極端な市場主義者が世界を壊す
【WEBみすず限定】スロボディアン『破壊系資本主義』(1月16日刊)訳者あとがき
2026年2月2日
小社刊『破壊系資本主義(原題:Crack-Up Capitalism: Market Radicals and the Dream of a World Without Democracy)』は、極端な市場主義者の野望と実践を追跡する世界的話題書。待望の日本語版刊行にあわせ、訳者の松島聖子氏に「あとがき」を寄稿いただきました。
著者のクィン・スロボディアンは、カナダ出身で現在は米ボストン大学大学院で国際関係史を教える、1978年生まれの若い歴史学者です。著書に『グローバリスト──帝国の終焉とネオリベラリズムの誕生』(原田太津男・尹春志訳、白水社、2024年)や、今春に刊行予定の共著『マスキズム(Muskism)』(未訳。Muskとは著名な起業家イーロン・マスクのこと)などがあるほか、英ガーディアン紙や米ニューヨーク・タイムズ紙などにも寄稿しています。英プロスペクト誌の「世界の思想家2024」リストで25人のひとりに選ばれ、また2025年には世界中のメディアに論考を配信するチェコのNPOプロジェクト・シンジケートから「フォワード・シンカー30人(PS30)」に選出されています。今後の活躍が期待される若手の論客です。特に2025年1月に米国で第2次ドナルド・トランプ政権が発足してからは、イーロン・マスクやピーター・ティールといった右派のテック・リバタリアンと米国政治との関係について巧みに論じ、欧米の新聞・雑誌で引っ張りだこにもなりました。
前著『グローバリスト』は新自由主義の思想的系譜をたどる学術書ですが、一転して本書は、著者が「破壊系資本主義(crack-up capitalism)」(後述)と名付けたイデオロギーと、タックスヘイブンや輸出加工区などの利益追求を主眼とする経済活動が手を結んで冷戦終結後の世界へと拡散した様子を、一般読者向けにわかりやすく解説する作品です。翻訳作業中に本書の大まかな内容を知人に説明する際には、「極端な市場主義者で差別的指向を持ち、反国家・反民主主義をかかげる起業家や学者を集めた変人カタログ」と伝えていました。最新作の『ハイエクの落とし子──人種、ゴールド、IQと極右資本主義(Hayek's Bastards: Race, Gold, IQ and the Capitalism of the Far Right)』(2025年4月刊、副題は米国版のもの。未訳)とあわせ、3部作のような内容であると著者は主張しています(1)。
『破壊系資本主義』の論旨を支えるのは、特殊領域「ゾーン」です。著者は「国という容れ物の中に特別な法律が適用される異質な土地や、例外的な区域、特異な法域」をゾーンと呼びます(『破壊系資本主義』邦訳版2頁)。そのひとつが、先進国の市民が着る服や靴を安価に製造するために主に開発途上国に設置され、現地の労働者を酷使する「輸出加工区(EPZ)」です。輸出加工区の歴史は古く、はじまりは1950年代後半とされています。本書の参考文献に挙がっている『ブランドなんか、いらない』(ナオミ・クライン著、拙訳、はまの出版、2001年。新版は大月書店、2009年)でも、こうしたゾーンが韓国、中国、ベトナム、フィリピン、タイ、インドネシア、メキシコなどに点在する事実がすでに暴かれていました。
同書の出版から20年以上経て刊行された『破壊系資本主義』が明らかにするのは、ゾーンが輸出加工区にとどまらず、「都市国家、ヘイブン、飛び地、自由港、ハイテク工業団地、免税特区、イノベーション・ハブなどさまざま」(同)に形を変えて世界中に広がっている、という不穏な事態です。
たとえば、第2章「ロンドン──美しき廃墟」では、英サッチャー政権が規制緩和策の一環として「エンタープライズ・ゾーン」なるものを設置し、民間の不動産業者にドックランズ地区の再開発を委ねる様が描かれます。ドックランズは企業優遇の新自由主義的な開発ルールが適用される特区になりました。そして、労働者や移民が暮らす古い街が取り壊され、かわりに出現したのは、投資用の超高層ビルが建ち並ぶ新たな金融街でした。大企業が公的枠組みや優遇制度を利用し、美しいスタジアムや緑豊かな公園を破壊して次々に新しい超高層ビルを建てる。近隣住民や一般市民がいくら反対しても止まる兆しがない――こうした状況は、果たして英国だけの話でしょうか。
