みすず書房

新刊紹介

試し読み! トマ・ピケティ『資本とイデオロギー』

2023年6月23日

世界的ベストセラー『21世紀の資本』を発展継承する超大作『資本とイデオロギー』。1100ページを超える本書から、著者による導入部分「はじめに」の一部を先行してお届けします。


はじめに

 

あらゆる人間社会は、その格差を正当化せざるを得ない。格差の理由が見つからないと、政治的、社会的な構築物が崩壊しかねない。だからどんな時代にも、既存の格差や、あるべき格差と考えるものを正当化するために、各種の相反する言説やイデオロギーが発達する。こうした言説からある種の経済的、社会的、政治的なルールが生じ、人々はそれを使って周囲の社会構造を理解しようとする。相反する言説の衝突──これは経済的、社会的、政治的な面をすべて持つ衝突だ──から支配的なナラティブがいくつか生じ、これが既存の格差レジームを強化する。

今日の社会では、こうした正当化のナラティブは特に財産、起業家精神、能力主義という主題をもとに構成されている。万人が市場と財産への平等なアクセスを享受し、最も豊かな個人が蓄積した富の恩恵を自動的に万人が受ける、自由に選んだプロセスの結果だから、現代の格差は公正なのだ、とされる。そうした最も豊かな個人は、最も進取の気性に富み、財産にふさわしく有益な人々なのだという。したがって現代の格差は、前近代社会のような硬直して恣意的で、しばしば独裁的な地位の差に基づく格差とは真逆なのだというわけだ。

この種の所有権主義的で能力主義的なナラティブは、アンシャン・レジームとその身分に基づく社会の崩壊後の19世紀に流行し、その後20世紀末に、ソ連共産主義崩壊とハイパー資本主義勝利に続いて世界的な規模で大幅に改訂されて広まった。困ったことに、こうしたナラティブはますます脆弱に見えてきている。このナラティブからは各種の矛盾が生まれた──その矛盾は、ヨーロッパや米国、インドとブラジル、中国と南アフリカ、ベネズエラと中東ではまったくちがった形をとっている。だが21世紀に入ってからの20年で、各国のさまざまな道筋は、その個別の歴史こそちがえ、ますます相互につながったものとなりつつある。国際的な視点をとることで初めて、こうしたナラティブの弱さも見えてくるし、それに代わるものを構築し始められる。

実際、社会経済的格差は、1980年代以来世界のあらゆる地域で拡大している。場合によってはそれがあまりに極端になったので、全体の利益という形で正当化しきれなくなった。ほとんどどこでも、公式の能力主義的な言説と、社会の最も恵まれない階級の教育や富へのアクセスの現実との間には、すさまじい亀裂が生じている。能力主義と起業家精神の言説はしばしば、今日の経済における勝者たちがとんでもない格差をろくに検討もせず正当化し、敗者たちが才能や美徳や勤勉さに欠いていたのだと言って、責任を負わせるための便利な手段となっている。以前の格差レジームでは、貧困者は自分の貧困の責任を負わされたりしなかった。少なくともこれほどは責められなかった。以前の格差正当化ナラティブはむしろ、各種社会集団の機能的な相補性を強調していた。

現代の格差はまた、地位、人種、宗教に基づく各種の差別的な慣行も特徴だ。こうした慣行は暴力的に行われているのに、能力主義のおとぎ話はこれをまったく認めようとはしない。こうした点で現代社会は、自分たちが完全に決別したつもりでいる前近代社会と同じくらい暴力的だ。たとえば、ホームレス、移民、有色人種が直面する差別を考えよう。また地中海を横断しようとして溺れ死んだ多くの移民のことも考えよう。格差拡大と移民、気候変動の課題に対応できる新しい普遍主義的で平等主義的な信頼できるナラティブがないと、代わりの大きなナラティブは、アイデンティティに基づくナショナリズム政治になってしまいかねない。20世紀前半にヨーロッパでこれが見られたし、21世紀最初の数十年にも、世界各地でこれが再び起こっているようだ。

通称ベル・エポック(1880-1914年)の終わりを告げたのは第一次世界大戦だったが、この時代がベル(美しい)と言えたのは、それに続いた暴力の爆発に比べればの話でしかない。実は、それが美しかったのは、主に不動産持ち、特に白人男性にとってだけだった。現在の経済システムを激変させて、格差を減らし、もっと平等主義で持続的にしないと、対外恐怖症的な「ポピュリズム」が投票箱で勝利し、1990年以来世界を支配してきた、グローバルなハイパー資本主義デジタル経済を破壊するような変化を引き起こしかねない。

この危険を回避するための最高のツールは、やはり、歴史的な理解だ。あらゆる人間社会は自分の格差を正当化する必要があり、あらゆる正当化はそれなりの真実と誇張、大胆さと臆病さ、理想主義と利己主義を含んでいる。本書では、格差レジームというのは、ある社会の経済、社会、政治格差を正当化し構造化するよう意図された、言説と制度的な仕組みの集合と定義される。そうしたレジームはどれも、独自の弱点を持つ。生き残るためには、それは絶えず自分を定義し直す必要がある。これはしばしば暴力的な紛争によることが多いが、同時に共有体験と共有知識を増やすことでも再定義は起こる。本書の主題は、格差レジームの歴史と進化だ。実にさまざまな種類の社会、これまでこうした比較の対象とされなかった社会について歴史的データをまとめることで、私は世界的、国際的な視点から、現在進行形の変化に光を当てたい。

