みすず書房

新刊紹介

構造主義の「結晶化」を駆動したのは、接近よりも、むしろ、ヤーコブソンも認めるレヴィ゠ストロースの類稀なる「距離についての深い直観」ではなかったか

2023年11月10日

小林徹

構造言語学のロマーン・ヤーコブソンと構造人類学のクロード・レヴィ゠ストロースという、20世紀を代表する偉大な知識人たちによる往復書簡と聞けば、たとえ事情にそれほど明るくなくとも、誰しも興味を搔き立てられることだろう。言語学、数学、生物学、精神分析学、文化人類学、政治理論、文芸批評などを通じて一時代を華々しく彩った「構造主義」の、いわば生成の現場が、その当事者たちの証言として、ここには刻まれているのだ。本国フランスでも、出版直後から『ル・モンド』紙をはじめとする各種メディアで取り上げられていることから、本書が、専門家はもちろんのこと、一般的な読者層からも注目すべき書物として受容されていることが窺われる。

本書を構成しているのは、時間の中で、先の見えない暗中模索を繰り返しながらジグザグに進んでいく二人の思想家の歩みが、突如「構造主義」という光に照らし出され、自らの足跡が発する輝きを確かなものにしていく過程である。そこには、編者たちの言葉を借りれば「語のスタンダール的意味における強烈な結晶化現象」(本書、43頁)が生起していたと言えるだろう。それは、私たちが素朴に「友情」と呼んでいる、不安定で捉え難く、距離を介した、それでいて熱気に満ちた「多産な」関係性である。私たちの著者たちにおいては、そこから、人間の象徴的思考のシステムへと肉薄せんとするいくつもの道筋が、「ゆらゆらときらめく無数のダイヤモンド」(スタンダール『恋愛論』第2章)のように導き出されていくことになるだろう。そして、構造主義の「結晶化」を駆動しているのは、二人の思想家の接近というよりも、むしろ反発とも呼べるほどの距離感、ヤーコブソンも認めるレヴィ゠ストロースの類稀なる「距離についての深い直観」(本書、434頁)だったのではないだろうか。

本書を読めば、両者の恐るべき学識と関心の幅広さ、奥深さに打ちのめされない者はいないだろう。しかしながら、それ以上に私たちを深く揺さぶるのは、彼らの交流が、彼らが生きた時間の中で、「人間と作品の間の心揺さぶる親近性」(本書、437頁)を示しつつ、職業上の不安、不安定な国際情勢、打ち捨てられた計画、物理的あるいは心理的な行き違い、健康上の不調、友人の死など、無数の断絶(あるいはその予感)を経ながら、ついに二つの偉大な記念碑を打ち立て、構造主義という一本のラインへと結実していくその確かな足取りである。

とりわけ、すでに現代言語学の巨匠であったヤーコブソンから受けた「啓示」を、恐るべき熱量で『野生の思考』や一連の『神話論理』へと昇華していったレヴィ゠ストロースの歩みもさることながら、音素のアイデアを神話論に組み込んでいく弟分の突飛な展開に戸惑いつつも惜しみない賛辞を送り、さらにそれを情報理論に着想を得たコミュニケーション論として己の思想の糧にしていくヤーコブソンの頭脳の若々しさには目を見張るものがある。本書には、二つの思想が遠くからぶつかり合いながら発した「魔法の火花」のように、およそ手紙というものから想像される範囲を超えた複雑さを備えた理論パートが収められている。そのうちの一部が、本書の付録にも収められている「シャルル・ボードレールの「猫たち」」として結実したわけだが、その他にも、古スラヴ語の親族用語をめぐる応酬、ロシア語の音韻論的システムをめぐる諸考察、「猫たち」以外のいくつかの詩篇に関する分析など、「何の意味もありません」(本書、173頁)というレヴィ゠ストロースの言に反して、さらなる学術的な展開を期待させる意見交換が散見される。また、ヤーコブソンの依頼を受けてレヴィ゠ストロースが主導していた、複数の著者を巻き込む著作の計画(『社会科学における数学的潮流』)をはじめとする、魅力的な研究計画の存在もいくつか明らかにされている。確かに、残念ながら、多くのプロジェクトは未完のままに終わった。しかし、フレデリック・ケックも本書の書評において強調しているとおり、構造主義を生み出したのは、「諸々の幸福な出会い」だけでなく、「諸々の失われた機会」でもあったのだと言えるだろう(Cf. Frédéric Keck, « Roman Jakobson, Claude Lévi-Strauss, Correspondance. 1942–1982 », Revue d’histoire des sciences humaines, no 35, 2019)。


距離を介した交流という観点から言えば、基本的に英語で書かれたヤーコブソンの書簡と、フランス語によるレヴィ゠ストロースの書簡の間の言語的な隔たりもまた、本書を読む際に念頭に置いておくべき重要な側面である。語学に堪能だったとはいえ、互いの文章の理論的あるいは感情的な細部を、母国語と異なる言語で理解し合っていたことは、両者の関係を理解する上で無視することのできない論点であろう。原書においてはヤーコブソンのテクストの仏訳が掲載されているため、訳出に際しては、英語からフランス語、そして日本語へと重訳する必要が生じたが、適宜仏訳前の英語版テクストを参照することによって、原書の統一性を損なうことなしに、できる限り二言語による往復書簡の雰囲気を再現するように努めた。

