マティスとルオーが出会ったのは、1892年、ギュスターヴ・モローの絵画教室でのことだった。この時、マティス23歳、ルオー21歳。マティスは、家を継ぐことを期待する父親から逃げるように、フランス北部の織物の町ボアンを飛び出し(ニースに長く暮らしてからも、「私は北の人間です」とマティスは言いつづけた)、絵を学びたいとパリを目指した。5回目の受験でなんとかパリ国立美術学校(ボザール)に合格。ようやくめぐりあえた師がモローだった。
才能と野心に満ちた画学生の集まる教室のなかでも、ルオーは抜きんでた表現力と技術で「ドラクロワの再来」とまでいわれ、モローお気に入りの花形生徒だった。どちらかというとデッサンが苦手で引け目を感じていたマティスは才能輝く優等生ルオーをどう思っていたのだろうか。本書の巻頭に置いたモロー教室の集合写真(1897年撮影)は、そんなふたりの距離間を伝えている。だが、ふたりの手紙を読めば、ふたりの間にはモロー教室の思い出があり、ふたりを結びつける絆が教師モローであることが分かるだろう。