荒川洋治ベスト・エッセイ集『文学は実学である』の企画を著者に提案したのは今年の2月末。高田馬場の喫茶店で会ったときはまだお互いマスクをしていなかったように覚えています。新型コロナウイルスに感染した志村けんが亡くなったのがその1ヶ月後ですから、実際の編集作業は顔を合わせない、郵便とメールとごくたまの短い電話による連絡で進められることになりました。
その間の荒川さんからのメールに「この本は総集編」と書かれていて妙に感心しました。出版用語ではよく「集大成」とか「傑作選」などと謳われますが「総集編」はあまり目にしません。この語からすぐ連想されるのはNHKの「大河」や「朝の」など連続ドラマ番組でしょう。評判を聞いていながらそれまで見ていなかったものを一気に見て、どんなドラマか感触を知る。あるいはそれまで折々に見てきたものを通してたどることで、見逃した回や気づかなかった伏線を知りドラマの全体を理解する。そういう意味では『文学は実学である』は総集編と呼ぶにふさわしい一冊です。
みすず書房から最初のエッセイ集は1998年の『夜のある町で』。面識のなかった荒川さんに手紙を出してお目にかかり、それから何度か、収録するエッセイの選択と部立てと配列をやりとりして目次を作って行きました。書名は、目次の収録文タイトルからいくつか候補を選んで短冊のように書いておき、対面で「これで行きましょう」となります。通して組んだ本文の初校を校正して戻してもらうのと一緒に「あとがき」の原稿を受け取りました。このとき出来た方式というか形式がその後も繰り返され、常にあとがきは「お題を与えられた短文」となり作家の力量が発揮される場となります。すばらしいのは、その本の成り立ちと謝辞の中間段落にかならず挟まれることばの贈り物。それぞれ振り返って引いてみましょう。
『夜のある町で』あとがきより。〈もうひとつ気づいたことは「楽しい」だの「楽しむ」だのという表現が多いこと。楽しい思いをしたことなんて少ない。そんなはずはないと思い、「楽」の字を極力とりのぞいてみたが、いくつかは残ってしまった。夜も昼も、よのなかのものも、消していくか消えていくものだが、その通り道のなかにも、新たな楽しみが待ちうけているのだと思う。〉
『忘れられる過去』あとがきより。〈このことばには、不完全な印象がある。「忘れることができる過去」と、「忘れられてしまう過去」の、二つの意味になる。でも人には、どちらの側にも、思い出があるものである。〉
『世に出ないことば』あとがきより。〈文章は、どの人のものも、ことばという木の葉をいくつか、ときには、いっぱいつけて出てくる。身がかくれるようないでたちで、登場する。書きたくなかったこと、そうは思えなかったこと、急だったこと、いまは埋めておきたいこと、このあとで気づくことになることなどが、あるためだろう。そのあたりは光が足らず、なかなか決められないものだ。文章にも、ことばひとつにも、世に出ない世界があるのだ。そのまわりを歩いた。木の葉をつけて、歩いてみた。〉
『黙読の山』あとがきより。〈漢字の読み方がわからないと書いた、エッセイの題だ。そういえばぼくは、いつも黙って本を読んでいる。黙って、書いている。他の人も多分同じだと思う。読み書きは静かだ。黙っていても、静かなところだ。〉
以来21年、みすず書房から刊行したエッセイ集は『霧中の読書』まで7冊、『文学は実学である』はほぼその前期に当たる上記の4冊から文章を選び、同時期の名作と単行本未収録の最新エッセイ8編を加えた「総集編」です。品切れとなり今では電子ブックでしか入手できない文章を、手触りのある本にまとめてお届けしたい、そして昨年「ちくま」に書かれた「加藤典洋さんの文章」という追悼文をぜひ読んでいただきたいというつよい思いがありました。それから1998年「大航海」に発表された「編集者への『依頼状』」は、出版に携わる人なら誰でも一度は読むべきだと思います。
ところで最後に装丁のこと。既刊エッセイ集7冊では途中からジャクソン・ポロック、ニコラ・ド・スタールなど好きな画家の作品をあしらっていましたが、昨年『霧中の読書』では坂口恭平さんの新作をカバーに使わせてもらって気分が新たになったところです。さてこんどはと考えていたら手元にある鮮やかなリトグラフ版画が目に入りました。『夜のある町で』『忘れられる過去』『世に出ないことば』の3冊を飾った萱慶子(かや・よしこ)さんから生前に頂戴した1997年の作品です。懐かしい思い出とともに、このエッセイ・シリーズの初心に戻って使いました。版画のタイトルは「無時間」です。