〔編集部注:この記事には映画『オッペンハイマー』の内容にかかわる記述が含まれています。〕
第1回ではこの映画のオッペンハイマー像について書いたが、映画で描かれているのはそれだけではない。そもそも純粋に人物像だけで人間を描くことはできない。仁科芳雄も述べたように、「環境は人を創り、人は環境を創る」のであり、環境もまた人間のありかたの一部をなす(1)。この映画で描かれているもう一つ重要なことは、主人公をとりまく科学と社会の劇的な変化である。しかもその変化に彼自身が少なからず寄与していた。
映画の序盤で主人公は1920年代後半のヨーロッパ留学時代とバークレーにおける彼の研究グループの草創期を回想する。量子力学という最先端の物理理論について話すだけでは知的に物足りないとばかりに、ライデンでは覚えたてのオランダ語で講演するという芸当をやってのける。イジドール・ラビとともにチューリッヒ(史実では連邦工科大学のヴォルフガング・パウリのもとだが映画の建物はチューリッヒ大学)へ行き、若き理論物理学のスター、ヴェルナー・ハイゼンベルクが因果律に基づいた旧来の物理学との決別を大胆に説くのを聞く。米国帰国後、カリフォルニア大学バークレー校に着任し、ロマニッツ、ロバート・サーバー、ハートランド・スナイダーら、若い研究者を集めて活気のある理論物理学の研究グループを作り上げる。星が冷えて、重力によって収縮したらどうなるか。後にブラックホールの理論に発展する先駆的な理論研究だった。
映画のこの部分の叙述は史実とやや乖離している。関わった重要人物(例えばポール・ディラックやパウリやフォン・ノイマン)が省かれ、ライデンとチューリッヒへの留学が2回目だったことが説明されない。ケンブリッジはともかく、それ以降のヨーロッパ滞在はオッペンハイマーにとっておおむね楽しく、有意義だったと思われる。ハイゼンベルクとはすでに最初の留学のときゲッティンゲンで会っていたし、ラビと会ったのも史実上はライプチヒである(2)。しかし映画は戦前の理論物理学の雰囲気をよく伝えてはいる。当時、この分野は若者たちの学問だった。オッペンハイマーも、バークレーに着任したときまだ20代だったのである。
若い物理学者たちは協力しつつ、激しく競争した。求道者のように自然界の真理を追究するというよりも、パズルを解く知的な刺激に富んだゲームを、知能、高等数学、自然現象の直観的理解、そしてそれらを駆使した計算の成果を見せながらチームスポーツのように競うのだ(3)。科学史家トマス・クーンは著書『科学革命の構造』で、科学の大部分をなす通常科学の営みを「パズル解き」と表現する(4)。いまでは「パラダイム」という言葉を使う科学史家は少ないが、この本自体は依然として輝きを失っていない。「パズル解き」という表現はクーン自身が物理学者だったころの体験に基づいて研究の愉しみの要素をふまえたもので、科学研究の一面をよく捉えている。ただし、一人で楽しむクロスワードではなく、団体戦の競技パズルなのだ。戦間期の原子物理学は興奮に満ちていたし、解くべきパズルがいたるところにあった。映画に描かれたバークレーの登場人物も研究内容も、実態をよく表していると思う。映画でオッペンハイマーの物理の授業に女子学生がいるのは意外に見えるかもしれないが、実際にオッペンハイマーが担当した最初の大学院生の一人はメルバ・フィリップスという女性だった(5)。
この時期の物理学、とくに理論物理学は、大部分が浮世離れした研究だった。アインシュタインの相対論が実は当時の実用的な目的と関わっていたことが明らかにされているが、それはむしろ意外なことだからこそ注目されるのだ(6)。映画の中で、オッペンハイマーは友人で同僚の仏文学者ハーコン・シュヴァリエに、自分の研究は、星が死ぬと何が起こるかというもので、とても「抽象的」で、人々の生活に影響しないと語っている。のちに「ブラックホール」と名づけられるこの物理現象が観測され、視覚化されるには、21世紀までかかった(7)。オッペンハイマーとスナイダーはこの現象を理論的に予言する論文を発表したが、この現実離れしたテーマの出版物は、映画の中でスナイダーが言うように、現実の出来事に「注目を奪われてしまった(upstaged)」。論文の発行日は1939年9月1日、つまりナチ・ドイツのポーランド侵攻の日で、すぐに第二次世界大戦が勃発した。
すでにその年の1月から、オッペンハイマーのまわりの世界は大きく変わり始めていた。映画では、新聞で核分裂の記事を読んだルイス・アルバレスが理髪店から飛び出し、その知らせを聞いたオッペンハイマーが核分裂は不可能だと断言したのに対し、アルバレスはオシロスコープを使って核分裂を示した。それを見たオッペンハイマーはただちに考えを変えただけでなく、余った中性子による連鎖反応の可能性まで指摘した。これらは出来すぎているようだが、実はアルバレスの回想録と大筋では一致している(8)。それからほどなくしてヴァネヴァー・ブッシュによって軍事研究にリクルートされたアーネスト・ローレンスが、組合活動に深入りするオッペンハイマーに忠告をする場面は、ローレンスを演じたジョシュ・ハートネットの迫真の演技とともに印象的である。「君は単に自分で重要だと思い込んでいるだけじゃない。実際に重要なのだ」。実際、ローレンスにとってオッペンハイマーは単に重要な理論物理学者だっただけではなく、原爆開発に重要な人物になっていたし、ローレンスは米国とその政治・社会の現状を肯定して疑わなかった一方で、徹底して友人思いだった。
