みすず書房

日本語ラップは七言絶句の夢を見るか?
【対談】いとうせいこう×三村一貴

韻文の変転と普遍をめぐる対話

日本語ラップは七言絶句の夢を見るか?
【対談】いとうせいこう×三村一貴

日本語ラップのパイオニアであり、作家であり、古典芸能の詞文の現代語訳にも精力的に取り組んでこられたいとうせいこうさんと、本誌連載「中国文学万華鏡」で、地域や文化を超えてことばの芸術というものに通底する技芸の精髄を探っておられる三村一貴さん。漢詩から和歌、能・浄瑠璃の詞からラップまで、さまざまな韻文の技法の妙をめぐって、お二人が新鮮な視点を次々に繰り出す刺激に満ちた対談です。[構成:みすず書房編集部]

漢詩の韻律/和歌のリズム/ラップの脚韻


いとう:前々から疑問に思っていたんだけど、西洋の詩にはもちろん脚韻があり、「アレクサンドラン」(1)云々などがあり、漢詩ももちろん脚韻(きゃくいん)を踏んでみたり、(とう)(いん)を踏んでみたり、踏み方が決まっているわけでしょう。その影響があるはずなのに、なぜ日本では脚韻がこんなにも消えるのかという問題があるわけですよ。
 たとえば『和漢朗詠集』(2)を見ると、和歌を詠む人たちは漢詩もわかっていた。漢籍がいちばんの教科書みたいな感じでしょう、『和漢朗詠集』って。それなのにどうして、日本の和歌(詩)では順番に2句目、4句目、偶数でどこを踏んでいくというような脚韻の規則がなくなったのか。あるとしても頭韻、それから、掛詞。僕は人に説明するときに洒落で、日本の詞は「鈎(かぎ)」のようにつながっていると言っているんだけど、「…なみだ…」とあると、そこに「なみ」(=無い)という言葉と「なみだ」(=涙)という言葉が引っかかっていて、それでもう上の句と下の句が呼応している。
 西洋の脚韻では、ラップみたいにA、A、B、B、C、C、D、Dと単純に韻を踏むとしても、それで呼応する句どうしは2句に分かれていますよね。2つの句が同じ音を繰り返す、その快感で韻を踏んでいる。ところが日本の韻は2つの句がひとつになるという特徴を持っているんだよね。
 漢詩は普通の脚韻なのに、なぜ海を渡るとこんなことになるのかという疑問に、誰も答えてくれないし、それについて、どこを見ても書いてあったためしがない。で、俺は三村さんの文章を読んで、「おお、そういうことが全部わかっている人が出てきたぞ!」って思ったんだよね。日本語の詩歌の形式になるときに、どうして脚韻が消えるのか。第一に文法的な問題なのかな?

三村:ひとつには単純に、仮に日本語で韻を踏んだとして美しくなるのかという問題があったのかもしれません。つまり日本語の場合、韻を踏むとそこばかりが強く響きすぎてしまい、かえって詩としての美感を損ねる面があり、韻を踏むという方法では日本語の美を発揮しづらかったのかもしれないと思います。
私もやっぱり日本語でも韻が踏めたらいいなあと、ずっと考えていたんですけれども、じつは日本語の詩はもう韻を踏まなくていいんじゃないかという考え方もできる。ホメロスは韻を踏んでないんですよ。また、ラテン語の詩も韻を踏まないんですね。
 ギリシャ語の場合には、ひとつの音にアー(↘)とかアー(↗)といった上がり下がりがあり、それ自体がメロディーになるんです。それはギリシャ語の詩に美しさを与える、ひとつの要素だったことでしょう。しかしギリシャ語の詩でとりわけ大事なのは、音節の長さ・短さなんです。()ータタ/()ータタ/()ータタ/()ータタ/()ータタ/()()ーというのがホメロスの詩の韻律であり、音の長い短いを規則的に配列することで詩になっている。それは、インドの詩もやはりそうなんですね。
 どのようにしたら言葉が綺麗に響くかは、言語によって違うのかもしれない。日本語の場合は脚韻がなくても、アクセントがある、つまり「はし(箸)」と「はし(橋)」のように、単語の中に音の高低があるので、それを組み合わせていけばメロディーを作れますよね。

いとう:日本語の場合、そのメロディー自体も、音の高低や強弱の幅は狭いじゃない? ぐっと高くなったり低くなったりするわけではなくて、わりと単調な範囲に収まっている。たしかに、その比較的単調な範囲で美しさを持ってシブく響かせているのに、どこかで韻を踏まれると、そこだけやたらに目立つという問題があるよね。
 もう亡くなってしまったけど僕が本当に大好きだった金子(とう)()という現代俳句の達人が、ラップに興味を持って──ヒップホップのことを「ラップラップ」と覚えていたけどね、おじいちゃんだから──、その人は「ラップラップは面白い。面白いけれども、日本語は韻を踏まなくてもいいんだ」と。なぜなら「日本語自体が韻だからだ」と言うの。俳句自体が韻であるから、それ以上踏む必要はないと言うんだよ。そのことが俺はあんまりよくわかってなかったの。でも今の話を聞くと、なんとなくその意味がわかった気がするな。

