2020年4月、ウィンザー城に自主隔離中のエリザベス女王より、国民へのビデオメッセージが放映された。新型コロナによって、過去24時間に新たに621人が亡くなり、放映の1時間後にはボリス・ジョンソン首相の感染が伝えられたイギリス。形式的な感謝や激励にとどまらないスピーチの中で、94歳の女王はこう述べている。
「私の初めての放送のことを思い出します。1940年のことです。妹が手伝ってくれました。子どもだった私と妹は、やはりこのウィンザー城から、私たちと同じように疎開している大英帝国の子どもたちにラジオを通じて語りかけたのです……」
大戦中の5年間、爆撃下のロンドンにとどまる国王夫妻のもとを離れ、ひそかにウィンザー城で灯火管制、防空壕の疎開生活を送った二人の王女、エリザベスとマーガレット。そのかたわらには、いつも一人の女性がいた。王女たちの家庭教師として、つねに国王一家の側ちかくすごしたマリオン・クローフォード――〈クローフィー〉である。
スコットランドの平民の家庭に生まれ、児童心理学の道に進むことをめざしていた彼女は、大学を卒業した22歳の夏、王位継承権第2位のヨーク公とその妃に出会い、5歳と2歳の王女たちの教師に、と白羽の矢を立てられた。ヨーク公が、アメリカ人女性シンプソン夫人との「王冠をかけた恋」によって王位を捨てた兄エドワード8世に代わってジョージ6世として即位し、王女エリザベスがやがては次代の女王となることなど、夢にも思わないままに。
いずれは結婚によって王室を出ていくはずの――はずだった――王女エリザベスは、妹マーガレットとともに、かつて王室の子どもたちが誰ひとり経験しなかった少女時代を過ごした。年齢も性格も違う怜悧な二人の王女の教育プログラムをほぼ全面的にまかされたクローフィーは、1度だけの体験や社会見学ではない、一般の少女に混じっての水泳教室、特別扱いはいっさいなしのガールスカウトの活動へと王女たちの世界をひろげてゆく。王族と人びとを隔てる見えないカーテンを払いのけて…… パブリックスクール、イートン校の教授研究室へ通って憲政史の教えを受けたり、戦時下、16歳になるや志願して一下士官となり、軍用トラックを整備、運転した王女など、かつていただろうか。
クローフィーが宮廷に暮らしたのは、ジョージ5世の御世から、エドワード8世の即位と退位に続く、ジョージ6世の3代にわたる。穏やかで内気な生まれつきながら、即位後まもなく第二次大戦へと突入したイギリスで、国王の尊厳を身をもってあらわしたジョージ6世と、ヒトラーをして「欧州一、危険な女性」と言わしめた同妃の治世は、王族の侵しがたい聖性が生きていた最後の時代。そんな特別な時代を、特別な場所で、特別な人びととともに生きたのが、クローフィーだった。
王女エリザベスの成婚と前後して、自身も結婚によって宮廷を下がったクローフィーには、感謝のしるしとして、ケンジントン宮殿のノッティンガム・コテージに終生居住の権利が与えられた。しかし、1950年にThe Little Princesses――『王女物語』が出版されたことで、彼女はコテージを去ることになる。それまで、大衆には片鱗さえも知らされることのなかった宮中の生活を、王族に対する健全な距離感、客観性を保ちつつ、愛情こめて記した、という咎で――以来、ひとことの言葉、死に際して一輪の花も王室から手向けられることはなかったという。
子ども部屋の小さな少女たちを教え導く教師から、成長した王女たちにとっては姉のような、親友のような存在へ。そして、ふたたび王室の外の世界へ戻っていった、ひとりの女性。それから70年が過ぎた今年、エリザベス女王の94歳の誕生日記念番組の中で、王室の帆船のデッキで楽しそうに笑いながらダンスのステップを踏む二人の王女とクローフィーの映像が数秒間、流れた。