みすず書房

「国ガチャ」の時代に

「国ガチャ」の時代に

去年の秋から大学のサバティカルでフランスに生活していたが、最近日本に帰国した。10年ぶりに暮らしたヨーロッパは、ウクライナ戦争の影響もありエネルギー不足が深刻で、物価がとにかく高く、加えて円安の三重苦だった。卵4個(2.5ユーロ、380円!)を買うにも売り場で5分逡巡し、これほどの貧乏感を味わったのも大学時代以来であったが、何よりもショックだったのは、日本が発展途上国レベルにまで「安い」国になってしまったという事実だった。経済的にだけでなく、日本の政治的な存在感は極めて薄く、アジアというと中国か、近年ヨーロッパへの移民が多いインドかといったところで、日本がフランスでアニメとラーメンに集約されてしまっているのは、もはや屈辱であった。

「国ガチャ」という言葉が頭に浮かぶ。「親ガチャ」以前の「国ガチャ」が、海外では世界の基本的な秩序として認識されている。親と同様、生まれついた国は簡単には変えられないから、国ガチャの「ハズレ」を引いたと思う人たちは、なんとか国境を越え移動して、豊かな国で国民になる切符を手に入れようとしてきた。

最近、アメリカの著名な投資家が日本人に対して、「あなたが10歳なら、はやく日本を出た方がいい」と提言したという。なんとなく心がざわつく。少子化で経済規模の縮小が避けられない中、日本も国ガチャのハズレと見なされるときが来るということか。そうだとすると、「日本人であること」や「日本国籍者であること」の意味について、もう一度よく考える必要がないだろうか。そもそも、私たちが所与のものとみなし、所属を受け入れている「国籍」とは、いったい何なのだろうか。

国籍とは第一義的には、国民と国家を紐付け、外国人との境界線を引くものである。しかし、世の中には無国籍者もいれば、いくつもパスポートを持つ複数国籍者もいる。また人は国籍を変更したり、失ったり、再獲得したりするから、決して固定的ではない。外国人でも国籍の取得は帰化によって可能となるため、国民化までにはいくつかの段階があるにせよ、完全に道が閉ざされているわけでもない。その道筋は、たいてい法がきちんと定めている。

ところが国籍は「血統」、時代によっては「人種」などと同一視され、ややもすると「生来的」とされるものと結びつけられてきた。例えば19世紀の欧米諸国では、国籍の有無もしくは帰化の権利は明白に人種と結びつけられていた。欧米植民地においては当然のこと、移民の国アメリカが長く「白人」のみに帰化を認めていたことはあまり知られていない。実際には、血統や人種などというものは、科学的にはほとんど定義不可能であるので、実態のないものに国籍という枠を通して法的な外殻が与えられたということになる。

また国籍は可変的であるのに、歴史や伝統、精神性など、集団に「固有」で「本質的」なものと不可分に結びついていると思われている。日本では国籍が言語や外見なども含めた「日本人であること」の曖昧模糊としたアイデンティティと同一視されるため、外国人が帰化して日本人になっても、いつまでも外国人として扱われてしまう。極端に閉鎖的な例になると、アラブ産油国に典型的に見られるように、国民としての特権はごく少数の国籍者に限定され、住民の大半を占める外国人労働者にはほぼ国民化への道を閉ざしている国もある。逆にアメリカやフランスなど、移民を国民予備軍と位置づけ、むしろその選抜と統合に重点を置いてきた国は、国籍者には国家が前提とする理念、例えば民主主義や自由の概念といったものの共有が求められる。それゆえこれに賛同しない、その価値観を受け入れようとしない者への風当たりは強い。国籍者の集団が共有するとされる伝統や価値観が、「よそ者」の排除を感情面で支える。

国籍のホップ・ステップ・ジャンプ

一方では、国籍を集団のアイデンティティや価値観から切り離して、個人が必要に応じて使い分けられるツールだと考える人もいる。アメリカにいた頃、知人が日本から来ている「ようこさん」という研究者を紹介するというので、会ってみた時の話だ。名字も「山田」「田中」のような、よくある名前の人だったと記憶している。

自己紹介をして、専門分野は何ですかなどと通りいっぺんの話をしているうちに、何か違和感を覚えはじめた。ようこさんは日本語を普通に話すのだが、日本語の話者にしてはイントネーションやアクセントがおかしい。最初はアメリカ育ちなのだろうかと思い、

