イタリアの出版社ラテルツァのカタログでIn Praise of Handwriting(原書タイトルLa Bellezza del Segno: Elogio della scrittura a mano 美しい記号――手書き礼讃)というタイトルのこの本の紹介文を読んだとき、ずっと読みたかった本が現れたような気がした。著者はカリグラファーだという。インターネットで調べてみると、その人の手になるカリグラフィは、私のイメージの中にあった手工芸的なカリグラフィとは少し趣の異なるもので、クラシカルな雰囲気をもちながらも、内面の発露でもあるような切実さがあり、目が吸い寄せられた。白と黒のボーダーのシャツを着て意志の強そうなまなざしを向けるその人のポートレイトも魅力的だった。
フランチェスカ・ビアゼットンは、もともと、子供のころから絵を描くのが大好きで、イラストレーターとして活動していた。そんなある日、調べものをしているときにふと手にした英語からイタリア語に翻訳されたカリグラフィの本に心を奪われた。だが当時、1980年代後半のイタリアには、一般にカリグラフィを教える学校はなかった。どうにかして手がかりをみつけたいと、ロンドンで学んできたばかりのアンナ・ロンキ(のちにイタリアカリグラフィ協会を創設し、会長となる)のことを知り、教えを乞うた。そして、カリグラフィ研究が盛んで仲間の多い国々(イギリス、ベルギー、ドイツ)に赴いて講座に通い、独学で古典的な書体を学んでいった。
毎日毎日、手本を見ながら、書体にそってペンを変え、ペン先を選び、線の練習をする。やがて、一本の線のもつ表現の違いを知れば知るほど、文字の型をなぞらえるだけではなく、絵を描くように、抽象的に、文字を音やジェスチャーのように捉えて線を描きたいという気持ちが抑えがたくなったのだろう。彼女が「私の手から抜け出したもの」と言う、文字でも、ただの無作為な線でもないようなカリグラフィの表現様式(専門的には「アセミック・ライティング(Asemic Writting)」と呼ばれている)で作品をつくるようになった。
ビアゼットンは、自身のカリグラフィにたいする考えを、本のなかでこう書いている。
「カリグラフィは、タイポグラフィと異なる、デザインでもレタリングでもない。カリグラフィは、ひとつの記号の総体で、そこでは記号は空間と関係をもち、記号同志が関係し合い、判読性を前提とせずに記号を組み合わせることができる。タイプデザイナーはそうではなく、判読できる一揃いの記号を設計する。つまり、テキストを読みときに集中を妨げる要素をすべて取り除き、記号が均一になるようにデザインする。カリグラファーの力量は、世界にたったひとつの文字を書くことにあり、自分の様式にしたがい、独創性を加えながら、与えられた状況に有効な形を作り出せるかどうかが問題になる。」(本書95-96頁)
百聞は一見にしかず。リズミカルにペンを動かし、線をひいて文字を書いていく彼女のカリグラフィを、ぜひ動画で見て味わってほしい。
表紙