みすず書房

新刊紹介

『カルマン』への招待

2022年7月8日

ベンヤミンのように「純粋な手段」、つまりは手段でありつづけながらも目的との関係から解き放たれた手段なるものを措定してみる必要があるとアガンベンは考える。
(上村忠男)

本書カバー写真「エローラ 第15窟 踊るシヴァ神像 7-8世紀」は佐藤宗太郎氏(1936年東京生まれ。1970年以前からインドの石窟寺院を撮影し『エローラの世界』DVD全60巻を自主制作)の撮影です。同氏による別の「踊るシヴァ神 ナタラージャ」の写真も紹介します。

「純粋な手段の政治」へ

『カルマン』への招待

上村忠男

ローマ法には、法という建物への入場を可能にする敷居としての位置を占める概念に「訴訟」とか「裁判」を意味する「カウサ」と「罪過」もしくは「罪責」を意味する「クルパ」という二つの語があるが、いずれも語源は不明である。

一方、これらとしばしば結びつけられてきた「クリーメン」という「制裁しうる人間の行為」を指す語については、ジュネーヴの言語学者アドルフ・ピクテによって『インド=ヨーロッパ語の起源』(第一巻1859年、第二巻1863年)のなかでサンスクリットの「カルマン」との近接性が指摘されてきた。漢訳仏典で「業(ごう)」という訳語が当てられている。

このピクテの指摘を受けて、アガンベンはインド仏教の世界に足を踏みいれる。そして、人間の行為が制裁しうる行為であるためにはそれが引責可能な行為でなければならず、ひいては意志による行為でなければならないというのが、少なくともキリスト教神学以来の西洋文化における共通了解となっているが、同様の見解がインドの仏教学者たちによっても表明されていたことを確認する。

しかし、意志のうちに人間の行為の引責可能性の堅固な基礎を見てとろうとする試みは、その後、あまたのアポリアに逢着することになったとアガンベンはみる。と同時に、当のアポリアの淵源自体は、すでにアリストテレスの『ニコマコス倫理学』に出てくる《行為は制作とは種類を異にする。制作の目的は制作自身とは別のものであるが、行為の目的は行為自身と別のものではない。善く行為することそれ自身が目的なのである》という一節に求められるのではないかと言う。

『ニコマコス倫理学』におけるアリストテレスの戦略は善の学説を究極目的の理論のなかに書き入れることにあった。しかし、そこで問題にされている目的は完全で自足的な最終目的であるため、行為も、制作と同じく、目的を達成するための手段であるということになり、行為の特質であるとされる「目的自体性」と齟齬を来さざるをえない。ひいては、手段と目的との《永遠の未解決で解決不能な弁証法》へとわたしたちを追いやるというのだった。

それではどうすればよいのか。この目的と手段の弁証法から脱却する道は結局のところ見いだせないのだろうか。いや、そうではない、とアガンベンは答える。そして、まずもっては目的と手段の関係が中立化される格別の領域として「遊び」が呼び起こされているプラトンの『法律』のうちにそのための糸口を探りあてようとする。

ついでは、タントラ仏教の範例的なテクスト『シヴァ・スートラ』のなかで、幻惑に打ち克って目覚めた者のなかで起きる変容が「踊り」というメタファーをつうじて記述されていることに注目する。ここにもアガンベンは主体と行為の関係を合目的性のパラダイムによる以外の仕方で考えようとするひとつの試みを見てとろうとするのである。

しかし、これらにもましてアガンベンが注目するのは、ベンヤミンが1921年のエッセイ「暴力批判論」において《純粋な手段の政治》なるものに言及していることである。

「目的自体」の観念を「究極目的」の観念と結びつけることによって目的と手段の弁証法からの脱却をくわだてようとした近代の代表的な哲学者にカントがいるが、そのカントの論法はつとにショーペンハウアーも指摘していたように悪しき循環論法でしかない。この悪循環から脱け出すには、手段そのものをカントとは別様にとらえ、ベンヤミンのように「純粋な手段」、つまりは手段でありつづけながらも目的との関係から解き放たれた手段なるものを措定してみる必要があるとアガンベンは考える。

そのうえで、アガンベンはベンヤミンのいう「純粋な手段」をその出生地である「身振り」の空間に置き戻すことを勧める。「身振り」のうちにアガンベンは制作と行為の二者択一を破砕する可能性を見てとるのにくわえて、それが手段としての身分において結びついていたもろもろの作業を不活性化し働かなくさせ、それらを《新しい可能な使用》へと開かれた「純粋な手段の政治」。これはアガンベンが最初期のエッセイ「暴力の限界について」(1970年)以来積み重ねてきた思考の結実であることにも注意したい。

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