「ようこさんはどちらのご出身なんですか」

「中国です」

「あ、帰国子女ですか」

「いえ、日本に帰化しました。」

なるほど、日本人と結婚して日本国籍を取ったのかと勝手に納得すると、

「違います。夫も中国人ですが、二人で日本に帰化しました」

つまり、日本にやってきた中国人同士が結婚して、日本国籍を取得したという。帰化する際には日本の常用漢字にある漢字しか使えず、以前は外国風の名前で帰化するのは難しかったから、あえてどこにでもありそうな名前を選んだのだろうか。

彼女の夫はカリフォルニアで会社を立ち上げる途中で、グリーンカードを取ってアメリカに残るつもりだという。ではなぜ日本国籍を、と聞くと、就職しやすいからとあっけらかんと答えた。中国から来日して日本人になり、今度は日本人としてアメリカへ移住してゆく人が目の前にいた。

これは、2010年代はじめの頃のことである。当時はまだ中国は経済発展の途上で、アメリカへ移住するのは容易ではなかったから、日本人を経由して最終的にアメリカ人になるのは合理的ではあった。しかし利用価値の高い国籍へとホップ・ステップ・ジャンプしてゆくさまに、何かひっかかるものを感じたのも事実だ。

この「何かひっかかる感じ」とは、いったい何なのか。国籍とは外側にいる者からすれば、国の数だけある枠組みの一つにすぎない。内側にいる人がこの枠組みに対して抱く感情は、外側の人びととは共有されない。したがって条件を満たしたのだから入場券を与えられて当然と考える外側の人間と、条件のクリアだけでなく、付加価値の共有こそが大事だと考える内側の人間では、いつまでも議論がかみ合わない。

この「ようこさん」との会話は、自分の中で国籍に対する包摂と排除の相反する感情が同居していることを実感させた。実は、これが国民と国民でない者の間に横たわる境界地帯にある何かで、時にはよそ者を排除し、時には「内輪」の者同士で集うことを心地良いと感じさせる根拠のない感情なのではないか。そうだとすると、その感覚は何に由来するのだろうか。

国籍と市民権

私が国籍とは何か、国民国家における所属とは何か、個人と国家の関係性とは何か、こういったことを考え始めたのは、自分が国境や国籍といったもののアンチテーゼのようなユダヤ人の歴史を研究してきたこともあるが、それにもまして、違う国籍の人間と結婚して、日本や海外で子供を育ててきたことと関係している。

実際、国を出て自分が外国人という立場になって、初めて見えてくるものも多い。例えば、自分が滞在許可を求める立場になると、自分という人間が相手国の論理により分類され、ランク付けされることをいやでも実感する。ランクの指標とされるものは国籍、資産、言語能力、当該国の国民の配偶者や難民であるといった法的な地位であったりするが、いずれにせよヒエラルキーの中に位置づけられるため、あまりいい気はしない。

国籍を基準とした「区別」の例は、フランスの玄関口、シャルル・ド・ゴール空港にある。入国管理を通るとき、まずは「フランス国籍・EU国籍者」というレーンがあり、「その他のパスポート」と区別されている。日本人は後者のレーンを進むのだが、その先に行くと今度はアメリカやイギリスなど、特定の国々とそれ以外のパスポートを分ける分岐点が来る。日本は、英米、カナダ、オーストラリアなどと同じく、一種の優遇レーンに進める国の一つである。どういった論理でフランスはその他多くの国々から特定国を選び出しているのか。入国者や出国者が相対的に多いからだろうか。そうではないようだ。現在最大数の観光客を送り出す中国は、こうした国の中には入っていない。ではフランスの友好国という位置づけなのか。理由は何であれ、私はこのプチ優遇により日本に帰る飛行機に乗り遅れずにすみ、フランス国家に感謝した。

こうした国籍や法的地位によるランク付けを学術的に表現すると、「国家は社会秩序を実現するために移民やマイノリティに対して段階的な市民権を与える制度を構築している」ということになる(1)。ここで市民権(citizenship)と国籍(nationality)の違いについて簡単に説明すると、社会学者の樽本によれば、国籍は市民権の一つのタイプである。対して、「市民権は当該社会におけるメンバーシップを意味し、地位、権利と義務、アイデンティティという三つの側面で構成されている。」つまり、必ずしも国籍者の範囲が市民権者の範囲と重なるわけではない。国民が完全な市民権を有するという、二つの円が重なることが理想とされているが、中には国籍は認めても市民権は部分的にしか認めないこともある。公民権運動以前のアメリカで、黒人は国籍を有していたが、市民権は欠落していた事実を挙げれば十分だろう。ただし現代の民主主義体制においては、公的な差別を是とする国家はほぼないため、国籍と市民権は一般的には一致するとされ、citizenshipとnationalityはほぼ同意義で使われていることが多い。

