みすず書房

夏の湖(1)

夏の湖(1)

日本に戻っているあいだ、意識的にロシアによるウクライナ全面侵攻に関するニュースを調べないようにしていた。見慣れた街が破壊されていく映像を見るのは辛いし、見ていればまたすぐに戻りたくなるからだ。一度しっかり現状を把握しようと思ったこともあったが、時間が経過するにつれ報道そのものが減っていた。前回の渡航時(2024年3月)に取材した東部ハルキウのスケーターたちの数人とは短いメッセージを毎日のように交わしていた。彼らの暮らしや街の様子はやりとりの断片から想像するしかない。彼らの姿を写真に残したくてどうしようもなく、同年の夏にハルキウを再訪することにした。ウクライナへの渡航は6度目になるが、真夏に訪れるのは初めてだった。なんとなく「日本にいるよりは涼しいだろう」と思っていたが、甘い考えだった。

7月17日

朝日が昇ると車内は蒸し風呂のようになった。昨日ポーランドのワルシャワを出発したバスは、ウクライナの首都キーウを経由して東へ進んでいる。目的地はウクライナ第二の都市、ハルキウ。今年3月に訪れた時に出会ったスケーターたちをもう一度写真に撮るために向かっている。予算を抑えるため移動は格安のバスを選んだのだが、これが図体ばかり大きくてスピードが出ない。車内のエアコンは最初から壊れており、窓も開かないため空気が澱んでいる。ここに来るまで、夏といってもウクライナはヨーロッパ的で気温は高いがカラッとしているというのを想像していたが、いまのところ全然そんなことはない。湿度のせいか、それとも頭が朦朧としているせいか、次第に車内の景色が霞んで見えてきた。これではバスというより蒸し風呂か移動式サウナだ。地元の人によれば今年は記録的な猛暑だという。
 耐えかねた乗客の男たちは次々とシャツを脱ぎ、裸の体を座席に預けたまま気絶したように動かなくなった。ただ口をぱくぱくとさせ、新鮮な空気を求めている。私も我慢しきれず半裸になる。隣の座席に座っている大柄のおばさんはいよいよ気を失ったのか、執拗にこちらにもたれかかってくる。彼女の汗ばんだ肌が私の肩にべったりと張りつき、不快感で気が狂いそうになる。何度も肘で押し返しているうちにバスは停車した。なにもないただの路肩だが運転手の休憩時間らしい。それまで仮死状態だった乗客たちは、出口から転がるように外へ出る。外は太陽が照りつける灼熱だが、風があるぶんまだましだった。たった10分ほどの休憩だったが、乗客たちはなんとか息を吹き返した。バスは再び東に向かって走り続け、いくつものウクライナ軍の検問を通過していく。窓の外にひまわり畑が一面に広がるのが見えたが、どれも干からびかけてうなだれている。植物も人間も同じようなものか。
 やがて曇り空になると雨が降ってきて、乗客の一人がおもむろに天井の緊急脱出口をこじ開けた。大粒の雨がばらばらと車内に入り込んでくるが、文句を言う人はいない。冷たい雨が気持ちいい。まるでサウナ後に水風呂に入ったようだ。意識がはっきりしてきた。蒸され、干からび、びしょ濡れになりながら、ようやく夜8時ごろハルキウのバスターミナルに到着。初めて降り立つ場所だった。大通りに出ると見慣れた風景が広がっていて、ほっとしたのも束の間、いきなり空襲警報のサイレンが鳴り響き、気が滅入りそうになる。だが、そんなことに構っている余裕はない。ネットで予約していた貸しアパートに急がなければいけない。この街ではいまも夜間外出禁止令が続いているのだ。
 今回は経費を節約するため滞在期間は約2週間と決めていた。食費も抑えるべく、東京のコンビニでレトルトのパスタソースを大量に買い込んでバックパックに詰めてきた。ウクライナは小麦の生産が盛んで乾燥パスタなら安く手に入ることを知っていたのだ。唯一の誤算は、近所のファミリーマートにはなぜか「たらこパスタ」のソースしかなく、それ以外はすべて売り切れていたことだ。渡航準備に追われていたこともあり、他の店を探す余裕もなく来てしまった。しばらくはたらこパスタでいくしかない。
 バスターミナル近くのスーパーでパスタと水を買い込み、アパートへと向かう。部屋はキッチン付きで一泊3000円ほど。レンガ造りの古い建物で、エレベーターのない7階建ての最上階だった。おそらく、もとの住人はすでに避難しており、その空き部屋が貸し出されているのだろう。空爆の際は上階ほど危険が増すため、家賃が安くなっているのかもしれない。このアパートと同じブロックにはミサイルの攻撃を受けて崩れたままの建物もいくつかあり、そのせいか、自分ひとりが廃墟に生活しているような錯覚に陥る。どう考えても最悪の場所だが、選んだ理由は安さ以外にもある。スケーターたちがいつも集まるオペラ・バレエ劇場前の広場のすぐ近くなのだ。東京から持ってきたスケボーに乗れば1分もかからないだろう。三脚が必要になったりフィルムが足りなくなってもすぐに取りに戻れる。
 スケーターたちにテレグラムで到着を知らせる。今日はもう遅いが明日には必ず会えるだろう。そう思いながらパスタを茹でる。一番安いパスタは餅のように粘る妙な食感だった。近所に人がいないせいか、夜はとても静かだった。