三村:一方では、日本語でも韻を踏むものはあったと思うんですよね。たとえば「驚き 桃の木 山椒の木」みたいな、「無駄口」ってやつですね。日本語のラップも韻を踏むところで、ちょっとシャレみたいに聞こえてくる面があるわけですけれど、ラップではそれが活きるといいますか、ラップというジャンルに馴染むように感じるんですよね。無駄口も韻を踏むことでくだけた雰囲気を出しているわけで。
 それに対して、そのシャレみたいな響きを嫌う文芸もあるのだと思います。やっぱり現代詩を作るとなるとそこは嫌う人がいてもおかしくない。脚韻の活きる文脈や活きる場面というのがおそらく日本語にもあるんですけれども、和歌のたぐいでは避けた、ということなのかなと思います。だから、残ってはいなくても、脚韻を踏んでいるような歌というのはずっとあったのかもしれない。俗謡(3)などの中に。

いとう:そうそう。俗謡で韻が踏まれていたというのはあり得るよね。

──たしか、明治に新体詩が出てきたときに、「押韻新体詩」というのを試みる動きがあったのに、やはり、シャレや童謡のように響くので詩的価値はあまり高いとは評価されずに、運動としてもたいして続かなかったという話を、どこかで読んだことがあります。

いとう:そうなんだよ。一方で童謡という運動は、ものすごく素晴らしい運動ではあるんですよ、日本語のレベルが。その代わり、日本ではリズム詩みたいなものが全部そっちに持っていかれてしまった感がある。子供のものになっちゃったんだね。
 それが、今はラップがあって、大人のテーマがうたえるようになったわけだ。最初期の、80年代のラップは完全にマザーグースだった。「これは俗っぽいわ、これは子供っぽいわ」と思われていた。でもそれがどんどん凄まじいことになり、政治のこともうたえるし、セックスの歌、殺しの歌、なんでもうたえるようになり、今に至る。そのわずか十数年のあいだに、日本語の韻文も韻文でガーーっと進化した。それは面白いことだよね。

俗・みやびの感覚はうつろう


いとう:さっき話に出た、リズムだけで詩にするというスタイルで言えば、山東京伝という、江戸の文化・文政期でもいちばんふざけていた作家のものを僕が現代語訳しているんだけど(山東京伝『通言総籬・仕懸文庫』いとうせいこう訳、河出文庫、2024年)、その中で、「とうべえ、とうべえが通る……」という地口みたいな言葉「とうべえ」でずっと句をつないでいる部分なんかは、要は音だけでふざけているわけですよ。駄洒落。それが、もう韻も踏んでないじゃないかというナンセンスなところまで行くのが面白い。掛詞で意味が掛かっていることも味のあることだけど、そういうナンセンスの愉しさというのも別にあって、江戸期には確かにそれを相当深めていたわけでしょう。師匠がいて、点がついていたわけだから。
 でも和歌の場合は、面白可笑しく思われては困るということだよね。「あわれ」に思われなきゃ困るんだ、と。
 中国の場合はどうなの? 韻を踏んでも、「あわれ」が壊れるという感覚はないの? だって漢詩はどれも脚韻を踏んでるわけじゃない?

三村:それがですね、漢詩の場合、韻を踏むというのはもう『詩経』の時代[前11世紀~前6世紀頃]から一貫して残り続けているんです。そこは中国の詩の明確な特徴ではあるのですけれど、ただし詩句の“文字数”に対しては、時代によって、これは俗である、それはみやびであるというような感覚があった気配があります。
 漢詩の有名な形式には五言の詩がございますね。『詩経』の時代の詩は四言で進んでいくもので、五言の詩は前漢の時代[前3世紀~後1世紀]あたりから出てくるのですけれど、でも漢の人たちは五言詩の芸術的価値をなんとなく低めに見てるのではないかと、私には思えるんです。やっぱり「歌っぽい」と感じていたというか。

いとう:「ポップスっぽい」?

三村:ええ。立派な響きがしない、と。それが時代が経っていくと、五言詩が偉くなっていくんですよ。そうすると今度は七言詩がどうも俗っぽいというふうに思われてくる。今の人間が聞いても七言の詩というのは、かなり流暢な響き、のびのびとした響きがして……

いとう:「ペラペラやってる」って感じかな?

三村:近代以前でも(はや)(おぼ)えのために七言を使ったりしています。つまり覚え歌ですね。ものを覚えるときに、日本語でも5・7・5や5・7・5・7・7の節をつけたりしますが、中国ではそういう覚え歌のようなものが七言になっていたりします。そういう風情で、七言はやや柔らかい、軟派な響きに聞こえていた時代もある。でも今は七言もわりと偉くなっているわけですよね、古典詩の韻律ですから。そんなふうに、どうも中国の場合は文字数、音節の数にも、みやびだとか、あるいは俗っぽい感覚だとかを感じていたのかもしれません。

いとう:それってさ、スピードの問題にもなってくるのかな。四言の句と五言の句をおおよそ同じ時間で言うとしたら、四言のときのほうが1字あたりは長々言うことになる。漢詩にそういう問題はあるの?