さて、樽本らのモデルでは、社会における市民権のレベルは、すべての権利を享受する「一流市民」を円の中心とする、射撃の的のような円により可視化される。円の中心から離れれば離れるほど、アクセスできる社会資源は減少するため、当然これは社会格差と重なってくる。逆に外側の円から内側の円に移動するには、合法的な滞在許可の所持や永住権の獲得など、法的な境界をいくつも越えていかなくてはならない。したがって最も外側の円には非合法移民が位置し、円の中心に完全な市民が位置する構図になるが、実は円の外には国境内にさえ入れていない無数の潜在的な不法移民が取り巻いている。

誰もが円の中心へと近づこうとするところで、国家はもちろん全員を国民・市民として位置づける気はない。現在のグローバル化した世界においても、国民国家を超える政体は存在せず、この国民国家が誰を国民・市民として受け入れたいのか決定している。だからここで国籍・市民権をめぐる国家との攻防が生じてくる。

「共和国統合契約」にサイン

円の周縁から中心への移動、不法滞在者からすべての権利を享受する市民への昇格は、実際にはどのような形を取るのか。私はフランスでこのプロセスの一部を経験した。「共和国統合契約(contrat d'intégration républicaine:CIR)」に署名し、移民統合のためのコースに参加させられたのである。

フランスに入国しヴィザを有効化してしばらくすると、フランス国旗と「自由・平等・友愛」の文字の入った手紙で面接の呼び出しの連絡があった。フランスに継続して居住する場合は「共和国統合契約」にサインし、市民性教育のコースを受講しなければならないという。これが長期滞在許可証を得る条件となるともいう。しかも、「共和国統合契約はフランス国家とあなたの間に結ばれ、署名することにより、フランス社会と共和国の原則と価値を尊重すると同意したことになる」とあり、真剣な感じが伝わってくる。私はフランスに移住するためにやって来たわけではなかったので、知らないうちに国民化のレールに乗っていることに驚き、最初は何か手続きを間違えたのかと不安になった。

招集日に指定の場所に行くと、すでに外国人ばかり(むしろ「白人ではない外国人ばかり」と言った方が正しい)の列が数百メートルもできていた。街中で外国人と思われる人だけが列を作っているのを時々見かけることがあり、大半がアフリカ系や中東系の人のためかなり可視的で、かつ寒い中外で待たされているものだから、なんとなく気の毒に感じたものだ。そうした場所が移民局や滞在許可証を発行する県の建物であるということは、後で知った。

このような列に並ぶ人々が市民でないこと、十分な権利をまだ得ていないことは、いつも「目に見え」た。それは、パリ18区や20区の移民街の可視性とつながるものではあるが、生活の場としての移民街の可視性ではなく、国家の管理下に置かれ従属的な集団としての可視性であった。自分がその列に並ぶ番になり、市民から投げかけられる一種の同情の視線を感じて、完全な市民でない人の可視性が社会の中でいかに醸成されるのか、なんとなく理解できるようになった。

さて私は語学のレベル判定を受け、契約に署名し、健康診断も受けた。その後3回指定された日に移民局に行き、毎回丸一日かけてフランスの歴史や国家の理念、政治や社会の仕組みを勉強した。フランス語ができない外国人は語学訓練へと送られるが、英語が公用語のクラスもあった。フランス語も英語もできない人には通訳が付けられた。

統合コースは、地位の異なる様々な外国人がひしめく場所であった。同時に、そのクラス編成には、フランス国家による外国人のランク付けが具現化されていた。そもそも、外国人でもEU市民やフランスで教育を受けてきた者、留学生などはコースへの参加義務がない。さらにフランスで起業する投資家や、修士号以上の高学歴者、研究者、アーティストなど、フランス国家に「有益」な人たちは、すでに入国時点で枠組みが異なっている。

逆に、入国当初は正規の滞在許可を持っていなかったが、後に難民として認定された者や、フランス国内で教育を受ける未成年の親であるという理由で、時限付きの滞在を認められた者たちもいた。彼らは滞在の過程で少しずつ地位が向上し、市民権モデル図でいうと、円の周縁部から円の中心に向けてゆっくり移動して、統合コースまでたどり着いたのであった。

私のクラスはと言うと、家族との統合を理由として入国した者が多かった。もとよりフランスへの移民が多いアルジェリア・モロッコ・チュニジアなど北アフリカ諸国出身者に加え、アフリカの旧植民地の人が多数だった。彼らの場合、家族統合とは言っても、実質的な労働移民としてやって来ていた。私はフランス国籍者の配偶者としての地位で入国していたため、正規滞在中の外国人の家族として入国する場合とも待遇が違った。なぜなら私の地位はフランス国籍者との関係性により担保されていたため、就労制限がなかった。

