金持ちがますます富み、貧しい者がますます手段を奪われる世界が姿を現して久しい。そのような格差に対抗できるものがあるのかと問うとき、多くの人がそれは教育であると答えるだろう。私たちは格差を乗り越え、社会移動を可能とするものが教育であると信じ、また教育にその使命が与えられている。しかし私は、教育が社会的な越境の手段を与えるとしても、より一般的には、すでに富む者をより豊かにし、欠乏する者からさらに奪っているのではないかという疑念を抱く。
私は2012~13年と2022~23年に大学の海外長期研修制度で、子どもたちを連れて海外に滞在した。最初の時は上の子ども二人(当時11歳と9歳)と共にニューヨークのハーレムに、2回目は末っ子(当時10歳)を連れてパリ近郊に暮らし、子どもを地元の公立校に通わせた。教育格差も、研究者として眺めるのと、学校に通う子どもの親として経験するのでは異なる。ニューヨークとパリ近郊は対照的な二つの場所であったが、そこで経験したのは、教育格差が導く「将来格差」と、構造的に作り込まれた「適者生存」の仕組みであった。
『ザ・シンプソンズ』の世界
ニューヨークに住みましたと話すと、それはうらやましいと皆に言われたが、なぜよりにもよってハーレムに、ともよく聞かれた。ハーレムは、伝統的に黒人地区として知られている。まずは研修先の大学から近く、家賃も比較的安いためだが、実は隠れた目的があった。前回書いたように、黒人の義父と麻薬の売人になったその息子のこともあり、黒人社会を近くで観察したいと思っていたのだ。
ハーレムの通りや公園、学校には、アメリカ黒人の歴史で重要な人たちの名前が付けられている。私たちの住所は通称マルコムX大通り、マーカス・ガーヴェイ公園から2ブロックのところにあった。マルコムXは有名だが、ガーヴェイは、20世紀転換期に黒人の地位改善を訴え、アフリカ回帰を唱えて汽船会社を立ち上げたものの、事業に失敗し詐欺師と非難された黒人指導者である。近くには「あたしゃ女じゃないのかい」という言葉で知られる奴隷解放活動家、ソジャーナ・トゥルース小学校もあった。
アメリカの公立校は住所によって学区が決まっている。入学が予定された学校に下見に行き、授業を見学させてもらったところ、多少の危機感を抱いた。入り口で金属探知機を通るのは当然として、騒音・衛生の点で学校らしからぬ雰囲気だったからだ。面談をしてくれた校長もなんだか投げやりなので、地区の教育委員会のようなところに相談して、学校を変えてくれと頼んだところ、多少遠かったが他の学校に入れてもらえることになった。それが公立校76番フィリップ・ランドルフ校であった。
フィリップ・ランドルフは、20世紀の黒人労働運動の指導者である。大学で黒人史の授業を受けて以来聞いたことのなかった名前に再会し、ここならなんとかなる気がした。また日本の郊外の、親も子どもも教員も均質的な小学校では出会えない何かが待っている気もした。こうして、英語が全く話せない小学生二人の子どもは、黒人7割、ヒスパニック2割5分、白人数パーセント、アジア系ゼロという学校に放り込まれることとなった。
子どもたちが学校に通い始めてしばらくして、何につけてもがまん強い9歳の娘が、「学校の給食が耐えられない」と言った。ほぼ毎日、ハンバーガーかチキンナゲット、ピザ、フライドポテトかマッシュポテト、娘の言葉を借りると「ぐちゃぐちゃ野菜」――茹でたミックスベジタブルのことかと思う――のローテーションなので食べられないという。だから毎日りんごやヨーグルトだけ取って食べているという。最初は同じようなメニューが繰り返し提供されることなどあるのかと半信半疑であったが、そのうちに実際にそうであることが分かった。付け加えると、学校ではこういった給食を朝から食べている子もいた。貧困家庭の子どもには、ランチだけでなく、授業前に食事の提供があるからだ。
