みすず書房

新刊紹介

服従のない世界をつくるには

2023年7月18日

「服従」とは強い言葉だし、自分は服従などしていないと反感をもつ女性もいるかもしれません。けれども本書で論じているような服従には、たいていの女性が(自分事か他人事かはともかく)思い当たることがあるのではないでしょうか。女が自ら劣位に収まる、男にリードを委ねる、男の優位を脅かさない、愛される存在であろうとする――を含めて、服従は男性優位社会を支えている要因であって、つまり女が自ら男性優位社会の維持に加担しているという、とても扱いにくい現象に本書は取り組んでいます。これを避けていては、女の境遇は本当には良くならないばかりか、男にとっても生きづらい社会が続くことになるからです。ただし、服従していると女を非難しているわけでは全くなく、女を服従に「同意させ」ている根本原理を明らかにするのが本書の目的です。原書はフランスで刊行されると広く読まれ、英語版、ドイツ語版、スペイン語版、中国語版、イタリア語版がすでに刊行、韓国語版とトルコ語版も出る予定です。本書はシモーヌ・ド・ボーヴォワール『第二の性』を指針にしており、日本語版で1500ページほどになるあの大著のポイントを、21世紀の読者に改めて、わかりやすく示す内容ともなっています。

さきほど本書は女を非難するものではないと書きましたが、それでも本書を読んだ読者は、これは専業主婦の否定につながるのでは、という点が気になるかもしれません。今の日本では専業主婦は割合としては少数派になっていますが、女性労働者は非正規が多い。シングルマザーの貧困率は50%に上り、女性は経済的に苦戦を強いられています。この状況では、服従という妥協をすっかりやめて、そのリスクを女が自分で背負わなければならないというのは、男性優位社会が女に与える一種の懲罰のようなものと言えます。専業主婦を否定することも、別の意味での懲罰になってしまいそうです。

私見ですが、ひとつの世帯内では、生活費を稼ぐ仕事と家事育児の完全分業には一定の合理性があると思います。それはただの分業ですから、本来はフェアにやることができるはず。しかし現状での問題は、家事育児は女がするものだと決めつけたうえで、経済的に夫に依存させ、そのことをもって社会的に二流の存在として女を遇する社会と、女の側も「養ってもらっている」と自認せざるをえないことにあるように見えます。「誰に食べさせてもらってるんだ!」という怒声は夫が発するもので、手料理を夫に「食べさせて」いる妻が言うのを聞いたことがありません。著者マノン・ガルシア自身は専業主婦の是非について直接には触れていませんが、本書の議論を踏まえれば、専業主婦になることそれ自体が服従になるのではなく、服従に陥らずに専業主婦になることが難しい現状が問題なのだ、ということになるように思います。家事育児に専従する人の半分が男になる社会が到来したとして、そこでは男が女に服従しているように見えるのでしょうか。おそらくそうではないでしょう。

専業主「夫」が増えればいいという単純な話を、本書はもちろんしていません。しかし服従のない世界をつくるには、女の側だけの働きかけや覚悟では不可能です。本書によれば、女を服従に同意させている原理は、女ばかりでなく男をも不自由にしており、そのことに自覚的な人が増えることで、すべての人がよりよく生きられる社会に近づきます。ということは、女はすべての男を敵視する必要はない。敵があるとすれば、そうした原理がもたらす優位を手放したくないという我執を、「伝統」などの名で正当化しようとする人びとで、そこには男ばかりでなく、彼らに追従することで上昇を図ろうとする女も含まれるのだというメッセージで、著者は本書を結んでいます。

旧聞になるかもしれませんが、本書の準備が始まったのと同時期に『シモーヌ』というムックが現代書館で創刊されました。シモーヌ・ド・ボーヴォワールにちなんだ命名で、現在第8号まで刊行されています。そして本書刊行の数か月前に、長らく絶版だった『第二の性』が河出書房新社から新たな文庫で刊行されています。本書を含めたそれぞれの本が、たがいを補い合うようにして、読者の糧になることを願っています。
『シモーヌ』vol. 1 – vol. 8 http://www.gendaishokan.co.jp/tC2301001.htm
『第二の性』 https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309467795/