みすず書房

家族熱

家族熱

この連載では、フランツ・カフカの小説『変身』を新訳しながら、超スローリーディングしていく(ものすごくゆっくり読む)。
 さらに、読みながら私が思い出したこと考えたことも、脱線を気にせずに、どんどん書いていく。というのも、読書の半分は、本に書いてあることではなく、本を読みながら自分のうちにわきあがってきたことにあると思うからだ。
 私の脱線につられて、みなさんもそれぞれに、いろんなことを思い出したり考えたりしていただけたら幸いだ。

 自分の城の中にある、自分でもまだ知らない広間。
  それを開く鍵のような働きが、多くの本にはある。

(オスカー・ポラックへの手紙 1903年11月9日)

●前回まで

前回までの内容を、まず簡単に紹介しておこう。
 虫になったグレーゴルが壁にはりついているのを見て、母親は気を失ってしまう。そのことを妹は、帰宅した父親に告げる。父親は激怒して、居間にいたグレーゴルを追い回し、林檎(りんご)を投げつける。その林檎のひとつがグレーゴルの背中にあたり、肉にめりこむ。グレーゴルは気を失う。
 そこで『変身』の第2部は終わる。
 今回から第3部に入る。

●見た目が命にかかわる

グレーゴルの負った傷は重く、もう1カ月以上も苦しんでいて──誰もとりのぞこうとしなかったので、林檎は目に見える記念として肉の中に残されたままだった──その傷が父親にさえ、グレーゴルもまた家族の一員であることを思い出させたようだった。今はなさけない姿をしていて、吐き気をもよおさせるが、それでも敵のようにあつかうべきではなく、嫌悪感をぐっとこらえて、我慢し、ひたすら我慢しつづけることが、家族の義務なのだと。


 1カ月以上の時が経過する。今度はずっと傷に苦しんでいた1カ月以上だ。時計をずっと見つめていると時が流れないように、痛みがあると時はなかなか流れない。1カ月以上の苦しみというのはそうとうなものだ。
 しかも、1カ月以上経過して治ってきたというのではなく、依然として苦しみつづけている様子で、林檎も肉にめりこんだままだ。
 なぜ誰も林檎をとりのぞこうとしなかったのか? 虫の身体にさわるのが耐え難かったのか、それともどこかに死を願う気持ちがあるからか。
 どんな気持ちがあったとしても、人間の姿をしていれば、さすがに林檎が肉にめりこんだままにはしておけないだろう。おざなりにではあっても、ある程度の手当てはするはずだ。
 しかし、虫の姿をしていると、林檎がめりこんだままで放置されてしまう。グレーゴルであることはみんなわかっていても、その外見だけで、こういう対応のちがいが生じてしまう。命にかかわるちがいが。
「目に見える記念として」は直訳で、こなれているとは言えない。「誰もとりのぞこうとしなかったので、林檎は肉の中に残されたままで、何が起きたのか(いち)(もく)(りょう)(ぜん)だった」などとしたほうが、ましだろう。しかし、私は既訳のいくつかで「目に見える記念として」という表現を読んだとき、とても強い印象を受けた。それで私もそのままにした。こなれている訳のほうがいいと基本的には思っているが、直訳のインパクトもときには生かしたい。

