
さまざまな「時」がこの地に流れている。
「雪」がこの地に降り始めたのは8000年前、縄文時代に遡ると言われ、いつとも、どことも、はきとは知れぬその最初の「雪」が、冷えた地に触れた瞬間、「この地」は始まった。「雪の刻」に合わせて自らの「時」を伸縮させられる諸物(生物・無生物)のみが残留し、あるいは栄え、逆に、「時」を合わせられなかった諸物は去るか滅ぶか消失してゆき、そうして「雪」の及ぶ範囲は「この地」へと変貌し、外とは異なる一領野となっていった。この地の縄文文化が生み出したものに、火焔型土器がある。後世の私たちが火焔のイメージで捉えた、あの上部の文様が、胴部の渦や横倒しのSの字の繰り返し文様と合わせて、春の雪解けの水が流入した河川の奔流の様を写したとする説もあり、土器を見つめていると、記憶にある奔湍の心象が被ってきて、確かにそうであるようにも思えてくる。ともあれ、「雪」のもたらす膨大な水が、この地を豊穣にしていったのは確かだ。激湍の荒ぶる波の様相は見るからに恐ろしい、しかし、それ以上に、この地というものの生の脈動を感じさせる。…8000年前の地層とそこに静かに埋もれてきた土器の刻む「時」。 千年が、私たちの一年であるかのような遅い刻み、他のどんな「時」よりも、「雪」に合わせての伸縮の少ないであろう「時」、悠久の「時」。
春夏秋冬のそれぞれの「時」は、「雪」に合わせ、際立って伸縮を見せる。冬の停留、春の疾駆、夏の安定、秋の再びの疾駆、…他の地とは異なる固有の伸縮。そうして8000年間、冬から春へ、春から夏へ、夏から秋へ、秋から冬へ、そしてまた冬から春へ、…1年の周期、循環の「時」。
動植物の刻む「時」は、季節の刻む「時」の伸縮に明瞭な同調を呈する。例えば、春の木々は雪解け水を得て、爆発的な速さで葉を展べ、あたりを瞬く間に緑に染めてゆく。また例えば、夏の森では、「雪」が元の湧水のもたらす湿度と土の水気で、落ち葉は安定した順当な速さで腐葉土へと変わり、その層の下の前年、前々年の腐葉土は肥沃な土そのものへと遅滞なく分解してゆく。植物は人のような意思は持たず、季節に直に対応するから、季節の「時」の刻みを知るよすがとなる。そしてまた例えば、冬の狩りで仕留められた兎は、新雪の上に屍を浅く沈めて横たえ、「雪」も被毛も共に柔らかく純白。その躯の奥に進む過程の、どこまでが生で、どこからが死なのか、その境はいくら目を凝らしても窺えず、しかし、停留する「時」の中、死の過程(崩壊や腐敗)の「時」の刻みを遅いものとしていることは間違いなかった。…動植物の、死をも包含する生の「時」。
人は意思を有し、知性(探究心)を有し、それによって科学を生み、自然を利用し、さらには自然に逆らうこともできる。実際、この地が豪雪地となった8000年前から、人々は絶え間なく、様々な工夫を凝らして生活様式を変化させながら暮らし続けてきた。その生活様式も、近代では科学の進歩で激変したはずだ。しかしそうあっても、この地の人々は自らの「時」の刻みを、今でも「雪」に合わせる。意思によって、「雪の刻」との同調を行う。…仕事に生活に伸縮をさせて刻む「時」。そうして人々が営々と紡いできた歴史の「時」。
…様々な「時」をカテゴリーにして語ったけれど、それは認識しやすくするために、私(人)が与える区分、境に過ぎない。万物のそれぞれに刻む「時」は、「雪」のもと、互いにそっぽを向くことなく関係し合い、響き合い、その「時」の響きこそが写真に共通して感じられる気配なのだった。
