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特集「いなくなった鳥たち」
2024年10月2日
ジャズを愛する音楽ファンにとって最高に有用なガイドブック、さらにミュージシャン同士のセッションにとっても恰好のレパートリーの手引き――本書に収められた252曲のなかから2曲を、ここに公開します。
作曲 ジョージ・ガーシュウィン/作詞 アイラ・ガーシュウィン
ジャズ・ナンバーの祖ともいうべき存在である。〈アイ・ガット・リズム〉は長い年月と淘汰を経て、ジャム・セッションの人気ナンバーとして不動の地位を確立してきた。スタイルや潮流は移り変われども、この曲はけっして廃れることはなかった。実際、ミュージシャンたちは曲の構成や進行をもうすっかり心得ているので、タイトルをすべて言う必要さえない。バンドリーダーはただ「リズム・チェンジ」と告げ、あとはテンポをカウントしはじめるだけでいい。たいていの場合、その夜のいちばん速いナンバーになる。
ジャズのイディオムに不朽の刻印を残したジョージ・ガーシュウィンを褒めたたえるべきだろう――いや、本当にそれでいいのだろうか? よくよく調べてみると、この曲はとうの昔にガーシュウィンのオリジナルの構想を離れて一人歩きしていた。最近ではこの曲のコード進行、通称“リズム・チェンジ”をオリジナルの〈アイ・ガット・リズム〉のメロディで聴くことはほとんどなくなってしまった。代わりに、デューク・エリントン、レスター・ヤング、チャーリー・パーカー、セロニアス・モンクなどがそのコード・チェンジを使って生み出した名曲の数々が、スタンダードとしてそれぞれ独自の地位を確立している。ガーシュウィンの原曲の構造にも手が加えられている。ジャズ・プレーヤーたちは末尾の2小節のタグ〔曲の締めくくりのフレーズ〕がどうもうっとうしいと考え、早々に自分たちのヴァージョンから省いてしまった。さらにコード・チェンジそのものにも、ちょくちょく変更〈チェンジ〉が加えられてきた。ジャズの演奏者たちがさまざまな改変や更新を加えつづけた結果、〈アイ・ガット・リズム〉は、ジョージとアイラが手がけたオリジナルの曲の面影をほんのわずかにとどめるだけとなった。
原曲はもともと1930年のミュージカル《ガール・クレイジー》のために作曲された。このミュージカルはほかにも、〈エンブレイサブル・ユー〉、〈バット・ノット・フォー・ミー〉といったスタンダード曲を生み出している。エセル・マーマンは〈アイ・ガット・リズム〉でブロードウェイ・デビューを果たしただけでなく、この曲を初めて歌った瞬間にスターの座を手にした――客席からの熱狂的な拍手喝采は鳴り止まず、彼女は何度もアンコールに応えなければならなかった。「誠実で、しかも知的な人たちが、〈アイ・ガット・リズム〉を初めて聴いた瞬間に、劇場の盛り上がりが最高潮に達した、と評してくれたのです」と、のちに彼女は、この曲の歌詞からとった『これ以上何を望むっていうの?』というタイトルの自叙伝の中で誇らしそうに回想している。
ガーシュウィンのメロディは細切れで裏拍にアクセントのついたフレーズの連続なので、アイラの才能をもってしても、歌詞をあてるのはなかなか手ごわい仕事だったに違いない。だが作詞家は、はっきりした4音節からなるセンテンスを連続することで見事に応えてみせた。ジャズ・プレーヤーたちはたちまちこの曲に魅せられた。とくに彼らの気に入ったのは、即興演奏にうってつけの和声の進行だった。ルイ・アームストロングは1931年のヒット・ヴァージョンで、この時期の彼にしては珍しく全篇ヴォーカルなしで通し、代わりに檄を飛ばしながらサイドの7人全員にソロを取らせている。2年後にカサ・ロマ・オーケストラが発表したヴァージョンでは、クラレンス・ハッチェンライダーがバリトンサックスで見事な68小節のソロを披露。あらためて、ミュージシャンたちはこの曲を、あくまでも自分たちの創造性を発揮させてくれる素材として重宝していたのだということがわかる。