●かわいそうにしておいて、かわいそうがる

傷に苦しんでいるグレーゴルの様子を見て、意外にも父親が「グレーゴルもまた家族の一員である」ことを思い出す。
 父親はこれまでグレーゴルを虫としてあつかってきた。敵のようにあつかってきた。家族としてあつかうことはあまりなかった。それが急に、「家族の義務」として我慢しようとする。
 これはいったいどういうことなのか?
 その傷は父親がつけたものだ。普通、誰かを傷つけて、傷ついた相手が苦しんでいると、傷つけたほうも苦しんで反省するか、あるいは逆に、苦しんで反省するのがつらくて、「むこうがよくないから、こういうことになったんだ!」と、さらに相手を嫌ったり憎んだりするものだ。この父親なら後者になりそうだが、そうではなかった。しかし、前者とも思えない。
 たとえばDV(ドメスティック・バイオレンス)の場合、暴力をふるったあとに、やさしくなることがある。その理由は「ストレスが解消されたから」「相手が離れていかないように」などいろいろに分析されているが、単純に「傷ついた相手がかわいそうになるから」ということもあるのではないだろうか。憎らしいから暴力をふるい、傷ついた状態を見るとかわいそうになって、やさしくする。そういう単純さがあるような気がする。そして、もしそうだとしたら、そういう単純さはとても怖いと思う。
 また、これがもし他人から傷つけられたのだとしたら、感じ方もちがうだろう。家族に対する外部からの攻撃ということになり、それはいくらか自分への攻撃でもあるからだ。その点、同じ家族である自分がつけた傷なら、素直にかわいそうと思うことができる。
 よく漫画やドラマで、こういう展開がある。兄が弟をよく殴っているのだが、外で弟が他の誰かに殴られたりすると、兄はそれをかばって、「こいつを殴っていいのは、兄の俺だけなんだ!」と怒鳴ったりする。感動的なシーンとして描かれているのだが、私は個人的には、すごく怖いなと思っていた。他人の攻撃からかばってくれるのはいいが、「俺は殴っていい」と思っているのは、やっぱり怖くないだろうか。
 父親は、グレーゴルに重症を負わせたあと、グレーゴルは家族なんだと思い出すことで、「家族だからいいんだ」というふうに罪悪感から逃れたのではないだろうか。そして、俺は家族だから、我慢してやるんだと、それが「家族の義務」だと考える。その「家族の義務」には、家族から暴力をふるわれても、それは他人からの暴力とちがって、「我慢し、ひたすら我慢しつづける」べきなのだということも含まれているのかもしれない。

 虫になったグレーゴルは、普通の虫よりそうとう大きい。こんな虫は普通いないわけで、その存在だけで、かなりの脅威を与える。
 父親も、虫の姿のグレーゴルにおびえを感じていたはずだ。
 しかし、今や、傷ついて苦しんで、弱々しくなっている。こちらを攻撃できるような力はもうない。
 そういう相手なら、安心して同情できる。父親の心境の変化は、そういうこともあるだろう。
 主張や要求の激しい障害者や病人は嫌われやすく、かわいそうな障害者や病人は好まれる。ひとりだけでは生きられなくなった障害者や病人には、「やさしくしてほしければ、かわいそうになれ」という圧力がつねにかけられる。
 グレーゴルは、怖い虫から、かわいそうな虫になってしまったのだ。そして、それなら父親も同情してくれて、家族と認めてくれるのだ。

●カフカの父親とゲーテの父親

グレーゴルの父親とカフカの父親には共通点が多い。しかし、まったく同じというわけではない。
 カフカの父親は、家族が病気になったときには、心から心配する人だった。カフカの母親が病気になったとき、父親はひどく心配した。その様子を見て、カフカは父親を見直している。また、カフカ自身が病気になったときも、父親は心配してカフカの部屋のドアのところから首をのばして、ベッドの中のカフカの様子をうかがったりしていた。寝ている息子を起こさないように気遣いながら、それでも心配で顔を見ようとしていたのだ。それに気づいたカフカは、寝たふりをしながらも、とても感動している。そういうことが最終的な和解へとつながる。
 父親なら、それくらいの心配は当然だろうと思うかもしれないが、そんなことはない。ゲーテの父親は、ゲーテが若くして病気で死にかけたとき、期待していた息子がそんな状態になってしまい、がっかりして、いらだち、怒りをあらわにしてしまう。だらしない息子だと責めてしまったのだ。ゲーテは自伝の『詩と真実』の中でこう書いている。

父の家から出ることにあこがれた。
 父との間がうまくいかなかった。
 わたしの病気が再発したときや、
 なかなかよくならなかったとき、
 父は短気を起こした。
 やさしくいたわってくれるどころか、
 残酷な言葉をあびせかけた。
 わたしにはどうしようもないことなのに、
 まるで意志の力でどうにでもなるかのように言った。
 そのことを思うと、どうしても父を許すことができなかった。
   (『詩と真実』より。訳文は拙著『絶望名人カフカ×希望名人ゲーテ』
     草思社文庫から引用)

ゲーテは生涯、父を許すことはなく、故郷を出て、父の望まない生き方をし、会おうともせず、父が死んだあとは、父が生涯をかけて集めた美術品のコレクションなどを叩き売ってしまった。

●取り返しのつかないこと

そしてグレーゴルのほうは、傷のせいで、思うように身体を動かせなくなっていた。おそらくこの先もずっと。今は部屋を横切るだけでも、年老いた(しょう)()軍人のようにずいぶん時間がかかった──高いところを()い回るなど思いもよらなかった──にもかかわらず、彼はこう考えていた。こんなふうに自分の容体が悪化したことで、充分な埋め合わせを得られたのだと。というのも、夕方になるといつも、居間のドアを開けてもらえるようになったのだ。彼は1時間も2時間も前から居間のドアをじっと見つめていて、ドアが開けられると、自分の部屋の暗がりのなかで腹ばいになったまま、居間からは自分の姿を見られることなく、彼のほうからは明かりのついた食卓を囲む家族全員の姿を見ることができた。そして、家族の会話を、いわば公認で聞くことができた。同じ聞くのでも、以前とはまるでちがった。


