みすず書房

農業と進化(前編)

農業と進化(前編)

農業は現代社会を支えるために必須の営みです。しかし、農業の始まりはそもそもいつでしょうか。今回は、有史以前、人類どころかヒト科霊長類が出現するはるか以前から、農業の始まりを眺めてみましょう。

およそ6600万年前、メキシコ湾に落下した巨大隕石は、地球上の生命全体に壊滅的な影響を与えました。隕石衝突の直後には、地球規模で猛烈な火災が数日から数週間にわたって続き、やがて空は厚い煙と塵に覆われ、地表は暗黒に包まれました。こうして光が届かなくなった地球では、数ヵ月間にわたってすべての光合成が停止し、その結果、多くの植物が枯れ果て、恐竜を含む草食動物や肉食動物の大半が絶滅していきました。

しかし、この暗く冷たい世界で、逆に大繁殖した生命たちがいました――それが、カビやキノコなどの菌類(真菌類)です。これらの菌たちは、光を必要とせず、枯死した巨木や恐竜の死骸といった有機物を分解しながら栄養を得ることができたため、他の生物が死に絶えていく中で、地球全体を覆うほどに繁茂しました。この“菌の時代”の痕跡は、今も地層に残されています。隕石衝突によって形成されたK/Pg境界層(白亜紀Kreideと古第三紀Paleogeneを分ける堆積層の境界のこと)では、それ以前には豊富だった植物の花粉がほとんど消え、その代わりに菌類の胞子が大量に含まれる層が世界各地で見つかっています(1)。この層は、かつて地球を覆い尽くした暗黒と腐敗の時代を物語っています。

この未曽有の大火災と暗黒、そして腐敗に満ちた時代を生き延びやすかったのは、地中に棲み、植物や動物の死骸を糧にする生き物たちでした。その代表格が、アリです。地表が菌類に覆われていたこの時代、一部のアリの系統において、風変わりな行動が進化しました。彼らは倒木などの植物死骸に生えていた菌類を利用し、それが植物を分解して生み出した糖やアミノ酸を食べるようになったのです(2)。アリ自身には分解が難しいセルロースなどの成分も、特定の菌類は時間をかけて分解し、栄養へと変えることができます。極端に食料が乏しかったこの時代において、本来なら利用できなかった倒木などの資源を、菌類を“道具”として活用するこの採餌行動は、他の生物に対して大きな優位性をもたらしたに違いありません。

菌類とアリのこのような共生的な関係は、地球全体の気候が安定化し、森林が再生された後も続きました。しかも、さらに高度なかたちへと発展していきます。そのひとつの例に、「菌類の世話をする」アリの出現があります。このアリは、有用な菌類とそれ以外の雑菌を区別して排除したり、植物片を細かく刻んで菌類が効率よく分解できるようにしたり、菌類のための専用の巣房をつくって繁殖を助けたりするような行動をとります。こうした行動は、このアリたちが数百万年、あるいは数千万年という長い時間をかけて確立したものと考えられます。さらに、次世代の女王アリが巣から旅立つときには、菌類の断片を携えて飛び立つという行動も進化しました。こうして菌類とアリとがともに移動して、ともに世代を重ねていくようになりました。菌類にとっては、他の菌がいない安全な場所で餌を与えられ繁殖できるので理想的な環境と言えます。そんななか、アリは菌類に対してさまざまな選択圧をかけ、菌類の性質を作り替えていきます。まず、アリは菌類を餌として繁殖させている、というのが、一つの選択圧となりました。セルロースの分解能力が高い菌類は、アリに十分な餌を与えることができ、アリを繁栄させることでこの菌類自身も繁栄します。一方、セルロース分解能力が低い菌類はアリの役に立つことはできず、アリのコロニーとともに消え去る運命をたどったでしょう。アリと菌類の共生関係におけるこのような選択圧のもと、この菌類のセルロース分解能力は向上していきました。