手書きの書簡をタイプ原稿に起こす場合を想像してみると、特に言語学上の配慮から手書きの挿入を多く含む本書の場合、当然のことながら、そのままでは書籍のように整然とした形にはならないだろう。そこには、必然的に編者の解釈や選択が差し挟まれざるをえない。端的に言えば、ヤーコブソンとレヴィ゠ストロースが書き損なう場合もあれば、それをタイプ原稿に起こす編者が間違いを犯す可能性もある(本書に関しては、そこにさらに訳者の不手際が加わる可能性もある)。訳出に際しては、編集上のものと思われる表記上の明らかな誤記や、軽微な誤りについては断りを入れずに修正したものの、書簡自体に存在したと考えられる曖昧さや間違いについては、編者たちに問い合わせた上で、著者たちの表現の一環として残し、適宜〔 〕を用いて訳注を加えることにした。書簡集というものの性質上、ヤーコブソンやレヴィ゠ストロースの著作が備えている周知の正確性や合理性は望むべくもないが、その反面、編者たちも認めるとおり、ここには溢れんばかりの「感情豊かな性質」(本書、17頁)が認められるのであって、本書では、記述の精度を可能な限り担保しつつ、この貴重な側面を損なうことがないように気を配った。

そもそもオリジナル・テクストとの隔たりという点は、本書を読解するに当たって避けて通れないテーマでもある。編者であるエマニュエル・ロワイエは、1940年代にニューヨークに亡命したフランス知識人に関する研究や、レヴィ゠ストロースに関する浩瀚な評伝で知られている。また、もう一人の編者であるパトリス・マニグリエは、記号論や構造主義の歴史に関する専門家である。委細を尽くした脚注の数々や、とりわけ序文に見れば明らかであるように、本書は両名の確かな学識に支えられ、時に単なる一過性の流行の一つとして片付けられてきた構造主義という思想の本質を、歴史的な側面から鮮やかに照らし出すものとなっている。とはいえ、全ての資料が提示されているということではないし、本書が構造主義の全貌を隈なく写し取っているというわけでもない。本当の意味で一つの思想が再現されるためには、文字どおりあらゆる資料が動員されねばならなくなるだろう。編者たちは、ヤーコブソンとレヴィ゠ストロースの思想の多面性を考慮に入れつつ、自らの判断に基づいて必要な書簡を選出し、解釈を加えながら、本書を或る程度一貫した書物として形作っているのである。言い方を変えれば、「ヤーコブソンとレヴィ゠ストロースの往復書簡」は、さまざまな形で補完されうるし、他にも無数の仕方で提示可能だったはずである(Cf. Pierre-Yves Testenoire, « Complément à la correspondance Jakobson – Lévi-Strauss », Acta Structuralica – International Journal for Structuralist Research, vol. 4, 2019)。しかし、このように部分的であることは、本書の欠陥ではない。レヴィ゠ストロースが神話について述べているように、オリジナル・テクストと翻訳の隔たりが、「同じ神話に関する二つの変異体」の差異のようなものだとすれば(本書、168頁)、本書の原書も、本書も、あるいは存在しうる諸々の「ヤーコブソンとレヴィ゠ストロースの往復書簡」も、全てがそれぞれ構造主義の生成という「神話」に関する変異体の一つなのであり、私たちはこうした変異体の読解を積み重ねることを通じてしか、この「神話」の〈全体〉に迫ることはできないのである。

Copyright © KOBAYASHI Toru 2023
(巻末に収めた「訳者あとがき」のほぼ全文を
筆者のご同意を得て転載しています。なお、
読みやすいよう行のあきなど加えています)

F. Keck, « Roman Jakobson, Claude Lévi-Strauss, Correspondance. 1942–1982 », Revue d’histoire des sciences humaines, no 35, 2019. https://journals.openedition.org/
P.-Y. Testenoire, « Complément à la correspondance Jakobson – Lévi-Strauss », Acta Structuralica – International Journal for Structuralist Research, vol. 4, 2019. https://hal.science/hal-02455825/

『ヤーコブソン/レヴィ゠ストロース往復書簡』より

最近、絶望の道に入り込んでいます。 […] こうした不規則性は、同じタイプの、しかし互いに孤立したシステムにおいて再生産されています。したがって、そこには何らかの合理性があるに違いありません。たとえこの合理性が合理的なものではないとしても。
(レヴィ゠ストロースからヤーコブソンへ 1942年7月7日)

もし古スラヴ語の問題に取り組んでいただけるのでしたら、とりわけ次の問題を検討していただければと思います。
方程式 : 母の父 ゠母の兄弟(avus / avunclus型)
 〃  : 姉妹の夫 ゠娘の夫(γαμβρός / γαμβρός型)
 〃  : 姉妹の夫 ≠ 妻の兄弟、そしてこの場合、
 〃  : 妻の兄弟 ゠x?(おそらく「゠母の兄弟」、これが理想的です)
(レヴィ゠ストロースからヤーコブソンへ 1947年12月29日)