その後、グローヴスからマンハッタン計画のディレクターとなることを持ちかけられると、オッペンハイマーはあたかも物理学のパズル解きの競争であるがごとく嬉々として取り組む。ナチスより先に原爆を作るという大義はあったが、先行していると思われたハイゼンベルクと競争することに興奮しているのを隠せない。連鎖反応が爆弾だけで終わらず、大気を爆発させ世界を破壊するという可能性を知ると、オッペンハイマーは高等研究所のアインシュタインに相談に行くが、結局、世界を破壊する可能性はゼロに近いというベーテの理論に満足して先に進む。トリニティ実験も彼にとっては解法の正しさを実証するためのもので、成功すれば大喜びする。ドイツ降伏後、シカゴでも、ロスアラモスでも、日本に対して原爆を使うことに対する反対運動が生じたことが映画でも描かれ、集会におけるオッペンハイマーと反対派との対話のシーンがある。作中で反対派の先頭に立っている化学者リリー・ホーニックは史実としても原爆をまず人の住んでいないところでデモンストレーションする請願に署名している(9)。オッペンハイマーはこのような動きに賛同しなかった。映画は広島への投下予定日に電話が来るのを待ってそわそわするオッペンハイマーを描き、成功するかどうかが彼にとっての最大の気がかりだったことを示唆している。
実際に原爆が使用されると、これがすべて変わった。広島原爆投下後の集会は、この映画でもっとも印象深く、恐ろしい場面である。集会場に入るオッペンハイマーを讃えて足を踏み鳴らす音は、行進する軍隊の軍靴の響きのようだ。これまで映画の中で幾度か彼を悩ませた音の正体がここでわかる。大量殺人に歓呼し、虚ろな人形のように起立してオッペンハイマーを讃える「普通の」米国人男女たちのおぞましさ。彼らに薄っぺらな言葉を投げて、さらなる歓呼を受ける主人公はまるで演説するヒトラーのようだ。虐殺の対象のユダヤ人と虐殺の張本人がここで重ね合わされる。
さらに、主人公の幻視は、原爆に歓声を上げる聴衆と、原爆によって熱傷を負って泣き叫びながら崩壊し放射線を浴びて嘔吐する被ばく者たちの姿を重ね合わせる。生と死の重ね合わせ。集会の参列者たちは死をもたらすものであると同時に死者となり、死そのものとなる。状態の重ね合わせは、量子力学の魂である。大部分の物理学者はシュレーディンガーの猫のように死んだ状態と生きた状態の重ね合わせがあるとは考えないが、それは本作の主人公の幻視を妨げるものではない。オッペンハイマーにとってマンハッタン計画はもはやゲームではなく、ジェノサイドとなった。
ヒトラーと戦うために爆弾を作ったとしても、いったん完成すれば、兵器は開発者の意図と無関係に使われる。作品でオッペンハイマーはそのことをシラードに対して指摘するが、その言葉はそのままオッペンハイマーに跳ね返る。科学社会学を創始したロバート・K・マートンは、「意図せざる結果」という概念を作ったが、科学や技術では、これが当てはまる事象が頻発する(10)。予期しない、未知の結果が得られるからこそ研究なのだが、新たな知識はときに予想外の連鎖反応を引き起こして世界を作り変え、研究者の意図とはまったく別の帰結を生みだす。映画の中で原爆完成の見通しが立ったころ、ボーアにとっての関心は爆弾がすべての戦争を終わらせるほど強力かどうかだった。リチャード・ローズによると、オッペンハイマーも原爆は今回の戦争だけでなく、あらゆる戦争を終わらせるかもしれないと言っていたという(11)。だが、オッペンハイマーの見通しはあまりにも甘かった。
戦後、オッペンハイマーを筆頭として物理学者は名声と資金と特権的地位を得て、政治と軍事に影響力を持つようになった。映画でも描かれているように、実際には、例えば爆縮レンズを研究開発するためには爆薬の高度な専門知識が必要であり、そのためにホーニック夫妻のような化学者がマンハッタン計画で不可欠な役割を果たしたにもかかわらず、「晩餐会はせめて一人は物理学者がいなければ不成功」と言われるほど物理学者が持てはやされた(12)。国と軍から物理学に投入された豊富な公的資金は米国の大学を潤し、国際的な物理学界を活性化した。高エネルギー物理学のような膨大な資金を要する研究分野が可能になったのは冷戦が背景にあったと言われている(13)。この新しい世界の中で、物理学以外の分野も、国、軍、あるいは企業から豊富な資金を得て大きな進展を遂げるといったことが起こるようになった(14)。
