みすず書房

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ハンナ・アーレントの「逃亡」と「労働」を語る

2023年7月7日

2023年6月24日、〈本と珈琲の店 ユニテ〉(東京・三鷹)にて、トークイベント「伝記グラフィックノベルで読む はじめてのアーレント」を開催しました。
4月に刊行されたケン・クリムスティーンのグラフィックノベル『ハンナ・アーレント、三つの逃亡』を主題に、訳者の百木漠さんを神戸からお招きして、聞き手の吉川浩満さんと、本書の舞台裏とアーレントの魅力について語り合った1時間半。
本記事では、盛況のうちに終了した同イベントの模様を、一部公開いたします。

〈対談〉百木漠・吉川浩満

ハンナ・アーレントにどこから興味を持つか

吉川 みなさん、ご覧になった方もいらっしゃると思いますけど、映画があるじゃないですか。『ハンナ・アーレント』という、10年くらいまえの。
あれでアーレントに興味を持った方も多いと思うんですけど、今回、この作品から興味を持つ人もいると思います。
これがカントだと、そういう風にはいかない(笑)。ハンナ・アーレントという人はやはり、つい映画を撮ったり、漫画にしたくなるような人なんでしょうね。

百木 そうですね。人生がドラマチックなので、物語映えするんですよね。映画はアイヒマン裁判をとりあげたものですけど、この本では幼少期から描かれています。

「脱出」か?「逃亡」か? 本書のタイトルについて

吉川 『ハンナ・アーレント、三つの逃亡』、これもかなりインパクトのあるタイトルですね。原題は"Three Escapes of Hannah Arendt"。Escapeは『大脱出』という映画もありますけど、(本書の邦題は)脱出ではなく「逃亡」です。ここには、百木さんなりの意図があるんでしょうか。

百木 それは編集者さんと一緒に迷いました。「三つの脱出」や「三度の脱出」という案もあったんですよね。「逃亡」だとネガティブな印象を与えるのではという意見もあったのですが、最終的に「逃亡」でいきたいとお伝えしたんです。ひとつ目の逃亡は、ドイツからパリに逃げる。彼女が26歳くらいのときに、ヒトラーが政権をとってユダヤ人迫害がはじまって、まずフランスに逃げる。8年間くらいしてフランスもやばいとなって、ニューヨークに移る。これがふたつ目の逃亡であると。三つ目が何か、というの話はちょっとまた後で…。
でも「逃亡」っていうほうが――彼女は命からがら逃げるっていう感じがあったと思うんですよ。ポジティブな「脱出」というと、軽くなってしまうかもしれないなと。最近だと「脱出ゲーム」や「脱出島」なども流行っていますけど、そのような感じではなくて。一歩間違えれば亡くなっていたかもしれないところで、ぎりぎり逃げていた。彼女の親友だったベンヤミンは逃亡できなくて、自殺してしまうわけですから。そういう切迫感をともなった「逃亡」。でもそれは必ずしもマイナスなものでもなかった。そういう意味で、重みもこめて、やっぱり「逃亡」のほうがいいかな、というふうに考えたんですけどね。

吉川 今のお話を聞いて、なるほどと思いました。たしかに脱出という意味もあるでしょうけど、ちょっと切迫感が減じてしまうというのは、その通りですね。

本書の魅力について

吉川 映画も私はいい作品だと思うんですけど、あれはアイヒマン裁判への取材とその後のゴタゴタに焦点があたっていて、アーレントがはじめからアーレントなんですよね。でもこの(漫画の)場合は、「三つの逃亡」をとおして、いかにアーレントがアーレントになったのかが描かれています。なによりそこがいいと思いました。

百木 そうですね。かわいいハンナちゃんのところから、大学時代ハイデガーともいろいろあり、それからナチスに追われて逃亡の生活が始まり、という。

吉川 まさに「はじめてのアーレント」にぴったりな本だと思います。4歳くらいから描かれ、14歳でカントを全部読んで(笑)。

百木 全部かどうかわかりませんが(笑)。少なくとも『純粋理性批判』は読んでますよね。22歳で博士論文を書いて、時代に恵まれれば華々しいアカデミックデビューを果たすところだったと思うんですよ。でも今これからという26歳のときにナチスが政権をとってしまって、そこから18年間、亡命生活を送ることになって。実質的に『全体主義の起原』で華々しくデビューするのは彼女が45歳の時ですから、遅咲きの人はあるんですよね。そこからの活躍がすごかったので、ある種希望をもらえるというか。

