小林徹
構造言語学のロマーン・ヤーコブソンと構造人類学のクロード・レヴィ゠ストロースという、20世紀を代表する偉大な知識人たちによる往復書簡と聞けば、たとえ事情にそれほど明るくなくとも、誰しも興味を搔き立てられることだろう。言語学、数学、生物学、精神分析学、文化人類学、政治理論、文芸批評などを通じて一時代を華々しく彩った「構造主義」の、いわば生成の現場が、その当事者たちの証言として、ここには刻まれているのだ。本国フランスでも、出版直後から『ル・モンド』紙をはじめとする各種メディアで取り上げられていることから、本書が、専門家はもちろんのこと、一般的な読者層からも注目すべき書物として受容されていることが窺われる。
本書を構成しているのは、時間の中で、先の見えない暗中模索を繰り返しながらジグザグに進んでいく二人の思想家の歩みが、突如「構造主義」という光に照らし出され、自らの足跡が発する輝きを確かなものにしていく過程である。そこには、編者たちの言葉を借りれば「語のスタンダール的意味における強烈な結晶化現象」(本書、43頁)が生起していたと言えるだろう。それは、私たちが素朴に「友情」と呼んでいる、不安定で捉え難く、距離を介した、それでいて熱気に満ちた「多産な」関係性である。私たちの著者たちにおいては、そこから、人間の象徴的思考のシステムへと肉薄せんとするいくつもの道筋が、「ゆらゆらときらめく無数のダイヤモンド」(スタンダール『恋愛論』第2章)のように導き出されていくことになるだろう。そして、構造主義の「結晶化」を駆動しているのは、二人の思想家の接近というよりも、むしろ反発とも呼べるほどの距離感、ヤーコブソンも認めるレヴィ゠ストロースの類稀なる「距離についての深い直観」(本書、434頁)だったのではないだろうか。
本書を読めば、両者の恐るべき学識と関心の幅広さ、奥深さに打ちのめされない者はいないだろう。しかしながら、それ以上に私たちを深く揺さぶるのは、彼らの交流が、彼らが生きた時間の中で、「人間と作品の間の心揺さぶる親近性」(本書、437頁)を示しつつ、職業上の不安、不安定な国際情勢、打ち捨てられた計画、物理的あるいは心理的な行き違い、健康上の不調、友人の死など、無数の断絶(あるいはその予感)を経ながら、ついに二つの偉大な記念碑を打ち立て、構造主義という一本のラインへと結実していくその確かな足取りである。
とりわけ、すでに現代言語学の巨匠であったヤーコブソンから受けた「啓示」を、恐るべき熱量で『野生の思考』や一連の『神話論理』へと昇華していったレヴィ゠ストロースの歩みもさることながら、音素のアイデアを神話論に組み込んでいく弟分の突飛な展開に戸惑いつつも惜しみない賛辞を送り、さらにそれを情報理論に着想を得たコミュニケーション論として己の思想の糧にしていくヤーコブソンの頭脳の若々しさには目を見張るものがある。本書には、二つの思想が遠くからぶつかり合いながら発した「魔法の火花」のように、およそ手紙というものから想像される範囲を超えた複雑さを備えた理論パートが収められている。そのうちの一部が、本書の付録にも収められている「シャルル・ボードレールの「猫たち」」として結実したわけだが、その他にも、古スラヴ語の親族用語をめぐる応酬、ロシア語の音韻論的システムをめぐる諸考察、「猫たち」以外のいくつかの詩篇に関する分析など、「何の意味もありません」(本書、173頁)というレヴィ゠ストロースの言に反して、さらなる学術的な展開を期待させる意見交換が散見される。また、ヤーコブソンの依頼を受けてレヴィ゠ストロースが主導していた、複数の著者を巻き込む著作の計画(『社会科学における数学的潮流』)をはじめとする、魅力的な研究計画の存在もいくつか明らかにされている。確かに、残念ながら、多くのプロジェクトは未完のままに終わった。しかし、フレデリック・ケックも本書の書評において強調しているとおり、構造主義を生み出したのは、「諸々の幸福な出会い」だけでなく、「諸々の失われた機会」でもあったのだと言えるだろう(Cf. Frédéric Keck, « Roman Jakobson, Claude Lévi-Strauss, Correspondance. 1942–1982 », Revue d’histoire des sciences humaines, no 35, 2019)。
距離を介した交流という観点から言えば、基本的に英語で書かれたヤーコブソンの書簡と、フランス語によるレヴィ゠ストロースの書簡の間の言語的な隔たりもまた、本書を読む際に念頭に置いておくべき重要な側面である。語学に堪能だったとはいえ、互いの文章の理論的あるいは感情的な細部を、母国語と異なる言語で理解し合っていたことは、両者の関係を理解する上で無視することのできない論点であろう。原書においてはヤーコブソンのテクストの仏訳が掲載されているため、訳出に際しては、英語からフランス語、そして日本語へと重訳する必要が生じたが、適宜仏訳前の英語版テクストを参照することによって、原書の統一性を損なうことなしに、できる限り二言語による往復書簡の雰囲気を再現するように努めた。