前作『繡』の制作で、私は、「個の存在」の「個」が「孤」ではなく、相互に関わりを結ぶこと、それが本性であることを見出していった。複数の「個の存在」が関わり、結び目を創ったものが「系」であり、そもそも「個の存在」が既に「系」なのだった。例えば、私は数十兆の細胞で、究極的には天文学的数の素粒子からなる「系」。根本の本性が共通なのだから、万物は関係し合い、「系」を成し得る。種も個体も異なる一本ずつの木が、無関係に寄せ集まるのではなく、森という「系」を成し得る。
根本から本性が異なっているなら、それら「個の存在」はあらゆる関係を断たれ、相互に他方は無に等しく、認識すら成立せず、その場合、同一の場所に重なって存在しても、衝突はもちろん、何の干渉も生ぜず、一切何も起きない。

だからと言って、「系」においては、無制約な関係(結びつき)によって、万物が一様になってしまうのでもない。例えば、人体という「系」は、多様な細胞が関係して多様な臓器を成し、またその多様な臓器が関係して活動し、調和して成立している。癌は、人体のすべてに、癌への一様化を進め、それは多様なものの調和の破壊だ。…関係しあう、しかし、一様化は起こさない、そんな多様なものの調和が「系」の本来の在り方だ。
今回の津南と周辺…奥信越での撮影でさらに私が識ったのは、「系」にはそれぞれ紐帯となる何かがあるということだった。様々なものが紐帯たり得る。自然法則が紐帯にもなれば、人の意味・価値・目的が紐帯にもなりうる。森という「系」の紐帯は自然法則。様々な素材の部品の集まる机という「系」の紐帯は、人の創る意味・価値・目的に基づくデザイン(設計)。だから、ある纏まりを見せ、周囲から分節のある存在、それを机という「系」として捉えるのは人に限られる。例えば猫には、それは地面と一体の隆起でしかないかもしれない。どうあれ、人の捉える机ではない何かだ。
里山という「系」は、人の居住地と手つかずの自然との間に置かれた境、緩衝地帯の役割を担う領域で、自然(例えば野生動物)が人の居住地を侵さず、また同時に、人(また生活様式)が自然を侵さぬためにあるけれど、その「系」の紐帯は、自然法則と人の意思のもたらす意味・価値・目的の双方が等分に重なっている。人は自然法則を活かして(尊重して)緑地をデザインし、かくして里山を造作し、維持する。杉や檜の人工林も同様だ。野生動物の、特に大型獣にとっては、里山や人工林は、植生の変化する居心地の悪いエリアとして現れているかもしれない。里山に隣接することの多い畑という「系」も同様、それが畑であるのは人のみにであって、里山の緩衝地帯を越境した動物にあっては、それは美味な植物の密生するエリア(餌場)として、…自分たちの生息エリア内に見つけられた、記憶すべき特異点として現れる。
家族という「系」もまた、自然法則と人の意思のもたらす意味・価値・目的、双方が等分に「系」の紐帯になっている。動物は本能(自然法則)のみで家族が成立し得るだろうが、人はそれだけでは収まらない。よく言われるように、人は、良くも悪くも自然(本能)を逸脱している。家族崩壊は紐帯の破壊だけれど、家族一人一人は「個の存在」で、各人の意味・価値・目的が、類同性は見られても、基本的に異なるのだから、家族崩壊が起きない方が実は注目に値することではないだろうか。かつて私のような図抜けた破壊者が居たにもかかわらず、中井家が今もなんとか家族たりえているのはすごいやんと、単純に…それとも無責任に思ってしまう。
ある一つの「系」が、複数の異なる紐帯によって成立していることの方が多く、むしろそれが普通であるだろう。都市という、歴然としながら同時に掴みどころのない「系」など、その典型だ。経済の紐帯、文明の紐帯、文化の紐帯、そして人が本性として社会的生物なのならば、自然法則の紐帯などなど、都市においては優先順位のつけがたい紐帯が多重になっている。紐帯のどれに着眼するかで、都市の相貌は変化して私たちに現れる。写真家は、その相貌の一つ、ないし幾つかを選択して、以て作品間に統一、個性を与える。
