みすず書房

時の境(1)

時の境(1)

2023年も終わろうとする頃、新たなシリーズの撮影で、北海道に入った。移動の足の軽自動車とともに、新潟からフェリーボートに午後に乗船し、一晩の航海で未明の小樽に入港。船から上陸すると、私は車を降り、地面に立ってみた。足の下にコンクリートは水面のように柔らかく、体はゆっくりと揺れて感じられた。星のない黒々とした闇が海の方へも街の方へも広がって、身に沁み入る寒さは雪の来る気配そのものだった。
 前年の冬のロケハンで決めた北のエリアの拠点として稚内にシェアハウスを借りていて、そこまでの300キロを今から走破しなければならなかった。
 走っても走っても目の前の道は世界の果てを目指しているみたいに永々(ながなが)と続き、上陸から数時間が経って曇り空がうっすらと見え始めた頃には、山道は粉雪に霞んで、ときおり見下ろされる暗い海はかろうじてそれと知れるばかりだった。タイヤは新品のスタッドレスを奢っていても、この古い非力な小型車での到着などあり得るのだろうかと疑われた。雪は場所によって小止(おや)み、雲の連なりが低く垂れ込んだまま厚みを減じて頭上に日を滲ませた。それでも、雪は結局おさまることなく、遠望された暗雲の領域に近づくと、にわかに風を伴って募り、ほどなくホワイトアウトになった。あたりは白い闇に塞がれ、エンジン音は風音に紛れ、そのとき走行感は消失した。
 半日がかりで、ようやく撮影地のエリアの平原に入った。道路わきの「鹿注意」の看板の数がめっきり増え、『そんなに必要?』と思っていると、雪原の向こうにエゾシカの群れが見えた。
 車を止めて、ドアの開閉音にも注意しながら降車して、私は雪の平原に踏み入った。通年で風の強いこの地域だが、今、風雪はいったん収まり、灰色の広大な空の下、原野はところどころに冬枯れの灌木が認められるほかは何も無く、右方の森を外れれば、なだらかな起伏の重なりが目路の限りつづき、目の前に広がっているのは純白の砂漠のようだった。
 エゾシカの群れは100メートルほど先、成獣は雌ばかりの50頭くらいの大きな群れだ。私が車を降りて雪原に踏み込んだ時点で気づかれていたのだろうが、群れに向かって数歩近づいただけで、一頭が甲高く鋭い警戒の鳴き声をあげた。
 フィーッ!
 雪原での音の響きは独特で、岩場のようには反響しない。けれども、手でさわれるかと思うほどはっきり聞こえる。ふたたび…
 フィーッ!
 鳴き声は特定の状況を示す信号であっても、言葉ではない。が、声自体で、こちらへの威嚇がなく、ひたすら仲間への呼びかけであることは知れる。声のたびに群れに緊張が伝播し、各々首をもたげてこちらを注視するのが遠目にも見て取れる。敵意はないと心で呼びかけつつ、群れの只中に立った自分を想像して近づく私に、群れのあちこちから警戒音が立つ。
 フィーッ! フィーッ! フィーッ! フィーッ!