物理学者フリーマン・ダイソンが述べたように、それは「ファウスト的取引」だった(15)。資金をパトロンに頼れば、研究はパトロンの意向に支配されてしまう。映画では言及されていないが、オッペンハイマーはこのような状況に「物理学者は罪を知った」という聖書的な表現を与えた(16)。まるで他人事のようにも響く表現だが、彼自らもそれゆえに楽園ならぬ政府内の地位から追放されることになる。それ以上に、大部分の政治家とその支持者たちは原子爆弾ができたからといって国際協調によってすべての戦争をなくそうとはしなかった。それどころか、冷戦という新たな戦争と軍拡競争に乗り出し、人類の存続を脅かすまでになった。そして、物理学をはじめ科学の諸分野の研究は、そのような政治家たちの意向に大きく左右されるようになった。自分たちの社会的役割と責任の増大を自覚した一部の科学者たちは戦後、それなりに社会へ向けてメッセージを発する活動を展開した(17)。しかし、大勢を変えたとは言い難く、権威主義的政治が科学を支配すれば状況はますます悪化するだろう。
オッペンハイマーの失意は広島・長崎での悲劇に比べれば些細なことだ。だが、イジドール・ラビの表現を用いれば、3世紀にわたる物理学の集大成が大量破壊兵器という怪物をもたらし(18)、その怪物の扱いについて先見性と専門知を持った人たちが排除され、米国原子力委員会委員長ルイス・ストローズのような、有能だが猜疑心が深く、個人の利害・野心・好悪で動く人たちに牛耳られるようになるとすれば、これはオッペンハイマーにとってだけの悲劇では済まない。このような事態は現代の日本でも馴染み深いものである。この映画の最後にはその悲劇性を象徴するかのように、オッペンハイマーの見る大陸間弾道弾による全面核戦争の幻影が描かれる。そして、ストローズを疑心暗鬼に陥れた、戦後の高等研究所におけるオッペンハイマーとアインシュタインの会話が明かされる。そこでオッペンハイマーが、自分たちはやはり世界を破壊したと言う。その連鎖反応の引き金は引かれていたのだ。
しかし、この映画は悲劇だけでは終わっていない。映画の終盤、主人公のオッペンハイマーは自身の機密保持資格が審査される聴聞会で、誰か真実を述べる者はいないのかと嘆くが、それに答えるがごとく、ストローズの商務長官就任を決める上院公聴会に場面が移り、デヴィッド・ヒルが証言する。レオ・シラードと共にいたヒルをオッペンハイマーは二度までも邪険に扱っていたが、ヒルはストローズがオッペンハイマーを個人的な動機で陥れたと糾弾する(19)。ちょうどオッペンハイマーがストローズを理解できないように、ストローズにはヒルが単に真実であるという理由で真実を言うのが理解できない。場面はまたオッペンハイマーの聴聞会に切り替わり、戦時中の科学動員の中心人物、米国科学政策の重鎮ヴァネヴァー・ブッシュがオッペンハイマーを力強く弁護して言う。どのような委員会も、誰かが強い意見を述べたことを理由にその人を裁くべきでない、裁くならまず私を裁け、と(20)。それでもオッペンハイマーは裁かれ、機密保持資格は拒否される。だが皮肉なことに、ストローズも上院公聴会でちょうど同じように商務長官就任を拒否される。反対票を入れた造反議員のリーダーがジョン・F・ケネディだった。
このように主人公の人間像だけでなく、本作のメッセージも二重性を持つのだ。「天才」は「知恵」の保証ではない、というのは作品中のストローズの言葉だった。人類の「天才」は「科学」を大きく進歩させたが、それは同時に人類を滅ぼしうる新たな、より強力な「火」をもたらすプロメテウスでもあった。いまや、人類を滅ぼしうる「火」は核兵器だけではなく、そして将来はもっと増えるだろう。「科学」は国家や軍や企業に支配され、それらをより強力にすると同時に、それらが暴走したときの災厄をより破滅的なものとし、個々人の生命および全人類の生存を脅かすものになってしまった。いたるところに対立構造があり、敵と味方が生みだされる状況では、民主的なプロセスも不公正や暴力や戦争を抑止しない。もっとも高度な知的満足を与えてくれ、もっとも頼りになる真実への道と思われた種類の知が、ますます発展しながらもより大きな脅威となっていくとき、われわれは絶望すべきなのか、それともまだ希望を持てるのか。
この映画はこのような問いに対して一義的な答えを与えるものではない。それでもこの作品は20世紀の科学の根源的な変化を明瞭に描く。史実からの乖離を多く含むとはいえ、映画のこの側面は科学史の知見に照らしても大筋では妥当なものである。「科学」と呼ばれうるものが17世紀のヨーロッパで、いわゆる「科学革命」によって生まれたというのは噓っぱちで、ほかの時代の根源的な変化を隠蔽するものだ。「革命」という言葉はあまりにもしばしば内実を糊塗するときに使われる。17世紀以前にも以後にも「科学」は幾度も作り直されたし、そのどれかの段階で「科学」の本質が生まれたわけでもない。この映画が改めて思い出させてくれるように、20世紀もまた新たに「科学」が作り直された時期であり、われわれはそれがもたらした希望と危惧の中で生きているのである。