衝撃であったのは、娘がカフェテリアで毎日繰り広げられるという光景だった。かつて『ザ・シンプソンズ』というアメリカのアニメが日本でも流行ったが、そのバート・シンプソンが通う学校のようだという。いつもランチの終盤でリンゴの芯を投げてゴミ箱に入れるシュート合戦が始まり、誰かが落ちているバナナの皮で滑って大爆笑になる。バナナの皮で滑るなど、漫画の中だけかと思っていたが、ようはランチルームでは食べ残しなどが落ちていて床が滑るということだ。その騒乱や想像に難くなく、私は娘に無理に給食を食べるように言うのをやめ、彼女は弁当を持参し始めた。
食に関しては、さもありなんといった感じであった。ハーレムに着いてすぐに、町中の路上にいつも何かの小骨がたくさん落ちていることに気づき、なぜなのか頭をひねっていた。そのうちに、住民たちがフライドチキンを食べ歩きしつつ、小骨をポイポイと道に捨てる姿を目撃し、謎が解けた。ハーレムの鼠はいつも丸々と太って大きかった。
アメリカの社会格差が健康格差であることは周知の事実だろう。野菜・果物といった生鮮食品など健康的なものが一般に高いのに対し、ジャンクフードは安い。ハーレムは明らかに肥満の割合が高かったが、高所得者層に肥満はほとんどない。地域のスーパーでは以前「フード・スタンプ」と呼ばれた低所得者のための食料補助で買い物をしている人が結構いた。これはマンハッタンの他の地域では見かけない光景であった。
加えて、ハーレムの学校には基本的に運動場と呼べるようなものがなかった。町の中なので仕方ないが、きちんとした体育の授業も組まれていなかった。肥満には子どもの時からの生活習慣が影響することを考えると、ハーレムの住民が健康な人生を送るのには、かなり自己規律が必要なように思われた。
さて、最初は『ザ・シンプソンズ』の世界を面白がっていた息子も、しばらくすると11歳なりに学校に疑念が出てきたようであった。授業中に先生が外に飲み物を買いに出て行ってしまう、携帯で話し込んで授業が終了するといったことはしょっちゅうで、なぜか外にみんなでアイスクリームを食べに行って解散、ということも数回あった。勉強の方では、驚いたのは算数の授業で、タブレット片手に計算するのだという。つまり計算機を使って算数をするということである。息子は特に算数ができるという子どもではなかったにもかかわらず、まわりがそんなレベルであるから、九九ができて計算が速いらしいと噂になり、なんと「数学の魔術師(マス・ウィザード)」と呼ばれるようになってしまった。
他方、英語がまったく分からない娘は、他の子どもたちが授業を受ける間、言語習得のための「取り出し教育」を受けることになっていた。しかし最初の2、3回ほど「取り出し」があって以降は、誰も彼女を「取り出し」に来なくなった。クラスがあるかは、教員の気分次第のようだった。結果として娘は、何も分からないまま教室に座り続けることとなった。ノートを取ることももちろんできなかった。クラスには英語が話せず、共通言語がないためジェスチャーで一日を乗り切っている子どもたちのグループがあり、彼女はその中に自分の居場所を確保した。
教育格差と将来格差
フィリップ・ランドルフ校では、先生が急に交代する、授業が急になくなり自習になるなどは、特に問題ともされていなかった。小学校など、どこでもそんなものだと思う人もいるかもしれない。熱意の欠けた教員がいるのも世界共通だろう。教育の質の問題は明らかにあったが、私にはむしろ教員の間に蔓延していた「この程度でいいだろう」という雰囲気の方が問題に思えた。ハーレムの公立校に来る子どもの移民としての背景や親の職業などから、暗黙にも設定されている低めの到達目標のようなものを感じないわけにはいかなかった。これは子どもたちの進路を半ば決定してゆくように思われた。