 つと、一頭が身を翻す跳躍をしてあちらへ走りだす。その先は右方の森…。するとその一頭に吸い込まれるように、全頭が跳ねる走りで跡を追いだす。
 鹿たちにとっては、私はよそ者にとどまらず、群れという「系」の破壊者。たとえ、あたりを引き裂くような轟音を発し、次の瞬間、仲間が倒れることになる、あの恐ろしい恐ろしい棒…〈銃〉を具えていなくても。人里から離れた場所に生息する鹿には、〈人〉と〈銃〉との間に確とした分節はなく、〈人〉はすなわち〈銃〉、〈銃〉はすなわち〈人〉だ。そして〈人=銃〉は最重要な警戒対象。私は鹿をジビエとして美味しく食したことがある。私は、〈狩猟者〉ではないけれど、立派な〈捕食者〉で、〈人=銃〉から外されるいわれはない。彼らは、〈熊〉と〈人〉と、いったいどちらの警戒レベルを高くとるのだろう?〈人〉かもしれない。匂いすら届かぬ長い長い距離を取らねばならず、姿が見えたなら、全力で走っても〈人=銃〉からは逃げきれないことがあるのだから。しかも、今、〈熊〉は冬眠に入っている。…そう事解しても、私の内には、淋しいような悲しいような、それこそ分節して一個の名辞をあてがえない、混和した淡い感情が尾を引く。
 刺繡の裏の錯綜する糸のようなこの「世界」から、鹿は鹿の意味・価値・目的によってイメージを掬いあげて刺繡の表を創り出している。それはどんな模様だろう…。人のものとはずいぶん異なり、そう、人は人の見ている模様からおそらく超出できない…。
 群れは、幹の重なりが銃弾の盾となるのを知っているかのように、右方の森の奥へと消えて行った。独り取り残された気持ちで佇むと同時に、冷気と静寂、そしてこの地の気配がひたと身を寄せてきた。
 雪を取り上げた『雪の(とき)』の制作を終えてから2年、水をモチーフにするシリーズのために海を求めて北海道に来て、だから、今もカメラを持たずに雪の原野の中にいるのに、6年間も通い詰めた豪雪の奥信越の気配が体の奥にはっきりと残っていて、この場との相違を明確に告げてくる。そう、等し並の「雪国」の気配などない。
 視覚的な景観から異なっている。北方の凛烈な空気のもたらすパウダースノーはさらさらと乾いていて、豪雪地の南限近くに位置する奥信越の湿って粘りを帯びた綿雪とは、同じ「雪」という語を用いてもよいのかと思うほどに対極的だった。繊麗な曲線の風紋を寄せる雪原の、たおやかに静まる羽二重のような光景も、奥信越のそれとは全く異なっていた。


 2015年の2月、ディーゼルの列車から津南駅に降り立った。車窓に見ていた奥信越の雪のさまは、直に目にすると圧巻だった。剛強な大波の造形でうねる積雪は、鋳物のように重々しく、街を()し潰すかのように覆い尽くしていた。
 降っているのは、私が子供のころ、雪の日に見つめていた綿雪にほかならないのに、ここの綿雪は、地面に触れるや消えていたあの儚さは微塵もうかがわせず、ふてぶてしいという表現さえできそうな、そんな景観を創り出していた。…私はここを撮影地にすると即断した。
 降雪に遠くが塞がって見えない道路を歩いているのは私一人、店は開いていて、店内には電灯も灯っているのに、客も店員も姿はなかった。幅のある道路の中央に埋め込まれた消雪パイプから、水の細流が間隔をあけて流され、それが面となって広がっていた。そこに積雪はなくて、辺りの白に対して、道のアスファルトは画然とした漆黒で際立っていた。濡れた路面に落ちるその綿雪に限っては、私の記憶のものと同様に、地に触れると同時に消えて、その消失は間断なく続いていた。消雪パイプからの水の水量は一定、その小さな噴水のような水の形もそれぞれに一定、綿雪も重い雪のせいか単調な降りかたで一定、ときおり乗用車が雨天のようなタイヤの音で走っていくけれど、それも含めてある時間がループをして果てなく繰り返されているかのようだった。事象が次の展開に移るということがなくて、時間は停留していた。
 ふと心惹かれた対象にカメラを向けてシャッターを切っても、作品を撮っているという手応えは得られない。撮影地に入ったばかりのこの段階では、目は一般の旅行者のそれと変わらない。まずは感じるままに撮り続けること、…着眼点を深めてゆく方法はそれだけ。

