みすず書房

新刊紹介

大空襲の惨禍を日米の膨大な証言から描く

2025年12月23日

本書は、James M. Scott, Black Snow: : Curtis LeMay, the Firebombing of Tokyo, and the Road to the Atomic Bomb (WW Norton, 2022) の全訳です。著者のジェームズ・M・スコット氏は、アメリカの軍事史家・ノンフィクション作家で、本書をふくめてアジア・太平洋戦争に関する著書が4冊あり、1942年4月のドゥーリトル東京初空襲を描いたTarget Tokyo(2015)は、ピュリッツァー賞の最終候補にも選ばれています。旺盛な取材・執筆活動の一方で、日本を含む世界各地の戦跡をめぐるツアーのガイドとしても活躍しています。

英語版は2022年9月に刊行されました。全体は3部構成になっており、第1部「火花」では、軍事目標への昼間精密爆撃にこだわり、最終的に更迭される米指揮官のヘイウッド・ハンセル篇、第2部「火炎」では、ハンセルに代わって指揮を執り、夜間無差別爆撃へと舵を切ったカーティス・ルメイ篇、第3部「劫火」では、1945(昭和20)年3月10日未明の東京下町空襲の凄惨な実態とその余波が、つぶさに描かれます。

刊行後すぐに、第二次世界大戦末期の米軍による対日空襲の実相を、日米双方のさまざまな視点から描いた、これまでにない戦争史の秀作としてアメリカの各紙誌で高く評価されており、同業の戦記作家たちからも称賛の声が多く寄せられています。たとえば、リチャード・フランク氏は、次のような賛辞を寄せています。

「本書は、史上最も破壊的な空襲となった1945年3月9日から10日にかけての東京大空襲の凄惨な現実を、見事な筆致で生き生きと描き出している。スコット氏は、巨大な火災旋風に巻き込まれた日本人たちの痛烈な体験を含め、この大惨事の世界的、技術的、そして道義的な背景を、あらゆる立場や国籍の人々の鮮明な肖像を巧みに用いながら概観している。この魅力的な記録は、現代にも強い関連性を持つ歴史的瞬間を照らし出している」――リチャード・B・フランク(『頭蓋骨の塔――アジア太平洋戦史 1937年7月-1942年5月』[未訳]著者)

「大学卒業後に来日し、本州で教師をしていたことがある」――昨年、本書の著者インタビューをポッドキャストでたまたま聴いていた際、スコットさんがこう語るのがふと耳に入りました。若いころに兵庫県の公立中学校に英語教師として赴任し、その際に、地元の人びとから戦争末期の強烈な空襲体験を聞いて、米軍による対日空襲の事実にはじめて触れたこと、同じ時期に広島とハワイの真珠湾を訪れ、太平洋戦争の終わりと始まりの地を踏んだことが、軍事史家としての原点になったとの話に、興味を惹かれました。その後に原書を読んで、緻密な調査とバランスのとれた筆致に感銘を受け、ぜひ日本語版を刊行したいと考えたのが、この邦訳版のきっかけです。スコットさんの若き日のエピソードは、本書冒頭の「日本語版に寄せて」でもご紹介いただきました。

本書の最大の特色は、日米をまたぐ入念な調査と取材にもとづく立体的な記述です。日本では、東京大空襲の体験者の方々にじかにインタビューしており、なかでも「東京大空襲・戦災資料センター」の初代館長でもある早乙女勝元氏(2022年逝去)に詳しく話を聴いていることが、本書の重みとリアリティーをいっそう高めているように感じます。早乙女氏を含む空襲体験者の方々から聞き取った生々しい証言をはじめ、『暗黒日記』の清沢冽の記述、米航空軍の公式記録、ルメイが妻とやり取りした手紙に至るまで、日米の諸相に及ぶ詳細な調査・取材と重層的な筆致は、ハーシーやトーランド、ダワーなど、アメリカ人ジャーナリストや研究者の先達による名著をも想起させます。

今年の10月上旬、欧米人対象の日本戦跡ツアーのガイドとして来日されたスコットさんに、東京大空襲・戦災資料センターではじめてお会いしました。初の邦訳となる、この日本語版の刊行を、とても喜んでくれていました。今回のツアーでは、沖縄、広島、長崎、東京と回り、特攻隊の出撃基地だった鹿児島の知覧も訪れたとのこと。ちなみに、同センターは、2022年のウクライナ侵攻以降、英語圏からの来館者が増えているのだそうです。この邦訳版の編集にあたっても、吉田裕館長をはじめ、東京大空襲・戦災資料センターの方々にさまざまなご援助・ご協力をいただきました。本書を読まれたら、民立民営の同館をはじめ、関連する資料館や史跡にも、ぜひ足を運んでいただけたらと思います。

まもなく戦後80年が終わりますが、本書で描かれている出来事は、遠い過去の、終わった事象ではありません。東京大空襲をはじめとする民間の空襲被害者に対しては、最高裁が示した「戦争被害受忍論(受忍論)」を理由に、日本政府からの補償はいまだなされていません。超党派の国会議員による「空襲被害者救済法」提出の動きもありますが、戦後80年の節目に成立を目指した先の国会でも、法案成立は見送られました。一方、世田谷区では、空襲被害者に対する見舞金を支給する条例が、この12月に成立しています。現在なお進行中の諸課題の起点として、東京大空襲の実態を知る意義は小さくないのではないでしょうか。

「日本語版に寄せて」の末尾で、スコットさんは次のように述べています。「終戦から80年がたち、世界の緊張が高まるいま、私たちが過去を記憶し、平和を保つためにできる限り力をつくすことがこれまで以上に重要になっているのは間違いない」。本書を機に、現代にも重い問いを投げかける未曾有の空襲とその影響について、改めて考えていただけたら幸いです。