三村:あるかもしれないのですが、中国の詩の場合にはむしろ、「()がいくつ入るか」ということがよく言われます。実際に五言詩と七言詩の違いを読み比べてみるとよくわかるのですが。
 ちょうど手元に李白の詩が2首あって、「白髪三千丈」の詩(「(しゅう)(ほの)(うた)」)が五言、「贈汪倫((おう)(りん)に贈る)」が七言ですので、ちょっと読み比べてみますと(中国語で朗誦する)

 白髪三千丈,bái fà sān qiān zhàng
  縁愁似箇長。yuán chóu sì gè cháng
  不知明鏡裏,bù zhī míng jìng lǐ
  何處得秋霜。hé chù dé qiū shuāng

これが五言。七言になりますと(朗誦する)

 李白乘舟將欲行,lǐ bái chéng zhōu jiāng yù xíng
  忽聞岸上踏歌聲。hū wén àn shàng tà gē shēng
  桃花潭水深千尺,táo huā tán shuǐ shēn qiān chǐ
  不及汪倫送我情。bù jí wāng lún sòng wǒ qíng

いとう:歌っぽいね……。

三村:七言のほうがゆらゆらっとしてる感じで。五言はとつとつとしてますね。

いとう:七言のほうは、メロディーが生まれざるを得ないもんね。()の問題は日本語にも当然あって、僕が日本語でラップできないかと言葉を並べはじめていたときに、テクニカルに特に気にしていたことは、五七五で言うとタタタタタ()タタタタタタタ(ウン)タタタタ…みたいに、半分の間や1の間、つまり休符があると、途端に民謡に聴こえちゃうという問題だった。民謡が悪いということではなく、当時ラップというものを誰も知らなかった時にそれをやると「要は民謡じゃん」と理解されてしまうから、休符をどう潰して言葉を入れていくかという問題があった。そのことを、今の話で思い出したな。五言では休符が入りようがないけど、七言では自然に、リズミカルに休符を入れていきたくなる。

三村:七言では、4音と3音の2段階をもって揺れてるような印象があります。五言だと、2音と3音の間にひと呼吸入りますが、5文字を一息で読むこともできます。そして一行のあとの余韻が長めになりますね。

いとう:平安の時代の歌人は漢詩も書いてるわけですよね。英語も使える人が日本語のラップを書くようなものだから……だから和歌でも5音になっているのかな。

三村:中国語の場合は音が伸びますね。日本語の5はタタタタタで、漢詩の5はターターターターター。日本語の5と7というのが中国語の5と7と関わっているのかどうかは、わからないんですよ。わからないんですけれども……たとえば、連載第6回で論じた中国の「(べん)(ぶん)」の文体が、4字と6字を織り交ぜて伸びたり縮んだりする文章なんです。『万葉集』の長歌の5、7、5、7…で続いて伸びたり縮んだりする旋律などは、もしかしたら、中国の文体のそういう特徴を真似ているかもしれないですね。真実はわかりませんが。

いとう:うーん、なるほど。

三村:日本の七五調とひとくくりに言われるものも、内実はいろいろで、江戸期と明治でもイメージが違うように思います。私の感覚の中でずっと支配的だった七五調は、やっぱり、俳句の5・7・5。それから和歌の5・7・5・7・7。

いとう:うん。

三村:あとは土井晩翠とか、島崎藤村などの明治時代の詩のイメージがずっと強固にあったんですよ。土井晩翠の詩なんかは、

 はるこうろうの はなのえん
  めぐるさかづき かげさして
  ちよのまつがえ わけいでし
  むかしのひかり いまいずこ

と、7と5で切れてしまうんですよね。で、瀧廉太郎がそれにつけた曲も、節が7と5で切れてしまっている。ところが、歌舞伎とか文楽を見てみると全然そうじゃない、ということに衝撃を受けまして。
 たとえば「車引(くるまびき)」(という演目)を見たとき、梅王丸が「なんと聞いたか桜丸」と言う箇所は、「なーんーとー 聞いたか桜丸」という切り方になってたんですね。「なんと」でまず切って3・9になっている。でもよく考えると意味の切れ目はそれが正しいですね。そういうところが随所にある。
 浄瑠璃の七五調も7と5がなだらかにつながっていって、場合によっては2と10にもなっていいということのような気がするんです。ものすごく柔軟な韻律なんですよね。ところが明治に入ると、とてもお行儀良くなってしまい、歌うときであっても7と5に分かれる。
 漢詩では、先ほどのように七言が4と3に分かれる。そういう漢詩のきちっとした定型性を、きっと土井晩翠なんかは意識していたんじゃないかと思うんです。一口に七五調というふうに言っても、江戸の浄瑠璃の七五調と、土井晩翠・島崎藤村の七五調は、まったく違うものなんですよね。

いとう:つまりパフォーマティブな七五と、そうでない七五があるということだね。

三村:ええ。でも瀧廉太郎は七五調の詞に曲をつけるときにメロディーも7・5で切ってしまったものですから。別のメロディーのつけ方をしたらそうはならなかったかもしれません。

いとう:パフォーマティブなものというのは常に変化していくものだよね。だって能でも太夫や流派によって違いのある演じ方が次々出てくるから。
 楽屋裏で太夫に「いやここは違うんですよ、せいこうさん、見てってくださいね、僕らはサラっとやるんですけど、別の流派は、ねっとり伸ばしますから」とか言われても、俺、そこまでわからないよ(笑)。でもそこで違う七五が生まれていくというところが、人間のやる面白いところ、これ芸能を見るってことの面白いところ。

三村:実際に口にのぼったときにどう変わっていくかということまで意識しないと、七五調はとっても単調なものになってしまい、「鉄道唱歌」のようになってしまう。七五調はもっと頑張れると思っています。