 グレーゴルは林檎の傷のせいで、身体が不自由になっている。しかも、もう元には戻りそうもない。つまり、取り返しのつかないことが起きてしまったのだ。
 取り返しのつかないことというのは、じつにいやなものだ。人間に起きる多くのことは取り返しがつく。病気になっても治ることが多い。ケガをしてもきれいに治ることが多い。ケンカをしても仲直りできることが多い。電車を逃しても、次のに乗ればいい。
 しかし、ときどき、取り返しのつかないことが起きる。もう一生ずっとそのままということが。私は、20歳で難病になり、もう一生治らないと言われたとき、ふと小学生のときのことを思い出した。友達数人と自転車で走っていて、石橋のところですべってこけて、顔をぶつけて、前歯の先が少し欠けてしまった。さほど気にしていなかったのだが、家に帰って母親に言うと、「あーあ、それはもう乳歯じゃなくて永久歯だから、もう一生そのままよ。取り返しがつかない」と言われた。すごくいやな気がした。歯が欠けたことより、取り返しがつかないという言葉がこたえた。小学生にとっては、将来というのはまったく未確定のものだった。それがもう早くも確定事項ができてしまったということに、すごくびっくりした。そうか、どんなに幼くても、一生が決まってしまうことがあるのかと。なんて油断して生きていたのかと反省した。それ以来、取り返しのつかないことが嫌いだったのに、難病という、なかなか起きない、取り返しのつかないことが起きてしまった。

●「家族熱」

グレーゴルの場合、この取り返しのつかないことを嘆くのではなく、むしろ「充分な埋め合わせを得られた」と考えている。
 傷痍軍人のように、しかも年老いた傷痍軍人のようになってしまい、もう元に戻りそうにないというのに、その埋め合わせになるようなことがありうるのか。虫になってよかったことなどほとんどない中で、壁や天井まで歩き回れるというのは唯一の気晴らしだったのに、それも失ってしまったのだ。まさに地面に這いつくばったままになってしまったのだ。
 その「充分な埋め合わせ」というのは、「夕方になるといつも、居間のドアを開けてもらえるようになった」ということだ。かわいそうなグレーゴルへのお目こぼしだ。
 そこから居間に出て行っていいわけではない。グレーゴルは自室の暗闇の中にとどまって、家族に自分の姿が見えないように気遣わなければならない。グレーゴルに許されているのは、家族の姿を見ることと、その会話を聞くことだけだ。会話は以前からドア越しに聞いていたが、それはいわば盗み聞きで、今では家族は、グレーゴルも聞いているということがわかっていて話しているわけで、それはたしかにぜんぜんちがう。
 しかし、たったこれだけのことが、取り返しのつかない身体になったことの「充分な埋め合わせ」になるのだろうか? なぜグレーゴルはここまで家族に執着するのか?
 私は「家族熱」という言葉を思い出した。(むこう)()(くに)()が脚本を書いた『家族熱』というテレビドラマ(TBS「金曜ドラマ」1978年)で、この言葉を知った。残念ながらDVDが出ていないが、配信で見ることができた。家族への執着で、精神を病み、狂気にまで至ってしまうという話で、「ここまで描くのか!」とドキドキした。狂気にまで至ってしまう衝撃度では山岸凉子の短編漫画『(てん)(にん)(から)(くさ)』に匹敵する。
「家族熱」というのは、オーストリアの精神分析学者のシュテーケルの言葉で、「すべての神経症者は自分の家族に悩み、ある知恵者が Familitis(家族熱)と呼んだ」(『性の分析——女性の冷感症 第一巻』松井孝史訳 三笠書房)ということなので、もともとはさらに別の「ある知恵者」の言葉らしい。
「《家族熱》に(かか)っている女性は、その家族から決して離れることができない」「自己の人生の危機において、うしろ向きの視線の力を容易に認めるであろう」とシュテーケルは書いている。「うしろ向きの視線」とは、これまで育ってきた家庭、家族への執着のことだ。この本は女性について書いてあるから「女性」となっているが、男性でも同じことだろう。
 グレーゴルもまた、人生の危機において、家族への強い愛、「家族熱」にとらわれているのだろうか。彼が暗闇から家族に向けている視線は「うしろ向きの視線」なのだろうか。
 もっとも、虫になってしまったグレーゴルは、未来に視線を向けにくい。取り返しのつかないことが身体に起きてしまった今はなおさらだ。自分を閉じ込め、傷つけた家族に、それでも熱い視線を向けるしかないのかもしれない。
 なお、このシュテーケルという人は、フロイトの高弟で、ユングやアードラーなどのお仲間だ。文学と縁が深く、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』でその言葉が引用されている。「未成熟な人間の特徴は、理想のために高貴な死を選ぼうとする点にある。これに反して成熟した人間の特徴は、理想のために卑小な生を選ぼうとする点にある」という言葉だ(『ライ麦畑でつかまえて』野崎孝訳 白水Uブックス)。
 この言葉はアニメ『攻殻機動隊』にも出てくるらしい。
 また、三島由紀夫が『音楽』という小説を書くときに、シュテーケルの本を参考にしたらしい。

