みすず書房

新刊紹介

真珠湾攻撃が彼らの運命を変えた

2025年2月7日

森内薫

本書はダニエル・ジェイムズ・ブラウンのFacing the Mountain: A True Story of Japanese American Heroes in World War II(Viking, 2021)の翻訳です。ブラウンは、1936年のベルリン・オリンピックにボート競技で出場した若者らを描いたThe Boys in the Boat(Viking, 2013。邦訳は『ヒトラーのオリンピックに挑んだ若者たち』森内薫訳、早川書房、2014年。文庫版[2016年]は『ヒトラーのオリンピックに挑め』に改題)で一躍名を馳せた作家です。累計300万部を超えるベストセラーになり、映画化もされた同作の次に書かれたのが、第二次世界大戦中の在米日系人をテーマにした本書Facing the Mountainです。2021年5月にアメリカで発売されると、翌週には《ニューヨーク・タイムズ》のベストセラーリストにランク入りし、「人間の精神の最高の価値を肯定する」書籍や映像作品に与えられるクリストファー賞を受賞するなど高い評価を得、映像化の話も出ています。

ブラウンがこの本を書くきっかけになったのは、本書の「序文」にあるように、あるレセプションの席で「デンショウ(Densho)」の当時の事務局長トム・イケダと知り合ったことでしたが、それ以前から彼がこのテーマに興味をもつ土壌は存在していました。ブラウンは、父親が花屋業界で働いていたサンフランシスコのベイエリアで育ちましたが、当時の思い出を次のように語っています(ディスカバー・ニッケイの記事[Esther Newman “Telling the Story to Understand the History”, 2022 April 26, URL:https://discovernikkei.org/en/journal/2022/4/26/daniel-james-brown/]より引用。翻訳は森内)

取引先の多くは日系アメリカ人の花屋や苗木職人だったので、若いころ私には、日系アメリカ人の友人や仲間がたくさんいた。だが、肝心なのは次の点だ。私の父は、とても穏やかで温厚な人物だった。父が怒りをあらわにするところを、ほとんど見たことがない。数少ない例外が、戦時中や戦後に日系人の取引先に何が起きたかを話すときだった。収容所から戻ってきた日系人の多くは、温室が叩き壊され、自分たちが耕作してきた土地が奪われ、事業が破壊されたのを目の当たりにした。それについて語るとき、父ははっきりと怒りに震えていた。それが普段の穏やかさとはあまりにかけ離れていたので、まだ幼かった私にも強い印象を残した

そして、トム・イケダとの出会いから「デンショウ」の膨大な記録を前にしたブラウンは、いよいよ本書の執筆計画を立てます。その時の思いは次のように語られます。

私はすぐに理解した。デンショウのアーカイブと、これまでに集められた他のすばらしい資料のあいだには、とんでもない量の情報がある。そして私が書きたいのは、日系アメリカ人の経験の包括的な歴史ではなかった。一つの理由は、日系アメリカ人でもなければ、厳密な意味では歴史家としての訓練を受けてもいない私のような人間がそんな本を書くのは、かなりおこがましく思えたからだ。だがそれ以上に、それは私の仕事ではなかった。私が試みていたのは、歴史のある局面を生き抜いた個人の深い物語を書くことであり、彼らの物語を通じて歴史に光を当てることだった


歴史の教科書で1941年12月の真珠湾攻撃について学んではいても、ではそのときハワイにどんな人々が住んでいたかについて、私は考えを巡らせたことがありませんでした。当時ハワイの人口の3分の1は日系人で占められており、本書の第一章にあるように真珠湾攻撃の当日、日本兵の操縦する軍用機に日系人が攻撃されるという事態も起きていました。米本土の西海岸に住んでいた日系人はそうした攻撃こそ受けませんでしたが、米国の市民権を持つ日系二世も含めて「敵性外国人」とされ、多数が自宅を追われ、収容所に入れられ、戦況が進めば徴兵され、徴兵を拒むと刑務所に送られました。米国内でもあまり知られていないこうした事実を著者のブラウンは研究書のように概説するのではなく、開戦当時20歳前後だった4人の若者に焦点を当て、それぞれの視点に寄り添いながら、戦争によって引き起こされた彼らの──そして家族や友人の──運命の変転を語っていきます。氏の前作にも共通する、膨大な調査やインタビューにもとづく語りの再生のおかげで読者は、主人公それぞれの体験を追いかけながら、個人の人生が戦争によってどのように捻じ曲げられてしまうのか、戦争が終わった後までどのような影響が生じるかを、自分のことのように追体験できるでしょう。そうした「没入的」体験をもたらしてくれるのが読書の醍醐味であり、SNSにあふれる短文が私を含めた多くの人々にとってデフォルトになりつつある今もなお、決して手放してはいけないものではないかと思います。

いろいろな事情があり、本訳書の完成には思いのほか長い時間がかかりましたが、翻訳に着手した数日後に、ロシアによるウクライナ侵攻が起きたのを記憶しています。テレビに映る信じられないような光景を見て、プーチン大統領による「特別軍事作戦」という言葉を聞きながら私は、当時訳したばかりの「政治的な言語は(……)噓を真実らしく見せるように、そして殺人を尊敬すべきものに見せかけるようにつくられている」という本書の「著者からの言葉」に登場するオーウェルの言葉を思い出していました。そして、本が完成するころにはきっとこの戦争は過去のものになっているだろうと思っていました。しかし本が完成した今、ウクライナ戦争は終わっておらず、加えてイスラエルのガザ侵攻という事態まで起きており、本書の今日的意義は残念ながらと言うべきか、いっこうに薄れていないように感じます。少なくとも私たちの国では戦争を直接に知る人がますます少なくなる今、戦争を語り継ぐ意味は確実に高まっており、本書もその一助になることを願ってやみません。

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(筆者のご同意を得て抜粋転載しています。なお
読みやすいよう行のあきなどを加えています)