伸ばすか伸ばさないか


いとう:僕が詩のリズムの伸びたり縮んだりに関して以前から勝手に想像しているのは、昔の人は歌会で和歌を詠むときに、今の人たちみたいにタタタタタというリズムでは詠まなかったんじゃないか、ターターター…と伸ばしていたのではないかと。
 それはなぜかというと、先ほどの「言葉の鈎」(掛詞)の構造があるので、「村雨のなーーー…」と言うのを聞いて「なみだ」って言うのかと思ったら「なき(無き)」だった、というふうに、聞く人にはグラデーションで聞こえるようになっていたのではないかと。「村雨のな」のあとに何が続くかはだいたい決まりごとだからわかっているのだけど、横スクロールで絵巻きを見せるように、詠んでいったときに浮かぶ意味が移り変わっていく。日本では襖でも何でも、ものが移り変わっていくのが大好きじゃないですか。フェイドイン・フェイドアウトっていうことを、歌を詠むときもすごく考えたのではないかと思うのね。
 あるいは、「たらちねの」みたいな定番の枕詞も、「たら…」から始まったらもう、聞く人にはわかるわけ。「たらちね」に決まってる、と(笑)。それを短く言ってしまうと「なんだ」で終わるところを、「たーらー…」ともったいぶられると、そのあいだに、「たらちね」が頭につくあらゆる歌が聞く人の頭の中にバーーっと浮かんで……その中のどれに行くの? 次は「は」? だとすると何? みたいな想像が起きるのは、ゆっくり詠む時だけなんですよね。

三村:なるほど、なるほど。

いとう:なぜ僕がこういうことを言うかというと、日本語ラップはある程度短い時間で言葉を発していく。そうすると、複雑な韻を高密度に詰め込むと、聞く人はわからないんだよね。聞き取れない。「韻を聞き取る」と「意味を想起する」の2つのことを同時にするのが難しい。今のフリースタイルとかを聞く子たちの耳はすごいんだけど、それでもやっぱり、難しい韻を複雑な鈎のようにしてしまうと、もうわからないです。だから昔の人ならなおさら、ゆっくり詠んで聞かせていたのではないかと疑っているの。
 中国の漢詩を詠むとき、さっき詠んでくれたみたいに、音に長さと余韻があるじゃない。タタタタとは詠んでないよね。和歌もおそらくターターターターター…と詠んでいたんじゃないかというのが、僕の勝手な推理なんだけどさ。それはどうなの?

三村:いつ頃まで遡れるかわからないのですけれども、古い和歌の披講(ひこう)(4)の仕方を再現している先生はいらっしゃいます(東京成徳大学 青柳隆志教授)。たぶん冷泉家の方々なんかも、冷泉家流の和歌の詠み方はあると思うのですけれど、それが平安まで遡れるのかどうかは私にはわからないです。

いとう:でも、それもちょっと伸ばし系なんですか?

三村:伸ばしますね、やはり。伸ばしたあとに節をつけてうたっていたりしますね。朗詠(5)というやり方がありますから。

いとう:ああ、朗詠をするってことなんだ。

三村:ただ私は、むしろ日本語の詩歌の音というのは、タタタタタっていう感じでいいんじゃないか、伸ばすのは中国流なんじゃないかとも思うんですよね。最近歌舞伎とか文楽を見るようになりまして、義太夫を聞いていると、三味線のあの音色というのは日本語とすごく合ってるように思うんです。日本語は音がポツポツしているので。中国語は音を伸ばさないといけませんから……

いとう:三味線のきびきびした節には入っていけないよね。

三村:中国語の音に合うのは二胡とか笛ですね。音がヒューンと伸びる楽器は、中国語の声調が持っている、伸びる響きととても合っています。むしろ、日本語の音のポツポツしているのをうまく活かせる形で、義太夫や三味線の音楽というのができている。
 日本語の音を伸ばす音楽というと、雅楽のほうになりますね。雅楽は(りゅう)(てき)篳篥(ひちりき)と笙が活躍するので。

いとう:全部、音をつなげる楽器だもんね。

三村:音を伸ばしてしまうんですね。音を伸ばすことで音楽を作るやり方と、伸ばさずに音楽を作るやり方が、日本語には昔からあって。能などではやっぱり声を伸ばすし、義太夫でも伸ばす部分があるわけですから。

いとう:僕は昔、義太夫節のお稽古もして、今は能のお稽古をずっとしているんだけど、確かにその通り。人間の側が音を伸ばすし、それを活かす音楽が作られる。だって能なんてさ、鼓だからね。よぉー、カン!だからね(笑)。あれをもって音楽とするというのは、ほとんど不思議なことなんですよ。おそらく、あらゆる世界の打楽器を見ても、あんなにたまにしか打たないってことはないんじゃないか(笑)。
 一応あの打ち方には何十もの決まったパターンがあって、それに従って打っている。だけど(うたい)のうたい方に合わせてそのパターンから()がずれてくる部分もあると思う。
 たしかに、日本語のほうが中国語に比べたりするとむしろリズミカルな音楽に乗るはずなのに、日本の伝統的な音楽はそれほどリズミカルにならなかったという不思議があるね。韓国だとサムルノリのような──ものすごく騎馬民族的な、と言ってもいいけど──伝統的なリズムがあって、そりゃディスコ的な音楽には向くよなあ、BTSも出てくるよね、という気がするけど、日本語と日本の音楽は面白い位置にあるね。

三村:そうなんですよね。日本語の文化では、音楽の詞も伸ばさない方向で追求していってもよいような気もするし、言語としてはそれがわりと合っているような気もするんですけど。
 でも雅楽はもともと中国から入ってきたものなので、中国式の奏法を雅楽ではたぶん正直にやっていて、日本語でうたうときもやっぱり音を伸ばしてうたうことになっているんですね。
 先ほど、中国の二胡という楽器と、声調を持つ中国語の響きとが合っているという話をしましたが、京劇の一種の、ある歌い方では、響き方が人の声より二胡の音のほうにより似ていたりもします。楽器の音が人の声に聞こえることがあると思うのですが、中国の場合は、やはり笛とか(さつ)(げん)楽器の音が、人の声に聞こえてくる。でも日本語の声に耳が馴染んでいると、むしろ三味線とか打楽器の響きが、人の声に聞こえてくるんじゃないかな、と。