レッド・ニコルズとエセル・ウォーターズも同時期に〈アイ・ガット・リズム〉でヒットを飛ばしたが、1931年以後は長らくチャートから遠ざかる。次に注目されるのは1967年、ハプニングスというニュージャージー州パターソン出身のグループがガーシュウィンの名曲をポップスに変身させ、思いがけない成功を収めたときだった。だが、ジャズ・ミュージシャンたちの支持は一瞬でも衰えることはなかった。彼らが演奏するところ、かならずこの曲が響いてきた――ボールルーム、ナイトクラブ、ジャム・セッション、あるいは自主練習でも、コンサート・ホールでも、海外公演でも、この曲はいかなる状況にもすんなり適応できた。ベニー・グッドマンは1938年のカーネギー・ホールの歴史的なコンサートでこれを取り上げ、彼とテディ・ウィルソン、ライオネル・ハンプトン、ジーン・クルーパを擁するカルテットは、息もつかせぬ演奏で観客を大いに沸かせた。所変わってアップタウンのハーレムでも、〈アイ・ガット・リズム〉はすぐにおなじみの曲となった。ミントンズ・プレイハウスやモンローズ・アップタウン・ハウスといった、ビバップの揺籃の地の閉店後〈アフターアワーズ〉のセッションで、夜ごと演奏されることになった。
ジャズのスターたちが集まって和気あいあいと演奏したりしのぎを削ったりするオールスター・イベントでも、頻繁に選曲されてきた。1942年のメトロノーム・オール・スターズのヴァージョンでは先のグッドマンがフィーチャーされているが、ここで脇を固めるのは、カウント・ベイシー、ベニー・カーター、チャーリー・バーネット、クーティ・ウィリアムズ、J・C・ヒギンボサムといった面々である。だが、さらに強烈な顔ぶれがそろっているのは、1944年のエスクァイア・オール・スター・コンサートだろう。こちらでは、ルイ・アームストロング、アート・テイタム、ロイ・エルドリッジ、ジャック・ティーガーデン、バーニー・ビガード、レッド・ノーヴォといった錚々(そうそう)たるメンバーが〈アイ・ガット・リズム〉を演奏している。おなじく、1946年4月22日にロサンジェルスのエンバシー・オーディトリアムで録音されたジャズ・アット・ザ・フィルハーモニックのコンサートも忘れてはならない。ここではコールマン・ホーキンズ、レスター・ヤング、チャーリー・パーカーという歴史に残る顔合わせが実現し、〈アイ・ガット・リズム〉を演奏している。第二次大戦後、レスター・ヤングは腕が落ちてしまったと思いこんでいる人は、とにかくこのヴァージョンを聴いてみるべきだ。プレズは気迫に満ちたソロで手ごわいライバルたちを見事に打ち負かしている。フレーズごとに聴衆から喝采を浴び、最後のコーラスまでぐいぐいと突き進んでいく。
悲しいかな、コード・チェンジが有名になるあまり、肝心の原曲のほうがすっかり陰に追いやられてしまった。私の手もとにはフェイク・ブックの類が半ダースほどあり、思いつくスタンダード・ナンバーはかならずどれかには載っているというのに、なんと〈アイ・ガット・リズム〉はどこにも見当たらない。“リズム・チェンジ”を使った曲ならごまんとあるのだから、わざわざオリジナルを載せなくてもいいだろう――きっとどの編纂者もそう考えたに違いない。ジャズの精神を象徴するような和声の進行だというのに、バップ以後の進歩的な若手プレーヤーたちがこの曲に目を向けることがなくなっていったのにも、おなじ心理が働いているのかもしれない。古参のミュージシャンや、彼らに影響を受けた若手は〈アイ・ガット・リズム〉をオリジナルに近い形式で演奏しつづけている。ステファン・グラッペリなどは30年代から90年代まで、少なくとも10年に一度はこの曲を録音している。一方で、目を開かせてくれるような新鮮な解釈は、ここ最近ほとんど生まれてきていない――土台となるコード・チェンジのほうには、たえまなく創意工夫が凝らされ、数多くの改変や即興が生み出されているというのに。
■ジョージ・ガーシュウィン(短篇ニュース映像)
George Gershwin (newsreel film clip), live at the Manhattan Theater (now the Ed Sullivan Theater), New York, August 1931
■ルイ・アームストロング
Louis Armstrong, Chicago, November 6, 1931
■カサ・ロマ・オーケストラ(クラレンス・ハッチェンライダー)
Casa Loma Orchestra (with Clarence Hutchenrider), New York, December 30, 1933
■ベニー・グッドマン・カルテット
Benny Goodman Quartet, live at Carnegie Hall, New York, January 16, 1938
■メトロノーム・オールスターズ(カウント・ベイシー/ベニー・グッドマン/ベニー・カーター他)