●家族団欒

もちろん、昔のように話がはずんだわけではなかった。かつてグレーゴルは、出張先のホテルのせまい部屋で、疲れきった身体を湿ったベッドに投げ出しながら、家では家族が食卓を囲んでにぎやかに会話しているだろうと思うと、自分もそこに加わりたい気持ちになったものだ。それが今では静かなもので、父親は夕食を食べるとすぐに、そのまま椅子で眠ってしまい、それを母親と妹は互いに目顔で知らせ静かにしていた。母親は明かりの下に身をかがめ、ブティックに納品する高級下着を()っていた。店員として働くようになっていた妹は、いずれもっといい職に就くためだろう、夜は速記とフランス語の勉強をしていた。ときどき父親が目をさまし、自分が眠っていたことに気づいていない様子で、「今日もずいぶん長いこと縫い物をしてるなあ!」と母親に言い、またすぐに眠りこんだ。母親と妹は顔を見合わせ、疲れた微笑を交わした。


 かつてのザムザ家では、夕食時の家族団欒(だんらん)で、話がはずんだらしい。その当時でさえ、グレーゴルは仕事で出張が多いので、その団欒に参加できず、出張先のホテルで思いをはせたりしている。今ではもう、いっしょに食卓を囲むことはできないし、家族の会話もはずまなくなった。
 家族団欒とはそもそも何なのだろうか? それが苦痛な人もいるし、それが何より大切だという人もいる。
 藤枝静男に『一家団欒』という短編小説がある(『悲しいだけ・(ごん)()(じょう)()』講談社文芸文庫)。59歳で死んだ男が、自分の家の墓にやってくる。墓の下にはもう父親と3人の姉兄、2人の弟妹が入っている。先に死んだ姉や兄より、男はもう年上になっている。男も墓の下に入り、「父ちゃん、僕は父ちゃんに悪いことばかりして、悪かったやあ」と言って、父親の膝にしがみついて涙する。そして、過去のさまざまな罪を懺悔(ざんげ)する。兄弟姉妹にも罪を懺悔する。そして、「ああ何てここは暖いだろう、と彼は溜息をつくように思った。これからは、もう父や兄や姉の云うことを何でもよく聞いて、素直に、永久にここで暮らせばいいのだ」と思う。そして家族全員で祭りを見に行く。
 不思議な小説だが、読んでいると、男といっしょにこちらも泣いて浄化されたような気持ちになる。家族に対して、すべての罪を懺悔して、家族だからみんな許してくれて、受け入れてくれる。これはひとつの大きな家族幻想なのかもしれない。しかし、それはもう死んでいなければ無理なことだろう。

●「本当に困ったら、なんとかするものだよ」

父親が銀行の用務員になったことはもう前に出てきたが、ここで初めて、母親が下着を縫う内職をしていること、妹が店員として働いていることがわかる。3人とも働きだしたわけだ。
 前にグレーゴルは、父親も母親も妹も働くのは無理だと考えていた(第15回)。だから、生活費を稼げる人間が誰もおらず、いったいどうしたらいいんだと気をもんでいた。ところが、3人はそれぞれになんとか仕事を見つけて、稼ぎはじめているのだ。
 誰かが困っているとき、心配して手を貸そうとする人に対して、それを止めて、「心配しなくても、人間、本当に困ったら、自分でなんとかするもんだよ」と言う人がいる。そして、実際に当人たちがなんとかしはじめると、「ほら、なんとかなったでしょ」と言う。自分の言った通りだと。
 しかし、どうしようもないところから、なんとかするのは、大変なことだ。なんとかしなければ死んでしまうから、必死でなんとかするが、なんとかできないこともある。
 なんとかできなくて死んだりすると、そういう人は、「死ぬ前にちゃんと助けを求めなければ。本当に困っていれば助けるんだから」と言ったりする。「本当に」とは何なのか……。
 グレーゴルの家族も、なんとか稼いで生活している。しかし、それは「やればできる」なんてことでは決してなかっただろう。