7月18日

朝食もパスタ。カメラ機材を準備して劇場前広場へ。真っ昼間の炎天下、広場には数人のスケーターがいた。みんな暑さにやられて日陰に転がっていたが、知った顔はなかった。もともとスケーターのコミュニティであるハトーブ(XATOБ:オペラ・バレエ劇場の略称であり、彼らが集まる広場の愛称でもある)は人の入れ替わりが激しい。いま学校は夏休み。避難先からハルキウに戻ってきた人もいるのだろう。
 前回いろいろと話を聞かせてくれたデニスにテレグラムでメッセージを送ると、仲間と水辺で遊んでいる動画が送られてきた。ハルキウは内陸の都市で海がないため、夏は郊外の湖で泳ぐのが一般的だと聞いていた。せっかくはるばるここまで来たというのに会えないのは寂しい。
 「俺も泳ぎにいきたい。そこはどこなの?」
 彼らがスケボー以外で楽しんでいる写真が撮れると思い、やきもきしながら待っていると、デニスから返信が来た。
 「悪いんだけど、今日は仲間だけで楽しみたいんだ。次は誘うから」
 彼らの言う「次」などいつのことになるかわからない。何度か頼み込んでみたが、「また今度」という素っ気ない返事がくるばかりだった。悔しい。彼らの写真が撮れないからということもあるが、なにより私がまだ「仲間」として認められていない気がした。そしてこういう時ばかりは、どうしようもなく寂しい。気晴らしと憂さ晴らしのためにひとりで適当に湖へ行ってみることにした。彼らがどこにいるのか知らないが、私もこのうだるような暑さから逃れたい。地図で見ると郊外にはいくつか湖があり、一番の近場を選んで配車アプリを使って白タクで向かう。運転手のおじさんは車内の暑さに苛立ち何度もため息をつく。そして窓を開けて身を乗り出したあと、振り返って私になにかを言った。その視線の先には遠くに黒煙が立ち昇っていた。空爆があったばかりらしい。
 湖の岸辺は穏やかな夏の風景だった。地元の家族連れがシートを広げて寝転がったり、軽食を食べたりしている。一家の父親は顔を真っ赤にして浮き輪を膨らませていて、それを待ちきれない子供たちが水辺を走り回っていた。行商の男性がカートを引いてわた飴を売り、女の子が嬉しそうに頬張る。ここは地元の人がのんびり楽しむ場所らしく、なんとも言えず心が和む光景だ。でも私の頭の中にはデニスや他のスケーターたちの存在があった。彼らはいま湖でどんな風に楽しんでいるのだろうか。湖のまわりは砂地でスケボーなんてできないだろうし、やっぱり酒を飲んでバカ騒ぎするのだろうか。そう考えるといま目の前の景色が物足りなく思えてくる。
 ぼんやりしていると、二十歳ぐらいの青年から声をかけられた。「えっと、えっと、あなた、日本人ですか?」と言う彼にとても驚いた。日本語だったのだ。返事をすると彼も驚きを隠せない様子で「わたしは、ほんとうにうれしいです」と言った。彼はイヴァンという学生で、日本に行ったことはないがアニメを観て独学で日本語を覚えたのだという。中折れの麦わら帽子を被って白いシャツを着た彼にはどこか品があり、これまで出会ったスケーターたちとは全く正反対の雰囲気だった。
 彼は母親と彼より少し年下で幼馴染の女の子とその母親の4人で泳ぎにきていた。イヴァンに導かれるまま彼らのシートに座らせてもらう。アニメが好きならさっそくその話を振られるだろうなと身構えていたが、彼の母親から自家製のブルーベリーが入った手作りのケーキを勧められた。母親たちはロシア語らしき言葉(ハルキウなどの東部ではウクライナ語ではなくロシア語が一般的に話されている)でいろいろと話してくれるのだが、言葉がわからず、「ドージェ・スマーチノ!(ウクライナ語で「とてもおいしい」の意味)」を連発して誤魔化す。イヴァンも彼女たちも満足してくれたようで私もほっとした。彼に「なぜハルキウに来ましたか?」と聞かれて、「スケーターたちの写真を撮りたくて来た」と説明したが彼は「そうなんですね」というだけであまり関心はなさそうだった。そのまま彼らとともに過ごし、帰りはソビエト時代から走っているような古くて小さなバスに一緒に揺られた。車内ではイヴァンと会話を続けていたが、ウクライナで日本語を話すというのは新鮮な体験で、私の身勝手な寂しさも紛れた。
 夕方、劇場前広場に戻ると見覚えのあるスケーターがいた。15歳なのに酒ばかり飲んでいるひょうきん者のローマンだ。ずいぶんと背が伸びていて感心した。彼は再会を喜んでなにか話してくれるのだが、やはり言葉がわからないので「うんうん」とうなずく。そこで、この日のために覚えてきた「ひさしぶり」という意味の挨拶、「スキーリキ・リート・スキーリキ・ズィム(直訳すると「いくつもの夏、いくつもの冬が過ぎた」)」を言ってみたが、彼はきょとんとした。ウクライナ語からロシア語の単語に言い換えたりして何度も発すると、ようやく「ああ」と理解してくれた。ちょっと古臭い挨拶だったようだ。
 すぐに周囲から「タバコをちょうだい」だの「酒を買いたい」だの私への要望が飛び交い始める。いくらもしないうちに、やんちゃな青年ブベルが広場に現れた。ブベルは仲間たちに軽く挨拶して言葉を交わしていたが、ふとそのうちの一人がこちらのほうを指差した。ブベルは私と目が合うと仲間との会話を止めて両手を広げて歩いてきた。「ヒロはどこだ?」と私のことを探してくれていたらしい。「ヘイ、ブロー! ひさしぶりだな!」と言ってハグ。
 夜にはウクライナのレジェンド・スケーターで怪しい中年男、チャイカが登場。相変わらずワアワアと叫んでいた。数ヶ月前と何も変わっていないようだった。デニスには会えなかったが、みんなと再会できて、しかも無事な姿を見られたことが何より嬉しい。
 夜になり、部屋に帰ってパスタを食べる。