吉川 考えたらすごい話ですよね。

百木 20世紀をある意味で象徴する人というか。川崎修先生がアーレントの思想を「20世紀思想の十字路」と表現されていて。20世紀の色々なものが、彼女に重なってくるんですね。何より全体主義、ナチズムがそうだし。戦後もドイツに帰らず、アメリカで根無し草的に教えて、転々として、最後にニューヨークのニュースクールというところで専任を得る。それまでは専任職につかなかった人なんですね。アメリカで色んなものを見て。『人間の条件』に出てくるスプートニク号の打ち上げや、アイヒマン裁判に関してもそうだし、その後ペンタゴン・ペーパーズ事件や公民権運動など、戦後のアメリカを実際に見ながら考えた人で。20世紀のヨーロッパとアメリカ、その変化と激動を生きた思想家という感じですね。

吉川 あえてアメリカに残って。ナチズムとスターリズムの時代が終わったあと、アメリカの世紀になる。そういう意味で「20世紀の狂言回し」じゃないけど、そういう存在なんでしょうね。

百木 この本を読んでも、20世紀はどういう時代だったのか、が読みとれる。作者(クリムスティーン)は意図的に、アーレントに直接関係ない当時の活躍した有名人・文化人を入れてますね。

吉川 ビリー・ワイルダーとか、アインシュタインとか、普通に出てきますね。

百木 シャガールとか。直接会話したことはないと思うんですけど、架空の対話も書いていて。それはこういう「作品」じゃないと描けないことですね。事実をベースとしつつ、イマジナリーなものも埋め込んでいく。それが華やかにさせている作品ですね。…どこからが事実で、どこからが虚構がよくわからなくなっている。それはそれで楽しむ、という作品ですね。

三つ目の逃亡とは? それは哲学との訣別なのか?

百木 アーレントも、ナチスが出てくるまでは政治問題には関心がない、哲学と神学を探究した「純粋な哲学徒」だったんですけど、ナチスの問題が出てから急に自分がユダヤ人であることが政治性をもつようになった、とインタビューで語っています。…ドイツにはとどまれない、ということでパリ行きを決心した。ここで人生が大きく変えられてしまったことは、当時のドイツの人にとっては大きな経験だったと思うんですね。

吉川 三つ目の逃亡というのはひょっとしたら哲学との訣別なのかもしれない、と百木さんもおっしゃっていますけれど、「純粋な哲学徒」になりかかっていたアーレントが、そこでいわゆる「哲学」と決定的に離れる契機になったんですね。

百木 この本のなかではハイデガーとの対決が大きな軸になっていて、それが三つ目の逃亡とも関連していると思うんです。ハイデガーがナチスを支持してしまった。アーレントがハイデガーと愛人関係にあった、という私的な関係を超えて、哲学者としての尊敬を生涯持ち続けた相手、あんなにも賢い人がなぜナチスを支持してしまうのか、というショックですよね。…ハイデガーに対してはその後も複雑な思いを抱いています。本書に描かれているように単純に訣別する、嫌いになるということではなくて、実際にはアーレントは晩年までハイデガーと手紙のやりとりがあり、彼の80歳を祝って文章を送ったり、愛憎半ばするところがあったと思うんです。…一般的にみるとアーレントは哲学者と紹介されることも多いし、実際、哲学的な試みをやっていると思うんですけど、なぜ彼女は自分の仕事を「哲学」とは違う「政治理論」と言い続けたのかは、興味深い問題ですね。

吉川 なぜなんでしょうね。なんとなくですけど、アーレントがイノセントじゃなくなってしまったことと、哲学に対する屈託がつながっているような気がしますね。

百木 そうですね。彼女が「哲学」として定義しているのは、「唯一普遍の真理」を探究することですけど、自分はそうではない、と言いたかったんだと思いますね。そうじゃなくて彼女はプル―ラリティ――「複数性」ということばが『人間の条件』以降すごく重要なことばになりますけど――複数の意見、というのをむしろ自分は重んじたいんだと。時に意見は真理でないときもあるかもしれないけれども、複数の意見を交換する公共性のほうが大事なんだ、という方向に、戦後向かったんですね。全体主義の経験があってからは、伝統的な意味での哲学ではないと。

吉川 ハイデガーも含め、いわゆる伝統的な哲学は全体主義にお墨付きを与えるとか、支える方向に、日本も含めて、いったわけですからね。

百木 ハイデガーも、ある種利用されてしまったし、加担してしまった。そのことへの失望と反省、そうじゃないところを探さないといけない、ということですよね。
それが本書の最後にちらっと出てくる「複数性」と「出生性」という政治思想に行きついた、ということですね。

アーレントと労働

吉川 百木さんはどういう経緯でアーレント研究に入られたんですか?