アメリカの公立校の予算は、基本的にはその学区の住民からの税収(学校税)に基づく。このため地域によって施設や人材の点で見劣りがする学校があるのも事実である。もちろん州はこうした税収格差を是正するための予算配分措置をとっているが、それでも学区による格差は残る。ニューヨーク州は、生徒一人あたりに支出される教育費の差が学区によって大きいことで知られるが、これは超富裕層が集中する地域と、そうでない地域とがあるためであろう。
実際に、ハーレムには経済的に困難な人たちが一定の割合で存在した。20世紀中葉に建てられた公営アパートが集中する地区には、ほとんど毎日けたたましいサイレンを鳴らして警察か消防が来ていた。学校には、公的な身分証明書を持たない不法移民の子どもも通っていた。子どもには法的地位に関係なく学ぶ権利があるということだと思うが、息子が入った地元のサッカークラブ、ハーレムFCの仲間にはそういう子が多かった。アメリカから出国したら二度と入国できないから、メキシコに住む祖父母に一度も会ったことがないと語るチームメイトがいた。
2012年にオバマ大統領は、幼少期に親に連れられて不法入国した子どもたちを強制退去から守る措置を導入し、不法移民の子どもでも国内で教育を受け、合法的に働けるようにした。DACAプログラム(Deferred Action for Childhood Arrivals 若年移民に対する国外強制退去の延期措置)と呼ばれる。トランプが大統領の時にこの凍結が宣言され、バイデン大統領はプログラムを再開し、民主党と共和党の攻防が続いている。ただし、DACAに登録されてもアメリカ市民権が得られるわけではなく、とりあえず滞在が許可されるにすぎない。
とはいえ、ハーレムの公立校が「貧しい」わけでは全くない。ハーレムといえどマンハッタン自体が住むには非常に金のかかる地域である。生徒一人に対する公的な教育支出は、全米でニューヨーク州が最も高く(2万9873ドル、2022年)、これは最も少ないユタ州(9552ドル)の3倍以上である。またニューヨーク州の中でも、マンハッタンを含むニューヨーク市のそれは全米トップだ(3万5914ドル)(1)。大都会なので人件費、施設維持費等が高いのである。
実際、ハーレムの学校に予算がなくて困っている感じはなかった。当時すでに一人一人にタブレットが支給されていたし、様々な学外プログラムや体験学習も提供されていた。教員に連れられて外にアイスクリームを食べに行くときも、もちろんすべて学校持ちであった。コミュニティのイベントが多い上に、参加は基本的にすべて無料だった。息子のサッカークラブも月謝はなく、ユニフォーム一式がすべて無償で支給された。企業などの大口寄付者がついた。それに加えて、黒人地区ならではの助け合いの精神もあった。娘が肌寒い時期に薄着をしていたところ、服を買う余裕がないと思われたらしく、ある時何枚もジャンパーを与えられて帰ってきた。
しかし、学校に通い始めて数ヶ月たった頃、ついに娘が「あれは学校ではない」と言った。毎日、「地獄が早く終わるように祈りながら時計を見ている」という。その時点では私も学校の体制に問題があることを十分に認識していたが、9歳児が「あれは学校ではない」と結論したことに、すくなからずショックを覚えた。むしろ、親として「学校に通う意味はない」ということを受け入れるのが困難であった。言葉が分からなくても、同年代の子どもと触れ合うことで社会性が得られるとか、多文化を体験できるとか、いろいろ理由をつけてみようとしたが、少なくとも学業の面では積極的な理由を見つけることができなかった。娘は相変わらず毎日学校で一言も発さず、身振り手振りで生活していた。
結局、二人の子どもを午前中に町の語学学校へ、午後に小学校に通わせることにした。このため、学校には週の半分も行かなくなった。つまり子どもを半ばホーム・スクーリングさせることにしたのだが、私たちの決断に学校側で反対する者はいなかった。というより、誰も気にしていなかった。
フランスでの学校探し
