みすず書房

新刊紹介

もうひとつのアイデンティティへの目覚め

2024年2月16日

訳者あとがき

石垣賀子

本書は2021年に刊行されたSpeak, Okinawa(Knopf)の全訳である。著者エリザベス・ミキ・ブリナは、第二次世界大戦後間もない沖縄で生まれ育った母と、沖縄に駐留していた元米兵の父のもと、1981年に生まれた。80-90年代のアメリカで育った自身の半生と家族の歴史をたどった回想記である本書は、アジア人の母を異質な存在として長年拒絶してきたことへの悔恨と、アイデンティティをめぐる葛藤、母の故郷沖縄の歴史に目を向けた贖罪と和解への道のりを軸に語られる。

人口の99パーセントが白人を占めるニューヨーク州北部の町で少女時代を過ごした著者は、周りになじめず、疎外感や劣等感を抱きながら育つ。その原因を、英語が不得手で周囲から浮いている母親に見いだし、冷たくあたる。一方、マンハッタン育ちで完璧な英語を話し、教養ある白人アメリカ人である父親をヒーローとみなし、父の庇護のもとに成長する。やがて家を出、恋愛や仕事でさまざまな失敗と経験を重ねるうち、母の孤独に思いを寄せるようになっていく。そして34歳のとき、日本人教会で母親の洗礼式に参列したのをきっかけに、沖縄の歴史を知りたいと思い立つ。

著者は歴史書や回想記を読み、琉球王国の成り立ちから日本や中国による支配、凄惨な沖縄戦、戦後の米国統治時代、本土復帰と現在まで続く米軍基地問題について学んでゆく。それは母と自分のルーツである沖縄を知ることであるとともに、自国アメリカがしてきた行為を知ることでもあった。

その過程で、終戦の3年後に生まれた母が、戦争で深い傷を負い、米兵による犯罪がまともに裁かれないような占領下の沖縄で、いかに貧困や屈辱、劣等感を抱えて生きてきたかを知る。と同時に、沖縄で生まれ育った母が抱える劣等感や痛み、トラウマを自身も受け継いでいるのだと気づく。半分アジア人である自分を長らく拒絶してきたこと、母の英語を見くだしていたこと、父が母を英語教室へ通わせはしても自分は日本語を学ばず、娘にも学ばせなかったことの背景には、そうしたトラウマや、占領する側とされる側の間の不均衡な力関係、ひいてはアメリカの白人優位主義や植民地主義があり、自身もそれらを内面化していたのだ、と思い至る。


本書は4度の沖縄訪問を含む著者の過去と現在、母と父から聞き取ったそれぞれのライフストーリーを綴った章の間に、沖縄の歴史をたどる章をさしはさむ構成をとっている。全編を通じてシンプルだが心に訴えかけてくる文章で、自問を重ねながら自身と家族を見つめ続ける過程に読者は同行することになる。

沖縄の章では、沖縄の歩みが一人称複数形の「we」で語られているのが特徴だ。著者はこれについて、半分沖縄人の自分が白人側の自分に向けて「こういう歴史があったから今のあなたがいるんだよ」と語りかけるつもりで書いた、と説明している(原題Speak, Okinawaにこめた意味もここにある)。沖縄の歴史が自分のなかに息づいていることを表すための手法だったという。「わたしたち」の集合的経験として歴史を語るこのスタイルは、日系アメリカ人作家ジュリー・オオツカが米国へ渡った写真花嫁の体験を描いた『屋根裏の仏さま』(岩本正恵・小竹由美子訳、新潮社、2016年)から借用したそうだ。

母への謝罪と和解に至る変化は、一つの転換点があったわけではなく、徐々に起きたと著者は書いているが、読んでいくといくつかの転機があることがわかる。どれも心に響く場面だ。家庭環境に恵まれない子どもたちを教える教職につき、問題児扱いされながらも強く賢い生徒たちと向き合った日々。娘と夫の会話についていけず、テーブルの下で小さくなっていた母の姿に自分を見た瞬間。とりわけ、キリスト教の信仰を得た母の洗礼式に同席したことは大きな転機だったと各所で述べている。教会員のほとんどが母と近い世代の日本人女性で、日本に駐留経験のある白人米兵を夫にもつ。母と似た境遇の女性たちに接した著者は、両親の出会いは単発のできごとではなかったのだと気づき、その背景に共通する体験と歴史を知りたいと思い立つ。そして母の歴史であり自分の歴史でもある沖縄の歴史を知らなければ、母のことも自分のことも知り得ないと確信する。

謝罪の言葉と行為に日本文化の特徴を見いだし、何かにつけて謝ってしまう気質を母も自身も受け継いでいるとしたうえで、これまでの自分を母に詫びるくだりはとりわけ胸を突かれる。母を遠ざけてきた自分への後悔の念に向き合い、内省、受容、謝罪をへて関係性を築き直す姿には希望が見える。[中略]

本書はアジア系をはじめ、女性を中心に多くの反響が寄せられている。なかでも少なからぬ沖縄系アメリカンから、自分も同じ思いを抱いてきた、同じ体験をしたとの共感の声が届いたことに、著者は「自分だけが抱えていた問題ではなかった」と思えたという。自国を知ることにもつながる沖縄の歴史と今を多くのアメリカ人に知ってもらうことも、著者の願いだ。[中略]

わたしたちは個人単体で存在しているわけではなく、過去を受け継ぎ、社会や時代環境の影響を受けて形成されている。個人の歴史と家族の歴史、集合的な歴史をふまえた上でようやく今の自分を真に深く知ることができるのだと、本書を通じて思う。自分と両親の過去と真実に迫り、記録してまとめるという、自身にとって「書かなければいけなかった本」を書き終えた著者は、ひとまず肩の荷がおりた気持ちだという。さまざまな動機、関心、背景をもって本書を手にする日本の読者のみなさんと、沖縄とアメリカにルーツをもつ家族の一編の物語を共有できればうれしく思う。

――続きは書籍をごらんください――

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(筆者のご同意を得て抜粋転載しています)

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(英語)

AUTHORS IN CONVERSATION https://www.youtube.com/watch?v=Hovi5WvoD7E
本書の著者エリザベス・ミキ・ブリナ氏と、『アメリカンビレッジの夜——基地の町・沖縄に生きる女たち』の著者アケミ・ジョンソン氏との対談(2021年10月1日、Nikkei Digital Media配信。約1時間20分)。
沖縄・日本にルーツをもつ2人が、みずからのアイデンティティや沖縄の米軍基地問題、自身と家族の人生について書くことの意味を語り合う(アケミ・ジョンソンは沖縄系ではない日系四世、モデレーターのマリコ・ミドルトンは母が沖縄人女性、父が米軍関係者)。