市民性教育の中身

統合コースの市民性教育(formation civique)では、前半でフランス国家の成り立ちやその理念などを学んだ。フランスの国旗はトリコロール、国歌はラ・マルセイエーズ、人権宣言は1789年など、いまさら学ぶようなものでもないと感じる内容が多かった。しかし、私は後で考えを改めることとなる。

それは、参加者から指導官に投げかけられる質問やコメントを聞いていると、耳を疑うようなものもあったからだ。個人の身体の自由というテーマで、「配偶者に対しても、暴力は犯罪である」と教官が話したところ、若いエジプト人の男性が「しかし時には必要なこともある」と反論した時には、私は椅子から落ちそうになった。ジェンダー平等や子どもの権利などに必ずしも同意していないと疑われている、家父長的な地域の出身者を念頭に置いていると思われる内容が多く、統合コースはフランスが実際にどのような人びとの統合に頭を抱えているかを示すものでもあった。

コースの後半では、生活や就労における権利と義務について詳しく教えられた。外国人でも生活保護や住宅支援などを受ける権利を有すると同時に、親には子供の保護監督義務があり、子供が学校に行かないと親の責任として高額の罰金が科されると説明され、生活だけで精一杯になりがちな移民がくぎを刺されていた。またフランスが法治国家であること、何が違法行為になるかは出身国とは違うとも強調された。つまり「知らなかった」では済まされないということだ。

言い換えると、ここでは市民になるための道筋が示され、道から外れないための留意点が前もって伝えられていた。裁量によらない帰化制度を持つ国ならではだが、同時にこれは国側の予防線でもあると思われた。外国人が法を破れば、国外退去処分になることが示唆されていたからだ。こうした権利と義務の周知は、日本のように外国人の多くが実際には労働移民であることを認めないがゆえに、社会の外に置かれている国では、ぜひとも必要な措置と思われた。

市民性教育で印象に残ったのは、フランスが連帯を求める国家であるという点が強調されたことだった。市民権を持っていなくてもさまざまな支援を受けることができるが、それは連帯の理念に基づくという。そのためにはフランスの法律を遵守し、具体的に連帯は納税により担保されるという論理である。

統合コース最終日の4日目、私たちはパンテオンを見に行った。フランス国家に多大な貢献のあった民間人を祀る墓所であるが、将来的にフランス人になるかもしれない人たちをこの場所に連れて行くとは、まさに共和国的な演出であった。私たちはコースを真面目に受講したという証明書をもらって、解散した。

写真:中央のバックを持つ人物が教官

燃えるフランス

こんなことを書いている間に、パリ近郊で17才の北アフリカ系少年が警察に射殺され、フランス全土がまたもや燃え上がってしまった。事件が起こったナンテールは、私が統合コースで通った場所である。

デモと警察との衝突、国の施設の破壊や放火。フランスでは2000年代以降、こうした事態が繰り返されている。ターゲットとされるのは多くは市庁舎など政治的機能を持つ場所だが、学校や公共交通機関、貴重な文化財までも破壊されることもある。最初はプロテストとして始まっても、デモが展開する中で政治的な動機が後退し、単なる暴力や犯罪へと落ち込んでゆくこともある。実際に現場では警察官が襲撃され、銀行が狙われ、店が略奪される。ではやはりフランスの移民統合は失敗なのか?

こうした衝突は、階層化された国籍や市民権の構図の中で発生している。市民権の円の中心へ動こうにも動けない、もしくは動くにはとても時間がかかっている人たちのフラストレーションに何かのきっかけで火がついて、こうした事態が起こる。そして、政治的行為は容易に暴動へと「劣化」する。政治的改善を求めても有効な手段がない時、違った形の「近道」が選択されるのだ。だから、むしろ「劣化」が起こる構造自体を問うことが必要とされている。

実際には、国境内の人間のすべてが同じ権利を持つことを認めない国家の集まりが、国際社会である。「国ガチャ」のハズレを脱し、アタリを子供に継承させるべく、国家の堤防を超える人の列は今も続くが、実際にはどこに行っても、程度の差はあれ、国籍や市民権の有無によるヒエラルキーが国家内の秩序となっている。そのヒエラルキーの存在を是とする国民により国家は形成されており、実はそれこそが国民が成立する要件であったりする。

こうした構造を乗り越えることはできるのか。次号以降で考えていこうと思う。

(1)佐々木てる編『複数国籍――日本の社会・制度的課題と世界の動向』明石書店、2022年、207頁。