降雪が退()きだして、名残の綿雪のちらつくなか、商店から家屋から人々が一斉に出てきて、消雪パイプの水の及ばぬところの雪かきを始めた。それは、停留していた時がふいに動き始めたかのような光景だった。「雪がごーぎで嫌だねぇ」と挨拶の声が方々から聞こえてきて、つい先ほどまでの押し黙ったような辺りの静けさが、雪かきの音とともに破れた。あちこちにスコップやスノーダンプの、緑やピンクや青が積雪の中に閃いて、色彩までが賑やかになった。雪を溜めてはいけないのだなと思い、それ以上に、ここにはこんなにも多くの人が居て生活を営んでいるのかと驚いた。商店の連なる中心部を外れてゆくように進むうち、金属のスコップが舗装の地面に直に触れる音が立ち始め、一人二人と人々は屋の中に戻っていく。まるで示し合わせていたみたいに雪もまた舞い始め、時間の流れがふたたび停留してゆくのが感じられる。家にも電柱にものしかかる雪のフォルムは大波のようだから、今にも全てを押し流しそうなのに、ひたと止まっている。道理であるのに、不思議だった。
 商店街を抜け、幹線道路は両側に積雪の垂直な壁が聳え立つようになった。背丈を超え、ゆうに3メートルはあるそれは「絶壁」だ。そうして、消雪パイプの埋設はなくても路面の除雪は行き届いていて、車の通行は見られたが、雪のもと、歩いているのは相変わらず私一人であり、自分が酔狂なことをしているのがわかった。
 背後からひときわ野太いエンジン音が響いてきて、見返ると大型のロータリー除雪車だった。前面の巨大な回転刃は止まっていて作業中ではなく、普通車の速度ですぐに追い抜かれると思ったのが、近くに迫ると、重々しく減速して、私の真横で停車した。薄緑色の車体全体からはたった今まで動いていたもののどこか獣じみた気配が、またエンジン音の源あたりからは熱が伝わってきた。
 頭上の車窓が開く。
 「何してらんだ?」
 40代と思しい、気さくそうなおじさんがこちらを見降ろしている。
 降雪の中を、コートのフードや肩に雪を留めて、一人でとぼとぼ歩いている姿がどう見えるかは容易に想像がついた。よほどの事情、最悪、自殺希望…。なんであれ、懸念の払拭を思ってか、私は自ずと笑顔になった。
 「写真を撮ってます」
 おじさんはちょっと呆気にとられたような、それとも、言われたことの意味を取りあぐねているような、そんな表情を浮かべた。私の場合、発話は明らかに関西訛りで、それも影響したかもしれない。
 「写真家をしていて、雪を撮ろうと思って、ここに来ました」
 納得の顔になると思っていたのに、おじさんは今度ははっきりと驚いたような表情となる。確かにここは豪雪地、しかし同じ豪雪地でもその景観から多くの写真愛好家を集める白川郷のような場所ではない…
 「雪?」と言って、こちらをまじまじと見る。薄墨色の瞳、暗い深さを持った印象的な目をしている。
 おじさんは、『よくわからんが、まあ、放っておいて構わんだろ』の結論に達したらしく、顔つきも声も明るいものに切り替わり、
 「そうかい。頑張らっしゃい」と言うと、一旦奥に身を退いて、すぐに現れ、缶コーヒーを車窓から腕を伸ばして私に差し出した。
 手を上げてそれを受け取る。
 「ありがとう」
 手袋越しにもコーヒーの熱さが知れる。保温のケースか何かに収められていたのかもしれなかった。
 おじさんは、私の礼の言葉の関西弁の抑揚を改めて面白がるような笑顔を見せると、窓を閉じて運転席の方へ引っ込んだ。発進のディーゼルエンジンの音の高揚も、ギアチェンジの音の鋭いかぎ裂きも、硬い雪の壁に挟まれているせいか、事ごとしく響いた。車体が遠ざかり、除雪車がここに在った確かな気配を、降る雪がみるみる跡形もなく埋めて、手の中の缶の熱がなければ、今しがたのことは夢であったかのようだった。ふと心づき、冷めないうちにといただくと、それはこの世の外の飲み物のように甘く馥郁と香った。
