みすず書房

新刊紹介

古代ギリシャ・ソ連・デジタル帝国

2024年8月16日

「みすず書房」という屋号から古風な響きを受ける方もいらっしゃるようだが、小社の刊行物はインターネット書店でもよくご購入いただいている。通販サイト以外にも、スマートフォン等のアプリストア・SNS・フードデリバリーサービスなど、インターネットを介して人や企業がやり取りする機会は増している。

インターネット上のこのような場のことを、近年「デジタルプラットフォーム」と呼ぶ。交流するのはあくまでも利用者同士であって、プラットフォームは仲介するだけ、というのがその特徴だ。ヴィリ・レードンヴィルタ『デジタルの皇帝たち(原題Cloud Empires)』(濱浦奈緒子訳)は、このデジタルプラットフォームについて、創設者たちの思想的淵源から、経済的・経済的・社会保障的側面、そしてその問題点の克服についてまで論じている。

この本が着目するのは、プラットフォームが「国家」と似ていることだ。例えば通販サイトを思い起こしてほしい。売り手が提供した商品に買い手が不満を持った場合、買い手は通販サイトの管理者に訴える。プラットフォームの「中の人」は、サイト独自のルールと、トラブルの事情を照らし合わせて、返金を命じたり、クレームを却下したりする。これは、国家の裁判所が法律に基づいて判決を下しているのと似てはいないか。多くの売買がこうしたプラットフォームを介して行われていることに鑑みれば、プラットフォームは国家よりも「判決」を下しているのかもしれない。そして、プラットフォームが、国家のような役割を国家より果たしていることには問題がある、というのが本書全体の問題意識だ。

著者は興味深いことを指摘する。プラットフォームをつくった人々は、往々にして、「国家権力」から自由な場をつくろうとしていた、というのである。デジタル技術を使えば国家権力に左右されなくてすむ、と論じたサイバーリバタリアン、ジョン・バーロウの主張は荒唐無稽に思えるかもしれないが、それを実現可能と考える彼なりの論拠がある。それは第2章を読んでほしい。そして、その間接的かつ不肖の弟子ロス・ウルブリヒトがつくった巨大闇サイトSilk Roadをはじめ、デジタル技術を駆使したプラットフォームが、権力から自由な場所どころか、国家以上に国家的(場合によってはソ連的な)場と化してしまう経緯は、おおむね各プラットフォームに1章ずつ割いて論じられる(第 I 部)。

第 II 部以降の主張は、プラットフォームが滅茶苦茶なことをしでかしてもその責任を問うことが難しかったり(説明責任の欠如)、そこから抜け出したりする(経済学者ハーシュマンのいう「離脱 exit」)のが困難なことから、国家よりも困った性質があるというものだ。Amazonの創業者ジェフ・ベゾスの義父ミゲル・ベゾスにはカストロ政権下キューバから脱出することが可能だったが、Amazonで商品を販売する事業者がそこから離脱することは事実上不可能だ、というのは本書でも印象的な指摘である。他にも、仮想通貨というプラットフォームは、実は古代ギリシャ社会と同じ経済的課題に直面していた、という事実や、プラットフォーム権力への抵抗の成否を分かつ要素が分析・整理される。

本書は経済学的、より広くいえば社会科学的な枠組みに依拠するところが大きいが、無味乾燥な分析の羅列ではない。構成も専ら伝記・評伝的。ゲーム開発に携わったのち学術界に進み、当時の雰囲気や温度感に精通する著者だから書ける記述に富んでいる(邦字メディアが著者に行ったインタビューには、インターネット上で読めるものもいくつかあるので、気になった方は読んでほしい)。デジタルテクノロジーを駆使してまったく新しい世界をつくろうとした人々の試みが、実は古代ギリシャ・中世ヨーロッパ・ソ連のそれの焼き直しともいうべきものになっていることを描いている点で、人間の業を暴いた作品と評価してもよいかもしれない。

そして、いまデジタル産業に従事していない読者にとっても、本書で語られる出来事は決して他人事ではない。第11章の主人公である「ソフィア」は、アメリカに生まれたが夏目漱石作品の愛読者で、翻訳・通訳に携わることを夢見て大学を卒業した。しかし、糊口をしのぐためにオンライン労働プラットフォームで働いたり、クラウドファンディングという疑似福祉プラットフォームに頼ったりすることになる。デジタルプラットフォームという「雲の上の帝国(empires in the cloud)」が、国境という地上の軛を超えて広がる世界では、あなたや家族がそれなしでは生きてゆけなくなる日も近いかもしれない。