* 本書は2021年3月3日に逝去された著者の単行本未収録エッセイを集成したものである。以下に初出を示し、補足説明を付す。
I
非暴力の潮 「環」2012年春、49号
わが俳句的日常 「NHK俳句」2013年9-10月号(原題「小沢信男さんの俳句的日常」)
賛々語々 「みすず」2016年11月-2018年4月号、2018年6月-2021年3月号
* 第I部は東日本大震災からコロナ禍まで、古今の俳句・川柳、五七五で切りとられた世相と日常。
「賛々語々」は74回から120回までの計47回分(2018年5月号は著者入院により休載)。1-73回(2010年4月-2016年10月号)は『俳句世がたり』(岩波新書、2016年)としてまとめられている。連載タイトルの由来について同書「はじめに」によれば「芭蕉このかたこんにちまであまたの先達各位の句集などから、おりおりにこころ惹かれる句々を手控えておこう。そうして日々の思案や感慨の、引きだし役やまとめ役になっていただくのはどうだろう。平成22年(2010)の初頭に、みすず書房の月刊誌『みすず』の表紙裏1頁へ連載を求められたときに、思いついたのが右の次第でした。月々の季節の移ろいにつれて、または継起する天下の出来事に目をみはりつつ、あちらの先達やこちらの知友の名吟佳吟と、いささか勝手ながらおつきあいいただいて三々五々、連れ立って歩いていこう。そこで題して〈賛々語々〉」。なお本書帯背の「オモテナシ、裏ばかり?」は44回「燃ゆる都」(2014年3月号)の締めの一文。
II
春は花見か? 「遊歩人」2006年3月号
俳句を歩く 鰹篇 「遊歩人」2003年5月号(原題「俳句を歩く 番外—鰹篇)
ビールと俳句と 「遊歩人」2005年7月号
ソース焼きそば 「遊歩人」2003年8月号
妻と歩く 「遊歩人」2004年10月号
俳句でありがとう 「遊歩人」2007年1月号
* 第II部はやや時代をさかのぼった俳句エッセイ。
2002年5月創刊の月刊誌「遊歩人」では当初不定期ながら「句碑を手がかりに」俳句・川柳ゆかりの街を散策する連載「俳句を歩く」を書きつぐ予定が、月々の特集内執筆者として原稿依頼されることが多くなり、あるいは同時期に進行していた『東京骨灰紀行』(筑摩書房、2009年)執筆のための取材に重点が移されたからか連載本篇は3回掲載されるにとどまった(2002年6・10月号および2003年3月号)。「鰹篇」はその名残をとどめるタイトルで、他に「俳句を歩く 花火篇」(2004年7月号)もある。紙媒体としての「遊歩人」は2009年10月号、通巻90号で休刊したが、その間著者はほぼ年3回の頻度で同誌にエッセイを寄稿していた。収録の6篇はいずれも特集テーマに沿って書かれたもの。「ソース焼きそば」冒頭句作者「巷児」は著者の俳号。以下、後藤比奈夫、大野朱香、下村舎利弗、五所平之助の句が続く。
III
江戸切絵図で歩く 「環」2014年秋、59号
私説東京七富士塚 「東京人」2006年8月号
上野 「東京人」2007年4月号(原題「小沢信男さんが案内する上野の坂道」)
昭和四十年代、町名変更という大事件 「東京人」2005年5月号
銀座八丁目の風 「遊歩人」2007年9月号
新橋いまむかし 劇団民藝創立70周年記念「どん底——1947・東京」パンフレット、2021年4月
* 第III部は江戸東京、街歩きと今昔。
「銀座生まれの『昭和銀座物語』」(共著『世界から見た20世紀の日本』山川出版社、2016年、所収)をはじめ銀座をめぐるエッセイは種々あるが、ここでは収録の1篇に絞った。「新橋いまむかし」は2020年2月に原稿依頼されたもの。コロナ禍のため上演、とともにパンフレット(「民藝の仲間」417号)の発行も1年延期を余儀なくされた。なお「東京人」隔月連載「同行二人・東京を歩く」(1991年2月-1992年11月号)を柱にした著書に『あの人と歩く東京』(筑摩書房、1993年)がある。
IV
『アメリカ様』今昔 「別冊太陽」250号「宮武外骨——頓智と反骨のジャーナリスト」、2017年5月
そのころと、唯今と 「社会評論」2015年冬、179号
汚い原稿の美しさ 河出書房新社編集部編『大西巨人——抒情と革命』河出書房新社、2014年
『遠い城』を眺めて 詩誌「P」96号、2020年(「げんげ通信」16号、2021年に再録)
津野海太郎と新日本文学会 「本の雑誌」2021年4月号
回想・神田貞三と私 「全逓川柳」98号、2016年6月15日
池内さんとゲーテさん 「うえの」2019年12月号
東京の人・坪内祐三 「ユリイカ」2020年5月号
花吹雪 「みすず」2021年6月号
* 第IV部は戦後文芸こぼれ話、『通り過ぎた人々』(みすず書房、2007年)拾遺。
「『アメリカ様』今昔」は、本書第I部「非暴力の潮」および「わが俳句的日常」の2篇「百寿とは」「暗き世に爆ぜ」とともに著者のパソコンに残るワード文書において「非暴力の潮・暗き世に・アメリカ様」として、また「池内さんとゲーテさん」「東京の人・坪内祐三」は「池内紀・坪内祐三」としてひとつにまとめられていた。
「汚い原稿の美しさ」については「賛々語々」53回「下京や」(2014年12月号)に「先輩大西巨人を偲ぶ小文を4月に書いた」との言及がある(前掲『俳句世がたり』所収)。記録芸術の会の機関誌「現代芸術」は勁草書房で月刊となる前にみすず書房から季刊で発行されており、1958年のみすず書房版創刊号に掲載されたのが著者の「徽章と靴——東京落日譜」である(『東京の人に送る恋文』晶文社、1975年、所収。改題のうえ『ぼくの東京全集』ちくま文庫、2017年に再録)。
「花吹雪」は著者没後に三重子夫人によって発見された遺稿(ワード文書名「賛々語々121花吹雪」)。末尾の句の前にある空欄(本書では〔…〕と表記)はそこに書き足されるべき節(20字詰めで16行)を示している。デスクトップパソコンおよびノートパソコンの同名文書には異同があり、収録したのは前者のほうだが、最終変更日時は前者が3月1日午前11時34分、後者が3月3日午後5時51分で、後者では「正直そんな感じです」以下の2節が消去されていた。3月3日午前10時ごろ、「げんげ忌」世話人でもある西田書店の日高徳迪氏に著者が入院先の病院から携帯電話でノートパソコンを届けてほしいと依頼したのは、締め切り日の迫っていたこの原稿を仕上げるためだったと思われる。昼少し前、コロナ禍で面会謝絶ながらパソコンは届けられたものの、同日午後11時47分に永眠。未完成ながら絶筆ゆえここに収録する次第である。ちなみに120回目の原稿が編集担当者宛に送られてきたのは2月4日。メールは「そろそろもうバタリと倒れるかも。お含みおきください。多年のご交誼、ありがとう」と結ばれていた。