民主主義を放棄して金儲けに走る経済的強者が、大多数の庶民の不利益をかえりみず、世界中を自分たちに都合のよい「ゾーン」だらけにする。この営利追求の活動と結びつくイデオロギーが、本書のタイトルでもある「破壊系資本主義(crack-up capitalism)」です。これは、本文中に記されるように著者の造語で、地球や社会を「粉々に破壊(crack-up)」しながら進んでいく資本主義の一形態を示すものです。crack-upという語から来る第一のイメージは「ひび割れ」「崩壊」で、原題を見聞きした人の脳裏には「ひび割れ資本主義とは何だ?」との疑問が浮かびます。そこが造語の造語たる所以です。言葉遊びを好む傾向がある著者は、合わせると気持ちの悪い言葉を組み合わせました。その意図は? おそらく、「崩壊」を推し進める人々、つまり「破壊者」のほうに焦点を当てることだと思います。そのため邦題には「破壊系資本主義」という、壊す側を強調する造語をあえて採用しました。
さらに、crack-upには「爆笑する」「精神を病む」という意味があるため、そのニュアンスも一瞬、頭をよぎります。英プロスペクト誌(2024年3月20日)が「(本書は)過去30年間の資本主義の変質を描く新たな力強い論考」と評したように、「精神を病む」の意味合いを汲めば、「ここまでイカれた資本主義」と読めなくもありません。そして、crack-upを他動詞、「資本主義」を目的語と捉えると「資本主義を解体せよ」となり、連想はさらに広がります。
極端な市場主義者が世界を壊してゆく現状を活写した原著は、経済誌フォーチュン誌の「ベスト・ノンフィクション」(2023年)に選ばれ、また『新自由主義の廃墟で――真実の終わりと民主主義の未来』(河野真太郎訳、人文書院、2022年)などで知られる米国の著名な政治哲学者のウェンディ・ブラウンに賞讃されるなど(2)、ビジネス界から学術界までひろく話題となりました。2026年1月時点で、仏語、独語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語、韓国語、中国語(繁体字)に翻訳され、多くの国で読まれています。
最後に、ゾーンや「破壊系資本主義」は決して遠い世界の話ではありません。邦訳版の書影は、本書冒頭に掲載されている「世界の経済特区」マップを採用したものです。URL(本記事公表時点:https://www.openzonemap.com/map)を記載しておきます。本書に登場するゾーンと違いイデオロギー色が薄いものも含まれるため見分けが困難ですが、あなたの近隣にも「ゾーン」が見つかるかもしれません。あるいは、民主政治の福祉政策による再分配を嫌悪するあまり、疑似科学が「劣った人種」とみなす人々を激しく差別する一部のリバタリアンの姿は、デマをまき散らしながら国内で力を伸ばしつつある排外主義勢力とも重なるような気がします。
私ごとですが、2008年に諸事情により出版界を離れました。その後は静かに産業翻訳に従事していた私が、こうして再び書籍を訳すことになったのは、翻訳者の諸先輩方のご配慮によるものです。この場をかりてお礼を申し上げます。
(松島聖子 編集者、翻訳者)
注
*いずれも2026年1月22日閲覧
- 著者へのインタビュー:”Hayek’s Bastards and the Global Origins of the Far Right: An Interview with Quinn Slobodian.” https://toynbeeprize.org/posts/hayeks-bastards-and-the-global-origins-of-the-far-right-an-interview-with-quinn-slobodian/
- 「素晴らしい。『民主主義の行方』論に一石を投じる重要な著作」原書書誌ページ:https://us.macmillan.com/books/9781250753892/crackupcapitalism/