●制服愛

父親はかたくなに、家でも銀行の用務員の制服を脱ごうとしなかった。部屋着は洋服掛けにぶら下がったままで、椅子でうたた寝をするときにも、父親はきちんと制服を着込んでいた。まるで、いつでも勤務につけるよう準備して、上司のお声がかかるのを待っているかのように。そのせいで、もともと新品ではなかった制服は、母親と妹がどれだけ気をつけていても、ますます汚れていった。グレーゴルはしばしば、夕方から夜遅くまでずっと、この制服をながめて過ごした。すっかりしみだらけで、金ボタンだけがいつもぴかぴかに磨き上げられていた。制服を着込んだままではひどく窮屈だろうに、老人は安らかに眠っているのだった。


 制服には魅力がある。魔力と言ってもいいかもしれない。「制服を着ると、気持ちがひきしまる」と、精神的な変化を口にする人も多い。
 個人の個性や自己主張を抑え込み、全員に同一の思想と行動をとらせようとするとき、制服は欠かせない。軍服のない軍隊、みんなが私服のナチスなんてものは考えられない。
 それは個人にとっては圧迫でもあるはずだが、型にはまることには大きな喜びもある。個人で自由に判断しなければならないという重荷から解放され、力を持つ大きな集団に属することができる。帰属でき承認されるのだ。制服はそれをとてもわかりやすいかたちで、他人の目に主張することができる。
 制服好きがいるのは当然のことだろう。集団に属すること、服装によって何かの権力を示せること、制服と一体化することで、自分を高められる感覚。身がひきしまり、そのモードに入れる。
 脱いでしまえば、魔法の解けたシンデレラのようになってしまう。だから、父親が脱ぎたがらないのも無理はない。
 事業に失敗して息子に養われていた状態から、また働いて一家を養うようになったのだ。自分の働きだけでは足りないとはいえ、それでも中心的な働き手に戻ったのだ。
 しかも、銀行という大きな組織だ。その下っ端だとしても、一員であることにかわりはない。金ぴかのボタンがついた制服も支給されたのだ。それをきちんと着込んで、いつでも呼び出しに応じられる体勢でいれば、いつだって、家にいたって、その一員なのだ。
 だが、その制服も新品ではなくお古だ。仕事の内容も誇れるようなものではないし、給料も多くない。だからこそ、よけいに制服に執着するしかないのだ。帰属と承認。たとえ窮屈でも、それを着ているほうが安心できるのだ。
 グレーゴルはその制服をいったいどういう気持ちでずっと見つめていたのだろうか。居間の壁にはグレーゴルの軍隊時代の軍服を着た写真もかかっているはずだ(第10回に登場)。
(この原稿を読んだ、担当編集者の市原加奈子さんが、「権力と自己犠牲と自己憐憫を明示する制服を着ている父親を隣室の暗がりからグレーゴルが眺めていて、そのグレーゴルの背中には『目に見える記念として』林檎が埋まっているという構図にはほんとうに背筋が凍ります。カフカどんだけ容赦がないんだ……」という感想をメールしてくださった。制服と背中の林檎の対比には気づいていなかったので、なるほど! と思った。ありがたい指摘だったので、ここに記しておく。)

 

時計が10時を打つと、母親は父親を静かに起こし、ベッドで寝るよう説得した。朝の6時には職場にいて仕事をはじめなければならないのだ。いつまでも椅子でうたた寝していないで、ちゃんとベッドで眠る必要があった。しかし父親は、銀行に勤めだしてから強情になり、まだここにいるのだと言って動こうとせず、また眠りこんでしまうのだ。こうなると、椅子とベッドを取り替えさせるのはひと苦労だった。母親と妹がいくら声をかけてせっついても、父親はゆっくり首をふるばかりで、15分くらいは、目をつぶったまま、立ちあがろうともしなかった。母親が制服の袖を引っぱりながら、おだてるようなことを耳元で言っても、妹が勉強を中断して母親に手を貸しても、父親には効き目がなかった。いよいよ深く椅子に沈みこんでいくばかりだ。わきの下に手を入れて抱え上げようとすると、ようやく目を開き、母親と妹とをかわるがわる見つめて、決まってこう言った。「なんて人生だ。これが老後をのんびり過ごすってことか」そして母親と妹に両側から支えてもらいながら、自分にとって自分自身が最大の重荷であるかのように、やっとのことで立ちあがった。寝室のドアのところまで連れて行ってもらい、そこでもういいという合図をした。あとは自分で歩いていくのだが、その途中で、母親は裁縫の道具を妹は勉強のペンをあわてて放り出して、父親のところに駆けより、ひきつづき世話をすることになるのだった。

