みすず書房

話題の本

村上陽一郎 「〈パラダイム〉概念の名著 待望の新訳」

2023年8月8日

(毎日新聞2023年7月29日(土)書評面より転載)

村上陽一郎
(東大名誉教授、科学史)

待望の新訳の登場です。漸(ようや)く、という思いもあります。同じ書肆(しょし)からの旧訳の出版が1971年ですから、半世紀以上が経過しての再出版ということになります。何故「待望」だったのか、理由は二つあります。一つは内容に関わることで、アメリカでこの原著が1962年に刊行されて以来、小さな改訂や補記が付された版が重ねられてきましたが、2012年になって、原著出版50周年記念の第4版が、この分野の現存する指導的研究者の一人イアン・ハッキング(実は今年鬼籍に入りました)の批評・解説の文章を「序説」という形で加えられて刊行され、翻訳書は、言わばその最新版の翻訳であるからです。

もう一つの理由は、旧訳の訳者が、評子にとっても大切な先達に当たるがゆえに、書き難いことなのですが、学問の翻訳書としては、出版を急がれたのか、やや粗っぽさが目立つものでしたので、いずれは、より正確な翻訳が出版されるべき、という強い思いがあったからです。

さて、この書物なのですが、本来は、科学史・科学哲学という、学問の世界では片隅の、むしろ狭小な専門分野での、専門書に入れられるべき書です。それが、著者没後15年以上も経(た)って、出版50周年記念版が刊行されるという異例の事態まで生まれたのは何故だったのか。無論、原著の持つ専門分野への知的刺激が、最大級のものであったことは、大切な理由ですが、それを超えて、一般社会にも、大きな影響を広げた書物だったからです。

今日本でも、政治家や経済人などでも、極(ごく)普通に「パラダイム」という言葉を、とても便利に使います。「パラダイム・シフト」などというカタカナ語も、あちこちで見かけます。その「パラダイム」という言葉を、今広く使われているような意味を込めて、初めて使ったのがこの書物だったからです。一言で言ってしまえば「パラダイム」概念の生みの親が、著者クーンであり、この書でした。

クーンは理論物理学を専攻する学徒でしたが、人文系の学生に物理科学を教える機会が与えられたとき、物理学の歴史でも教材にするか、といった軽い気持ちで、科学について歴史的な勉強を始めたのだそうです。そのうちに、面白いことに気付きました。昔の人と、今の人と、頭の程度も、相手にしている自然現象も、さして変わらないのに、何故、昔の人たちは、今の私たちが「愚か」としか思えないような、奇妙な理論や考え方をしていたのだろうか。

その疑問にぶつかって、最終的にクーンが考え付いたのが「パラダイム」という概念だったのです。この言葉は、ギリシャ語まで遡(さかのぼ)れますが、ラテン語では、しばしば、語形変化表の意味で、あるいは更に、その中でも、例えば第一変化動詞の活用変化を、「愛する」という意味の〈amo〉を範例として記憶するのが普通ですが、(規則)動詞の「範例」という意味でも用いられていた言葉です。そこから、規範、典型、模範などの意味が生じていました。クーンはその言葉を、ある時代、ある共同体の人々が共有する、知的な枠組み、というような意味で使い始めたのでした。科学の歴史は、そうした人々の知的枠組みの非連続な転換によって作られる。それが、彼が当初に抱いた疑問への、間接的な、しかし明快な回答となって、この書に結実しました。因(ちな)みに「科学革命」という語も、そうしたパラダイムの変換点に与えられた術語として提案されました。

この書が知的世界に与えた影響は、すでに述べたように甚大でした。知識、特に自然についての知識体系としての自然科学は、探求する相手が時間と空間によって変化する人間社会とは違って、基本的には不変という側面が特徴である以上、新しい知識の増大によって、連続的な変化、言い換えれば「進歩」を重ねて、今日に至っている、ということが常識となり、学問の世界でも非常に堅固な考え方となっていました。それを自己否定した形となったクーンの所説は、激しい反論も含めて、1960年代以降、科学史や科学哲学の世界で、大きな議論を巻き起こしたと同時に、パラダイムは、ある社会に「共通する思考の枠組み」という捉え方によって、あっという間に、一般社会にも便利な言葉として拡散したわけです。

意味としては、旧(ふる)くから使われてきた「固定観念」や、「ステレオタイプ」などに通じるところがある概念ですが、これらの言葉が、常に克服すべき負の価値を背負って使われるのに対して、パラダイムは、肯定的、むしろ必然的な意味を与えられていたことが、これほどの普及をみた原因だったかもしれません。

本訳書に戻れば、原書旧版を相手にした始まりから、新版に出会ってそれを対象として、20年近く続けられた訳業、若手の専門家の支援もあって、改訳版に相応(ふさわ)しい稔(みの)りを得たと思われます。訳者の熱意、また敢えて今日になって新訳の刊行に踏み切った書肆の良心に敬意を表しておきたいと思います。

Copyright © MURAKAMI Yoichiro 2023
(著作権者のご許諾を得て転載しています)