時が経つとアリと菌類の共生関係はさらに高度化していきます。共生から3000万年くらい経過すると、植物の葉っぱを採集し、菌類の養分として与えて「栽培」する、ハキリアリが出現しました。ハキリアリの行動は結果的に選択圧となってこの菌類の姿は大きく変わり、アリが餌として利用しやすい「栄養体」を生産するようになりました。その結果、ハキリアリは、幼虫も成虫もこの栄養体だけを食べるようになり、餌由来の毒を解毒する能力やアミノ酸を生合成する能力など、普通のアリたちが持っている能力が失われるような進化が起きました(3)。菌類たちも、アリへの依存を強める方向に進化し(4)、アリの巣という孤立した環境でアリに餌を供給する能力を最大化するに至りました。こうなると、もはやハキリアリと共生する菌類はハキリアリの巣以外では生存できません。と同時に、ハキリアリもこの菌類がいないと生存できません。菌類を栽培するアリが地球上で大成功をおさめたカギは、このような特殊化した共生だったのです。

さて、アリに遅れること6500万年。同じような共生関係を、草原の植物とスタートさせた哺乳類がいました。そう、私たち人類です。私たちは、アリが菌類に対して行ったような「環境を制御し、生き物を自らの利益のために栽培する」という営みを、農耕と牧畜を通じて行っています。そして、人類は農耕と牧畜を始めたことでこの地球で大成功を収めた、という点もハキリアリの仲間と同じです。

アリは数種類の菌類をパートナーとして選びましたが、私たち人類は数百種類の生物をパートナーに選びました。それは、植物だけではありません。哺乳類、鳥類、魚類、昆虫そして細菌や菌類に至るまで、数千年の時間をかけて、生物の進化を操作し、社会・文化の中に取り込んできました。しかしその本質は、アリと菌類の共生に見られるような「育て、守り、選び、繁栄させる」という関係と驚くほどよく似ています。

アリは菌類と共生するなかで、菌類の性質を大きく変えるだけでなく、アリ自身の生き方も変えました。これは人類も同じです。人類は農業によって農作物の性質を進化させるだけでなく、農業の発展が人類を進化させ、社会や文化を大きく変えました。農業とは、単なる食料生産ではなく、人類と他の生物との間に築かれる長期的な進化的・生態学的相互作用なのです。

この章では、農業に進化の光を当ててみます。私たちの祖先はどのように野生植物を農作物に作り変えたのか、人類が栽培化/家畜化した生物にはどれくらいの多様性があるのか、そして農業はどんな意図しない困った進化を引き起こしたのか、といったことを説明しようと思います。

食は進化の賜物

昨日、どんな食事をしましたか。私たちは毎日さまざまなものを口にしていますが、その中に人間が進化させた生物が含まれていたはずです。私たちが普段口にするパン、牛乳、サラダ、トンカツなどの料理の材料は、人類が進化のチカラを利用して、この世に新しく作り出した生物に由来するものです。逆に言うとこれらは、人類が農耕を始める約1万年前には、この地球上に今の姿としては存在していなかった生物たちに由来するものなのです。

たとえば、トマトはもともとアンデスの高地に生えていた酸味の強い野生の果実でした(図1)。トウモロコシは、メキシコに自生していた硬い穀粒の小さな穂をつけるテオシントが祖先です。イネも、かつては湿地帯に生える植物でした。そして、ブタの元々の姿は、鋭い牙を持ち攻撃性が強いイノシシです。こうした野生の生物が、今日のように美味しく、大きく、扱いやすくなったのは、人類による選抜と繁殖を経た進化の結果です。私たちが日々の食事を、安く、美味しく、安定的に楽しめるのは、進化のチカラを人類が利用してきたからにほかなりません。

図1 野生のトマト

人類は農耕と牧畜を通じて、さまざまな生き物を、さまざまな姿かたちに作り変えてきました。興味深いのは、その進化のプロセスが、非常に共通したメカニズムに基づいているという点です。本連載第2回で学んだように、進化の基本はシンプルです――「変異/選択/遺伝」という3つのステップです。まず、生物の子孫には遺伝的なばらつき(変異)が自然に生じます。次に、人間が「大きい」「甘い」「実が落ちない」などの望ましい性質をもつ個体を選び(選択)、その種子や子が次世代に残ります。そして、選ばれた特徴が次世代に受け継がれる(遺伝)ことで、集団全体の性質が世代を経るにしたがって変化していきます。このプロセスが何十世代、何百世代と繰り返されることで、もとの野生種とはまったく違う形質を持つ農作物や家畜が生まれてきたのです。このような進化プロセスを「人為選択による進化」と言います。野生植物から農作物ができるプロセスを「栽培化」、野生動物から家畜ができるプロセスを「家畜化」と言いますが、進化の観点からはどちらも同じです(英語ではどちらもdomesticationと言います)。

