石垣賀子
本書は2020年に刊行されたStranger in the Shogun’s City: A Japanese Woman and Her World(Scribner)の邦訳です。原著は同年の全米批評家協会賞伝記部門、翌年のPEN/ジャクリーン・ボグラッド・ウェルド伝記賞を受賞、ピュリッツァー賞伝記部門の最終候補にも選出され、19世紀前半の日本を生きた市井の女性の人生をよみがえらせるとともに、東京が江戸と呼ばれていた時代の活気を伝える物語として高い評価を得ています。日本の歴史をひも解く書としてのほか、貧困や家制度から逃れて、あるいは自立やよりよい生活を求めて都市へ出、奉公勤めをしながら生きた近世女性に広く通じる物語としても読まれ、中国語(簡体字/繁体字)、韓国語、ドイツ語、ロシア語訳が刊行されています。
著者のエイミー・スタンリー氏は米ノースウエスタン大学で歴史学部教授を務め、近世・近代日本史、グローバル・ヒストリー、女性史およびジェンダー史を専門としています。これまでに、近世日本における売買春制度を論じた著書Selling Women: Prostitution, Markets, and the Household in Early Modern Japan(University of California Press, 2012)のほか、日本語論文「ジェンダー史としての天保改革と江戸」(『国立歴史民俗博物館研究報告』235巻、2022)、“Maidservants’ Tales : Narrating Domestic and Global History in Eurasia, 1600-1900”, The American Historical Review, Vol. 121, No. 2, 2016(邦訳「女中奉公の物語──一七〜一九世紀ユーラシアにおけるドメスティックかつグローバルな歴史の語り」原直史訳、『資料学研究』22号、2025)などの著作があります。
越後から江戸へ出た女性のマイクロ・ヒストリーとしての本書の意義や位置づけについては、監訳の原直史氏が歴史研究者の立場から解説で十分に語ってくださっているため、そちらをお読みいただくとして、ここでは邦訳版ができるまでの道のりと、読者の一人として感じた本書の魅力についてご紹介できればと思います。
参考文献にあるとおり、本書は私的な手紙(文/ふみ)やメモから、地図、日記、公的な記録まで、膨大な量の史・資料を下敷きにしています。中心となる「林泉寺文書」は、越後の同寺に生まれた常野と家族が交わした書状約130点と、寺の営みにかかわる文書の計3000点弱が含まれます。これらを軸に、多種多様な史・資料を丹念に読み解き、パズルのピースをひとつずつ吟味してはめ合わせ、再構築された常野と家族の人生は、圧倒的にリアルな物語です。この本を日本語にするのは、計り知れない時間と労力をつぎ込んだ著者の仕事の一端をたどる作業でもありました。
まず、江戸時代の風俗や統治の仕組みを表す言葉を英語から日本語に戻す作業が必要になります。これは通常の翻訳書と異なる点でした。例えば「tax bill」「tax receipt」はそれぞれ年貢の通知書と受領証のようなものだとはわかっても、当時の呼称を確かめる必要がありました(それぞれ「年貢割付状」「年貢皆済目録」)。「banner man」は旗本、「housemen」は御家人と見当がつくものの、将軍の身辺雑務を担当する「senior attendant」は何と呼ばれていたのか(「小納戸」)。あるいは「employment office」つまり職業紹介所にも「口入屋」「人宿」「桂庵」などいくつかの呼称があるけれど……等々。
手がかりは原注と参考文献にすべて示されています。鈴木牧之の『北越雪譜』を見れば、越後の冬支度と冬の情景が絵入りで説明されています。『藤岡屋日記』『井関隆子日記』には特定の日の市中のできごとや天候が、『寛政譜以降旗本家百科事典』をたどれば実在した旗本の来歴や役職が、『江戸切絵図』を見ればある時代のある通りに誰の屋敷が建っていたのかがわかります。新潟を中心に各自治体で編まれた市町村史や県史には、時代ごとに当地の人々が飢饉や改革にどう対処し、田畑で何を育て、各藩や町や村でどのような政策が行われたのかが記録されています。これら文献の大半が、公立図書館や文書館、国立国会図書館で閲覧可能です。