 民家のあるエリアにいるかと思われた。幹線道路から小型車の擦れ違いがせいぜいの狭い道へ入ると、雪の壁の高さは同じでも、その圧迫感が格段に増した。消雪パイプはなく、路面は踏み固められた雪だった。頭上は密度のある綿雪で白、そそり立つ壁も白、伸びる道も白。白の圧迫に、閉所恐怖症の者はうずくまってしまうと思われた。そんな道を曲がり続け、もはや元来た場所へ戻る道順も分からず、同じところを徒らに廻っているようにも感じられてきて、まるで全貌の知れない迷路の只中に突き落とされたみたいだった。空間が閉ざされ、時間も堰き止められた迷路。案内板などもとより望めず、方位も陽がないから占えず、車一台がやっとの細さの道も少なくなく、そこに入ってみると、迷路であれば袋小路となるそこに、半ば雪に埋もれた民家が現れた。戻っては別の小路に入るを幾度か繰り返し、また、一軒の家に逢着した。ちょうど雪がまた小止(おや)みになろうとしていて、家屋は雪の消えゆくなか、替わって炙り出しのように浮かび上がってきた。
 引き返そうとしたとき、玄関の引き戸の曇りガラスに、人影と知れる色彩がぼんやりと浮かんで揺れた。
 このタイミングで踵を返すのも不審を惹起するだけかと、私は戸が開くのを待つ。
 70がらみのおじいさんが出てきた。雪かきを始めるような身支度だった。玄関までは、新しい雪が積もりだしている。
 目が合う。…撮影地では珍しくもないシチュエーションで、こういうときは直ちに挨拶の心得は持ち合わせている。
 「こんにちは」
 「なした?」
 「あ、ごめんなさい。道に迷ってしまって、慣れていないもので」
 除雪車のおじさんのことを思い出しながら、それでも、私は頸に掛けているカメラを両手で持ち上げ、
 「写真家をしています。雪の撮影であたりを歩いていました」
 絵に描いたような雪景色がないのに、「雪の撮影」ではやはり説得力に欠ける、と自分でも思う。
 「雪?」やはり解せないふうの声調で、顔にも怪訝さが浮かんでいた。ただ、それはほんの束の間で、おじいさんは続けた。「そうかい。…今、離れでばあさんが機織りをしてるすけ、見てぇやんか?」
 私の「雪の撮影」という語に、「雪の時期の生活」も含まれると解釈して誘ってくれたらしい。私は、糸とかそれを操る針とか機織りとかに惹かれてしまうたちで、このときも単純に、機織りが見たくなった。
 「お願いします」
 庭の一隅の離れまでは、雪が玄関前よりも積もって膝くらいまであって、見るからに新雪のそこに、真新しい足跡が深く穿(うが)たれて戸まで続いていた。あるいはここの雪かきであったかもしれず、邪魔をしてしまったかと思われたけれど、機織りへの好奇心の方がまさった。すでに、離れからは機織り機の音が漏れてきている。
 離れといっても、住居の造りではなく、入り口の戸にはまったガラスだけが明かり取りの物置の造りで、農家でなくても似たような小屋が各戸にあることは既に気づいていた。小屋が、雪かきの施された車道に面して、車庫を兼ねていることも多く、何かの道具を戸外に置けば、冬の間は雪に埋没し、探すさえ難しいことなど説明されるまでもなかった。
 「ばあちゃん、機織り見てぇって」と、おじいさんは私より先に雪上の足跡をたどって離れに着いて、戸を開けるや、そう言った。
 私もまた足跡に足を差し入れて一歩一歩進んだ。開いた戸から、機織り機の音が溢れ、私の話をしていると思しいおじいさんの声がそれに紛れて()()れに聞こえる。
 小屋の中は土間で、木製の機織り機が据えられて、一対の縦糸の列が上下の位置を動力で交代させる規則正しい律動音が、広からぬ空間を領していた。
 シャカッ。シャカッ。シャカッ……
 私はフードと肩の雪を払ってから中に入って戸を閉じた。簡便な石油ストーブだけで、けして暖かくはなかった。
 「珍しいもんじゃねぇやんども。知り合いから頼まれて、ちんちゃいの作ってらんそ」と、おばあさんは人懐っこい笑顔で、機械音のせいか、やや大きな声で言った。
 「お邪魔します。私、縦糸の列が上下に分かれて、その間を横糸が潜りぬけて、縦糸が上下入れ替わって、横糸が潜って返す、その繰り返しをただ見ているのも、その音もただ聞いているのも好きで」