7月19日

暑苦しくて目が覚める。部屋の天井近くに据えられていたエアコンが止まっていた。停電らしい。ずいぶん前からロシア軍が電力インフラを標的に攻撃を続けており、2022年にハルキウを訪れた時もミサイルの着弾のあと電気が途絶えることがあった。復旧作業はその都度行われているが、そもそも電力の供給量が追いついていないようだ。そのためにいまは計画停電が実施されており、それもなかなか時間通り運用されていないとも聞いていた。昨日、停電のスケジュール表をおしゃべりな大学生アンドレイに見せてもらったが、表の読み方がよくわからず気にしないことにしていた。備えとして大容量のモバイルバッテリーを用意してきている。停電時にカメラやノートパソコンを充電するために使っていたのだが、さすがにそれではエアコンは動かせない。参ったなと思っていたら電気が復活した。すぐに冷房を「最強」に設定。
 今日は金曜日。スケーター仲間のひとりで、兄貴分的な存在のドモヴォイから招集がかかった。どうやら今日は仕事を休んだらしい。メッセージを返してから、まずは使えるようになった電気コンロで朝食にパスタを作って食べる。昨日と同じ味だが、まだいける。
 ドモヴォイとは、いつもの劇場前広場ではなく少し離れたハルキウ歴史博物館の前にある広場で待ち合わせることになった。博物館はずっと閉館したままになっている。それはコロナ禍から続いているのか、侵攻が始まってからなのかはわからないが、スケーターにとっては博物館よりもその前にある広場のほうが重要だ。そこはハトーブに次ぐスケーターたちの「第二のスポット」として機能している。
 博物館前の広場には、第二次世界大戦中に使用された戦車や牽引式キャノン砲がモニュメントとして置かれている。その戦車の前が、今日の集合場所だった。すでにドモヴォイと、大学生のローマンが来ていた。それにしてもウクライナ人の名前の種類の少なさには驚く。私の知るハルキウのスケーターたちのなかにローマンは4人もいる。昨日会ったのは15歳のひょうきん者のローマンだが、こちらのローマンは長髪を後ろで束ねてキャップをかぶり、涼しげな笑みを浮かべるさわやかな青年だ。ほんの数ヶ月ぶりの再会だが、とにかく二人とも元気そうでそれが何より嬉しかった。再会を喜んでいると、どこからか耳慣れたビートが聞こえてきた。それがだんだん近づいてくる。
 「チーム友達、チーム友達……」
 音の正体は携帯型スピーカーだった。『チーム友達』のフレーズのこの曲はラッパー千葉雄喜(元KOHH)によるもので、TikTokやInstagramで世界的に流行している。日本の音楽がこんなふうにウクライナの広場で流れているのも、もはや不思議ではない。不思議ではないが、戦争中の国の街中で聞くとやっぱり妙な気がする。ソーシャルメディアというのは本当に世界を狭くしてしまったのだなあと思う。音楽を鳴らしながら現れたのは以前会ったことのあるミキータ。まだ10代の学生だが、小柄な体には不釣り合いな鋭い目つきでタバコをくわえている。Tシャツを脱いで胸のタトゥーを見せつけるように肩にかける姿は、悪ぶった振る舞いをしようとしているかのようだ。私を見つけてニヤリと笑って音楽に合わせて口ずさむ。
 「チーム・トモダチ、チーム・トモダチ。トモダチってのは「フレンド」って意味なんだろ?」と、ロシア語混じりの英語で言いながら握手を交わす。彼らのトリックを撮ったり、翻訳アプリを使って会話したあと、長髪のローマンに頼まれていたものを渡した。それは日本のスケートボード雑誌だった。出発前に東京の書店で買えるだけ買い込んで持ってきたもので、そこには前回の滞在時に撮影した彼らの写真や取材記事が掲載されている。ローマンは最初のページからめくり始めたので、もどかしくなって掲載されているページをいきなり開いてやった。彼はそれを見ると「おおー、すげえ!」というようなことを言って目を丸くさせた。他のスケーターたちも集まってくる。その様子を見てほっとした。前回ハルキウを訪れてから今回まで、東京では仕事が忙しかったので一度もスケボーに乗っていないし、当然レベルは上がっていない。そんな私にとって、これだけが唯一ちょっと胸を張れる「成果」だったのでウケてよかった。そのあとデニスにも会った。そのうち泳ぎに連れていってくれると言っていた。滞在期間は短いが、期待せずに待つしかない。スケボー雑誌に写っているスケーターの何人かに残りの雑誌を渡すとみんな喜んでくれた。
 広場の階段に座っていた時、置いてあった酒の缶を誰かの足がひっかけて倒した。缶からこぼれた酒が、広場の地面に流れて広がっていく。ドモヴォイは、濡れないように慌てて荷物を抱え上げ「Блядь!(ちくしょう!)」と叫んだ。そして、わざとらしいほど大きな声ではやしたてる。「ロシア軍だ、ロシア軍が攻めてきたぞ!」というようなことを言っているらしい。石の階段が濡れてじわじわと色を変えていくのを見て、何人かが笑った。