私たちの食卓にさまざまな食材が並ぶことからもわかるように、私たちはこれまでに多くの生物を栽培化・家畜化してきました。そして、その過程で進化した形質は、驚くほどよく似ています。たとえば穀物は、脱粒しにくく(完熟した種子が地面に落ちずに作物に付いたままになる)、一斉に成熟し、大きな種子をつけるという形質を備えていますが、これはイネ、コムギ、トウモロコシなどいろいろな穀物の種で共通します。また、果物では甘味や果肉量が増し、酸味や渋みが減って食べやすいという形質が、リンゴ、モモ、ナシなどさまざまな種で共通しています。このような異なる農作物で共通して現れる形質は「栽培化関連形質(栽培シンドローム)」と呼ばれます。これは家畜でも同じです。たとえば、ウシやブタ、ニワトリでは、警戒心の低下、温厚な性格、繁殖回数や産仔数の増加、人間の管理下での生存能力の向上など、共通する形質が進化しています。

人為選択による進化(栽培化・家畜化)は、連載の第3回で説明した自然選択による進化と何が違うのでしょうか。適応進化の3つのステップのうち、変異と遺伝の仕組みはどちらも同じです。異なるのは選択の部分です。

自然選択とは、自然環境のもとで、形質の差が生存や繁殖の差として現れることを指します。一方、人為選択は、人間の営み(採集、保管、播種、飼育など)のもとで、形質の差が生存・繁殖の差として現れることを言います。その極端なかたちが「人間にとって望ましい形質を持つ個体だけを選び、交配させ、その子孫を残す」行為で、育種と呼ばれます。つまり、人為選択=育種ではないということです。人類の農耕・牧畜の過程でなされた意図しない選択でも、栽培化・家畜化が引き起こされるのです。

古の賢者が農作物を作った?

農耕の歴史の最初期に栽培化された作物には、オオムギ、コムギ、イネ、アワなどイネ科植物が多く含まれます。これらの植物では、野生個体から穀物へと変化する過程で、種子が大きくなり、穂に種子が残りやすい性質が進化しました。現代の私たちからすると、こういった変化が起きたのは当然のことのように思えます。農業とは食料を得るための営みであり、食べる部位が大きくなるように人間が選択するのは自然な行動のように思えるからです。また、完熟直後に種子が脱落してしまうという野生植物の性質は、せっかく育てた作物を収穫できないことを意味します。そのため、農耕を始めた約1万年前の人々も、より大きな種子をつける個体や、収穫しやすい脱粒しにくい個体を、意図的に選び残したと考えたくなります。このような進化プロセスを、わかりやすく「古の賢者モデル」とよぶことにします。1万年前に存在した賢い人々が、進化のプロセスを経験的に理解し、意図的に野生植物を改良し始めたという仮説的なモデルです。

はたして、この古の賢者モデルは、現実を正しく表しているのでしょうか。もしこのモデルの通り、古の賢者による意図的な選抜が一般的に起きていたのであれば、次のようなことが起こると考えられます。