人が付けた名辞としてはかろうじて奥信越が対応する「系」では、何と言っても「雪の刻」が紐帯なのだった。「雪の刻」のもと、万物はそれぞれに刻む「時」を「雪の刻」に合わせて伸縮させ、そうして「時」は響き合って、固有の響きを生み出す。人の定めた地の区分も、その名称も、また「時」の区分(時代)も越えて広がりゆく地の、固有の響きが感じられる領野こそが「この地」なのだ。
夏、「この地」に通年で「雪」が存在することに気づいた私の前には、撮影の時空が境もしれず目路の限り広がった。あれが、「雪の刻」の創り出す「時」の響きの境に囲まれる領野、「この地」とぴたりと一致することを、私は撮影を経て識った。
「この地」に生まれ育ち、長く暮らした者の虹彩は、薄墨色に澄んでいる。「遺伝的なものですか」と問う私に、「…雪焼けでは」と言われた。いずれにせよ、その目だけを切り取って捉えて写真としても、「この地」の表現にはならない。あの瞳は、「この地」の万物と「時」を介して響きあってこそ、蒼古として、幽暗な遠い過去を覗き込むような深さを感じさせるのだ。目は、顔は、体は、…時の響きに包まれ、自らもその響きをつくる一音を発していた。

私はこの地の万物の写真、固有の「時」の響きに包まれ、自らも響きの中の一音を発している個物や風景・光景、言い換えれば「個の存在」と「系」の写真で、「雪の刻」を表現しようと思った。そして作品は形をなし、『雪の刻 THE TIME RULED BY SNOW』は生まれた。副題の英文は、「雪に律せられた時(雪が律する時)」の翻訳のつもりだが、ネイティブの人には『?』の表現だと指摘も受けた。私はそれでも構わないと思った。
1枚の写真に写る対象の数は限られる。空間は1次元減少する。そして時間は流れを失う。流れゆく時間をある一瞬へと変換する写真は、しかし、私たちに、時への凝視を可能にする。動画では、「時」は流れても、多くの場合、被写体の動きに目が行って、「時」は背景化してしまう。動画で、流れゆく「時」そのものを表現しようとするなら、なにか工夫が要って、私は動画作品『降る』でそれを試みた。背後の風景が一切見えない闇夜、ライトの及ぶ範囲に降る雪のみをひたすら撮影して、すなわち被写体の写し方に相当の制限を与えることで、流れゆく「時」の「今」というものの在り方を表現しようとした。
それに比べるなら、写真はむしろ、流れゆく「時」を、私たちに感じさせやすい。写真は現実と異なって、流れゆく「時」を欠く、しかし「そこに在るべきものが無い」は、その「在る(べき)もの」の強力な表現法の一つなのだ。「時」に限らず、肉眼では当たり前すぎて看過してしまうものを、ありありと感取させる、それが写真だ。写真は、現実に準ずるものとして、下位の現実などではなく、現実の埋没した(多くの場合、私たちの慣れによって埋没した)側面を表へと置換し、以て、私たちの現実認識を初期化する。そのとき、世界は人に、いわば生まれたての出現を見せる。そのように写真は、下位の現実ではなく、特化された現実なのだ。
私は、自分が感じていることが表現できるようにカメラを操作し、そしてプリントの仕上がりを詰めてゆく。人一倍食いしん坊でよく眠る私が、寝食をおろそかにしてプリント作業に集中し、展示用ともなれば、とても高価なペーパーを、お金もないのに湯水のように消費してボツの山を拵え、そうして、私の無意識の水脈がその揺らめきで『これ!』の承認を知らせてくるまで粘り続ける。「写真」以外のことにもそのようにできるなら、私は少しは裕福になれたのかもと溜息をつくこともあるが、致し方ない、こればかりは。…ようよう仕上がったプリント、私がそこに籠めた内容が、見る人に伝わることを、私はもちろん望むけれど、しかし、その理解を強制することは不可能だ。作家に自由があるように、見る人にも自由があり、それは対等なのだ。