この歴史的分析から、ある重要な結論が浮かび上がる。経済発展と人間進歩を可能にしたのは、平等性と教育を求める闘争であって、財産、安定性、格差を聖なるものに祭り上げることではない、ということだ。1980年以降に定着したハイパー不平等主義的なナラティブは、一部は歴史的産物、特に共産主義破綻の産物だ。だがそれはまた、知識の無視と分裂の結果でもある。今日の私たちを蝕む、アイデンティティ政治の過剰と宿命論的な引きこもりは、相当部分がそのナラティブ成功の結果だ。学際的な視点から歴史に目を向けることで、もっとバランスのとれたナラティブを構築し、21世紀のための新しい参加型社会主義の概略を描き出せる。これは、新しい普遍主義的で平等主義的なナラティブ、平等性、社会的所有、教育、知識と権限共有の新しいイデオロギーのことだ。この新しいナラティブは、以前のものにくらべて人間性のもっと楽観的な図式を提示する。そして楽観主義的なだけでなく、世界史の教訓にしっかり根差しているため、もっと厳密で説得力あるものとなる。もちろん、そうした仮の脆弱な教訓の良し悪しを判断し、それを必要に応じて作り直し、先に進めるのは、私たち一人一人の行動だ。

(中略)

格差の復活──最初の方向性

今日の人類が直面している最も懸念すべき構造変化は、1980年代以来のほとんどあらゆる場所での格差復活だ。格差を減らし、世界の大半の人々に受け入れられる公正の基準を確立できなければ、移民や気候変動といった他の主要問題への解決策も描けない。

まずは単純な指標として、1980年以来の各地における所得分布で、トップ十分位(つまりトップ10%)のシェアを見るところから始めよう。完全な社会的平等の場合、トップ十分位のシェアはずばり10%になる。完全な格差の場合、それは100%になる。現実には、この両極端の間のどこかに落ち着くが、その具体的な数字は時と場所によって大きく開きがある。特に過去数十年を見ると、トップ十分位のシェアはほぼどこでも上がった。たとえばインド、米国、ロシア、中国、ヨーロッパを見よう。この5地域のトップ十分位シェアは、1980年には25-35%程度だったが、2018年には35-55%に上がっていた(図I-3)。この規模を見ると、今後どこまで上がるのだろうかと思うのが人情だ。今後数十年で55%や75%にまで上がってしまうのか? さらに、開発水準が同等でも、地域ごとにその増大の規模にもかなり差があることに注目しよう。トップ十分位のシェアは、ヨーロッパでより米国のほうがずっと上がったし、中国よりインドのほうがずっと上がっている。

データをもっと細かく見ると、格差増大は分配の底辺50%を犠牲にして実現したものだとわかる。底辺50%の総所得シェアは、1980年には5つの地域すべてで20-25%だったが、2018年には15-20%になった(そして米国では10%という低さに達し、特に懸念される)。

もっと長期的に見ると、図I-3に示す世界の主要5地域は、1950-1980年にはやや平等主義的なフェーズにあったが、1980年以降は格差増大フェーズに入った。この平等主義的なフェーズは地域ごとにさまざまな政治レジームの下で起きた。中国とロシアの共産主義レジーム、ヨーロッパの社会民主主義レジーム、米国やインドの限定的な社会民主主義レジームなど、形はまったく異なる。今後、こうしたさまざまな政治レジームのちがいについてはもっと細かく見るが、すべてが社会経済的な平等性をある程度は重視してきたと言える(だからといって、他の格差形態が無視できるということではない)。

視点を広げて世界の他の地域も含めれば、格差がもっと大きい地域もあることがわかる(図I-4)。たとえば、サブサハラアフリカでは、トップ十分位は総所得の54%を手にしている(南アフリカではそれが65%にも達している)。ブラジルでは56%だし、中東では64%で、ここは2018年、世界で最も不平等な地域として突出している(南アフリカとほぼ同等)。ここでは分配の底辺50%は、総所得の10%未満しか稼げていない。格差の原因は地域ごとに大きく異なる。たとえば、ブラジルと南アフリカや米国では、人種差別や植民地差別と奴隷制の歴史的遺産が重くのしかかっている。中東では、もっと「現代的」な要因が作用している。石油の富とそれが持続的な形に姿を変えた金融資産は、世界市場と法体系によってきわめて少数の人々に集中している。南アフリカ、ブラジル、中東は、現代格差の最先端に位置し、トップ十分位シェアは55-65%に達している。さらに手に入る歴史的データは不十分だが、こうした地域での格差は昔からずっと高かったようだ。彼らは一度も平等主義的な「社会民主主義」フェーズを経験したことがない(まして共産主義体制などは未経験だ)。

まとめると、格差は1980年以来世界のほとんどあらゆる地域で高まった。例外はもともときわめて不平等的だった場所だけだ。ある意味で、1950年から1980年まで比較的平等な時期を享受した地域が、国ごとにかなりの差はあるが、不平等の最先端へと逆戻りしつつあると言えるだろう。

――つづきは書籍刊行をどうぞお待ちください――

日本語版オンライン補遺はこちら
YAMAGATA Hiroo https://cruel.org/books/piketty/ideology/

図I-3 世界的な格差の増大