注
- 伊藤憲二『励起──仁科芳雄と日本の現代物理学』上巻, みすず書房, 2023, 序.
- カイ・バード&マーティン・シャーウィン(川邉俊彦訳)『オッペンハイマー』上巻, 早川書房, 2024, p. 167; John S. Rigden, Rabi: Scientist & Citizen, Harvard University Press, 1987, p. 65.
- 亀淵迪「ニールス・ボーア先生のこと(二)──コペンハーゲン精神」『図書』675号(2005年 7 月):14–19,特に p. 14; 伊藤『励起』上, pp. 208-209.
- トマス・クーン(青木薫訳)『科学革命の構造 新版』みすず書房, 2023.
- David C. Cassidy, J. Robert Oppenheimer and the American Century, John Hopkins University Press, 2009.
- ピーター・ギャリソン(松浦俊輔訳)『アインシュタインの時計 ポアンカレの地図──鋳造される時間』名古屋大学出版会, 2015.
- Black Holes: Edge of All We Know, directed by Peter L. Galison, 2020, DVD.
- Luis W. Alvarez, Adventures of a Physicist, Basic Books, 1987, pp. 72-76.
- Ruth Howes, Their Day in the Sun: Women of the Manhattan Project, Temple University Press, 1999, p. 184.
- Robert K. Merton, “The Unanticipated Consequences of Purposive Social Action,” American Sociological Review 1 (6)(1936): 894–904.
- To End All War: Oppenheimer & the Atomic Bomb, directed by Christopher Cassel, MSNBC, 2023, DVD.
- David Kaiser, “The Postwar Suburbanization of American Physics,” American Quarterly 56.4 (2004): 851-888, on p. 852.
- Daniel J. Kevles, The Physicists: The History of a Scientific Community in Modern America, Harvard University Press, 1995.
- M・スーザン・リンディー(河村豊監訳、小川浩一訳)『軍事の科学』ニュートンプレス, 2022, pp. 22-30.
- 『ヒロシマ・ナガサキのまえに──オッペンハイマーと原子爆弾』ジョン・エルス監督(富田晶子・富田倫生訳), ボイジャー, 2014.
- J. Robert Oppenheimer, “Physics in the Contemporary World,” Bulletin of the Atomic Scientists 4(3) (1948): 65-68.
- キンボール・スミス(広重徹訳)『危険と希望──アメリカの科学者運動 1945-1947』みすず書房, 1968.
- バード&シャーウィン前掲書, 中巻, p. 50.
- この部分は実際の発言からかなり脚色されており、他の発言者の表現も取り入れられている:Hearings before the Committee on Interstate and Foreign Commerce United States Senate Eighty-Six Congress First Session on the Nomination of Lewis L. Strauss to Be Secretary of Commerce, United States Government Printing Office, 1959, pp. 429-445.
- これは史実である。バード&シャーウィン前掲書, 下巻, pp. 306-307. または: “J. Robert Oppenheimer Personnel Hearings Transcripts,” https://www.osti.gov/opennet/hearing, Volume X, p. 107.
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