7月20日

午後にドモヴォイとおしゃべりなアンドレイと一緒にハルキウにあるスケートショップを訪ねた。私が「行きたい」とリクエストしたわけではない。広場でみんなといたら、二人がどこかへ行こうとしていたのでついていっただけだ。私は撮影のためにあれこれしたいと言うことはできる限り避けるようにしていた。彼らのいつもの暮らし、生活を知りたかったからだ。前回訪れた時には「この街には本格的なスケボー専門店はない」とブベルから聞いていたが、たしかにその通りだった。地下にあるその店はとても小さく、主に扱っているのは子供向けのスニーカーやおもちゃのようなキックボード(スクーター)。それらの間に仰々しくスケボーのデッキ(板)が並べられているが数は少ない。スケボーのウィール(タイヤ)やトラック(板とタイヤをつなぐ金属の部品)などのパーツは申し訳程度にガラスケースに収められていた。それでも二人は熱心に店員と話し、パーツを出してもらって手に取り、吟味を続けていた。侵攻前にハルキウにあったスケボー専門店はすでに撤退して、ここで残った在庫を細々と売っているとドモヴォイが翻訳アプリで説明してくれたのだが、詳しいことはよくわからなかった。突然、店内は真っ暗闇になり「Блядь!(ファック!)」とドモヴォイが叫んだ。また停電だった。このような小さな店には発電機もないらしい。二人はスマホのライトでガラスケースを照らして真剣に品定めを続けようとしたが、暗闇のなかではなんとなくその場がしらけてしまい、結局いつもの広場に戻った。
 夜にパスタを食べる。カロリーはエネルギーになるが、ただ妙に体がだるくて疲れがとれない。