いとう:なるほど。よく、三味線のどこがいいんですかって三味線弾きに聞くと、音が減衰するからと言うの。音がすぐ消えていく。いちいち消えていくところの儚さが本当にたまらない、って言うんだよね。ビヨヨヨーンと長く響く楽器も世界のほかの国にはあるけど、ああいうのじゃ違うんだと言うわけ。

三村:三味線は音が消えても、音が聞こえますよね。音が消えているあいだも、なぜか聞こえている感じがする。

いとう:〈さわり〉(6)のところがあって、倍音が鳴ってるからさ。

三村:それは俳句の「切れ」などにも似ていると感じます。

いとう:「〇〇や……」の「や」が響いているということね。

三村:切れのあとに()ができる、でもつながっている、あの感覚とちょっと似ていますね。

いとう:それ、すごい指摘だね。

詩歌の間(ま)と二人心


いとう:せっかくだから言って帰るけどさ、和歌で「何々の」「何々々の」と言ったあとの休符、そこにはオーディエンスの“(こた)え”が入っていたはずだ、という仮説も僕は持ってるのよ。「ん」とか「おぉ」とかいう反応ね。要するにコールアンドレスポンスになってたのではないかと。
 単に歌をうたう人たちが一方的にうたうと考えるのは、やっぱり近代以降の考えであって。本来、たとえば歌舞伎で「ナントカの……」と決めたら、座敷から「○○屋!」とか(掛け声が)入るわけですよ。そこでリズム的に裏の絶妙なところに入れるおじいちゃんたちがかっこいいわけで。そういう意味では、日本の歌のこの()というものは、ボーカルのための間ではなく、それこそ三味線とか、あるいは聞いている側からの応えが入る間だったのではないか、と。実際、義太夫の三味線も、「何々の……〈ベン!〉」と入って来るんだよね。来ないと嫌なんだよ(笑)。「なんなんだよ、聞いてないのかよ!」みたいな気持ちになるの。不思議だよね。

三村:先ほど話した、披講の仕方を再現していらっしゃる青柳先生の動画(7)があるんですけど、見ると、(藤原道長の和歌)「望月の歌」を道長はどういうふうに詠んでいたかを実演していて、まず道長役の人が「この世をば……」と言うんですよ。そうすると聴衆が(首肯しながら)「この世をば……」とおのずから呟く(笑)。

いとう:(手を叩いて)やっぱり言ってるんだ!(笑)

三村:で、「我が世とぞ思ふ……」ってのが出てくるとまたみんな「我が世とぞ思ふ……」。

いとう:「我が世とぞ、ねぇ……(感嘆)」って(笑)。

三村:聴衆が一句ずつ呟いて味わって聞いているんです。次に何が出てくるかを期待しながら聞いていて、「望月の欠けたることのなしと思へば」とくるとみなさんが「ほおおおー」という雰囲気でまた「望月の……」。次いで、じゃあみなさんでうたいましょうってことになって、みんなでうたうんです。

いとう:みんなの我が世になっちゃうんだ(笑)。やっぱり、切れや()に何か他者の反応が入っている。決してそこは沈黙ではなかったろう──虫の音だったかもしれないし、それに耳を傾けろという間かもしれないけれど、そこに何もないと思うなよ、と。
 その披講の先生はきっと俺と似た考えだよ。特に今も句会なんかはもっと雑駁にやっていいものだから、句の切れで周りが「うん」とか言ってもいいんじゃないかと、俺は金子兜太さんに進言したことがある。歌を詠んでいる本人たちも手応えがあって面白いんじゃないかって。
 漢詩の五言詩を詠む場合、5文字は一息で行くとして、そこと2行目のあいだの間はどうなっていたんだろう?

三村:古代の漢詩もその朗誦の仕方の詳細はよくわからないんです。ただ、現代人が作った漢詩を皆で聞くときには、やっぱり一句ずつ盛り上がるということはあります。以前、国際中国語学会が日本であった際にレセプションパーティーに出ましたら、向こうの学者さんが、今回の会を記念してちょっと詩を作りましたとおっしゃるんです。たしか七言詩だったと思いますが、それを口頭で読み上げる。するとやはり聞きながら皆、何か反応を返すんです。古典詩ではあるけれども、耳で聞いて意味がわかるので、反応を返せるんですよ。そうすると、読むほうは、一行一行を等間隔で読まなければいけないわけではないので……

いとう:盛り上げたいもんね、実演するときには。つまり朗読のやり方でいいんだな。

三村:一節読んで、周りが盛り上がったら、周りが少し落ち着くのを待ってから次の一節を読んでもいいわけです。

いとう:そうだよ、そのほうがいいよ。そうじゃないとダメな芸人だよ(笑)。ウケてるとすぐ次を言っちゃうやつがいるけど、待ってから次に行かないと、次も落ちない。
 問題はさ、たとえば教科書に俳句が載っていて、俳句はこういうものですよ、みなさん勉強してみましょう、みんなも書いてみようって言って、俳句を書かせるだけだと、詩の「二人(ふたり)(ごころ)」が全然生じないんだよね。金子兜太さんがよく「二人心」と言っていたけど──一人の心じゃないんだ、相手と自分がいて、俳句が成り立つんだ、と。
 「反応をいつでも入れていいですよ」って言うと、途端に「みんな(ごころ)」が生じる。昔はたぶん、それを輪っか(車座)になってやっていた。今、ラッパーのやつらは「サイファー」といって、やっぱり輪っかになってやってるわけよ。そこに誰が入っていってもいい。身分がどうとか、誰が先輩とか関係なしにやってる姿は、ほとんど桃山とか江戸時代の歌会をやっているみたいに、僕には見える。その元がどういうところにあったかというのは知りたいよね。

三村:一方で、詩の場合には、やっぱり「書く」ということもかなり大事だったろうとは思うんですけどね。

いとう:書というメディアが?