 

父親は銀行の用務員になってから、強情になっている。事業に失敗した失意の人から、稼ぎ手に戻ったからだろうか。
 うたた寝をして、ベッドで寝てくれと母親と娘が頼んでも、なかなか動いてくれない。重い身体を母親と娘で抱えるようにして、ようやく動くのだ。しかも、もうかまわなくていいと言っておいて、また何かやらかすのだ(たとえば、つまずくとか)。けっきょく母親と娘はさらに世話を焼かないといけない。
 今はどうかわからないが、昔はこういう父親がたくさんいた。酔っ払って帰ってきて、玄関で倒れ込んで寝てしまい、母親や娘が抱き起こして、苦労して布団まで運んで、洋服を脱がしたり、靴下を脱がせたりする。
 家の中で、権力者であると同時に、放っておけない人になろうとする父親が多かったのだ。強さと弱さのいいとこどりだ。女性たちに世話をされて、威張ると同時に甘える。
 外での仕事のつらさを、そうやって解消していたのだろう。だから、女性たちに世話をかけることへの罪悪感は薄い。むしろ、自己憐憫が濃い。世話をしてもらいながら、自分を憐れみ、なんとか日々に耐えるのだ。
 母親と娘が働いていたとしても、それに対するねぎらいの気持ちは、これも薄い。「今日もずいぶん長いこと縫い物をしてるなあ!」などと声をかけてやれば、それで充分くらいに思っている。

●翻訳に解釈を反映させるべきなのか

ここの父親のセリフ。原文は、
»Das ist ein Leben. Das ist die Ruhe meiner alten Tage.«
 英訳だと(Robert Boettcher 2021)、
“This is a life. This is the peace of my old days.”
 直訳すると、
「これが人生だ。これが私の老いた日々の平穏(休息)だ」
 となる。難しい文章ではなく、意味もはっきりしている。
 ところが、これを父親がどういう気持ちで言っているのかとなると、じつは翻訳によってかなり意見が分かれる(邦訳でも英訳でも)。
 まず、これは肯定的に言っているのか、それとも否定的に言っているのか。
 そして、椅子でいつまでもうたた寝をしていることについて言っているのか、それとも今の生活、ひいては人生全般について言っているのか。
 たとえば、「生きているというものだな、これが。これが年を取っての安らぎというものだな。」(川村二郎 1980)だと、肯定的な感じがするし、おそらく椅子でだらだらとうたた寝をしていることについて言っているのだろうという感じがする。居酒屋でぐでんぐでんに酔っ払ったお年寄りが、連れから「いいかげんにしときなよ」と忠告されて、同じような返事をしているのを聞いたことがある。
 一方、「なんて人生だ。これがわたしの安らかな老後か。」(多和田葉子 2015)という訳もある。こちらは否定的な感じがする。池内紀訳(2001)になると、さらにはっきりしている。
「こんなことになろうとはな。年とったあげくが、こんな目にあおうとはな」
 これはもう完全に否定的で、椅子でのうたた寝について言っているわけではなく、老いてまた働かなければならなくなったという、今の生活、自分の人生について嘆いている。
 簡単な文章でも、翻訳によって、こんなに大きなちがいが生じるから面白い。

そして、ここには、翻訳についての、もうひとつの大きな問題もあらわれている。それは「解釈すべきかどうか」ということだ。
「こんなことになろうとはな。年とったあげくが、こんな目にあおうとはな」という訳は、かなりの意訳であり、こういう意味だという解釈を明確に打ち出している。
 この解釈がもしちがっていたら、この翻訳は間違いということになる。そういう意味では、「これが人生だ。これが私の老いた日々の平穏だ」というふうに直訳しておくのが、いちばん無難だ。しかしこれだと、そのままの意味なのか、皮肉に言っているのか、よくわからない。うたた寝について言っているのか、人生全般について言っているのかもわからない。だからこそ、間違った訳になることがなく、無難なのだ。しかし、それは逃げと言えば逃げだ。曖昧にせずに、どういう意味なのか、明確に示すべきだという考え方もあるだろう。「いや、それは逃げではない。解釈はあくまで読者にまかせるべきで、翻訳者が決めつけてしまうのはよくない」という考え方もあるだろう。
 つまり、「翻訳者の解釈はなるべく反映させないほうがいい」という考え方と、「翻訳者は自分なりに理解して、それを訳文に反映させるべき」という考え方だ。