ハーレムでの経験があったので、その10年後に今度は小学校4年の末っ子を1年フランスの学校に通わせることにした時には、学区には気をつけようと思っていた。それはフランスでは一般に、「移民地区を避ける」ということを意味している。「バンリュー(Banlieu、郊外)」と呼ばれる、経済成長期に作られた団地が集中する地域の学校は問題が多いことで知られており、その延長線上に失業問題や犯罪があると認識されている。結果として、特定地域の住民に対するスティグマとなっている。
しかしこれは単なる風評とも言い切れず、パリで移民地区とされるエリアに住む義姉の家庭が、公立小学校に子どもを通わせたところ、凶器を用いた恐喝事件が学校内で頻発したため、結局私立の学校に転校させたことを聞いていた。私はフランスにおける移民の社会統合に関心があったが、自分の学術的な興味と、実際に自分の子どもを困難な学校に通わせることは別物だと整理して、ハーレムの二の舞にならないようにアパートを探した。しかし、その逆の展開がありうるという発想はなかった。評判の悪い学校を回避する親はいても、評判の良い学校を避ける親はいないからである。たとえそれが振り落としの激しい、エリート予備校のような場所であってもだ。
さて学校探しを始めると、パリ近郊に公立のインターナショナルスクールがあることが分かった。パリの西へ電車で20~30分、なるほどルイ14世の生誕地というだけあって、町の真ん中にりっぱな城がある。公立なのにインターナショナルスクールとは珍しいが、それはフランス政府がパートナーと位置づける14カ国(主たるEU国家と英・米・ロシア、アジアでは中国と日本)の国籍者、もしくはこれと家族的つながりを有する子ども、またはこうした国の学校に通った子どものバイリンガル教育を行っている。編入を希望し、試験を受けたところ、意外にも受け入れが決まった。
その時はまったく知らなかったのだが、この学校に入るにはかなり激しい競争があるとのことだった。というのもこの学校はインターナショナルの一貫校で、幼稚園、小学校から中学校(コレージュ)と高校(リセ)へ接続する。このため、幼稚園から高校までの全体を「国際リセ」と呼んでいる。高校は進学実績が良く、2024年のリセ・ランキングでは全国23位で、いわゆるエリート校として位置づけられている(2)。
私たちが日本からぽっと来て、ぽっと国際リセの小学校に入ったため、同じ学校に子どもが通う中国人の母親が驚いていた。町に家を買って毎年編入試験を受けるけれど、落ち続けて再挑戦している日本人の知り合いがいるよ、と言う。後から知って驚いたことに、多くの家庭はまずは国際リセの学区に引っ越して、住民としての実態を持たせるのだという。少なくとも入学が認められた時点で、転入しなければならない。そうすると場合によっては家を売り、兄弟姉妹の学校も探し直すことになるから、親にはかなりの負担だ。日本での家探しは基本的には親の仕事を軸に職場への距離などで判断するから、最初から子どもの学校のために住所を定める人はあまりいない。それでも問題がないのは、日本では少なくとも小学校レベルでは、どこも標準的な質が担保されているからに違いない。
だから小学校にエリート校もないだろう、と私たちは思う。それが必ずしも大げさでないのが、フランスの学校制度なのである。
フランスのエリートシステム
フランスは国家的なエリート養成を是とする国である。フランスの高等教育の頂点には、高等師範学校(école normale supérieure)、国立理工学校(école polytechnique)、国立行政学院(école nationale d'administration、2021年末に廃止)など、いわゆる「グランゼコール」と呼ばれるエリート校が君臨してきた。歴代大統領、高級官僚、経済人などは大抵こうしたエリート校の出身である。優れた思想家、文筆家などもそうであるし、日本から大脱走した元日産COOのカルロス・ゴーンもそうだ。これらグランゼコールは大学とは異なる枠組みで、『現代フランスのエリート形成』の著者、山﨑晶子の言葉を借りると、「フランスの成績優秀者は基本的に大学に進学しない」(3)。バカロレア(高校卒業・大学入学資格証書)を取得した後、グランゼコールに入るための準備学級(classe préparatoire、通称プレパ)に進み、2、3年学んでからグランゼコールに進学するのだ。
