『レオポルド王の霊(King Leopold's Ghost)』など、歴史ノンフィクションの傑作を著してきたジャーナリスト・歴史家であるアダム・ホックシールド。その最新作『暗黒のアメリカ――第一次世界大戦と追い詰められる民主主義』は、「アメリカの暗黒時代」を描きます。深刻なテーマを扱っているにも関わらず、原書American Midnightは全米で大ベストセラーに。その理由も頷ける著者の筆致をご紹介すべく、第12章「チアリーダー」から抜粋してお届けします。
第12章 チアリーダー
(抄)
戦争プロパガンダをまくしたてたのは覆面の探偵だけではなかった。平時であれば、この時代に家族が映画館に行けば、映写技師がサイレント映画のリールを交換する4分ほどの間に地元の商人がソーセージから女性の帽子までありとあらゆる商品を宣伝するスライドが上映されることがあった。しかし今はこんなスライドが画面に出る。「席を立たないでください。政府の代表者が重要なメッセージをお届けします」。それから男性が舞台に出てきて、警戒の必要や「勝利の庭」づくり、勇敢なアメリカ軍兵士が前線で収めた最新の勝利などについて短くも力強い演説をするのである。
これは「四分間男子」と呼ばれる人たちで、事実ほぼ全員が男性だった。7万5000人おり、全員がボランティアで、映画館のほか、ロータリークラブやキワニスの昼食会、郡の品評会、インディアン居留地、女性のクラブ、教会、シナゴーグ、労働組合の集会、楽団の演奏会、ワールドシリーズのイニング間、リバイバル運動のテント、約500カ所の伐採作業所で演説をした。四分間男子の年少部門は学校で、大学部門はキャンパスで、有色部門はブラックの教会で話をした。イディッシュ語、イタリア語、ポーランド語、リトアニア語、アルメニア語その他の言語で演説をする四分間男子もいた。長めの演説をする一団は非公式に四時間男子と呼ばれた。
四分間男子は歴史家や修辞法の教師からなるチームにより入念に訓練され、教え込まれた。厳しく監視され、演説の題目や「適切な引用とうたい文句」、それに演説全体の見本が提示されてある通信を戦争期間中に40回以上も受け取った。四分間男子が話す内容のおよそ半分はウッドロウ・ウィルソンの発言を引用したり言い換えたりしたものだった。アメリカの大統領がこれほど強力な拡声器を持っていたことはないのではないだろうか。
第一次世界大戦が終わる頃には、四分間男子は「われわれが戦う理由」から「勝利に向かって前進」までさまざまな題目で700万回以上の演説を行なっていた。シカゴでは愛国的な歌を歌う「自由合唱団」が加わることもあった。「5、6人で集まるときに」とコラムニストのマーク・サリヴァンは書いた。「四分間男子の登場がないようにするのは難しくなった」
ウィルソンが連邦議会に宣戦布告を求めた晩よりも前から、ウィルソンとカーネル・ハウスは、自分たちがそれほど加わりたがっていた戦争への熱意をどうかりたてるか戦略を練っていた。2人の協議の結果が、参戦の1週間後にウィルソンが大統領令によって設立した広報委員会(CPI)という機関である。四分間男子はCPIの事業のなかでもっともよく知られているものだったが、CPIは前例のない規模と権力を持つ、より大きなプロパガンダ攻勢を統轄していた。この組織を支配していたのは威勢のいい委員長のジョージ・クリールである。以前は新聞を経営していたクリールは熱狂的なウィルソン支持者だった。CPIの目的は、クリールがいかにもウィルソンがしそうな言い方で述べたとおり、「アメリカの目的が完全に利他主義的であること」を国民と世界に十分に理解させることだった。あるときクリールはもっと露骨にこう言った。「宣伝によってクリームや石鹼が売れるなら、戦争も売れるはずではないか?」
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(著作権者のご同意を得て抜粋・転載しています。
なお読みやすいよう行のあきなどを加えています)