現代詩人・焦桐(ジアオ・トン)が、台湾の味わいを時に甘やかに、時にほろ苦く描き出す『味の台湾』。
訳者の川浩二さんによる本書の紹介を以下に掲載します。
台湾の食べものと聞いて、何を最初に思い浮かべるだろう。そして、その思い浮かべた食べものは、どんな風景の中に置かれたものだろう。おそらく多くの人の頭には、夜市の屋台や、屋台でなくとも間口のせまい路傍の小店のカウンターで作られた食べものが、背もたれのないイスや折り畳みのテーブルのがたつき、薄い金属製のレンゲの端が舌にふれる感触までと一つながりになって浮かんでくるのではないだろうか。
著者の焦桐はそんな誰もが口にする何気ない食べものから始めて、台湾がたどってきた歴史とつちかってきた文化を、自分の人生をまじえつつ一篇の散文に仕立てて読ませてくれる。その手さばきは、台湾の街角の小さな店で、驚くような美味を作り出す人たちとも重なるところがあるように思われる。
中国語では食べものの味を「五味」といい、酸味、甘み、苦み、辛み、塩味の五つからなる。食べもののエッセイをこれに照らせば、甘いノスタルジーに辛口の批評、涙の塩味というところがよくある味つけだろう。また著者も愛読した元代の戯曲には、文運に恵まれない貧乏書生が登場するが、それをしばしば「酸」と呼ぶ。こうした金がない若いころのこともまたエッセイの種になりやすい。素材を選び、ベースにユーモアか蘊蓄の出汁を使い、時によい加減で混ぜ合わせ、味つけを塩梅すれば一篇のできあがりだ。そして残った「苦」はといえば、必ずしも食べもののエッセイとの相性はよくないように思われるが、本書ではこの「苦」がたびたび印象的に使われる。これは台湾の食べもの、たとえば黒くにごった漢方薬材入りのスープの中に、しばしば感じる味わいでもある。青春時代の鬱屈した苦悩と、大人になってからの人生の苦痛が、追憶の甘みにくるむことなく書かれていることは、間違いなく著者ならではの味を形作っている。
もともと詩人である著者の代表作の一つは、現代詩と料理のレシピを融合させた詩集『完全強壮レシピ』(原題『完全壮陽食譜』1999年、邦訳書は池上貞子訳、思潮社、2007年)で、これがために美食家だと誤解されて今に至る――とは著者自身の言葉だ。
焦桐は1956年台湾高雄市生まれ。本名は葉振富。まもなく両親の離婚により、兄の葉振輝は父に、焦桐自身は母に引き取られる(本書収録の「爆肉」にそのエピソードが見える)。その後、大学統一試験に連続して不合格となり(「木瓜牛奶」)、兵役につく(「蚵嗲」)。1979年に中国文化大学に合格、1980年に現代詩の創作で時報文学賞を受賞し(「沏仔麵」)、詩人としての創作を続ける。在学中、謝秀麗(シエ・シウリー)と出会い交際するようになる(「白斬鶏」)。大学卒業とともに新聞社に入り、文芸欄を担当する。1985年に改めて中国文化大学大学院修士課程に入学(「菜脯蛋」)、謝秀麗と結婚(「紅蟳米糕」)、その後、長女の珊(シャン)が誕生した。「中国時報」文芸副刊の編集の仕事のかたわら詩作や散文の執筆を続け、輔仁大学大学院博士課程に進んで博士号も得た。
そして1999年に詩集『完全強壮レシピ』を出版し、この年に長女と12歳違いで次女の双(シュアン)が誕生(「肉円」)、2001年に「中国時報」を退職し(「貢丸」)、謝秀麗とともに出版社「二魚文化」を立ち上げ(「豆花」)、同時期に国立中央大学中国文学科の助教授となった。その後は現在まで、詩人、文筆家、研究者、編集者として多彩な活躍を続けている。
訳者が著者焦桐の名前を知ったのは十数年前、彼が編集した飲食についての散文のアンソロジー『台湾飲食文選』(2003年、二魚文化)が最初だった。『台湾飲食文選』の巻頭には、本書でもたびたび引用される梁実秋、唐魯孫という20世紀初頭に大陸に生まれ、後に台湾に渡った二人の作家の作品が収録されている。また編者としての焦桐の序には、1950年代以降の飲食を書いた散文に、故郷を喪失した作家たちがそれを懐かしむものが目立って現れた、という視点も示されている。