●スピーカーでしか音楽を聴かないオーディオマニア

私はかつて、翻訳にはなるべく翻訳者の解釈は入れるべきではないと思っていた。読者が読みたいのは、原文がどう書いてあるかであって、翻訳者の解釈ではない。余計な解釈はなるべくしてほしくない。翻訳者はなるべく透明な存在でいてほしい。
 これは私のオーディオについての考え方に似ている。私は音楽好きなので、オーディオにもそれなりにこだわった。そのときに私が目指していたのは、原音忠実ということだ。普段はオーディオで音楽を聴くしかないわけだが、なるべく、目の前で生演奏が行われているのを聴くのに近いほうがいいと思っていた。つまり、機械を通すけれども、その機械の存在は意識しないですむほどいいということだ。目をつぶって聴けば、オーディオは消えて、オーケストラが目の前にいるように思えたら最高だ。日本人のオーディオマニアには、こういう原音忠実派が多いそうだ。
 ところが、この考え方を、あるオーディオマニアの人から、鼻で笑われた。海外の有名なオーディオは、そんな考え方で作られていないと。そのアンプならではの、そのスピーカーならではの音を出そうとしていると。そこにオーディオにこだわる楽しみがあるのだと。そして、おそろしく高級なオーディオで音楽を聴かせてくれたのだが、これにはびっくりした。圧倒された。原音忠実ということではぜんぜんなく、そのスピーカーならではの木の音がする。このオーディオだから聴ける音で、それに惚れこむのは無理もないと思った。
 しかし、これは高級オーディオだからで、普通の値段のオーディオだと、オーディオならではの音を聴いてもしかたないと思った。なので、依然として私は原音忠実派だった。
 ところが、今度はさらに、スピーカーでしか音楽を聴かないという人に出会った。どういうことかと言うと、この人はコンサートに行っても、ホールの中で生演奏を聴くことはせず、あえて外でスピーカーから流れている音を聴くのだ。そんなスピーカーは高級なものではない。それでも生演奏よりスピーカーなのだ。なんだそりゃと思った。正直、どうかしていると思った。生演奏に勝るものがあるはずはない。オーディオにこりすぎて、変なことになってしまっていると、同情さえした。
 しかし、そういう自分と正反対の人との出会いの衝撃が響いて、だんだんと私の考え方が変わっていった。コンサートに行ける日は限られている。毎日の生活で音楽を聴くのはオーディオを通じてだ。だとしたら、ありえない原音忠実を追い求めるより、そのオーディオならではの味を楽しんだほうがいいのではないか? 少なくともそういう方向性もありなのではないか?

●翻訳者は透明人間ではない

このことが、翻訳の考え方にも影響を与えた。翻訳者は透明なほうがいいと言ったって、透明人間ではないのだから、そうはいかない。だとしたら、翻訳者の響きを楽しむほうがいいのではないか。
「原文を読むのがいちばん」という人がいて、それはもちろん一理あるのだが、そうとばかりも言えない。生演奏より、スピーカーの音のほうが味わい深いこともあるように。アンデルセンの『即興詩人』は、森鴎外の翻訳のほうがいいと言われる。『刑事コロンボ』は吹き替えのほうがいい。そもそも、古い作品の場合、火の鳥が自らを炎で焼いて復活することで永遠に生きつづけるように、翻訳によってつねに新しい作品としてよみがえることができる。私たちはすでに翻訳ならではの恩恵をたっぷり受けているのだ。