三村:正確に申しますと、書作品にするかどうかは別としても、文字化するということは、古典詩の場合は大事だっただろう、と思うんです。詩の(うたげ)をするということを、貴族たちはずっとやっていましたけれども、その時代も詩は音だけであったのではなくて、やはり文字にするのが知識人たるものの役目でもありました。

いとう:さっきは、詠んだら応えるということも詩の機能の中にあるのではないかという話だったけれど、そこにじつは詩の作り手が「書く」というパフォーマンス、あるいは「書く」瞬間というか時間というか、それも詩の属性のようなものとしてあるんだという話だね。

三村:そうです。宴で発表された古代の詩も、本当はたぶん一人で密かにコツコツ作っているんです。それを、さも今、宴の場で作ったかのように発表する。詩の宴はおそらくそういうもので、歌会もそういうものだったろうと思います。

いとう:書くという行為が詩にとって、少なくとも何らかの固有の要素を持っている?

三村:はい。パフォーマンスとして書く行為が詩の宴の際にいつも入っていたかどうかはわかりませんが、「詩」たり得るためには、どこかの段階では「書く」ということが必要になる。自分で書斎で作るときには文字化していくものですし、最終的に文字化されないと、やはり詩としては何か、立派なものではないという評価だったのでは。

いとう:なるほど。文字化されていないと口承詩みたいになってしまうから。それは僕、考えたことがなかったけど、面白い。
 ギャングスタ・ラップの場合に、警察に捕まることが自慢だったりするけど、そのときにペンなんか牢屋の中に持っていけないじゃん。鉛筆だって折って人を傷つけられる。すると、よくある話が、百何十何小節、刑務所の中で全部頭に入れて詩を作って、刑務所から出てきたらそのままレコーディングする。あるいは、刑務所を出てきたらノートにダーーッとそのリリック全部を書きくだす。そのときが彼ら腕の見せどころ。刑務所から出てきたときのパフォーマンスなんだよね。
 古代の漢詩の場合、そんな荒くれ者じゃなくて、知識人であるわけだけど──でも政治的なことをうたって(牢獄の)中に入れられることだってあるわけですからね──中で何を考えていたかが、詩を書くことで明らかになる。そりゃ盛り上がるよね。それを朗読する。そしたらみんなが「うん」って言って聞いてくれる、ついてきてくれる。そこまでが詩なんだね、きっと。

言語と言語のあいだをリズムと音で行き交う


いとう:小林路易先生の『掛詞の比較文学的考察』(8)という本があって、僕はかつてラップの理論を作るときにそれが非常に役に立って。ギリシャ詩はこうである、中国詩はこうであるという具合に、いろんな国の詩の言葉を比較することで、翻って、僕たちが今使っている日本語っていうのはどう言ったほうが伝わるのか、どういうふうに言い得る方法があるのか、読めば絶対に考えが湧いてきたんですよね。他の国の詩について知らずにいるのはもったいないから、思わず宇多丸にも買えって勧めて、あいつもよく読んでるぐらい。

三村:私が「WEBみすず」の連載(『中国文学万華鏡』)でやっているのは、比較文学……と言うほど立派なものでもなくて。ひと頃、韻律論というのがだいぶ盛り上がっていた時期があるみたいですね。日本語の詩、和歌でもそうですし、現代詩でもそうですけれど、韻律をどうするかという問題がホットだった一時期があったようで、このあいだ、『ユリイカ』で日本語の音韻を特集した号(『ユリイカ』「特集:詩的言語へ 日本語のリズムと音」1973年3月号)を古本で手に入れたのですけれど、見ると当時の第一線の詩人や、伝統芸能の人、日本語学者などが寄稿している。ただ、私はあんまりそんなふうに真面目に考えてはいなくて、リズムが一緒ならつなげて論じていいというぐらいの感覚でこの連載は書いているんです。
 見ればもう純然たる日本語で、漢文にはならないんだけれども、このリズムは間違いなく漢文訓読から出たものだというようなものがあるので……。実際にそうなっているんだということを、紹介したいと思っています。

いとう:でもそれがリアリティにいちばん近いものだもんね。人間って、この詞や字を見たら自然にこんなふうに詠んでしまうものだ、ということがある。基本的にやっぱり、リズム&ライムだからね。
 面白いな、そうなんだ……そういう人がいてくれたんだ。よかったよ。いないなあ、いないなあ、と思ってたんだから。

三村:リズムのある文体は必ずしも詩だけではないんですよね。中国文学の中でも五言詩・七言詩だけに限らない、他のジャンルのものを訓読したリズムが日本語の中に取りこまれて、日本語の詩文が作られるということがある。

いとう:他のジャンルってどういうこと?