著者はその後、飲食に関する散文を集中的に書き、『台湾味道』(2009年)、『台湾肚皮』(2012年)、『台湾舌頭』(2013年)の三部作を出版する。初期の作品では、とくに素材を厳選し手間をかけた「古早味(グーザオウェイ/昔ながらの味)」を理想としてしばしば挙げていた。一方で著者は父の記憶に乏しく、母の料理に郷愁を抱くこともないという。家柄やルーツからは切り離され、戻るべき理想の過去は持たないままに、喪失という主題を台湾の食べもの全体に共通するものとしていたようにも思われる。
しかし、2013年3月に、否応なくこの主題により個人的に向き合わざるをえなくなる大きな事件が起こる。公私にわたるパートナー謝秀麗が、がん闘病の末に他界したのだ。とくに『台湾舌頭』所収の各篇には、このあまりにも大きな喪失を少しでも埋めようと、もがきながら書き続けた痕跡が深く刻まれている。本書では「仏跳牆」から「豆花」までの一連の作品がそれに当たる。
また本書の最後のパートに掲載した作品の多くは、『台湾舌頭』以後に執筆されたものだ。台湾全体と著者自身が失いつつある、あるいは永遠に失ったものを強く意識しつつも、明日に向かって食べることと書くことに開かれていった過程が読み取れるように思われる。
焦桐はその後も食べものに関する散文の執筆を続けており、野菜と果物に関するエッセイ『蔬果歳時記』(2016年)、そして最新作『為小情人做早餐(小さな恋人のために朝食を)』(2020年)を発表している。とくに後者は本書にもたびたび登場する珊珊(シャンシャン)、双双(シュアンシュアン)こと「一人は詩人の娘、一人は美食家の娘」という12歳違いの二人の娘・葉珊、葉双との日々を散文とレシピを組み合わせて書いた作品で、著者の新たな代表作といってよいだろう。
本書に収録した各篇は、『味道福爾摩莎(フォルモサの味)』(2015年、二魚文化)を底本としている。『味道福爾摩莎』は前出の『台湾味道』から始まる三部作所収の諸篇および、その後新聞の文芸別刷りにコラムとして執筆した作品などを集めた、著者の台湾の食べものエッセイの総集編だ。序文にもある通り、この『味道福爾摩莎』の収録作品数は160篇にもおよび、日本語版の出版にあたっては60篇まで収録数を絞った。また収録順についても、底本が主たる食材によって分類しているのに対し、日本語版は改めて並べかえた。
選出にさいしては日本の読者に台湾の食べもののさまざまな面を知ってもらえるようにと考えたのはもちろんだが、まずエッセイとしてすぐれているもの、著者の人生とその食べものが分かちがたく結びついているものをできるだけ収めた。この収録内容と収録順について考えることは、まさしく名品揃いのレストランで晩餐会の献立を組み上げるようなものだった。列席者には初めての客もいれば名うての通人もいる中で、店の魅力を過不足なく引き出すような料理とその提供の順序を考えなくてはならない。
また本書を飾る挿画は陳妮均・張宗舜のお二人に日本語版のために描きおろしていただいたものだ。台湾の街角には印象的なタイポグラフィが多い。食べものや人々と同じくらいに文字が生き生きと躍るイラストは、詩や散文の執筆から編集まで、あらゆるレベルで文字に関わる人生を送る著者の文章と、当初考えていた以上の相性のよさを見せてくれている。
この挿画も合わせて、日本語版を、原著の最良の部分を手元に置ける1冊に収め、かつ最初から最後まで流れをもって読み通せる、オリジナルの作品に仕上げるという目的は、かなりのところ達成できたのではないかと思う。
それでは、この特別コース『味の台湾』を存分にお楽しみください。
Copyright © KAWA Kouji 2021
(著作権者のご同意を得て「訳者あとがき」より抜粋・転載しています。
なお、転載にあたり文章に一部変更を加えています)