 嘘ではなかった。靄がかった水面を小舟が行き来するような眺め。そして人の背丈を越えるカメラがあったら、そのシャッターの連射のような、それとも、塔の大型時計の中で聞く時の刻みのような音。
 シャカッ。シャカッ。シャカッ……
 「そうやんかい」と、おばあさんは言い、目尻の皺を深めた。
 見るからに年季の入った木組みの機織り機で、この人と共に時を重ねてきたことが見て取れた。その木肌のつややかな風合いも、角のまるい摩滅具合も、そしてそこに載っているおばあさんの手の、関節に変形が兆し、いかんなく皺ばんださまも、カメラに収めたくなるものばかりだった。
 「そのままで、1枚、撮らせてください」と私はためらいなく願い出た。
 仄暗く、カメラの感度を上げる要があったが、戸の窓からの明るさは、物の細部に沁み入っていく一様な白光で申し分なかった。私は、ズームレンズを用いず、プリント時にトリミングもしないので、対象との距離で厳格にフレーミングを決め、被写体を硬い触感にしたくなくて絞り値をやや下げ、オートフォーカスでシャッターを切った。
 私がファインダーから目を離すと、場の空気がふと緩んだ。一眼レフ機での撮影の様子に、私が写真家であることに得心したからだろうか、最初のカットが顔を含まなかったことも、最初から踏み込み過ぎず、良かったのかもしれなかった。
 おばあさんは本来おしゃべり好きなのだろう、にわかに多弁となって、機織りの話やら今冬の雪の多さやら、次々話し始めて、そこにおじいさんが合いの手や茶々を入れて、するうちに、機織り機も止まり、母屋でお茶をという流れになった。外の寒さと先ほどのコーヒーで用を足したくなっていたこともあり、私は言葉に甘えることにした。
 母屋へ戻り玄関から通された部屋は、台所につながる日本間の6畳で、暖房が良く効いていて、炬燵もしつらえてあって、いかにも居心地が良さそうだった。家具も小物も昭和の匂いのするものばかりのなかに、デジタル放送への移行に合わせたと思しい、まだ新しいテレビが異彩を放っていた。
 炬燵は電気でも、掘り炬燵で、底の木の簀の子の暖かさも滑らかな感触も心地よかった。私のコートが鴨居に掛けてあるのが見上げられ、この思いがけない成り行きに、意外感よりも遠い昔に交わされた約束が果たされたみたいな、そんな感じがした。
 「何でもねぇども(何もないけれど、)」と私の前にお茶を置いたおばあさんはそう言って、暖簾(のれん)の掛かった厨に戻ってゆく。暖簾は藍染の地に白の絞り染めで、おばあさんが織ったものかもしれなかった。そう思って見回せば、そこかしこに草木染めや絞り染めの布が見られ、生活に溶け込んでいる。
 卓上の茶器に被せられた目の詰んだ布は、淡い多色で染められていた。日本画であれば、溜込(たらしこみ)というのだろう、ある1色が周辺に向かうにつれ滲んで、なめらかで繊細なグラデーションで薄くなっていき、隣色も同様で、薄まった2色が重なりをつくって、そこには2色の融和したほのかな色彩が生まれている。色彩の境の曖昧な、それでいて一つ一つの色は自立して濁りなく、そして全体の多色は調和していた。とても綺麗な染め物だ。
 私がその布を指で触れながら眺めていると、「織ったのを知り合いに頼んで染めてもらったんだども、なんせばぁちゃんはそうやんが好きなんそ」と、おじいさんの声が聞こえてきた。
 友人の農家に作ってもらっている餅米をうちで玄米のまま蒸して()いたものというお餅が焼かれて出された。のし餅の、普通は白い小口が玄米らしい薄茶色で、香ばしい匂いが立っている。
 「何でもねぇでも、あがらっしゃい(召し上がれ)」
 驚くほど美味しかった。私がきれいに食べきってしまうと、おばあさんは、「何でもねぇども」を繰り返しながら、台所との往返をいくどもして、炬燵の天板はみるみる小皿や小鉢に埋め尽くされた。様々な煮物や漬物や焼き物、…何も無いんだけれどなど、謙遜もいいところだった。