Metronome All Stars (with Count Basie, Benny Goodman, Benny Carter, and others), New York, January 16, 1942
■エスクァイア・オールスターズ(ルイ・アームストロング/アート・テイタム/ロイ・エルドリッジ他)
Esquire All Stars (with Louis Armstrong, Art Tatum, Roy Eldridge, and others), live at the Metropolitan Opera House, New York, January 18, 1944
■ジャズ・アット・ザ・フィルハーモニック(コールマン・ホーキンズ/レスター・ヤング/チャーリー・パーカー)
Jazz at the Philharmonic (with Coleman Hawkins, Lester Young, and Charlie Parker), live at Embassy Auditorium, Los Angeles, April 22, 1946
■ウィリー・“ザ・ライオン”・スミス
Willie “The Lion” Smith, live at Tonhalle, Zurich, December 15, 1949
■ステファン・グラッペリ/マッコイ・タイナー
Stéphane Grappelli and McCoy Tyner, from One on One, New York, April 18, 1990
■エリック・リード
Eric Reed, from Pure Imagination, New York, July 28‒29, 1997
作曲 チャーリー・パーカー
チャーリー・パーカーの作品の多くは、耳なじみのポピュラー・ソングからコード・チェンジを借りているか、12小節のブルーズのパターンを使っているかのどちらかだ。ところが〈コンファメーション〉は、前項の〈コン・アルマ〉とおなじく、一から創り出された作品である。ドン・マッギンなどはこの曲をパーカーの「もっとも優美な作品」と言っている。「優美」が真っ先に思いつく言葉かどうかはさておき(たとえるなら、優しく愛撫されるというより、頰に平手打ちを食らう感じに近いのだ)、この曲がじつに創意あふれる作品だということは、声を大にして言っておきたい。とくに注目してほしいのが、パーカーのii-Vの代理コードへのアプローチ、そして、モチーフに基づく一般的な展開と自由なバップの即興がバランスよく組み合わされたメロディである。
驚かされるのは、念入りに練り上げられた音楽でありながら、のびのびとした雰囲気を失っていないという点だ。ブリッジの後半などは、まるで譜面から離れてソロへと突入していく瞬間のようだ――曲に合わせてハミングしていても、そこにくると思わず口ごもってしまうだろう。その部分のスピードと音程差には、年季の入ったバップ・ファンですら文字通り舌を巻いてしまう――最後には、Aテーマのくりかえしで締めくくられる。スウィング時代にもてはやされたリフ中心のナンバー、あるいはこの曲が書かれた当時流行っていたキャッチーなフレーズありきのポップスに慣れた耳にはとくに、くらくらするほど刺激的な音楽である。
パーカーは1953年まで商業的な録音を発表しなかったので、晩年の作品だと思っているファンも多い。じつのところ、作曲されたのはその10年ほど前だった。1946年2月、ディジー・ガレスピーは(契約上の理由で“ゲイブリエル”という別名を使って)この曲のデビュー・レコーディングをおこなう。ガレスピーがフロントを務めたそのときのバンドには、ヴァイブラフォン奏者のミルト・ジャクソンも参加しており、ここでは彼のごく初期のモダン・ジャズのソロも聴ける。プロデューサーのロス・ラッセルはこのセッションでパーカーをフィーチャーしたがっていた。ところがパーカーはそのときすでに、ウエスト・コースト遠征バンドを無断で離脱していた――当時の彼はキャリアのうちでもとくに不安定で、行方をくらますのはこれがはじめてではなかった。そういうわけでパーカー抜きのほとんど知られていないヴァージョンではあるが、耳を傾ける価値はおおいにある。1945年から1946年にパーカーとガレスピーがロサンジェルスに率いていったバンドでは、〈コンファメーション〉を定番のレパートリーにしていたのだろう。1947年9月にこの2人がカーネギー・ホールでコンサートをおこなった際にも、これがセットリストに組まれた。そのライヴ録音は現存するバードの〈コンファメーション〉のソロの中でも飛び抜けてすばらしい。1953年の夏、ノーマン・グランツのプロデュースのもと、ついにパーカーはこれをニューヨークのスタジオで録音する。今日のジャズ・ファンにもっともよく知られているのは、おそらくそのときの演奏だろう。