それでも、少なくとも、作品間の一貫性は、私の表現意思によってもたらされている。人は、私の写真に、私の思いもよらない意味・価値・目的で解釈し、それに適ったイメージを掬い上げるだろう。紙の表面の多色の分布から、人それぞれの意味・価値・目的でイメージを掬い上げるその行いは、「世界」に対するのと変わらない。一葉の写真は、人としての共通性があっても、結局は個々人それぞれの出現になる。そうであっても、私が作品に与えた一貫性は揺らがない。見える見えないに関わらず、それはそこに在る。

…私はときどきこんな想像をする。私の写真集の一冊がどこかで「時」を刻み、やがて表紙も綴じ目も朽ち、そうしてばらけた一葉が、偶然何かの間に挟まって光や湿気の経年劣化の原因から守られ、そこからはゆっくりとした「時」を永く刻んでゆく。遠いいつか、ある日、その一葉がまた偶然、誰かの目に触れる。そのときその人は私の写真をどう眺めるだろう?インクのドットの分布から、どのような意味合いのイメージを掬い上げるだろう?あるいは、索然とした一瞥のきり、紙屑として投げ出してしまうこともあるだろう。写真はそれを潮に、物としての崩壊を速め、やがて別の「個の存在」「系」へと組み込まれてゆくだろう。…それもよい。
写真集『繡』のあとがきに私はこう書いた、「世界は過去から未来に広がり続ける時間という無地の布に、結び目で連なる〈個の存在〉という糸が縦横無尽に張り巡らされているようなものです。永遠の広さの布地と、無数の結び目と、無限に交錯する糸」。
当時の私は、この世界の「時」を一様に広がっているものと思い、「無地の布」と喩えた。けれども、私は『雪の刻』の制作によって、この世界の「時」が一様なものではないことを識った。「無地の布」ではなく、「多色に染め分けられた布」なのだ。
私がこの地に降り立った日、老夫婦が私を家に招じ入れてくれ、その茶の間の卓上には、おばあさんが織り、知り合いが染めたという布が茶器に被せられていた。目の詰んだ布は淡い多色で染められていた。ある一色が周辺に向かうにつれ滲んで、なめらかで繊細なグラデーションで薄くなっていって、その隣色も同様で、薄まった二色が重なりをつくってはそこに二色の融和したほのかな色彩が生まれて、その有りようが布全体に及んでいた。色彩の境は曖昧でありながら、一色ずつは濁りなく、まさにその色を主張し、しかしその色が全体の調和を乱してはいなかった。
世界の「時」は、その布のようなのだ。世界の多彩な「時」、その境は淡く消え入りながら、同様の隣色の境と融和し、しかし異なる「時」は厳然として存在し、またしかし世界という布が「時」の異なるせいで裂けてしまうことはけしてない。「時」の刻みの異なる領野もまた「系」をなし、世界は多様な「時」の刻みの調和になっている。
様々な時の領野、私達はそれぞれの領野で生き、有限の存在でありながら、それぞれに永遠を見出す。海の民の永遠、砂漠の民の永遠、森の民の永遠、雪の民の永遠、風の民の永遠、…青色の響きの永遠、ベージュ色の響きの永遠、緑色の響きの永遠、白色の響きの永遠、無色の響きの永遠。