三村:漢文の中でも、詩以外の文学です。たとえば、先ほど少し触れましたが、連載第6回で論じたのが、6文字と4文字を織り交ぜて書いていく、中国の「(べん)(ぶん)」という文体。それを訓読したリズムで作っているのが、日本の「勧進帳」の、「(だい)(おん)(きょう)(しゅ)の秋の月は、涅槃の雲に隠れ、(しょう)()(ちょう)()の長き夢、驚かすべき人もなし。」この、「大恩教主の秋の月は」+「涅槃の雲に隠れ」という、「長い+短い」という部分のリズムは、じつは漢文の6文字の訓読、4文字の訓読のリズムになっています。でも「勧進帳」のフレーズは、正しい漢文には直らないんです。つまり、それは漢文を訓読したものではないのだけれども、リズム的には正しい漢文の訓読のリズムになっているということなんです。

いとう:なるほど。僕は来週フェスに出て小泉今日子さんとライブをやるんですけど、その演目の中に「カントリー・リビング」という、彼女も好きで僕のバージョンをカバーしてくれてる曲があって。この曲は最初スタイリスティックスというR&Bのアーティストがうたい、次にサンドラ・クロスというレゲエの歌手がうたっていたんですね。で、僕のカントリー・リビングの歌詞は、母音だけは英詞と全部合うように日本語にしてある。だからたぶんカントリー・リビングを英詞でずっと聞いてきた人にとっては、ほとんど英語に聞こえちゃうと思うんだよね。それが面白くてやっているわけ。言語と言語のあいだをリズムと音で行き交うことの面白さ、そういう遊びというのはきっと昔からあったに違いないし、面白かったろうなというのはすごくよくわかる。

三村:能の本文を読んでいるとふとした拍子に漢文のリズムが出てきます。これは漢文のあのリズムだぞというふうに、元の漢文が透けて見えるというか、中国にリズムの起源がある部分がある。

いとう:そうなんだ!

三村:能なので、うまく七五に作ってあって、あたかも日本のものに見えるけれども、元をたどれば漢文訓読から出てきていたりするんですよね。

いとう:漢文のときは六四のものを、どうやって七五にするの? どこかを長くしたりするということ?

三村:日本語に訓読するときに、うまく助詞などを突っ込んで調整すれば七五に直せますよね。

いとう:なるほど、それは簡単なこと。僕は近松(門左衛門)の作品を現代語で今翻訳しているし、人形浄瑠璃を見に行って詞章の字幕が出てきたりすると、ずうっと頭の中で現代語の七五に直したりしながら見てる。
 とても面白いのは、よく言われることなのだけれど、近松は七五を嫌うというか、平気で六にしたり八にしたり四にしたりするんですよね。人形浄瑠璃の人間国宝だった竹本住太夫師匠なんか、近松は「嫌いやわ」とよく言ってたの。面倒くさいってわけよ。七五七五になっていればもっと簡単に詠じられるのに、と。でもね、七五には簡単に直せる。助詞を足し引きすればすぐに可能。だから現代語の七五に直してる俺としては、近松がわざと六四にしたということがわかるんですよ。一人でそれを「ああっ!」って思いながら見てるわけ。
 ではなぜ近松は六四にしたかというと、一音少ないと演じる人が音楽的に工夫するでしょう。太夫がどこかを伸ばすとか。あるいは四をパパパッと言ってじっと待っていると、そのあいだに三味線が頑張るじゃない。つまり音楽的なプレッシャーをかけてるんだよね、近松が。
 もしそれが単に奇異なだけだったら、使ってもらえませんよ、芸能の世界では。近松は新人としてその世界に入ってきて、いきなりそういうのを書いて、演ってもらえた。ということは、そうすれば音楽的にスリリングになるということが、当時のみんなにはわかっていたはずなんだ。でももう今の人はわからないんだよ。それがすごくもったいないなと思っているの。
 何年か前に訳した『曾根崎心中』(9)のオープニングの「道行き」といういちばん歌っぽい部分では、5音のところは5音で訳して、7音のところは7音で訳して、4音のところは4音で訳すというしばりをかけて現代語にしたけど、この努力は誰にも理解されない。

三村:そうなんですか。

いとう:ついに今日それが評価される時が来たんだよ(笑)。もしあれに三味線をつけてくれたら、今の現代語で違うリズムが生まれるように作ってあるのかもって。そんなことまでやる人はいないけれども。
 「近松のリズムはこうだった。それ通りにやってみると、きっと何か復元できる、ヒントになる」という気持ちで訳していたのよ。だけどもちろん、文学畑の人がこの頑張りを認めてくれるわけもない。「なぜそんなことをする必要がある? それよりわかりやすくしてよ」って(笑)。いや、違うんだよ! いちばん大事なのは近松がどういうリズムで言いたかったのか、どうしてわざとここを字足らずにしたのか。そこまで訳すことが本当に訳すことでしょう。そういうのは、三村さんにはわかってもらえるでしょう?