さらに私は、実際に自分が翻訳をしてみて、いろいろ気づいたことがある。翻訳をするときには、影響を受けないよう、既訳をいっさい見ないという人もいる。しかし、以前にも書いたことだが、落語がそうであるように、先人の知恵や工夫を積み重ねていくことで、どんどん磨き上げていくべきだと私は思っている。だから、できるだけ既訳を見るようにしている(それも大変なので、いつもすべてとまではなかなかいかないが)。もちろん、他の人の訳文を盗用してはいけないが、たとえば先の父親のセリフで解釈が分かれていることも、既訳を比較するからこそ気づけることだ。
 そうやって既訳を比較していると、「この人はこの文がどういう意味なのか、よくわからないまま訳しているな」とわかることがある。あるいは「なるべく文意を特定しないよう、なるべくいろんな解釈が可能なように、直訳に近くしてあるな」と感じることがある。前者はともかく、後者は決してよくないことではない。
 しかし、現実問題として、たとえばカフカの場合など、原文を読んでも、どういう意味なのかよくわからないことがある。しかし、訳している人がわからないまま訳すと、そのわからなさが加味されて、原文のわかりにくさを味わうことさえできないということが起きる。これに気づいたときは、「そうなのか……」とため息が出た。長谷川等伯の「松林図屏風」がもともと靄に包まれているような絵だからといって、ぼやけた写真を撮ってしまったら、もとの靄の味わいもわからないわけだ。「読者が自分で判断できる」というよりは、意味不明のほうに近い。
 わからないなりに直訳すればいいと思うかもしれないが、直訳にも解釈が必要ということは前にも書いたし、解釈せずに直訳すると、たとえばこんな訳文になったりする(あくまで仮の文で実際の誰かの訳文ではない)。「判断する思想は苦痛にさいなまれた」これだとなんのことかさっぱりわからない。深い意味がありそうな感じもするが、詰みそうで詰まない詰め将棋のように、いつまで考えてもきりがない。たとえば「痛みにもがきながらも、なんとか判断力を取り戻した」というように、解釈して訳さないと、意味がわからない。
 ただ、先にも書いたように、解釈すると、その解釈が間違っているという危険性がある。
 と、どうどうめぐりだ。
 だから、結論は出ない。それぞれの考え方次第だ。それぞれが、解釈の目盛りをどのくらいに設定するか、決めるしかないと思う。

●「これが一生か、一生がこれか」

では、私はどうするのか? 池内紀のように、ずばり解釈を示すのは、じつに勇気があると思う。批判されやすいのもそのせいだろうが、訳文がわかりやすいのもそのためだ。しかし、そこまでの勇気は私にはない。
 解釈をなるべく減らしたいという気持ちが私は強い。しかし、かといって直訳ですませて、読者まかせにするのは、わからないにわからないを重ねることだからよくない。
 ここはやはり中庸ということだろう。中途半端に思うかもしれないが、白黒をつけるよりも、グレーのほうがいい。「あいだ」が大切だというのが私の考え方でもある(「あいだで考える」というシリーズの最初の本も書いているくらいだ)。
 ここの父親のセリフについて、私は否定的なもので、人生についての嘆きだと思う。ただ、椅子でのうたた寝についても少し関連していると思う。つまり、本当はのんびりできるはずの老後なのに、働かなければならなくなり、ぜんぜんのんびりできない。せいぜい椅子でうたた寝するくらいだが、それだって本当ののんびりとはぜんぜんちがっている。明日の朝早くからの仕事のためにちゃんと寝ないといけない。そんな人生への嘆き、自己憐憫。それが私の解釈だ。しかし、意訳のレベルはなるべくおさえたい。それで、「なんて人生だ。これが老後をのんびり過ごすってことか」という訳文にした。
 ここまでの説明が長くて、うんざりした人もいるかもしれないが、たったこれだけのセリフを訳すにも、考え出すと、じつにさまざまな問題があるものだ。
 なお、私は樋口一葉の『にごりえ』のこの言葉を思い出した。

これが一生か、
 一生がこれか、
 ああ嫌だ嫌だ

(『樋口一葉電子全集(全66作品)日本文学名作電子全集』兼文出版 )

●権力の精通者

制服好きと自己憐憫は矛盾しない。あるいは、矛盾するのが当然と言うべきか。
 大きな集団に属することに喜びを感じるのは、自分自身がとるにたらない存在であるからで、そのこと自体は解決されているわけではない。制服を脱ぎたがらず、なおかつ人生を嘆き、自分を憐れんで、他人に対して強情になり、世話をしてもらいたがるというのは、すべて一連のことだ。
 むしろ驚くべきは、じっと観察してそのことを見抜いているグレーゴルであり、カフカだ。
 カフカのことをカネッティが「権力の真の精通者である」(第9回でも引用)と言っているのが、私には最初、ピンとこなかったのだが、こうして細かく読んでいくと、家庭内の父親の日常的な描写にも、とてつもない敏感さがある。「一見ごく平凡な事態にあっても彼は、他の人たちがその破壊の仕業(しわざ)によって初めて経験できることを経験したのである」というカネッティの言葉に、あらためて納得させられる。