本書で参照された林泉寺の文書は、一部を写真や読み下し文の形でスタンリー氏から共有いただいたうえで、監訳の原氏に書き起こしをお願いし、読み下し文をつけていただきました。林泉寺文書を引いた箇所の多くで、常野と家族が綴った生の言葉と現代語訳を併記する形をとっています。「寒い思いをしているので着るものを送ってほしい」と懇願する常野、「いど(江戸)ではうまいものばかり食べ」と故郷の母に自慢する常野、身勝手な姉の行動に腹を立て「馬鹿者」と書きつける弟義仙の心情が、ひしひしと迫ってくるかのようです。なお、林泉寺文書は、寺が約100年前に廃寺となって以降、新潟県立文書館の所蔵となり、書状の一部が解説とともに同館のウェブサイトでも公開されています。
本書で描かれる場所の多くは、姿を変えながらも今も実際に訪れることができます。偶然にも母親が同じ越後の山間の村(現糸魚川市)で生まれ育った縁で、隣接する高田(現上越市)へ足を運ぶ機会がありました。晩秋の妙高山を望む高田城址公園や、雪よけの庇が連なる雁木(がんぎ)通りを歩きました。常野が江戸行きを決めた下小町(しもこまち)橋があった界隈で足を止めると、180年前にこのあたりで常野が人生のひとつの決断をしたのだろうかと、静かな城下町の一角でひとときタイムスリップしたような感覚を覚えました。
長屋暮らしの悲喜交々や、通りを行き交う棒手振(ぼてふり)の呼び声など、目の前に江戸の通りが立ち現れるようないきいきとした描写は本書の大きな魅力のひとつです。スタンリー氏も記しているとおり、江戸の名残は有名無名の人々が残した大量の史料のほか、現代の都市東京のそこかしこに見つけることができます。待ち合わせる人で終日にぎわう有楽町駅の傍らにひっそり残る、南町奉行所跡。からくり人形の櫓が迎える日本橋人形町通り。幕府の米蔵が立ち並んだ蔵前界隈。旧加賀藩邸の赤門に神田明神。常野の足跡をたどるように訪ねたこれら史跡のほかにも、江戸東京博物館、江東区深川江戸資料館、太田記念美術館、さらには国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)などで、当時を再現した長屋や商店、浮世絵や生活道具など、さまざまな形で当時の暮らしにふれることができました。
常野と周囲の人々が残した手紙や覚書、走り書きのメモには、家族に起きたできごとの記録が細かに書き込まれ、それぞれの心情がにじみ出ています。特に常野が苦悩や決意、嘆きや懇願を率直に綴った言葉は、200年近く後の世界を生きる現代の私たちにも実に身近に感じられます。三十代も半ばで三たび離縁し、実家に戻っても居場所がない。また家族に言われるままどこかへ後家に行かされるのは死んでも嫌だ。江戸ではなり(服装)が悪くては何もできない。自分が選んだ夫だが短気で意地が悪くてほとほと困っている──。当時の女性が歩むものとされた人生コースをうまく進めず、家族にも時代の慣例にも従順とは対極の態度をとり、自分の意思を通して生きようとした常野の言葉は、現代の私たちにも思いがけないほど共鳴できるところがあるのではないでしょうか。
常野には、そんな人生を語り継ぎ、わずかな持ちものを遺す子どもはいませんでした。それでも、彼女が何とか暮らしを立てながら、小さな選択の積み重ねを通してつくった江戸という都市は、今を生きる私たちに確かに引き継がれています。功績を挙げ歴史書に名を残した人物の陰にいた女性たちをはじめ、名もなき数多の人々が、日々の営みを通して都市や文化を担い、歴史を築いてきたことを伝える無数の物語のひとつが本書で語られています。
著者を案内役に、ページの上で活力あふれる江戸の街を歩き、常野と彼女を取り巻く人々の人生の物語をたどる、唯一無二のタイムトラベルを楽しんでいただければと思います。(以下略)
© ISHIGAKI Noriko 2026
(筆者のご許諾を得て抜粋転載しています)