これら頂点へ向けた選抜は早い段階から始まる。なぜなら、こうした場所にたどり着くには当然高校での非常に良い成績が必要で、これも実際には普通の高校ではなく、むしろ「非常に良い高校における非常に良い成績」を意味している。パリだとアンリ4世校(2024年リセ・ランキングで3位)やルイ・ル・グラン校(同1位)などがエリート高校として知られており、これらの高校に先述のプレパが付設されている。準備学級といっても日本の予備校のようなものではなく、プレパに入るための熾烈な選抜がある。
こうしたエリート路線に乗るには、中学で非常に良い成績を取る必要がある。成績が悪いと、生徒は職業系の高校を勧められ、その時点で管理職への道が遠のく。ただしフランスも居住地による学区制なので、将来設計上、中学校の学区は重要になる。家探しの際に、地域の学校の評判を確かめるのは、親なら誰もがすることである。
こうなると、エリートになるための選抜はどんどん下のレベルに落ちてきて、究極的には小学校からすでに将来を見据えた学区選択が始まる。一般的に住宅価格の高い地域に良い学校が位置するが、もちろんこういった地域にすべての人が住めるわけではないので、学校の質は必然的に社会階層に比例する。フランスはOECD諸国の中で、最も社会階層が学業成績に影響する国の一つとされている(4)。
フランスの特殊性は、国がこれらのエリートシステムを設計していることだ。アメリカのように自由主義的・資本主義的な競争の結果、勝者としてのエリート層が形成され、これが世襲的に富や機会を独占するのではない。教育におけるエリート主義と社会階層の関連性は、アングロサクソン系の国の方が顕著である。親がその大学の卒業生で、かつ寄付の実績があったりすると、入学選抜で有利になる「レガシー」制度――まさに「親の遺産」を意味するが——などはフランスにはない。その点フランスでは、民族・宗教・性別など出自を問わず、平等な国民の創出を掲げる国家が、自国の政治経済をけん引するエリートの形成を担っているのである。
これは矛盾に聞こえるようだが、必ずしも矛盾とも言えないのがフランスの興味深い点である。というのは、国が出自により差別されない社会の実現のための制度を用意し、もしくは少なくともこれに向けて努力するために、選抜された最も優秀な者たちによるメリトクラシー(能力主義)が正当化されるのである。フランスのエリートは、早い段階から選抜を受け続け、さらにその選抜者の中でも勝ち残る人たちであり、その学歴主義は平等な国家理念と結びついているのだ。このため、フランス人はエリートを呪いつつ、同時にエリートを必要とし、彼らによる指導と国家運営を(ある程度)受け入れる。マクロンが39歳という若さで大統領となり、また同時にそのエリート臭が嫌悪されているのも、こういった背景がある。
ランボーの詩
さて、次男は国際リセの小学校で、フランス語を習得するための集中クラスに入った。その頃息子は、フランス語のアルファベットもまだきちんと発音できなかった。フランス語が母語ではない子どもの語学習得クラスだから、「ボンジュール」から始まるのかと思っていたら、とんでもなかった。授業が始まり、次男が持って帰ってきたプリントを見て、驚愕した。アルファベットがまともに読めない子どもに、どうやってこの宿題をせよというのか? 大学の第二外国語でフランス語を取った人なら覚えがあるだろうが、1年目前期の動詞の活用で3分の1の学生が消え、後期の時制変化でクラスは半分まで減っていただろう。そういう自然淘汰のプロセスがすっ飛ばされていた。
