序文
フランコ・バザーリア
この書籍に納められた題材には、施設転覆運動の中の施設の現実を具体的に表現し、そこに含まれる諸矛盾とともに述べようとした記録とメモのすべてが含まれている。
それは、挑戦的で破壊的な、(病人や医師、看護師、同調者たちの)証言の中に明らかに表現されている傾向のためではない。暴力的にしか拒否できなかった現実、すなわち精神病院(マニコミオ)の現実から運動が始まったからである。だから、悲劇的で過激な現実転覆運動は、否定しようとすることに直面化する中で挑発的な暴力なしに実行することは困難である。こうして、このような現実の存在を受け入れて永続化させてきた価値や功績を危機に巻き込むことになる。
このためにわれわれの反施設そして反精神医学(すなわち反専門家)の話題は、われわれの活動領域における専門分野の厳格な制約の中にありつづけるわけにはいかない。施設システムへの挑戦は、それらを支えている社会構造の問題へ関心を移す中で、精神医学の領域からはみ出していく。そして、支配者の価値を支えて活動する科学の中立性への批判にわれわれを結びつけ、批判と政治活動へと導いていく。
おそらく、自らの活動や研究の領域に留まり、科学分析に必須な研究者とその対象の距離を維持しつづけることはよりやさしいことだろう。科学研究は規範価値の内部に留まり、矛盾しないように現実を否定しないように自衛し保証を得るように努めるかぎり、誠実に扱われ敬意を持たれるだろう。しかし逆に、ある研究が現実とその矛盾に根拠を置き、自分の仮説を体系化し保証するモデルを構築しようとしないならば、規範からまったく外れたものとして夢想的素人芸という非難を浴びることになる。そして、運動の中に常に存在する弁証法的状況における矛盾とみなされる。
医師、臨床心理師、社会学者、看護師、そして病人が精神科病院の中で提案し要求し、実践の中でその収容所状況に異議申し立てした施設転覆の運動がこれにあたる。外国の経験(特に英国のマックスウェル・ジョーンズの活動)と比較してみても、これは継続的批判を通じて収容所的現実の否定へと展開している。そして、支配的価値観に対立する実践的・理論的前提に基づこうとした小社会の共同体の立場が抱える両義的性格を明らかにしていた。
私たちは、状況が危機にあることを肯定する時期に到達している。実践的・科学的意味のすべてで収容所の現実は乗り越えられたが、それが継続的歩みに成りうるかどうかはまだわからない。初めに私たちが参考にした外国の経験でも、明言されていないものの、同じ矛盾と同じ無能さを認識している。外国の経験でもわれわれの経験でも唯一の代替的な可能性は、固定化し結晶化してくるダイナミックな運動の必然的衰退に身を隠すことか、社会が病者に負わせた排除と差別に対する私たちの活動を拡大しようと試みることかである。排除された人々から排除する人へと遡れないだろうか? われわれの活動を決め、支えている施設の内部からどのように活動すればいいのだろうか?
この書籍に記録されている議論、論争、ルポルタージュは次の意味を持っている──それは、継続的な克服を試み、専門領域から踏み出そうとし、社会矛盾とともに活動しようとする状況の分析である。
今の私たちには精神医学の現状は他と比べてもより一層明白になっている。それは暴力と権力濫用と横暴の明白な状態を伴った直接の人との関係が、これらの関係に加担し、影響を持ち、健康を損ない、またはこれらを産み出し許してきたシステムに対して激しく要求するという意味である。
科学が精神を病む人に行ってきたことに対するこのように根本的に批判的態度は、ひとりだけ烙印を押すことを拒否していることから無政府主義者だとみなされるだろうし、すべての定義と分類を否定するのでユートピア的だとみなされるだろう。しかし、私たちは人々の意味の中で取り除かれ使い古されたように聞こえる言葉、〈革命〉と〈前衛〉を使うことに迷いはない。こうした激しさを伝え、こうした用語の使用を提案し、〈革命的文献〉になってしまわないためにわれわれはいかにしたらいいのかを議論したことは、私たちが活動する現実の厳格さの表れである。
この書籍の意義は、精神医学という専門領域の問題だけでなく、諸矛盾の累積である運動が暴力の施設の中でいかに可能であるのかを示し、このような運動が、私たちの社会システムが持つ全般的暴力へと私たちをいかに運び込むのかを示す一連の問題に対する分析になっていることにある。
精神医学の権威機構が、私たちの活動を真剣さと科学的敬意を欠くものと決めつけるのは容易なことである。その判断は、精神を病む人々と排除された人々すべてを常に認識することへの真剣さと敬意を欠いているという点で結論としては私たちと共通しており、私たちの思った通りのものである。
梶原徹訳
(著作権者の許諾を得てウェブ転載しています。なお
転載にあたり読みやすいよう行のあきを加えました)