みすず書房

話題の本

恐れすぎず、恐れなさすぎないために

2020年3月19日

  • 朝日新聞2020年2月23日(日)「日曜に想う」に紹介 「百年前のパンデミック」(編集委員・曽我豪)
  • 日本経済新聞2020年3月2日(月)オピニオン面「核心」に紹介 「疫病が試す政治の強度」(論説委員長・原田亮介)
  • 毎日新聞2020年3月2日(月)「風知草」に紹介 「セントルイスの経験」(特別編集委員・山田孝男)

(2004年1月、本書初版刊行時の記事を再掲いたします)

ここのところ、悪性インフルエンザ流行の予兆かと疑われるニュースがあちこちで報じられ、皆がかすかではあるが無視できない程度の恐怖を感じている。しかし疫病大流行と久しく縁の薄い日本に住む我々には、感染爆発の事態は想像もつかないのが実情だ。

『史上最悪のインフルエンザ』を読んで1918年のインフルエンザ大流行を追体験すると、社会構造とインフルエンザという事象の関連が、頭の中で具体的なイメージと実感を伴うようになる。吐く息(の飛沫)のような避けがたいものに媒介され、病原体の感染力も強い疫病では、一度流行に火がつくと患者の数(死体の数も!)が急激に増加する。必然的に医療機関はオーバーロードとなり、患者や死体が急仕立ての収容施設に「溜まる」という状況が生じる。そこでは危機管理上のリーダーシップや、社会全体の保健衛生上の「基礎体力」のようなものが多くの人々の運命を決する。その点は2004年の現在も1918年と変わらない。

本書の副題「忘れられたパンデミック」にある「パンデミック」とは、「汎世界的流行(病)」という意味の用語で、わかりやすい例で言えば今現在のエイズの世界的な拡大はこれに相当する。エイズがもはや特効薬の有無の問題ではなく、主に社会的・政治的な問題であることは誰の目にも明らかだろう。感染力が弱く感染経路も狭いエイズの場合は、保健衛生レベルの低い地域でのふるまいが顕著になり、病の「社会性」がわかりやすい。インフルエンザについても似たような認識が必要なのだが、そのような社会認識は浸透しにくい。そもそもエイズと違ってインフルエンザは普通は「不治の死病」だとは思われていないため、社会問題であるという認識がおぼろげにあっても、その危急性は低いような気がしてしまう。ほかにもやっかいな社会問題が山積する中、インフルエンザの優先順位はおおむね低い。本書の序文と最終章は、この「目立たない」疫病神への警戒を保つことがいかに難しいかというテーマに捧げられている。

ところが、昨年のSARSの流行でインフルエンザの優先順位は急上昇。一人残らず白いマスクをかけ、見えないウイルスの脅威に怯える台湾国内の場景をメディアが伝えると、海を隔てた日本でもみな呼吸器系感染症の怖さを思い出した。今冬、海外では鳥インフルエンザが人に伝染して複数の死者が出るという事例も発生して、ますます世間の不安は高まっている。インフルエンザが大多数の意識の中で存在感を強めている今のうちに、本書に含まれている教訓が掘り起こされ、いつ起きるともしれない大流行への備えを進める一助となることを祈るばかりだ。