みすず書房

新刊紹介

世界の〝津波〞に学ぶ。「解説」(河田惠昭)より抜粋

2023年10月2日

ハワイとオーストラリアを拠点に、日本を含む世界各地の津波を調査する2人の研究者が縦横に語る、無二の「津波の世界史」。おなじく津波防災研究の第一人者である河田惠昭氏の巻末解説より、一部を抜粋してお届けします。

解説 古今東西の事例にもとづく津波の総合検証

河田惠昭

私(以下「筆者」)は、これまで48年間にわたって、津波防災研究を継続してきた。とくに1991年から2011年の20年間は、世界的に大津波災害が多発し、現地調査を連続的に実施してきた。その中には、当然、本書が取り上げた歴史津波の痕跡調査も含まれている。アラスカ、リツヤ湾、シアトル、ハワイ、メキシコ、インドネシア、フィリピン、タイ、スリランカ、ニュージーランド、パプアニューギニアなどで実施した津波災害国際調査隊ではリーダーを務めた。津波災害研究において、わが国が世界をリードしているのは、このような努力を継続しているからである。本書が取り上げた古い時代からの世界の津波がもたらした当時の社会へのインパクトの紹介や、ノンフィクションとしての物語の展開は、まるで、モノクロ写真がカラーの動画として、私たちに豊かな津波情報を提供したと言える。

現在、筆者らは国難災害として発生が心配な南海トラフ巨大地震による大津波に警鐘を鳴らし続けているが、多くの国民に〝ひとごと″意識がつきまとい、深刻さが伝わらないというもどかしさを覚えている。わが国では、高齢化社会が進行しており、それに伴って、避難行動要支援者が、現在全国に約800万人存在し、この地震と津波による想定被災危険地域住民が約6100万人であることを考えれば、100万人を超える犠牲者の発生はおかしくないだろう。その上、長期広域停電などによる累積社会経済被害は想定された値の3倍以上となる500兆円を超えると算定され、この災害がきっかけとしてわが国は先進国から脱落し、衰亡する恐れさえあるのだ。このような社会的背景が存在するわが国で、本書が翻訳され出版されることは、誠に時宜を得たことと称賛されよう。本書は、地質学と考古学、人類学を駆使した長年の研究成果を基礎として、世界で発生した巨大津波災害を歴史的に復元しただけでなく、同時に、現在の津波力学に関する自然科学的知識に立脚した解説を含み、素晴らしい内容となっている。

そのような背景で、筆者はこの解説文を、3つのテーマで紹介したい。1つは、日本の歴史津波災害について、2つは、日本の津波防災・減災の現状、そして3つは、この書籍で紹介されている各章についての筆者の個人的なつながりである。幸い、本書で取り上げられた津波被災地の大半を調査研究した経験を有しており、当時知らなかった事実が本書で紹介され、研究成果が大変充実した実感があるからだ。

さて、わが国で歴史時代に発生した被害津波はどれくらいあるのだろうか。渡辺偉夫は『日本被害津波総覧』において、684年白鳳南海地震津波以来、1996年までに195回発生したことを明らかにした。その内、死者が千人を超えた巨大災害は一体どれくらいあるのだろうか。答えは、2014年まで明らかではなかった。この年、日本の土木学会は創立100周年を迎え、その記念号の招待論文として筆者による『自然災害の変遷と課題、そして今後の対応』(学会誌、Vol. 99, No. 11, pp. 46-49)が掲載された。これには、西暦6世紀以降2011年東日本大震災まで、99回発生し、その内訳は火山噴火3回、津波22回、地震24回、高潮20回、洪水30回が数えられた。およそ15年に1回発生したことになる。
記録に残る最初の巨大津波災害は、白鳳南海地震津波である。この災害は、地震、津波、火山噴火という複合災害だったと推定されている。これと同じパターンは、1707年宝永地震と津波そして49日後に富士山の噴火で繰り返した。わが国における巨大災害史に関する研究では、江戸時代までに起こった災害は、もっぱら古文書の解析に基づくものが圧倒的に多い。1896年明治三陸津波では、地震の揺れが小さく(現在の階級で震度2-3)、先行する地震の揺れによる大きな被害が発生しなかったにもかかわらず、最大38mを記録した大津波が約2万2千人の命を奪い、大津波がどのようなメカニズムで発生するのかということについては長い間、よくわからなかった。
このような状況であるから、1960年チリ地震津波がわが国に来襲し、139人が犠牲になったが、気象庁の津波警報は津波の来襲後に発表され、このとき初めて遠地津波の脅威が明らかになった。わが国の津波力学の発展のきっかけとなったのは1983年日本海中部地震であった。コンピューターによる数値解析によって日本海を伝播する津波の挙動が明らかになり、それと被害の関係が科学的に検討された世界で初めての成果であった。このような科学的解析方法の進歩によって、古文書による津波災害の解析結果の信頼性が高まるという結果につながった。
その端緒となったのが1854年安政南海地震津波による大坂の被害である。1980年当時に実施された古文書の解析によれば、3mの津波が来襲したことになっていた。当時、明治以降被害が発生していない災害については、当該自治体の地域防災計画の対象外であったが、事実であれば防災対策の対象にする必要があった。そこで、その検証作業を筆者が担当することになった。そして、1986年から2年間を要して数値計算と古文書や絵図の解析を併用し、安政南海地震津波が大坂に来襲してきたときの最大高さは1.9mで、その時の潮位は平均海面+30cmであったことを明らかにした。また、寺院過去帳に記載された犠牲者の880人は、市内の河川や堀に浮かぶ小さな川船に地震避難していた人であったこともわかった。そして、この地震の32時間後に東南海地震津波が発生したのである。下田に停泊していたロシアの軍艦「ディアナ」が大破し、この修繕過程で和船にない『竜骨』を見つけたことが、後年のわが国の造船技術を世界的な水準にまで高めるきっかけとなった。
このような成果などを受けて、1993年に和歌山市で国際津波シンポジウムが開催されることが決まり、『稲むらの火』の原典となった『A Living God』の創作背景の検討が実施された。その結果、内容は明治三陸津波と安政南海地震津波で発生した現象を融合したフィクションであるが、主人公の濱口梧陵が行った村人の避難行動を促した行為は実話であることが明らかになった(第2章参照)。戦前の国語の教科書にはこの逸話が12年にわたって使用され、現在もよく知られている。
濱口梧陵が偉人であるのはそれだけではないことがその後の筆者らの研究で明らかにされた。彼は、被災者の生活再建を目指して、村人を雇用して津波堤防の築造に着手し、2年後に完成した堤防は1946年昭和南海地震津波による村人の犠牲者をゼロとすることに成功した。そして、彼の偉勲を世界中の人びとに知ってもらうために、日本政府は2011年以来、国連に働きかけ、2015年12月に全会一致で11月5日を『世界津波の日』に制定することに成功し、以来、濱口梧陵国際賞を創設して世界の津波災害を防止軽減することに寄与する個人と団体を顕彰し、たとえば、21年の第5回の受賞者は、本書で紹介されたハワイの太平洋津波博物館だった。なお、同時に世界津波高校生サミットも開催されてきた。

――つづきは書籍をごらんください――

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(筆者のご同意を得て抜粋転載しています。なお
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