本書が刊行となった4月18日のこと。アメリカの保守系テレビ放送局Foxニュースが投票用紙の集計機メーカーに名誉棄損で訴えられた裁判が、約1000億円という過去最大級の和解金で終結したというニュースが流れた。問題となったのは、2020年の大統領選挙では集計機が不正に操作されており結果は不正だというトランプ前大統領の主張を、Foxニュースが繰り返し放送したことだった。裁判所は3月の段階ですでに、その主張が虚偽であることは明らかだという判断をしており、Foxニュースも最終的にそれを認めた。フェイクニュースや陰謀論の問題はすでにさんざん指摘されていながら、それが終息する兆しはなかった。今回のこの裁判結果によって潮目は変わるだろうか。
『認知アポカリプス』はこのようなデマの問題だけを扱っているわけではないが、地球平面論や陰謀論(ワクチン接種によって皮下にチップが埋め込まれるとか、新型コロナウイルスは5Gアンテナの健康被害を隠すためにバラまかれたとか)が執拗に支持される問題が、ヒトの生物学的特徴とテクノロジー社会とのミスマッチの結果であるという面を重視しており、従来の議論をひとつ先に進めている。嘘をばらまくことや軽々に信じることへの批判から、批判が功を奏さない背景の分析へのシフトである。その内容を手短にまとめるのは難しいが、まずは本書のキーワードである「認知市場」についての説明を紹介したい。
認知市場とは、経済市場と同様に人間同士の相互作用が行われる、おもに知性の活動に関する市場モデルです。いくつかの提案が競合状態にある市場においては、そこで提示される製品の性質は構造的な影響を受けます。この認知市場で流通するのは、信念・信条・仮説、情報などです。供給は競合を通じて、自らを需要に合わせて連動しようとします。
(「訳者あとがき」で引用された著者インタビューより)
この市場とは、具体的には主にインターネット上の空間のことである。そこには正しい情報もあるが、真偽が不明で意図的にミスリードを誘う情報も溢れている。それがビジネスと結びついている場合は人の注意を惹くことが至上命令となり、そのためだけに設計された宣伝が人の認知をとらえようと網を張っている。その認知市場はこの数十年で大幅に拡大し、そこで通貨のような機能を果たしているのが、われわれが「脳を自由に使える時間」だと著者は言う。それはつまり、生きるために必要で削ることのできない労働や雑事の時間を除いた、自由な時間のことである。そこで人は脳を何に使おうと――猫の動画を見ようが量子物理学を学ぼうが――自由だ。その時間がいま、人類がこれまでに築いてきた文明のおかげで史上最長に達しているにもかかわらず、認知市場で蕩尽されて終わっているのではないか。
人が関心を向ける対象が増殖し、際限のない競争に取り込まれてしまうのは、たんに情報市場で優位を占める新たなテクノロジーのせいではなく、それに応じる脳の合計が大きくなったからである。この関心の対象はわれわれの注意を惹起する以外の存在理由を持っていない。それらがときに世界の意味についての諸説を提示し、道徳上の教えや政策を、あるいは一つのフィクションを提示したとしても、脳が稼働する時間の一部をそこに割いているあいだだけしか存続できない。ということは――ここが今進行中の歴史のもう一つの重大な意義を持つ側面なのだが――脳を自由に使えるこの時間こそがかつてないほど重要になったということなのである。
(本文より)
ところで「潮目は変わるだろうか」という冒頭の疑問だが、本書の答えは否定的かもしれない。先に引用したインタビューで言及している「構造的な影響」が解消されないからだ。守られるべき自由を侵害することなく認知市場の健全をどうやって担保するか。似たような懸念は、テック産業内部からもすでに表明されている。本書はこの問題を、より広範に、数々の先行研究を活用しながら検討したユニークな1冊となっている。