手書きの書簡をタイプ原稿に起こす場合を想像してみると、特に言語学上の配慮から手書きの挿入を多く含む本書の場合、当然のことながら、そのままでは書籍のように整然とした形にはならないだろう。そこには、必然的に編者の解釈や選択が差し挟まれざるをえない。端的に言えば、ヤーコブソンとレヴィ゠ストロースが書き損なう場合もあれば、それをタイプ原稿に起こす編者が間違いを犯す可能性もある(本書に関しては、そこにさらに訳者の不手際が加わる可能性もある)。訳出に際しては、編集上のものと思われる表記上の明らかな誤記や、軽微な誤りについては断りを入れずに修正したものの、書簡自体に存在したと考えられる曖昧さや間違いについては、編者たちに問い合わせた上で、著者たちの表現の一環として残し、適宜〔 〕を用いて訳注を加えることにした。書簡集というものの性質上、ヤーコブソンやレヴィ゠ストロースの著作が備えている周知の正確性や合理性は望むべくもないが、その反面、編者たちも認めるとおり、ここには溢れんばかりの「感情豊かな性質」(本書、17頁)が認められるのであって、本書では、記述の精度を可能な限り担保しつつ、この貴重な側面を損なうことがないように気を配った。
そもそもオリジナル・テクストとの隔たりという点は、本書を読解するに当たって避けて通れないテーマでもある。編者であるエマニュエル・ロワイエは、1940年代にニューヨークに亡命したフランス知識人に関する研究や、レヴィ゠ストロースに関する浩瀚な評伝で知られている。また、もう一人の編者であるパトリス・マニグリエは、記号論や構造主義の歴史に関する専門家である。委細を尽くした脚注の数々や、とりわけ序文に見れば明らかであるように、本書は両名の確かな学識に支えられ、時に単なる一過性の流行の一つとして片付けられてきた構造主義という思想の本質を、歴史的な側面から鮮やかに照らし出すものとなっている。とはいえ、全ての資料が提示されているということではないし、本書が構造主義の全貌を隈なく写し取っているというわけでもない。本当の意味で一つの思想が再現されるためには、文字どおりあらゆる資料が動員されねばならなくなるだろう。編者たちは、ヤーコブソンとレヴィ゠ストロースの思想の多面性を考慮に入れつつ、自らの判断に基づいて必要な書簡を選出し、解釈を加えながら、本書を或る程度一貫した書物として形作っているのである。言い方を変えれば、「ヤーコブソンとレヴィ゠ストロースの往復書簡」は、さまざまな形で補完されうるし、他にも無数の仕方で提示可能だったはずである(Cf. Pierre-Yves Testenoire, « Complément à la correspondance Jakobson – Lévi-Strauss », Acta Structuralica – International Journal for Structuralist Research, vol. 4, 2019)。しかし、このように部分的であることは、本書の欠陥ではない。レヴィ゠ストロースが神話について述べているように、オリジナル・テクストと翻訳の隔たりが、「同じ神話に関する二つの変異体」の差異のようなものだとすれば(本書、168頁)、本書の原書も、本書も、あるいは存在しうる諸々の「ヤーコブソンとレヴィ゠ストロースの往復書簡」も、全てがそれぞれ構造主義の生成という「神話」に関する変異体の一つなのであり、私たちはこうした変異体の読解を積み重ねることを通じてしか、この「神話」の〈全体〉に迫ることはできないのである。
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(巻末に収めた「訳者あとがき」のほぼ全文を
筆者のご同意を得て転載しています。なお、
読みやすいよう行のあきなど加えています)
F. Keck, « Roman Jakobson, Claude Lévi-Strauss, Correspondance. 1942–1982 », Revue d’histoire des sciences humaines, no 35, 2019. https://journals.openedition.org/
P.-Y. Testenoire, « Complément à la correspondance Jakobson – Lévi-Strauss », Acta Structuralica – International Journal for Structuralist Research, vol. 4, 2019. https://hal.science/hal-02455825/