 出されるもの全部、最初の一口のたびに、私は心の中で『旨っ!』と嘆声を上げていた。寒い地方は味付けが濃いと聞いていたけれど、決してそんなことはなく、おかんが看護師であったので、薄味に慣れて育った私の口にもちょうど良かった。いつもこんなに惣菜を作っているんですかの問いに、おばあさんは、この地の冬の習慣の一つを教えてくれた。雪に閉じ込められる冬の間、男たちはときおり飲み屋に集って酒盛りを、女たちは順繰りに家を替えてお茶会を催すのを娯楽にするのだという。その際、迎える側は、春に採って保存食にしておいた山菜の煮物や、自家製の漬物を振る舞い、訪問する側は、各々得意な惣菜を一品持参するのが習わしになっている。永い冬の間にそんな「女子会」をいくどもして、その一時ばかりは、雪に降り籠められていることも忘れるのだろうと、私は次々にお皿を空にしていきながら思った。
 その私を、楽しそうに二人が見守っていた。二人とも、薄墨色の瞳をしている。さっきの除雪車のおじさんもそうであった。
 子供の目のようにきらきらしているのではなく、木陰の池の水のように暗く澄んでいる。
 遺伝?そんなことはないだろうと思いながら、それよりも…
 「写真をお願いしてもいいですか」
 「おら(私たち)?」とおばあさんが訊く。
 「はい」
 「けな(なり)で、いいやんかい?」
 「はい。そのまま、ぜひ」
 部屋の右方に掃き出し窓があって障子がはまっている。まだ昼間だから、「雪明り」というのではないだろうけれど、雪(もよ)いの曇天なのに、障子全体が明るんで、均一な真横の光線があった。私がここに招じ入れられたさいに天井の明かりが灯されていたのを、二人に断って消す。円形の2管の蛍光灯の光は撮影には好ましくなかった。窓からの明るさのみとなって、部屋の物の浮き上がり方も変化した。ファインダーを通しても、光線は外の雪の気配そのものに見える。背景は、正面の暗い赤茶色の板戸でよい。木目はあの積雪の波打ちを思わせる。
 『繡』では6×7のフィルムカメラを用いた。新たなシリーズは35ミリのデジタルカメラを選択していた。フィルムとデジタルでは、それぞれに得手不得手があって、かつ、同一の被写体を同条件で撮影しても、写真を目にしての第一印象が異なる。写真家は自分の作品に求めるものに合わせて、戦略的にどちらかのカメラを選ぶが、どちらか一方に執心する人もいる。私は、その件にはこだわりがなく、同一シリーズの中での混在を避ければ、あとは、どちらの方式であれ、映像の風合いよりも、映像の質が展示用に大伸ばしにしてもへたらない性能をカメラに求めた。
 モチーフだけ事前に決めて、テーマは撮影で見出してゆくのが私の流儀になっていた。それは、意図してそうしているのではなく、言葉よりも写真によって自分の内を識る私にあってはそうするほかないからだ。時間がかかり、消費されるカットもやたら多く、コストの観点からは無駄ばかり、自転車操業の身には堪える制作方法だ。いや、こんな制作方法を採っているから、自転車操業になってしまうというべきか…。
 傍に置いていたカメラに手を伸ばすと、『この地での最初のポートレート』と思った。テーマを見つける前だから、プランはなく、1枚目はとりあえず『繡』と同じ写し方でゆく。ただ一人で鏡に向かったときの収まりと表情…。
 おばあさんに板戸の前に正座をしてもらう。
 「笑わなくていいですよ。こちらを見て……」
 ファインダーに収まるおばあさんの顔に、撮影への緊張や戸惑い、様々な雑念のさざ波の立つのが手に取るように読み取れる。こちらが静かに待てば、それが凪いできて、その人の「個の存在」が垣間見える瞬間が明滅するようになる経験は、『繡』の制作で数え切れないほど重ねた。その瞬間に合うよう、シャッターを切る。デジタルカメラだから確認もできるけれど、手応えを信じた。どんなカットが今後の指針となるか知れないので、正座の全身像も撮った。後ろに下がると、横アングルでは掘り炬燵が視野に入ってしまうのは、6×7と35ミリの画角の違いで、単焦点レンズなので縦アングルにすることで対処した。レンズの光軸線の高さを探って、顔が俯瞰にも仰視にもならぬように、そうして正座が居丈高にも卑屈にも感じられないように按配して、シャッターボタンを押した。
 おばあさんに続いておじいさんを同様に写すと、二人に並んでもらった。35ミリのカメラだと、6×7では起きそうな窮屈感がなく、これは頃合いに収まる。おじいさんが照れ笑いを滲ませるので、それが引くのを待って撮影した。