  1. 農耕に有用な形質には強い選択が働くため、急速に進化する

  2. 各農作物は特定の時期に限られた場所で誕生し、その後拡散する

最新の研究データは、上記の出来事を示唆しているでしょうか? ある進化がいつ起きたのかは、現代の農作物のDNAを解析すればある程度推定できます。そして、農作物の形質がどこでどのように変化してきたのかは、考古学的調査によって復元することができます。つまり、進化の時代と場所が、最新の研究技術で推定できるのです。これまでたくさんの研究が行われてきましたが、それらの結果は、古の賢者モデルとは反対のパターンを示しています。考古学的資料やDNAの分析結果の多くは、種子の大きさや脱粒性といった形質の変化は非常にゆっくりであることを示唆しています。また、発祥地も一ヵ所ではなく複数の地域に分散していて、拡散の仕方もゆっくりだったことも読み取ることができます。たとえば、最古の農作物にあげられるオオムギやイネでは、脱粒しにくい形質が広がっていくのに、農耕開始から数千年を要したと推定されています(5)。また、トウモロコシでも、種子の大きさや穂の形状を決定する重要遺伝子は、数千年単位で徐々に広がっていたことが示唆されています(6)。このようなパターンは、世界の他の地域でも多くの作物で観察されています。たとえば、ソルガム、キビ、トウジンビエ、エンドウ、レンズマメ、ダイズ、ヒヨコマメ、ヒマワリなどでも、種子サイズの増大と脱粒性の低下という栽培化のカギとなる形質は数千年かけて広がっていったことが示唆されています。

これらの古代DNA、考古学、ゲノム解析の統合的証拠は、単一または少数の地域で、短期集中的に意図的な選抜が働き、農作物が誕生したという「古の賢者モデル」とは整合しません。つまり、栽培化初期におけるさまざまな形質の進化は、農作物の質や量を高める意図のもとで生じたとは言えないのです。では、農作物的な形質は、なぜ、どのように誕生したのでしょうか?

農作物はゆっくり、勝手に、生まれた

農耕以前の時代の人々は、湿地や河畔に比較的大きな集落を営み、狩猟・採集の効率を上げるために、周囲の森林や草原を伐採したり、踏み固めたり、ときに火入れを行ったりして、景観そのものを改変していたと考えられています。こうした人為的な攪乱環境と人々の日常的な採集行動が選択圧として働き、一部の植物で農作物的な形質が少しずつ変化していった、という見方が有力です(7)(8)

たとえば、野生のイネ科植物から種子をとって栽培する様子を想像してみてください。人々は、採餌効率を高めるため、集落近くの場所に高密度で群生するイネ科植物を選んで収穫します。穂を脱穀した後に出る殻などの残渣は、そのまま放置されたりゴミ捨て場に捨てられたりします。残渣の中には当然、無数の種子が混じっていますから、集落の周辺でイネ科植物がよく芽生えます。そして集落の近くのイネ科群落は、翌年再び採集されやすい……そのような種子採集、廃棄、発芽の循環が繰り返されたはずです。

このとき、非脱粒性(穂に種子が残りやすい性質)をもつ個体は、ほんのわずかに有利になったかもしれません。すぐに種子がばらけてしまう脱粒性の株は、人間が刈り取る前に種子を失い、収穫されないからです。逆に、脱粒しにくいタイプは、刈り取り後に人間によって運搬され、残渣とともに“播種”される機会が増えます。もちろん、採集された種子の多くは食べられてしまいますが、こぼれ種は次世代へとつながる可能性があります。

これは、リスとクルミの種子散布共生(貯蔵散布)に少し似ています。リスはクルミを採集し地中に貯蔵します。当然、リスはクルミを食べるために貯蔵するのですが、食べ忘れが起きるので一部のクルミは発芽できます(9)。このようなリスの採集・貯蔵行動(と食べ忘れ)が自然選択となり、餌としての質の高いクルミが長い年月をかけて進化してきました。リスが意図的に改善しようとしなくてもクルミの形質進化が起きるように、人間は意図していなくとも、収穫・運搬・廃棄という一連の作業を通じて、非脱粒型を少しずつ有利にしていた可能性があります。

さらに、人間が作り出した環境自体も選択圧になったかもしれません。集落の周辺は、火入れ・草刈り・踏みつけ・集落構築などにともなって、頻繁に裸地(草木の生えていない土壌)が形成されたはずです。さらに、集落周辺には調理くずなどの生ゴミや排泄物も捨てられます。これは、人間が広範囲から狩猟採集を通じて集めた栄養分が、集落周辺の土壌に少しずつ蓄積していくことを意味します。こういった、頻繁な攪乱と土壌の富栄養化は、雑草的な性質を持った個体を有利にします。雑草的な性質とはたとえば、攪乱が起きて裸地が生まれたらすぐに発芽するような性質(=休眠性の低下)や、発芽後にすばやく栄養を使って草高を伸長させるような性質です。これらは、農作物としても有用な形質です。