私がとくに愛聴しているのは、パーカーと共演経験のあるアーティストによるカヴァーだ。パーカーのスタジオ録音から1年もたたないうちに、アート・ブレイキーがバードランドでドラマチックなヴァージョンをライヴ収録する。バンドにはクリフォード・ブラウン、ルー・ドナルドソン、ホレス・シルヴァーがおり、それぞれ絶頂期の演奏を聴かせている。さらに1975年のアルバム《ザ・バップ・セッション》では、ディジー・ガレスピー、ジョン・ルイス、マックス・ローチらと共演したソニー・スティットが、このバップのスタンダードの忘れがたい名演を残している(個人的には、当時のサックス奏者の中で、もっともバードの後継者足りうる器を備えていたのがスティットではないかと思う)。
ジョン・コルトレーンは〈コンファメーション〉に着想を得て〈26-2〉を作曲し、1960年に録音する。彼は当時熱心に研究し、〈ジャイアント・ステップ〉や〈カウントダウン〉といった曲に使っていた革新的な和声を、このヴァージョンにも部分的に取り入れている。きっとパーカーが生きていたら、そんなトリビュートを喜んだのではないだろうか。最後に変わり種として、1981年のチック・コリアのリーダーアルバム《スリー・カルテッツ》に収録された、マイケル・ブレッカーの〈コンファメーション〉を挙げておこう。LPリリース時は未発表だったが、CD版が発売されたときに収録された。いかなる鍵盤楽器も入っていないので、初めて聴いた人はリーダー不在のトラックなのかと思うかもしれない。だがじつは、ここでコリアはドラムを叩いており、内輪でホットなデュエットでパーカー・ナンバーをプレイしていたのだ。
かつて時代を画したビバップ・ムーヴメントも遠い昔の話となり、ミュージシャンたちの記憶も薄れていくにつれ、この曲が取り上げられることも少なくなっていった。だが、若いミュージシャンがチャーリー・パーカーをじっくり研究し、彼の曲を習得してみようと思うなら、まず〈コンファメーション〉と〈ドナ・リー〉に取り組むべきだろう。どちらもコンパクトな32小節の形式の中にバップの革新的なアイデアがたくさん詰めこまれているので、モダン・ジャズのフレーズ作りの教科書の役目も果たしてくれるはずだ。
■ディジー・ガレスピー
Dizzy Gillespie, Glendale, California, February 6, 1946
■チャーリー・パーカー/ディジー・ガレスピー
Charlie Parker and Dizzy Gillespie, live at Carnegie Hall, New York, September 29, 1947
■チャーリー・パーカー
Charlie Parker, New York, July 28, 1953
■アート・ブレイキー(クリフォード・ブラウン)
Art Blakey (with Clifford Brown), from A Night at Birdland, live at Birdland, New York, February 21, 1954
■ディジー・ガレスピー/ソニー・スティット
Dizzy Gillespie and Sonny Stitt, from The Bop Session, New York, May 19-20, 1975
■ハンク・ジョーンズ
Hank Jones, from Bop Redux, New York, January 18-19, 1977
■エディ・ジェファーソン
Eddie Jefferson, from The Main Man, New York, October 9, 1977
■マイケル・ブレッカー(ドラム=チック・コリア)
Michael Brecker (with Chick Corea on drums), from Three Quartets, Los Angeles, January/February 1981
■ビリー・ハート(マーク・ターナー/イーサン・アイヴァーソン)
Billy Hart (with Mark Turner and Ethan Iverson), from Quartet, Easton, Connecticut, October 2005