7月21日

今日も朝から停電。部屋にいようが外にいようが、息を吸っても吐いても暑い。逃げ場がないと想像するだけでおかしくなりそうだ。どこか涼める場所がないものかと考えていると、ブベルから「ブロー、いまから泳ぎにいこうぜ!」とメッセージが届いた。
 「ほかに仲間も来る。かわいい女の子たちも呼んだぜ! ブラザー」
 先日私がデニスたちと一緒に連れていってもらえなかったことを知ってか知らずか、ともかくどうやらブベルはご機嫌のようだ。女の子などどうでもいい。今日は日曜だし広場にいつもより多くのスケーターが来るはずで、きっと写真も撮れるだろう。一瞬、彼の誘いを断るべきかと迷ったが、結局暑さに負けた。それにスケーターの彼が、スケボー以外でどんなふうに夏を過ごしているのかにも興味があった。ブベルはサルティフカ団地に住んでいると聞いていたので地下鉄に乗って向かう。到着するとブベルが手を広げて嬉しそうに待ち構えていた。彼がほしがるので、まずは売店でウォッカ入りのエナジードリンク缶を買う。ブベルは一口飲んでウィンクをしてみせた。気分は上々といった感じだが、集合をかけたという仲間がまだ来ていない。
 「スマホが壊れてるんだ。ちくしょう。だから連絡が取れないんだよ、ブロー」と言う。よくよく聞くと、彼のスマホは壊れているというわけではなかった。彼は仕事をしていないためSIMカードの使用料を払う金がなく、団地の中に飛んでいるフリーWi-Fiを拾わないと通信ができないということだった。私だって金が無いのをみんなに知られるのは恥ずかしいのでよくわかる。さっきの売店にはWi-Fiの電波が飛んでいないとのことで別の売店へ移動する。彼は「ブラザー、俺はサルティフカのことなら何でも知ってるんだ」と得意げに言い、慣れた様子で電波があるというポイントへ向かったのだが、どういうわけかそこもダメだった。仕方がないので私のスマホを使ってテザリングで接続する。彼のスマホが無事私のスマホの電波を掴み、メッセージを送った。20分ほどその場で待っていると、ブベルの友人たちが姿を見せた。その中には今年の春に訪れた時に、私がブベルに紹介したスケボー初心者のミラーナもいて、彼女も友人を連れてきていた。その友人の顔にも見覚えがあった。ミラーナといつも一緒に劇場前広場に来ている子だ。何が「かわいい女の子を呼んだぜ」だ。いつものメンツじゃないかと内心思ったが、まあどうでもいい。
 合計5人で連なって歩き、ピクニックの準備のような気分で近くのスーパーに入る。「ほしいものがあればなんでも買っていいよ」と私が言うと、彼らは遠慮なくカートにビールやジュース、スナック菓子やパンなどを次々と放り込んでいった。支払いのときに金額を見て少し冷や汗をかいたが、これは大人の仕事だろう。
 湖は歩いてすぐだというので、ブベルたちのあとをついていく。立派な幹線道路なのに、交通量はほとんどない。太陽に容赦なく照りつけられたアスファルトの歩道をずんずん進んでいく。道路脇に街のいたるところで見かける対戦車用の障害物(鉄道のレールをぶった切ったものを交差させて溶接した構造物)が置かれていた。途中、自動車のニッサンのショールームがあり、壁一面に銃痕が残っていたが、誰もそんなものを気に留める様子はなかった。30分ほど歩いて幹線道路から林のなかの脇道へ入る。木々の合間に戦車が行き交ったとおぼしきキャタピラの轍もいくつもあった。さらに進むと、ようやく湖の駐車場と入場受付が見えてきた。湖は手入れされていない無料エリアと整備された有料エリアに分かれているらしい。ミラーナたちは迷わず有料エリアへ行きたがった。たいした額ではなかったが、これもまた大人の仕事である。
 受付で全員分の金を払おうとしていると、ブベルはミラーナたちになにか言い放ち、シャツを脱いでそれを私に押し付けるとそのまま隣の木の茂みに消えてしまった。なんだかよくわからないが、ミラーナに「ブベルのぶんは払わなくていいから、早くビーチに行こう」と急かされ、彼女たちのあとをついていった。
 突然ぱっと視界が開けると、目の前にずいぶん賑やかなビーチが出現した。砂浜には大型のデッキチェアと派手なパラソルがびっしりと並び、ごった返す人々で埋まっている。そこからあぶれた人はその隙間や奥まったところにある芝生の上で無造作に寝転んでいた。赤ん坊たちに子供たちに若者たち。恋人や若い夫婦や年配の夫婦。そして老人たち。あらゆる種類の人間がいた。人々が砂浜を行き交い、会場(祭のようなのでついそう呼びたくなる)には軽快な音楽が流れている。湖面では、海水浴客ならぬ湖水浴客が声を上げながらはしゃぎ回っていた。先日ひとりで訪れた湖とはまるで違っていて、妙に浮かれたような雰囲気があった。なにより私が驚いたのはビーチの中央に監視小屋のようなものがあり、赤や黄色の水着を身に付けたライフセーバーたちが湖面に目を光らせていたことだ。救命用の浮き輪もちゃんと用意されている。さすが有料エリアというほかない。まったく戦争中とは思えないほどの活気に圧倒される私をよそに、ミラーナたちは周囲の客に声をかけてはちゃっかり交渉を重ね、あっという間にデッキチェアを二つも陣取っていた。
 私たちが荷物を下ろして一息ついていると、突然、背後から水しぶきを撒き散らしながらブベルが現れたので驚いた。聞けば、茂みの奥にある無料エリアの湖を泳いで突っ切り、そのまま有料ビーチに侵入してきたらしい。息を切らしながら「これが俺のやり方だ、ブラザー」と得意げだ。さすがやんちゃなブベルらしいなと私はおかしくなった。だが彼は年齢で言えば21歳の立派な大人だ。いつまでこんな無茶なことをやり続けるのだろう。ちょっと心配になったが、持ってきた酒を飲み始めるとそんなことはすぐにどうでもよくなった。ミラーナやその女友達は早熟なのかどうか知らないが、まだ15歳なのにTバックのビキニ姿になり、急激に大人びた雰囲気をまとっていた。まあ東欧といえども、ここはヨーロッパだしそういうものなのだろう。一方、他の男たちはといえば、さっさとシャツを脱ぎ捨てて水着姿になり、砂浜で取っ組み合いながら叫んで転げ回っている。私だけは水着も持っておらず、半ズボンのまま砂に腰を下ろした。