ここまでで重要なのは、こうした農作物として有用な形質は、育種のように意図をもって選ばれたわけではないことです。初期の栽培化の正体は、狩猟採集や景観の改変など人間の営みが生み出す意図しない選択圧だった、と言えるのです。

播種――すなわち、採集した穀物の一部を、火入れや草刈りなどで生まれた裸地に播くような行動――が始まると、農作物に適した形質の進化が加速されます。播種してすぐに発芽する浅い休眠性、発芽後の立ち上がりが良い比較的大きな種子、そして脱粒しにくいため収穫しやすい種子、そういった性質が、意図せずに選択されていたはずです。植物がこのような形質を獲得すると、収量が安定化し、保存や再播種にも都合がよくなるため、農耕から得られる人類の利益も拡大します。農耕の利益が増すことで、農耕技術も発展し、結果としてそれが新たな選択圧を生み出し、植物の形質進化がさらに進んでいく――人類と植物の相互作用によるフィードバック・ループがこのようにして始まったと考えられています(10)。たとえば、南西アジアにおける最初期の穀物(ヒトツブコムギ、エンマーコムギ、オオムギ)では、ある時点を境に脱粒しにくい性質の進化速度が急上昇したのですが、それは石鎌技術が発達した時期と一致していることが知られています。(11)。石鎌によって効率的に穂だけを刈り取ることが可能になり、自然に種子がばらける脱粒型の個体よりも、穂に種子がしっかりと残る非脱粒型の個体がさらに選ばれやすくなったのでしょう。こうした技術革新も進化を促し、農作物が備える形質が顕著になっていったのです。

人間は農耕を始める以前から、広い地域の集団どうしが交易などでゆるやかにつながっていました。たとえば、中近東では、農耕が始まる数千年以上前から、黒曜石や貝殻をはじめとする遠隔地由来の資源が数百~数千キロ単位の距離を越えて交易されていました。このような広いネットワークの中で、人間が行き交い、狩猟採集や農耕の文化も伝搬し、それに伴って、植物の種子も移動したことでしょう。このように人間、文化、植物が広い空間スケールで行き交いながら、野生植物の形質が少しずつ変化して、農作物に適したものになっていったと考えられています。つまり、農作物の誕生は、ある時代、ある地域で野生植物から農作物に急速に生じたのではなく、「広域/長期/大集団」で進む景観レベルの過程として捉えなおされています。農作物的な形質の進化は、古の賢者によってではなく、普通の人の日々の営みによって起きた、というわけです。

知識に基づく意図的な改良へ

ここまで述べたように、「非意図的な選択圧による、ゆっくりとした進化プロセス」によって誕生したと推測されている農作物ですが、その改良は「意図的に望ましい性質を選ぶ」という育種的な人為選択が始まると加速しはじめます。具体的にいつ、人類が意図的な選抜を始めたのかはわかりませんが、紀元1世紀中ごろにはすでに行われていたようです。ルキウス・ユニウス・モデラトゥス・コルメラというローマの著述家が残した全12巻の農業書(De Re Rustica)には、以下のように書かれています。

セルソスが述べているように、収穫が平凡な時は一番よい穂からとった種子だけをとっておくべし。一方、収穫量が多い時は、脱穀したものはすべて篩にかけ、底の方にたまった大きく重さのあるものを必ず種子としてとっておくべし。
(Columella De Re Rustica, Harrison Boyd Ashによる英訳を日本語訳)(12)

意図的な選抜によって農産物を改良していくという発想は、古代中国の文献にも記されています。6世紀に記された農業書『斉民要術』には、「常選好味者、留栽之(味の良いものは取っておいて植える)」と、良い性質を持った家畜や果樹を選んで、次世代に残す重要性が明確に述べられています(13)。遺伝学や農学が生まれるはるか昔に、農業の経験知によって、学問的に正しい知見がまとめられていたことは驚愕に値します。