子供の私は、明るい白灰色の曇り空からにじみ出てくるように現れる綿雪が、地面に落ちて儚く消えるさまを飽きることなく眺め続けた。私は「雪」を見ていた、けれども、むしろ「今」に同化して「時」を見つめていたと、『雪の刻』を創り終えてそう思うようになった。あの雪の光景が、私の深奥の水脈の流れとなり、そうして長い年月をかけて、私を『雪の刻』の制作へと導いたのだとも。子供の私は、私なりの永遠を見出しうる、その淵に立っていたのかもしれない……
2024年、6月の終わり、私はカメラを手にして岸壁に立ち、稚内の海と向かい合っていた。日本海側の海だ。最初の冬と春の撮影を終えたくらいでは、新作のテーマはまだおぼろげにさえ見えず、予感ばかりの段階で、初夏の北海道に入ってからも、いわば手探りの撮影を重ねてきていた。
足元の岸壁に沿って、消波ブロックが沈められているけれど、今は打ち寄せる波もなく、潮も退いていて、頂点の切れた円錐が方々を向いて露出し、長い年月波に洗われ丸く摩滅した小石の浮き出るコンクリートのその肌も乾いている。海況は漁師のいう「とろなぎ」、この地を特徴づける、向きの定まらない強風もまた凪いでいる。静かな晴天のもと、目の前にあるのは海というよりも、対岸の見えない広大な湖のようだった。日本海側の海は灰色の日であれ緑色の日であれ、翡翠のように半透明であることが多い、しかし今日は色硝子のように青く透けて、数メートルの水深の海底も見える。空は澄み、雲は薄く、海鳥がふと飛翔の細線を空間に引いていく。ときおり、微風が耳朶に音を立てる。
岸壁からすぐ数メートルのところに、左方から右方へ流れる小川のような小波の移ろいがある。その帯には白紗を敷いたような反射光が生じていて、水底は窺えそうで窺えない。その小川のような帯を渡ったその向こうからは、水は青色を深め、そこはもう海底には光が届かず、夜を溶かし込んだ群青色になっている。こまかな三角波が無数の棘となり、さらに先は梨地となり、やがて藍青色のざわめきとなり、そこからいったいどれほどの数の波を重ねてか、藍色の一線の水平線へと収斂していく。なお向こうを感じさせる空に接するその境は、淡い青と藍色の対照で瞭然としている。
すぐ目の前の海底からは昆布が昇ってきていて、水位の低い水面の所々に蝟集して横たわり、その渋茶色の広がりは、ほとんど動かずその形を変えず、高空からの俯瞰の陸地のように見える。
吹き迷う微風がその辺りの水面に触れると、そこは微細に縮れ、水面に被せた光の白紗が束の間失せてひときわ青く澄んで、水底の岩や石が、輪郭を虹色に滲ませ、しかし、はっきりと瞥見される。風が触れて起こすその細波は、半畳ほどの小さなものから部屋ほどの広いものまで様々だが、いずれも大きさを広げながら、思いがけない速さで水面を伝播していく。まるで同時に生じる幾つもの感情が、心の表にその奥処の底を覗かせながら伝播してゆくかのようだ。こちらにその細波が立ち、広がり、またあちらに立ち、広がり、それらは呼応しあうように近づくかと思えば、逆に離れてゆくこともある。そしてときおり、小魚の群れが水面に接近しては水中の薄闇へ紛れてゆく。あるものは水面に触れて雨滴のような波紋を作り、またあるものは身を翻して燦と光る。何かの記憶や言葉の破片、想起の意思がなくてもふと浮上してきて、確たる現出を見せないまま、心奥の闇へ沈み去るそれらの、その流れのように。
ざわっとするものが私を突き抜ける。
誕生。
死。
生は二つの間の一瞬。
2024 秋

「ゆれる水脈」の連載は今回をもって最終回となります。ご愛読いただきありがとうございます。
なお本連載は新章加筆の上、単行本化を予定しております。また、書籍に載せる写真はすべて未発表の新作の作品で再構成します。
刊行情報につきましては随時、みすず書房ウェブサイトにてお知らせいたします。(編集部)