「姉妹の夫」を示す名詞は何かとお尋ねでしたが、それはzętĭです。「娘の夫」を意味する名詞と同じです。同じように、snŭxaは同時に「兄弟の妻」と「息子の妻」を指します。リトアニア語のavainisは、同時に「姉妹の夫」と「妻の兄弟」を意味します。 […]
(ヤーコブソンからレヴィ゠ストロースへ 1948年5月29日)

近々ハーヴァード大学に籍を移すことになりました。 […] あちらには、哲学科にも心理学科にも、意味論のさまざまな潮流の並外れた代表者たちがいます。私の計画は、意味というものを、言語科学の中心的で熱い問題として高く掲げることです。
(ヤーコブソンからレヴィ゠ストロースへ 1949年4月18日)

あなたがもっと近くにいないことが非常に残念です。一緒なら良い仕事ができるでしょうに。それに、互いを目覚めさせることができるでしょうに。
(ヤーコブソンからレヴィ゠ストロースへ 1949年9月14日)

帰国してからも倦怠感に沈み込んでしまっていて、何か書いたり、特に友人に手紙を書いたりしようという意欲がまったく湧いてこなかったのです。コレージュの落選は、耐え難いほど辛いものでしたから。決定的なものに思えるだけに、なおさらです。どの機関であれ、そして何の目的であれ、今後は立候補などすまいと固く決心しました。
(レヴィ゠ストロースからヤーコブソンへ 1951年3月15日)

あなたがお受けになった申し出は、著作を執筆したり同志を募ったりするために、想像するかぎり最大の可能性を開くものです。これまでかくも有益だった私たちの協業活動も再開されることでしょう。ロマーン
(ヤーコブソンからレヴィ゠ストロースへ電報 1953年12月3日)

あなたの研究グループが目標として立てていた「構想中の書籍」が無期限に延期されたと書かれた手紙を受け取り、非常に衝撃を受けました。どうして私に直接知らせてくれなかったのですか。
(ヤーコブソンからレヴィ゠ストロースへ 1954年3月6日)

私が現在専念しているのは、神話に関する大部の著作を、テープレコーダーに向かって「語る」ことです。この本は、次のような三部構成になるでしょう。
(レヴィ゠ストロースからヤーコブソンへ 1954年3月13日)

料理の起源についてなのですが、タルムードが、大麦は「声を張り上げて」、レンズ豆は「静かに」調理せよと命じている理由について、ひょっとして何か考えをお持ちではないでしょうか。
(レヴィ゠ストロースからヤーコブソンへ 1958年12月26日)

詩について二人で話したことが、私の中で燻り続けておりました。同封の二つの試みを送ります。一つはボードレールに関するもので、もう一つはネルヴァルに関するものです。寛容な目で読んでいただければと思います。
(レヴィ゠ストロースからヤーコブソンへ 1960年11月16日)

二つの詩に関する驚くべきご研究を送っていただき、心より感謝いたします。 […] 具体的なご提案を差し上げたいのですが、もし同意していただけるのであれば、二人でこの詩の構造に関する試論を執筆し、私が準備している著作『文法の詩と詩の文法』に、関連論文という形で含めることにしませんか。
(ヤーコブソンからレヴィ゠ストロースへ 1960年12月8日)

私がほんの僅かなことを、しかも非常に混乱した仕方で読み取ったテクストから出発して、あなたがたどり着いた結論は、見事というほかありません!  […] 私から何か、決定稿となるようなもの(?)が届くのをお待ちになっているのでしょうか。あなたの分析の恐るべき専門性について、お考えになったことはありますか。
(レヴィ゠ストロースからヤーコブソンへ 1961年7月25日)

これまでこの『詩の文法』ほど、私に取り憑いてきた著作もないからです。この著作に対しては、他よりもずっと感情的な関係で結ばれている気がします。おそらく、その理由は、この著作においては、私が偏愛している二つの領域、つまり言語と詩がしっかりと足場を固めているからです。
(ヤーコブソンからレヴィ゠ストロースへ 1961年7月28日)

『野生の思考』では、現代人類学の主要な問いを、言語人類学の歩みや方法や反復的モチーフと見事に結びつけておられます。固有名に関する章は、言語理論に対する直接的で注目すべき寄与になっております。私たちの道が、これまで以上に接近していることが何よりもうれしく感じられます。 […] ご著書の中で、私にはやや概略的で、建設的観点から説得力を欠いているように見える唯一の章は、サルトルとの論争です。
(ヤーコブソンからレヴィ゠ストロースへ 1962年6月27日)

弁証法を問題にしようというわけではないのです。問題にしているとしても、あくまで陰画的な仕方にすぎません。この章の本当の目的は、歴史的認識というものは、野生の思考の上位にあるのでもなければ、外部にあるのでもないのだということを示すことです。つまり、歴史的認識は、文明化された白人の特権のようなものなどではなく、むしろ、まったく反対に、野生の思考の一部をなしているのだ、ということを示すことです。
(レヴィ゠ストロースからヤーコブソンへ 1962年7月5日)

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