どのような形質を望ましいと思うかは、人によって、時代によって、地域によってさまざまです。そのため、元々は同じ性質を持った農産物であっても、人間が選択する基準によって、さまざまな農産物に枝分かれしていきます。このような人為選択による農作物の多様化を端的に表すのが、ケール、キャベツ、ブロッコリー、カリフラワーの進化です。これらの野菜は、すべて1種の野生のアブラナ科植物(Brassica oleracea)から生まれました(図2)。やわらかくて食べやすい葉の形質が選択された結果ケールが生まれ、その中から茎が伸びずに葉が巻くような形質が選択されたものがキャベツです。一方、花が咲く前の蕾が大きくなるような形質が選択されるとブロッコリーが、さらに茎がより短く白化した蕾が選択されてカリフラワーが生まれました。

図2 自生するヤセイカンラン

19世紀になると、この意図的な人為選択による改良が社会的に組織化され、農作物の性質がさらに向上しました。1843年にイギリスでロザムステッド農事試験場が、1875年にアメリカでコネチカット農事試験場が誕生しました。日本でも1870年代には北海道で、1893年からは全国の主要都市に官営の農業試験場が設立されます。このころ、民間の種苗会社や市場が世界的に拡大したり、メンデルの業績が再発見されて遺伝学が発展するなどし、今日の意味での「育種」が完成されます。その後は、DNAマーカーに基づく選抜、遺伝子組み換え、ゲノム編集など、遺伝子レベルでの設計や改良方法が開発され、農作物の改良のスピードが飛躍的に加速しました。しかし、これらの根本にある原理は同じです。①生物の性質に変異があり、②特定の変異を持った個体が意図的に/非意図的に人間によって選抜され、③その性質が少しでも遺伝するならば、世代を経るにしたがって生物の性質が変化する。この進化の原理が、すべての農作物を生み出したのです。

(後編へ続く)

図版出典

図1  By Daniel VILLAFRUELA, CC BY-SA 4.0, Wikimedia Commons.

図2  By Tom Jolliffe, CC BY-SA 2.0, Wikimedia Commons.

  1. Vajda, V., McLoughlin, S., “Fungal proliferation at the Cretaceous-Tertiary boundary,” Science 303(5663):1489 (2004).
  2. Schultz et al., “The coevolution of fungus-ant agriculture,” Science 386(6717):105-110 (2024).
  3. Suen et al., “The Genome Sequence of the Leaf-Cutter Ant Atta cephalotes Reveals Insights into Its Obligate Symbiotic Lifestyle,” PLoS Genetics 7(2) : e1002007 (2011).
  4. 染色体数の倍加・子実体を作らなくなる(ともに繁殖効率のよいクローン繁殖を促進する進化)など。
  5. Robin G. A. et al., “Geographic mosaics and changing rates of cereal domestication,” Philosophical Transactions B 372(1735) (2017).
  6. Viviane Jaenicke-Després et al., “Early Allelic Selection in Maize as Revealed by Ancient DNA,” Science 302,1206-1208(2003).
  7. R.G. Allaby,D.Q. Fuller, & T.A. Brown, “The genetic expectations of a protracted model for the origins of domesticated crops,” Proc. Natl. Acad. Sci. U.S.A. 105(37) 13982-13986(2008).
  8. Allaby, R. G. et al., “Emerging evidence of plant domestication as a landscape-level process,” Trends in Ecology & Evolution 37(3) 268-279(2022).
  9. 田村典子、「ニホンリスによるオニグルミ種子の貯食および分散」、『霊長類研究』13(2)129-135 (1997).
  10. D.Q. Fuller et al., “Convergent evolution and parallelism in plant domestication revealed by an expanding archaeological record,” Proc. Natl. Acad. Sci. U.S.A. 111(17) 6147-6152(2014).
  11. Maeda et al. “Narrowing the harvest: Increasing sickle investment and the rise of domesticated cereal agriculture in the Fertile Crescent,” Quaternary Science Reviews 145 226-237(2016).
  12. Webサイト Topos TextよりColumella, De Re Rustica.
  13. Pan, J., “A New Inquiry into the Chinese Sources Used by Charles Darwin,” Chinese Annals of History of Science and Technology, 2(2) 19 (2018).