湖は広く、水は太陽に温められていてひんやりするほどではないが、火照った体を冷ますにはちょうどいい冷たさだった。湖面には空気で膨らませた巨大な遊具がぷかぷか浮かんでいた。子供たちだけでなく大人までもが鈴なりになってよじ登り飛び込んでいく。私もブベルたちと何度も飛び込んだ。ブベルは体を横回転しながら宙返りをする技を披露して、それを「バックサイドフリップ」と呼んだ。スケボーのトリックのひとつで、自分をデッキに見立てたらしい。
 遊び疲れて砂浜で休んでいると、ブベルのくるぶしのあたりに「XATOБ(ハトーブ)」の文字のタトゥーがあるのに気づいた。タトゥーを入れているスケーターは珍しくない。しかし、ハトーブの文字を入れているのは彼ぐらいじゃないだろうか。わざわざ肌に刻むほど、あの広場と仲間を大事に思っているのだろう。それは、彼にとってのひとつのアイデンティティなのかもしれない。
 ビーチの脇にはウォッカを売る小さな売店があり、日陰に並べられたテーブルを囲んで楽しむ人々で賑わっていた。ブベルやミラーナたちにせがまれるように連れられ売店の列に並んでいると、ブベルの様子がおかしいのに気づいた。目に涙を浮かべて泣き出しそうなのを必死にこらえているようだった。
 「どうした?」
 「見てみろよ、ブラザー……みんな家族連れで楽しんでるだろ? でもクソみたいな大人に育てられるとクソみたいなガキが出来上がる……。だろ?」
 ブベルは英語で話した。突然だったのでなんのことかわからなかった。唖然としていると、今度はミラーナになにかを言っていた。耳を傾けていたミラーナは、ブベルの肩に手を回してあやすようにうなずいている。列は進んでちょうど私の順番になり、ブベルのことは彼女に任せてウォッカが入ったショットグラスをみんなのぶん買った。ブベルは幼いころに母親を亡くし、父親とは別居が続いていると本人から聞いていた。いまは祖母と二人で暮らしているらしい。いろいろとあったのだろうが、詳しくは知らない。ブベルは目頭を押さえながら「ブロー、酒をくれ」というので迷わずグラスを差し出した。彼が未成年じゃなくてよかった、とも思った。
 ブベルはまだ涙ぐんでいたが、みんなはどんどん酒を飲んでいった。ちょっとやけくそ気味のようにも見えた。ペットボトルに入ったビールやジュース。安い瓶のウォッカ。ウォッカに似たラベルの読めない蒸留酒。ゆっくりと日が落ちて、風が涼しくなってきた。誰かが冗談のようなことを言って、ブベルも笑顔を取り戻し始めた。誰が何を言っているのか聞き取れなかった。私は先に帰ろうと思い、別れを言って砂浜を歩いた。みんなは残って飲み続けるという。いくつか空いているのもあったが、デッキチェアはまだかなり人で埋まっていた。
 部屋に戻ると電力が復旧していて、エアコンが冷たい風を出していた。電気コンロで湯を沸かし、パスタを食べて寝た。

7月22日

この日に貸しアパートを出なければいけなかったので、荷物をまとめていつも泊まっている街一番の安ホテルに引っ越す。残念ながらエレベーターは壊れたままだったが、受付のおばさんは私を覚えてくれていた。気の毒に思ったのか前回の7階とは違う6階の部屋(建物は坂道に面していて受付は地下1階なので実際は7階分相当の階段を昇る)にしてくれた。汗をだらだらかきながら荷物を運び入れた。それで力が尽きた。食事や言語の問題で多少はストレスも溜まっているし、なにより暑すぎる。幸運にも電気が使えたのでエアコンの冷房を最強にして、そのあとはずっと寝ていた。
 午後遅く、スケーターたち以外で劇場付近にたむろしている少年少女がいたので取材を試みる。あまりにも唐突だったせいか、彼らは逃げるように去って行き、話をほとんど聞けなかった。夕方、スーパーで野菜を買って生のまま食べる。追加で買ってきた乾燥パスタも茹でる。ちょっと高めのパスタにしたらちょっとおいしい。少しは元気になった気がした。

