ピエール・ロザンヴァロン『良き統治』古城・赤羽・安藤・稲永・永見・中村訳 宇野重規解説の目次ほか詳しい書誌情報はこちら
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承認の民主主義から行使の民主主義へ。ロザンヴァロン民主主義論の集大成。
本書「序」の冒頭を以下にご紹介します。
私たちの政治体制は民主主義的であるといえる。しかし、私たちは民主主義的に統治されてはいない。この大きな乖離こそが、今日の幻滅と狼狽を生み出している。詳しく述べよう。私たちの政治体制は、政治権力が開かれた競争に基づく選挙から生まれるという意味において、また私たちが個人の自由を認め、保護する法治国家の下で暮らしているという意味において、民主主義的なものとされている。この意味での民主主義に大幅に改善の余地があるのは事実である。一般市民は、自分たちの制度上の代表者たちに見捨てられているとしばしば感じており、また人民は、選挙の時を除けば、ほとんど名ばかりの主権者である。しかし、こうした現実によって、もう一つの現実、すなわち依然としてその特殊性ゆえに同定されていない現実が、覆い隠されることがあってはならない。その現実とは、現代社会を深部から蝕む、悪しき統治のことである。[…]市民にとって、民主主義の機能不全とは、自分の要望に耳を傾けてもらえないこと、諮問なしに政治的決定がなされること、大臣が統治責任を引き受けようとしないこと、指導者が嘘をついても罰せられないこと、政界が内に閉じこもり、外の世界に対して十分な説明を果たさないこと、行政の仕組みが不透明なままであることを意味する。
問題は、以上のような次元における政治というものが、これまで一度も正面から考察されてこなかったということである。民主主義はこれまでつねに政治体制として理解され、特定の統治様式としては一度も考察されてこなかった。そのことは、歴史上、「政治体制」と「統治」が混同されてきたことからも分かる。[…]かつてすべての批判を生み出していたのは、代表制が機能していないという感覚であったが、今後は統治が機能していないという感覚にも注意を向けなければならない。本書は、まず、以上のような民主主義の急転換の歴史に加えて、執行権を軽視してきたそれ以前の傾向に関する歴史を示し、次いで、統治に関する民主主義的理論の基礎を提案する。
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