 おじいさんは、「ゆっくりしていがっしゃい。おらは悪ぃども雪掘りさしてもらうすけ」と言い置いて外に出た。私は、雪深いこの地では「雪かき」を「雪掘り」というのか、と得心した。先ほど目にした、道路の両側に雪壁の聳立(しょうりつ)する除雪は「雪割り」の言い分けがさらにあることを知ったのは(のち)だ。
 おばあさんは、この春に採ったゼンマイの乾物を戻したのがあるから煮てあげると、また厨へ消えた。
 そうして一人になると、この部屋の静けさに心づく。…家を覆っている雪、というよりも、この地を覆い尽くしている雪、それのもたらす静けさとすぐにわかった。分厚い真綿の奥深くに埋め込まれたような静けさ。無音が圧を持つような静けさ。雪雲と同じ広がりの、果て知れぬ静けさ…。深海の静けさはこんなだろうかとふと思った…。
 柱には、地元の信用協同組合の正式名と昭和四十九年創業四十周年と文字盤に印字をされた電池式の丸時計が掛かっていて、秒針の1秒ごとの刻みの微小な音が、輻射式の旧式の石油ストーブの、聞こえるはずのないその燃焼音までが聞き取れそうな静けさのなか、まるで斧の薪割りのような存在感で聞こえる。
 カツッ。カツッ。カツッ……

秒針の音は確かに連続している。それでいて、ひしひしと感じられるのは、むしろ「時」の停留だった。針が1秒を刻んだその瞬間、1秒前に戻って、同じ1秒の刻みを繰り返しているかもしれないと感じられてしまうのだ。そう、時がループをして、同一の時を繰り返していると。それほどに、ここには、そして外に広がるこの地には、物事の生起がない…。庭に鳥が飛来するのであれば、その羽ばたきや囀りによって、また、微風が吹き渡るのであれば、木々の茂みの方々に立って伝播してゆく葉擦(はすれ)の移ろいから、出来事の生起が知れ、「時」の進みが明らかとなる。それが、絶えている。室内も、物事の進展が認められない。なるほど時計の針は前へ進んでいる。でもそれの方が偽計に感じられてしまう。時計の針が信じられないとしたら、「時」のループ、停留ではないことの証明はどうしたら良いのか…
 カツッ。カツッ。カツッ……
 1秒の刻みもまた遅い。何か作業をしていれば「時」の歩みは速く、何もせず退屈をしていれば歩みが鈍いことなど日常で普通に経験することだけれど、この部屋では、そして、静寂という雪の気配を介して感じ取れる無辺際のこの地では、ありとあらゆるものがそれぞれの「時」の刻みを遅くしている。木々は生動を見せず、動物は活動を控え、物は不活性となり、人は息を潜め……
 静寂ゆえの「時」の停留ではなく、逆に、「時」が停留するゆえの静寂。「時」は、ループするのと変わらず、また歩みをとどめ、だから、極寒の冬はしんと静まりかえり永遠に続くと、そう感じられる。未来の方向と過去の方向との遥か地平線が見える永遠ではない。閉ざされた今がいつまでもこのままである永遠、凍結して動かぬ現在の永遠…。
 永遠は「時」の無限大、一瞬は「時」の無限小、対極のそれは無限で通底している。永遠を()ることは一瞬を識ること、一瞬を識ることは永遠を識ること。永遠(無限大)からすれば、千年など一瞬に等しく、一瞬(無限小)からすれば、千分の一秒でさえ永遠に等しい。有限の存在の私たちは無限を直接に経験することは叶わない。永遠(無限大)も一瞬(無限小)も経験できない。でも、有限なものを通じて無限を識ることはできる。目路の限りの海原に、大地に、砂漠に、星空に、その有限の現れに、無限を見出す。この、雪の静寂の永遠もまた、そのひとつ…。
 …「時」の停留を指し示すこの静けさに気づいて、その後に、二人の写真を撮っていたなら、あるいはシャッターを切るタイミングに、微妙な違いが生まれていたかもしれないと思った。ファインダーの内に在るものだけではなく、ファインダーの外からやってきて満ちているものの存在が感取できるのなら、それが撮影に影響を与えないはずもない。作品の制作過程に「深化」なるものがあるとしたら、今しがたのようなささやかな気づきの一段一段を下りてゆくことに他ならない。