7月23日

午前中に電気が止まり、暑さで起きて窓を全開にした。二度寝を決め込んでいたら、今度は爆発音で飛び起きた。少し間を置いてサイレンが鳴った。テレグラムで市民らが発信している情報によれば、どこかの市場にミサイルか無人爆撃機が落ちたらしいが詳細はわからない。ドモヴォイにメッセージを送ってみると彼も「市場だ」としかわからないという。
 市場ってどこの市場だろうか。この街には、食料品や衣料品、電気製品を売るバザールが大きなものから小さなものまである。人が集まるからか、いくつかの場所は空爆されてすでに瓦礫と化している場所もあるが、営業している所もそれなりにある。気になったので、とりあえず近くにある肉と乳製品を扱う大きな市場に向かってみたが特に変わった様子はない。売り場ではおじさんたちがニコニコして声をかけてくるだけだった。ここではないのは確かだ。
 被害があった場所が正式に公表されるにはもう少し時間がかかる。ドモヴォイも仕事で忙しいようで連絡がつかなくなり、仕方がないので部屋に戻った。電気もまだ止まっていて湯も沸かせないので、昨日買っていたポテトチップスを朝食にする。水シャワーを浴びてから結局また街に出ることにした。
 向かった先はGoogleマップで調べた工具店だ。持ってきていたフィルムカメラの調子がどうも悪く、うまくシャッターが切れないことがあった。ハッセルブラッドという古い中判フィルムカメラで、構造はシンプルなのだが時々言うことを聞かなくなるのだ。この街では修理できる所もないので自力で直すしかない。店で精密ドライバーと小型のニッパーを手に入れて再び部屋に戻り、修理の作業を始める。だが、やはり暑さのあまり集中できず、また外出することにした。何をしているのかわからない。今度はスケボーを抱えて、いつもの広場に向かった。広場の前で見知らぬおばさんに声をかけられた。言葉がわからない私に構わずおばさんは喋り続ける。あげくにはこちらの手をとって引っ張ろうとするので戸惑っていると、ちょうど広場にいたブベルが駆け寄ってきた。彼がおばさんに事情を聞いて私にブロークンな英語で説明しようとした。
 「ビッグミュージックだ……、それを聴く。みんながそこにいる。ブラザー、あれはなんていうんだ? ちくしょう。」
 「コンサート?」
 「そう! それだよ、ブロー! 俺が連れてってやるよ」
 おばさんが言うことを彼が訳してくれたのによると、いまハトーブの中でウクライナ軍や生活困窮者への寄付を募るためのチャリティコンサートをやっているらしい。入場は無料とのことだった。おばさんはせっかくだから多くの人にきてほしいと、呼び込みをしていたのだ。コンサートにはそれほど興味はそそられないが、いつも外から眺めているこの巨大な劇場の中に入れるチャンスだ。2年前の侵攻以降はずっと封鎖されていたと聞いていたので、貴重な機会である。ブベルとおばさんに連れられて劇場へ向かってみた。正面入口ではなく、建物の脇にある小さな勝手口のようなところから入っていくらしい。そこには自家発電装置がいくつも並び、低い音を響かせていた。
 「ブロー、ここをまっすぐ進んでいけばいい。楽しんでくれよ」と言ってブベルは去ろうとした。「一緒に行こうよ」と言ったのだが、彼はニヤニヤするだけで「ブロー、俺はスケボーをしたいんだ」と言って手を振った。腑に落ちないまま、おばさんに促されて進んでいく。狭い通路を歩き、いくつかの階段を降りていった。内部の雰囲気は暗く、壁のペンキが剥がれていたり、古いのか蛍光灯が点滅していたりして、適当な言葉が思い当たらないが、強いていえばソビエトっぽいのかもしれない。劇場のずいぶん奥深くまで降りていく。こんなところに住民でもない私のような人間がきて大丈夫なのだろうかと心配し始めたころ、かすかに音楽が聞こえてきたのでほっとした。
 前を歩いていたおばさんが体育館のドアのような大きな鉄扉を開けると、まぶしい照明とともに派手な音楽と歌声が大音量で響いていた。そこはオペラやバレエをやるメインのホールではなく、地下にある巨大な倉庫のようだった。ステージにはマイクを握る男女のボーカルがいてバックバンドが演奏している。ポップソングのようなノリで、さほど大きくはない臨時で作られたステージの上を、二人が右へ左へと忙しく動いては客席にせまるように歌っている。明るく楽しく元気よく、といった感じだ。その前には200人ほどだろうか、観客たちがパイプ椅子に座っていた。最前列では音楽に合わせて手を振ったり体をゆらす人もいて盛り上がっているような雰囲気だが、全体を眺めてみると客席のほとんどの人が退屈そうに手にしたスマホを覗き込んでいた。音楽が軽すぎるのだろうか。空回りしているようにも思えた。よくわからないが、きっとウクライナ語で歌っているのだろう。合間にスピーチのようなものがあった。ウクライナ軍へのメッセージかなにかだろうか。
 地上にいるブベルに見せてやろうと思い、動画を撮って送ってみたが反応はなかった。ヒップホップが好きな彼だから、こういったものには興味がなく入ろうとしなかったのだとようやくわかった。涼しいのはありがたかったが、立ったまま10分ほど聴いて鉄扉の外にあった募金箱に少し金を入れて外へ出た。そのあとはいつものようにみんなとスケボーをした。
 あとで調べると、街から少し離れた大きな市場に被害があったことがわかった。

7月24日

机で作業をしていると、突然、重く低い花火のような音がした。また爆発音だった。すぐに鳥が一斉に飛び立ち、衝撃波で車の盗難防止アラームが同時に鳴り響く。出遅れるように空襲警報のサイレン。昨日とは音の大きさのレベルが違う。ミサイルが着弾したらしい。私は部屋の窓際に駆け寄って外を見た。いくつも並んだアパートの、さらに向こうに黒煙がゆっくり立ち上っている。距離感は掴みにくいが、そう遠くはないだろう。昨日の続きで、今日は朝からフィルムカメラの修理をしていた。何度も分解しては、また組み直す。原因がようやく見えてきて、あとひと息というところだった。
 どうする? どうしたらいい? 気がつけば、「あー、くそっ」と口の中で言っていた。修理への集中力は、そこで完全に切れてしまった。あの煙の下で、いま誰かの命が奪われたのかもしれない。そんな考えと同時に「自分じゃなくて良かった」という身勝手な安堵もあった。すぐに頭を切り替える。現場がどうなっているのか知りたい。今回はあくまでスケーターを撮りに来たはずだが、昨日のこともあったのでどうしても我慢ができない。
 どうせスケーターが広場に集まるのは午後からで、時間はある。修理を中断し、分解したままのカメラを机に置きっぱなしにして、デジタルカメラと予備のフィルムカメラを両肩にかけ、階段を駆け降りた。外に出ると、さっき見た煙の方角を確認するためにスマホでGoogleマップを開いた。だが、やはり役に立たなかった(スマホのGPS機能を使ってロシアの工作員がミサイル攻撃地点を指定していて、その対策として市内中に妨害電波が出ているという話がある)。
 マップに表示されていた私の現在地は、なぜかアフリカ沖のサントメ・プリンシペという島国。仕方なく頭の中の地図を頼りに見当をつけて歩くことにした。「爆発はどこで起きたのか」と通行人に尋ねても、返ってくるのは「知らない」という言葉ばかり。中には全く違う方向を指さす人もいれば、「そんなことあったの? 気づかなかった」と肩をすくめる人までいた。この街では、爆発の音はあまりにも日常的すぎるのだ。2年以上続く戦争の中で、人々はそのたびに反応することをやめてしまったのだろうか。
 ゆるやかな坂道を上っているときだった。また爆発音。心臓が跳ね、足が硬直するように止まる。さっきより近い。さっきまで私の前を歩いていたおばさんが木の陰に隠れるようにしゃがみ込んでいた。私も彼女の隣で身を屈める。耳の奥が詰まったような、音が遠のいているような感覚になっていた。おばさんはじっと空を見上げていたが、表情というものがなかった。しばらくすると鼓膜の違和感が和らぎ、少しずつ街の喧噪や鳥の鳴き声が戻ってくる。おばさんは何事もなかったかのように去り、私も歩き出した。