百木 会社に勤めていた時期があって。毎日エクセルとにらめっこする経理の仕事を辞めて。

吉川 「会社からの逃亡」(笑)。第1の逃亡ですね。

百木 そう。そもそも「就活」という仕組みにも違和感があって。なんなんだこの変な仕組みは、と思って苦手でした。残業も含めて日本の会社の働き方は独特なんじゃないかと思うところがあって。その当時、2005年頃はちょうど非正規雇用の問題やブラック企業が問題化していて…、自分なりに働くことのモヤモヤを言語化して説明したいな、というのが最初の研究動機でした。学部時代はマルクスをやっている先生についてたんですけど、大学院に入る前の春休みにアーレントの『人間の条件』をたまたま読んで、その「労働」の章がすごく面白いと思って。
マルクスを批判しつつ、アーレントは自分なりの労働論を立てていく。「労働(labor)と仕事(work)を分ける」というアイデアが決定的なポイントなんですけど、これで何か言えるのではと思って「アーレントとマルクス」というテーマで研究しようと思ったのが経緯です。

吉川 なるほど! 百木さんの博士論文をもとにした『アーレントのマルクス』(人文書院)を読みました。これ名著で。私は昨年出した『哲学の門前』(紀伊國屋書店)でアーレントの労働・仕事・活動について書いたんですけど、今回の対談を前にこの本を拝読したら、百木さんが全部書いていらして。…さっきの労働の問題というのは百木さんだけの話ではなくて、われわれが共有する問題だと思うんです。その観点から見ても、アーレントとマルクスという組み合わせは絶妙ですよね。

百木 そうですね。思想界の両巨頭ではあるので。…吉川さんもアーレントと「複業」について書かれていましたよね。あれ面白かったです。吉川さんのアーレントへの関心についても教えてください。

吉川 副業ではなく複業、「複数の業」ですね。私もアーレントに興味を持ったきっかけのひとつが仕事とのかかわりです。就職しながらものを書くようになって。…ものを書くのも仕事、会社で働くのも仕事、その二つをどうやってうまく自分の中で折り合いをつけていくのかが問題で。…そんなときに『人間の条件』を読んで。生命維持としての「労働」と、ものをつくる「仕事」と、公共的な政治などに参加する「活動」についてあらためて考えるようになりました。昔は3つの役割は身分で固定されていたわけじゃないですか。奴隷と職人と政治家と。…だけど、現代社会ではひとりでそれをやらないといけなくなっている。アーレントを読みながら、自分の中でこれらのバランスをとっていく必要があると、そのときに思って。…それまではマルクスが自分にとってのアイドルだったんだけど、そのとき、アーレントの『人間の条件』を見習わないと、うまくやっていけないと思ったんです。

百木 アーレントは、マルクスを「全部労働にしちゃう」と批判しているんですね。生命維持も、モノをつくるのも、他者とのかかわりも自己実現も全部労働。それはすごく危険だと。まあマルクス側からの言い分はあると思うんですけど…、でも労働と全体主義は結び付いて、関係しているんじゃないか、というのが自分の読みだったんです。…現代人は、労働・仕事・活動を、みんな3つともそれなりに引き受けながらやっていかなきゃならない。アーレントって「活動」が重要で「労働」を軽視したように見られることがありますけど、僕はアーレントって労働も欠かすことができないと考えていると思うんです。仕事もそうだし。むしろその3つのバランスをどうやってとっていくか。それが我々にとっての「活動的生」であって、それが労働に偏りすぎてもいけないし、いっぽうで活動だけになっても危険だというのが、自分なりの考えだったんです。

吉川 いやまったく。はげしく同意します(笑)。私も学生のときに読んだときはボンヤリとしかわからなくて。働きはじめて、さらに文筆業もやりはじめてどうしようと思ったときに、はじめてアーレントに出会ったみたいなところがあります。そのとき、これはみんなに読んで欲しいと思って。それで昨年の本に「複業とアーレント」を書いたんです。

百木 こちらも我が意を得たり、という内容でしたね。

(以下略)

本稿ではイベントの前半部分を抄録でお伝えしました。こちらの続きを含むイベントの全編は、同店のウェブショップでアーカイブ動画を配信中です。
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