのままいくつも引用される形で紹介されている。(…)

オートフィクション・ブーム

デンマーク国営放送DRの番組サイトの記事で、オーフス大学講師のステフェン・ケアケゴーは、トーヴェ作品が再注目されるようになった背景に、カール・オーヴェ・クナウスゴールが2009-2011年にかけてノルウェーで発表し、各国語に翻訳された『わが闘争』(邦訳は1巻『わが闘争 父の死』『わが闘争2 恋する作家』岡本健志・安藤佳子訳、早川書房、2015年/2018年刊行)のヒットがきっかけで起きたオートフィクション・ブームがあると指摘している。クナウスゴール以降も、デンマークでは近年、アスタ・オリヴィア・ノーデンホフ、ビョーン・ラスムセンなどによるオートフィクション作品が爆発的に読まれている。

本作『結婚/毒――コペンハーゲン三部作』は、スウェーデンの新聞書評で、ノーベル文学賞を受賞したフランスの作家アニー・エルノーが自伝的作品『場所』(堀茂樹訳、早川書房、1993年)で用いたのに近い手法をとっていると評されている。アニー・エルノーは自伝作品について、「危機と必要性に迫られてきた人生を示す上で、私には芸術性を全面に押し出す権利も、〝素晴らしい〞ことや、〝人の心を惹き付ける〞ようなことをする権利もないのです」と語っている。一方トーヴェは本作の中で、「私は書くとき、誰にも配慮しないの。いや配慮できないの」と語っている。夫のエッベが、トーヴェが小説の中に自分そっくりの人物を登場させたことで、自分は友人たちからからかわれているのだ、と激怒する場面が出てくる。またトーヴェがエッベから、なぜディケンズみたいに登場人物を描けないのか、現実をただありのままに書くのは芸術じゃないと非難されて泣き出してしまう場面をはじめ、実際の夫婦生活を思わせる場面が多数出てくる。それゆえエッベや、さらにその後トーヴェと結婚し、精神病の医師として描かれたカールの親族からもプライバシーの侵害と訴えられた。(…)

デンマークでは、本三部作は現実に即した作品と受け止めた書評や解説が目立つが、トーヴェはインタビューの中で、自分の作品はあくまでフィクションだと繰り返し答えている。また『野生の小麦』に載った『わが亡き子へ』という詩は、現実を題材にしているようだが、実はトーヴェにはその時点では堕胎の経験がなく、想像でその詩を書いていたことが分かる。また『子ども時代』には、詩のノートに書き溜めていた恋の詩を兄のエドヴィンに盗み見られ、噓ばっかり、と笑われる場面も出てくる。トーヴェの悪戯っぽい笑顔を思い浮かべながら本三部作を読むことで、現実と虚構が曖昧に入り交じるオートフィクションに作者が仕掛けた遊びに薄ら気付きつつも敢えて騙されてみる、というジャンル特有の楽しみ方ができるだろう。『子ども時代』の四章でトーヴェが語るように、「人にはそれぞれの事実がある」のだから。

女性文学ブーム

トーヴェは女性たちの日常をテーマに描いたデンマーク初の女性作家と言われている。両親が兄エドヴィンにばかり期待をかける中、「女の子が詩人になれるわけがない」と父親から言われたりしながら、自分はどう生きたいのか、生きる道を模索する様が描かれていた。トーヴェはまた、社会的地位を得るため妻になる道を選んだものの、妻、母という役割にがんじがらめになって苦しみ、文壇で認められたいとまた苦しんだ女性作家の生き様も描いた。子どもに背を向け、一心不乱にタイプライターを打つ写真が新聞に掲載されるなど、視覚面からも、子育てをしながら働く女性像を分かりやすく示した。堕胎を女性が選択する自由についても『結婚/毒』では描いた。この時代、デンマークでも堕胎は合法化されていなかった。

トーヴェ・ディトレウセンの再ブームの火付け役になった作家オルガ・ラウンもラジオ局DRのサイトで、トーヴェ・ディトレウセンが今でも読まれている理由のひとつとして、母親の役割と家庭というトーヴェが多く扱ったテーマが、キャリアと子育ての両立を求められる現在の女性たちの共感を呼んでいるからとしている。

またオルガは、トーヴェはモダニストたちに古臭い、感傷的であると批判され、優れた文学とは何かという議論の中で常に揶揄され、長年、貧しくてつまらない女流作家と呼ばれてきたこと、第二次世界大戦の後、詩を書くのをやめた作家が多かったが、トーヴェは詩を書き続けたこと、また彼女が主婦であることについて書き続けたことを癪に感じる人も多かったことを指摘している。両親の子どもという役割から解放される唯一の道は結婚であると気づき、家庭を持つ道を選んだが、やがて子ども時代だけでなく結婚生活も自分には合っていないと気づき、子どもの世話をするぐらいなら、ものを書いていたいという思いに至ったトーヴェと同じく、親になり切れず、罪悪感を覚えている人は、トーヴェ作品に共感を寄せるのではないかとオルガは述べている。

当時のデンマークは、女性運動や労働運動、若者(学生)による運動が非常に盛んな時代で、そのような時代性が文学の流れにも反映され、トーヴェ・ディトレウセンの他にもヴィータ・アナセン、スサンネ・ブレガー(邦訳に『フレッシュクリーム――男の規範による女性性からの解放と自立』加藤節子訳、あむすく、1999年がある)など、女性の社会における役割や社会倫理について自伝的作品を描く作家が活躍した。彼女たちの作品は、大衆には熱烈に支持されたが、男性中心の文壇や文学史の中では過小評価される傾向にあった。トーヴェも1970年、72年に続き、『結婚/毒』や詩集『大人』など意欲作を出したばかりの1974年、54歳の時にデンマーク作家アカデミーの文学賞を逃した際には、まだ30代で著作も少なかったスヴェン・ホルムという男性作家が受賞したことに大きく失望したようだ。

しかし時代を経て、Metoo運動などの流れの中で、男性たちの陰に隠れてきたかつての女性たちにスポットを当てようという動きが各所で起こり、そのうちの一つとして、トーヴェ・ディトレウセンや前述のヴィータ・アナセン、スサンネ・ブレガーといった70年代の女性作家の作品を見直す動きが出てきたのだ。

Copyright © HIDANI Reiko 2023
(筆者のご許諾を得て抜粋転載しています)

* トーヴェについてさらに知りたい方は、枇谷さんによる次の紹介文も合わせてお読みください。
https://etcbooks.co.jp/news_magazine/honyakuvol6/