ポケットに入れていたスマホが鳴った。スケーター仲間のおしゃべりなアンドレイからのメッセージだった。
 「いま何してる?」
 ミサイルが落ちた現場を探している最中だと返事をすると、
 「たしかにいまのはヤバかったな。いまどこ? これから会おうぜ」とアンドレイは返してきた。
 それはもちろん構わないのだが、現場はどこだろう。アンドレイは「俺の部屋からじゃ何も見えない。とりあえずそっちに行くよ」と言って地下鉄でやってきた。サンダル履き、手ぶら。近所に買い物にいくみたいな格好だ。
 「狙われたのは病院かなんかだろ。よくあることだ」
 そう言いながら、先日手に入れたスケートボードの話を始めた。露天商から格安で古いデッキを買ったのだという。彼は英語が話せるのでとてもありがたいのだが、話し出すと止まらない。入手したデッキがいかに価値あるものかということを語り続ける。私は話半分で相づちを打ちながら、彼と一緒にあてもなく郊外へ向かった。
 アンドレイと歩いてみると街は広く、そしていろんな場所があった。新しい団地や古い団地。閉業したカフェ。草むら。プールの跡地。廃墟のホテル。使われなくなった駐車場。ところどころにフラットな場所を見つけては彼が「ここでトリックができるかどうか。やるとしたらどんな技ができるのか」といったことを独り言のように話しはじめる。私は空爆された場所が知りたかった。アンドレイに話をふってみても「それは遠いし、探すのは無理だろう」と答え、またスケボーの話に戻した。
 何時間歩いただろうか。しゃべり疲れたのか歩き疲れたのか、アンドレイが「腹が減った」という。私も朝食を食べそびれていたのでシャワルマというケバブのようなものを売る店に入って食べる。部屋でパスタばかり作っていたので外食は新鮮だ。停電だから薄暗い店内だった。ペプシコーラを追加で頼もうとしたとき、また爆発音が聞こえた。アンドレイは「Ебать!(くそっ!)」と言って外へ駆け出た。また空爆らしい。この場所からは何も見えなかったが、しばらく待つと店のちょうど裏側から遠くに煙がゆっくり上がっているのが見えた。それを見ながらアンドレイは手に持っていたシャワルマをかじり、眉間に皺を寄せている。私たちはまだ腹が減っていたので店内に戻ってフライドポテトを追加で注文したが、被害がどうなっているのか気がかりだった。仕方なく店で食べるのは諦めて、食べ歩きしながらさっき見えた煙の方角に向かった。
 かなり歩くと消防車が何台も連なって停車しているのが見えた。消火作業をしているのではなく、路肩の消火栓から消防車両に給水しているらしい。様子を眺めていると、そのうちの一台が水を満タンにしたのか慌ただしく走り去った。走って追いかけるわけにもいかないので方向だけ目で追い、私とアンドレイは歩き出した。アンドレイはまだスケボーの話を続けていた。さらに進むと、ようやく消防車が出入りしている現場らしき場所にたどり着いた。現場は木立が並ぶ、ちょっとした森の中にある住宅地らしかった。中へ通じる道路の入口はすでに警察によって封鎖されている。ひっきりなしに消防車が出入りしていたが、それ以上近づけなかった。近所の住民と思われる10人ほどの人が心配そうに様子を窺っていたが、中がどうなっているのかよく見えなかった。
 「言っただろ? 無理だって」
 アンドレイのその言葉は、もうどうでもいいというような言い方だった。何時間も歩いてそう言われると腹立たしいが、結果が全てだ。私たちは街へ戻った。
 劇場前の広場には、いつも通りスケーターたちが集まっていた。暗くなる前、また爆発音のような音が響いたが誰も気にしていなかった。トリックを決めるたびに手を叩き、時々笑い声が弾けた。