日本で生まれ育ち、日本語を母語とする人は、知らないうちに仏教から深い影響を受けています。言葉ひとつとっても「ご縁がある」「自業自得」「畜生」など、もとは仏教由来でありながら本来の意味を離れて生活に溶け込んでいる言葉がいかに多いことでしょう。墓参りや法事で聞く僧侶の読経、家庭に置かれた仏壇、各地に存在する寺院や関係する地名など、意識するとしないとにかかわらず、ごく身近なところを探せば「仏教的」なものはたくさん見つかります。
このように、日本の歴史や文化に深く根ざしている仏教ですが、そもそもの教えや意味を私たちは普段どれほど意識しているでしょうか。仏教的なものはたしかに近くにありますが、だからと言って、その文化圏に暮らす私たちはその教えを奉じる「仏教徒」なのでしょうか。
また、近年よく耳にするようになった「マインドフルネス瞑想」がそうであるように、欧米をはじめ世界各地で、仏教への関心が高まっています。そうした動きと、日本で伝えられてきた仏教の教えはどのような関わりがあるのでしょうか。身近すぎて普段は意識にのぼらない「仏教的なもの」と、世界的に注目が集まる「Buddhism」が、あまり結びつかない方が少なくないのではないでしょうか。
そうした、日本で暮らす私たちの身近にある仏教的な諸要素と、グローバルに注目の高まる「Buddhism」の両者を結びつけて学べるのが、本書『エッセンシャル仏教』です。読んでいくうちに断片的な知識がつながり、立体的な像を結びはじめます。著者は、40年にわたって仏教を研究するアメリカの仏教学者デール・S・ライト氏(オクシデンタル・カレッジ名誉教授)、原書はオックスフォード大学出版局の「誰もが知っておくべきこと(What Everyone Needs to Know)」シリーズの1冊として英語で刊行されました。前提知識がまったくない初学者に向けて仏教を一から説き起こしており、一問一答形式による簡潔な説明と、非仏教圏出身の研究者ならではの視点が、新鮮な気づきをもたらしてくれます。学生時代に始まるライト氏と日本との深い縁を語る「日本版序文」も、読み手に深い感銘を与えるでしょう。監修者はNHK・Eテレ「100分de名著」の講師などでもおなじみの佐々木閑・花園大学教授です。巻末のあとがきでは、「仏教を立体として読者の心に伝達することのできる、知りうる限りで最良の概説書」と述べています。
100問以上におよぶ設問の中で、たとえば、「仏教はなぜ、世界じゅうで関心をあつめているのか?」という問いに対して、ライト氏は次のように答えています。
仏教に魅力を感じる理由としてよくあるのは、仏教が宗教らしくない宗教だという点だ。他の宗教に見られるような、時代遅れで好ましくない要素(少なくともそのうちのいくつか)が見当たらないという理由から、仏教は現代人の心をつかんでいる。この点で最もよく引き合いに出される宗教的要素は、神の存在を肯定する有神論である。仏教では、創造主、神々、神聖な存在としてのブッダなどを崇拝することは求められておらず、逆に禁止されてもいない。それは完全に信者の自由な選択に任されている。仏教には、初期の時代から現在にいたるまで、神の存在に関心をもたない修行者がたくさんいる。彼らが行なう仏教的実践は、不必要な苦を軽減したり、個人と集団に精神的成長や変化をもたらしたりすることを目的としている。それらは仏教の優れたさまざまな教えにもとづいているものの、有神論的崇拝には根差していない
(本書p. 185より)
また、現代科学と仏教の関係についてはこう述べています。
人びとが仏教に興味をもつ別の要因としては、現代科学との関係があげられる。仏教徒の多くは、現代の科学的宇宙観を自分の信念や実践と調和させることに、ほとんど困難を感じていない。それどころか、仏教徒たちはしばしば、仏教の世界観の根本的要素と現代科学の要素とのあいだには、矛盾がまったくといっていいほど存在しない、と主張する。そうした主張を裏づけるために彼らは、無常や縁起に関する教えや、一切の事物における本質的実体の非存在、現実のあらゆる要素の相互依存性に焦点を当てる。これらはみな、現代科学であたりまえのように想定されている。そのため、たとえば仏教の世界観と進化生物学を調和させることは、仏教徒にとっては比較的容易だった。また、進化論を厳しく批判しなければならないと考える仏教徒はほとんどいなかった
(p. 185-86より)
このように明快で平易な解説によって、仏教の教えの核心と世界的な人気の理由が解き明かされていきます。教養の一環として学びたい方にも、仏教徒を自認している方にも、さまざまな発見がある本ではないでしょうか。
仏教の入門書・解説書は日本でもあまた出ていますが、世界的な視野に立ち、最新事情までを網羅した総合的な概説となると、決して多くはありません。本書を手始めの1冊として、仏教の新たな魅力を再発見して頂けたら幸いです。