息子はよく暗唱するための詩を持って帰ってきた。週の後半でプリントをもらい、たいてい翌週が始まるまでに丸暗記する必要があった。韻を踏んだ詩を、意味も分からないまま、音だけで覚えるのだ。もちろん、子どもだけでは覚えられないので、フランス語がまったくおぼつかない私も一緒に唱えることになる。
絶望したのは、暗唱の課題で、19世紀の詩人アルチュール・ランボーの詩が出されたときだった。大人のフランス人でさえ意味が分からないランボーの詩を、外国から来た小学生に暗記させることの意義とは何なのか? 私は子どもの能力を明らかに超えたことが要求されたと思い、憤慨した。しかし、週が明けて学校が始まり、息子に「みんな暗記してた?」と聞いたところ、暗唱できなかったのは息子と、マティスという名の泣き虫のオランダ人だけであった。子どもたちとその親は、互いにランボーをぶつぶつと唱えて週末を過ごしたのである。
私からすると、算数など一部の科目を除くと、国際リセの授業内容は10歳か11歳の子どものレベルを超えているように思えた。例えば理科のクラスで、火山のしくみを「盾状火山」「ストロンボリ式噴火」などの言葉を使って学んでいるのを見て、こうした知識はどのような文脈において小5に適していると言えるのか、首をかしげた。
息子にとってフランス語が難しかったのは当然として、日本語のクラスのレベルも相当高かった。毎月作文の課題が出るのだが、文章を書く際の指針が示されたプリントを読んだとき、正直に言うと、日本の大学の初年次教育で、アカデミック・ライティングのクラスで求められる内容だと思った。子どものための平易な言葉で書かれてはいたが、実態としては、いかに自分で問題を発見し、それに対して立場を述べ、自分の主張を根拠付け、最終的には相手を説得するかという、何層かの構造を持たせた論理展開が求められていた。
こうした訓練は、翌年から始まる中学校での勉強の準備という側面が強かった(フランスの中学は11~14歳までの4年間)。バカロレアだけでなく、その後の大学進学に焦点を当て、そこから逆算して、10歳の段階で必要なことを求めていると思われた。現に文系バカロレア試験では、哲学や歴史の筆記試験は4時間続く。日本の一大学教員としては、そんなに長いとトイレ休憩はどうするのか、トイレの中でスマホを使って情報を集めたらどうするのかなど、「くだらない」ことを心配してしまうが、それは実際に「くだらない」心配である。なぜならそうした試験では、知識の応用を大前提とした型のある論理展開が必要で、数値や情報はそれを裏付ける手段にすぎないから、スマホで得られるような内容ではまったく役に立たないのである。
息子は、担任の先生が厳しいのと、勉強のつらさによく泣いていた。フランスの学校では、教員と生徒の間には絶対的な上下関係が存在する。二人称のあなた(vous)/君(tu)の使い分けが、空間的にも、儀式的にも、両者の関係性を支配する。ほどなく彼は学校が「地獄だ」と言い始めた。こちらも、夜遅くまで宿題をさせるつらさ、学校に行きたくないと訴える息子を毎朝校門まで見送り、肩を落として教室に向かうその背中を、鉄の扉がガチャンと閉まるまで目で追う日々に、涙が出た。
徐々に、国際リセがエリート校とされる意味の片鱗が、ちらちらと見え始めた。もしかすると、とんでもない所に来てしまったかもしれないと青くなり始めた。まさに親子で「泣きながら」勉強する日々が始まった。
注
- Largest Annual Spike in Public School Spending in Over 20 Years (census.gov)
- Classement national des lycées 2024 (lefigaro.fr)
- 山﨑晶子『現代フランスのエリート形成――言語資本と階層移動』青弓社、2022年、15頁。
- 園山大祐『フランスの社会階層と進路選択――学校制度からの排除と自己選抜のメカニズム』勁草書房、2018年、10頁。