みすず書房

新刊紹介

「思いやりの理由」を知るために

2022年12月23日

前を歩く人が取り落とした傘を拾ってあげた、落としものを交番に届けた、電車やバスで席を譲った……。こんな経験をしたことがある人は少なくないだろう。自分になにか得があるわけでもないのに、こうした親切なふるまいをするのは、私たちにそうした本能が備わっているからだ。思いやりは誰の心の中にもある。すこし意地悪に見える人も、ちょっとばかりの訓練を積めば、誰でも他人に親切にできるはずだ。

……思いやりの仕組みがこんなふうに単純だったなら、本書『親切の人類史』が書かれることはなかっただろう。人間の利他性は、哲学、歴史学、文化人類学、社会科学、生物学などを中心に、さまざまな分野の専門家の興味を引く不思議なテーマだ。そんなに多くの人が関心をもつテーマが、「本能」の一言でわけなく片付いてしまうならそのほうが驚きだ。

本書は、人間の利他心に寄与する生物学的側面と、さまざまなかたちで利他心をはぐくんできた歴史的事象のどちらもが重要であるという立場をとる。その表れか、ふたつの側面の重要性を説明するのにほとんど同じだけの紙幅が割かれている。利他性をテーマとする書籍はごまんとあるが、その多くが生物学的考察と人文学的考察とのどちらかに軸足を置いて記述されているのとは対照的である。この肩入れしすぎない構成が、本書の特徴の一つだ。それでは果たして、何がどのように重要なのか? 関心を持たれた方は、ぜひ本書を手に取って確かめてほしい。


著者は私たちの生きる現代を「思いやりの黄金時代」と呼んでいる。極度の貧困や人権侵害、戦争など憎むべきものはいまだに根絶できていないが、以前に比べれば確かに世界は格段によくなっている。ベストセラー『FACTFULNESS』(2019、日経BP)https://bookplus.nikkei.com/のおかげで、こうした見方は多くの人の知るところになったし、本書も同じ立場を貫いている。ただし、著者は次のように釘を刺す。

わたしたちが他者を思いやるべき理由を忘れたら、将来世代はわたしたちの「思いやりの黄金時代」を、こう振り返ることになる。記憶が薄れ色あせた今ならわかる、あの輝きはただの金メッキだった、と。

将来世代の悪評を買わないためにも、本書で示される「思いやりの理由」に触れてみてほしい。