三村:ええ。この(『曾根崎心中』の)現代語訳を拝読すると、人形が動ける訳になっているのではないかと思ったんです。たとえばこういうところですね。(注9の本を見ながら)「ええと誰やったか、あ、()(とう)大市(おおいち)が……」。ここには()が入っていますよね。「あ、」のところです。こういうところで人形の動く余地がある。他のかたの現代語訳は、小説みたいに訳していたり、いろんな訳し方があるんですけれども、いとうさんの訳は人形が動ける訳で、訳し方とか脚本の作り方によっては、人形が動けない本もあるのではないかと思いましたね。実際に演らないといけないので、(浄瑠璃を演じる人からは)言葉としてはすごく綺麗だけど、これじゃ語れまへん、これでは人形遣えまへんわ、と言われかねない。

いとう:そうなのよ。突き返されるからね、師匠たちに。怖い世界だからね。だけど三村説だとさらに変わるね。字足らず字余りのところに漢文が響いてたという説なんだから。

──掛詞のほうはどうなんでしょう? 近松の『曾根崎心中』でも、掛詞がたくさん入っていて、背景知識がないと原文を読んでも掛詞の仕掛けが私たちにはほとんどわからないのですが、江戸時代に、浄瑠璃を見る人はどれぐらいわかっていたのか。三村さんの連載では、過去の作品から何かを暗に引用する「典故」という技法について、そこはどう味わえるのか、あるいは、もはや味わわなくてもいいのかというテーマも書いてくださっています。

いとう:近松なんかは如実なんだけど、だいたい人形浄瑠璃は序段の冒頭が難しいんです。書き手が知識をものすごくひけらかすわけ。中国の故事とかをバンバンに引いてくるんだけど、おそらくあれは寺小屋に行ってたからわかるというようなレベルのものではない。だから当時の人も最初の10分間ほどは聞いてなかったというか、書くほうもみんなを静かにさせるためのものとして割り切って書いていたかもしれない。ただ、書く人、つまり作家相手に「どうだ」と見せてはいたと思う。
 もうひとつは、同じく人形浄瑠璃の場合ですが、これは最初に太夫が台本──「床本(ゆかほん)」というんだけど──を目の上に掲げるところから始まる、“賜ったものを読みますよ”という態度の芸能でしょう。その本に記された字に世界の知識、または仏法説話のすべてが宿っているという考えなんだよね。だから冒頭の高度な部分は偉そうでないと困る。
 ただ、僕の謡の師匠によると、もっとうたいやすい部分に関してだけど、たとえば金沢みたいな能の盛んなところでは、つい最近まで、日常に能が染み込んでいたことは確かであるそうで。酔っ払いが家まで歩いて帰る道すがら、謡を唸っている。そうすると横丁から誰かがふらっと出てきて、しばらく一緒に歩きながら同じ謡をうたって(笑)、またサッと別れていく。そういうことが起きていた、と。

三村:鞍馬天狗みたいに(笑)。

いとう:鞍馬天狗みたいに(笑)、そういうことが起きる地域も最近まであった、と。それから当然、結婚式では「高砂」をうたうけど、本当は高砂って最初にうたってはいけないんだって。なぜなら、次に出てきた人が高砂をうたおうとしたとき、うたえないじゃん。失礼だから前座は違う曲をうたわなきゃいけない、と。そのぐらいみんなが謡をうたってたわけ。うたう民族だったんだよ、日本人は。だから僕はますますのこと、和歌だ俳句だっていうものには必ず応答があっただろう、盛り上がったに決まってるって思う。

三村:お能の謡からの引用は芭蕉がしょっちゅう使っていますけれど、おそらく芭蕉の頃のお能というのは、もっとアクティブな、動きの激しいスピーディーなものだったはずですから、単純に芭蕉がお能好き、つまり演劇が好きで、なんとなく詞章を覚えてて、それを使っているという場合もあるのではないでしょうか。明治以降の文学者でも芝居好きな人は芝居の文句を使って文章や詩を作ったりしますから、それだけ馴染みがあったということで、当時はそんなに難しいものじゃなかったのではないかと思います。

いとう:そうなんだよね。その教養が切れてしまった今、どうするべきか。(ことば)の意味はある程度ひらかないといけない。原文の詞の難解な単語を多少はひらいて、聞く人に「キツネの話なんですよ」というようなことがわかるようにしながら、リズムは原文に合わせつつ現代語を使うという努力、せめぎあいにしか、今後の古典芸能の生きる道はないんじゃないか。僕はそう思って現代語訳をやってるんです。

[2024年10月3日 みすず書房にて]

  1. 近代以降のフランス詩でひろく用いられる西洋の韻律の基本型で、12音綴(おんてつ)で1行を構成し、その6音目に句切りを置く。とくに、押韻したアレクサンドラン2行を基本構成単位として詩や演劇が書かれる例が多かった。そのリズムが古雅な格調を感じさせるとされる。(参考:デジタル版『世界文学大事典』(集英社))
  2. 平安時代、貴族の間に口ずさまれた漢詩文の佳句、および和歌の詞華撰集(アンソロジー)。藤原公任の撰とされる。書名の「和」は和歌を、「漢」は漢詩文をいい、和歌216首、漢詩文の句588首、総計804首を収録。(参考:『国史大辞典』(吉川弘文館))
  3. 小唄・端唄・民謡・流行歌など、民間でうたわれる歌謡。
  4. 詩歌などの会で、詩歌を読み上げること。
  5. 詩歌などを、節をつけて声高くうたうこと。
  6. 三味線の弦(一の糸)が直接棹に当たることによって、複雑な倍音の加わった音が出るようにする装置、および、そこから出る特殊な音のことを「さわり」という。(参考:『日本大百科全書』(小学館))
  7. 「藤原道長『この世をば 我が世とぞ思ふ』」(YouTube動画)https://youtu.be/0p1pl36lt8U?si=IYfTCHJNTyHfthn6
  8. 小林路易『掛詞の比較文学的考察』(早稲田大学出版部、2001年)
  9. 近松門左衛門「曾根崎心中」いとうせいこう訳。〈池澤夏樹=個人編集 日本文学全集〉『能・狂言/説経節/曾根崎心中/女殺油地獄/菅原伝授手習鑑/義経千本桜/仮名手本忠臣蔵』(河出書房新社、2016年)所収。